75. Numbers
──神は言われた。「あなたはレビ族の頭数を、その他の人々と同じように数えてはならない」……
歩むたび、足元に汚泥のような「思念」が絡みつく。
レヴィ、レヴィ、レヴィ……と俺を呼ぶ声は、怨嗟の声か、歓迎の声か、救いを求めるものか……。
どちらでも構わない。
俺は、彼らを裁き、救うためにここに留まると決めた。
……それが俺の復讐であり、贖罪だ。相容れない2つの意志を成し遂げることのできる、唯一の選択肢。……「裁定者となる」こと……。
天秤にかけるものは「痛み」
他者に与えた痛みと、己が受けた痛み。
悪行に見あった代償。善行に見あった報酬。……それが釣り合えば、それを整然と行えば、怒り、憎み、嘆き、呪い、恨み、叫ぶ魂たちを鎮める方法となり得る。
目には目を、歯には歯を。
……そのやり方では不十分だ。後に禍根が残る。
公的な裁きに従い、社会の基準に従う。
……そもそも正しく行使されていなければ、成り立たない。
ならば罪を許し、憎しみに囚われず前を向く。
……それができれば苦労はしない。
憎しみをなかったことにし、笑えるのなら、俺に与えられた屈辱や苦悩すら消し去ってみるがいい。
耐えることそのものがどれほどの苦痛か、苦悶か、思い知ってみるがいい。
……だが、
──あの声は、なんだったのでしょうね。僕にはわかりません。
でもねぇ、なんだか、もういいです。
色々失った気がしますけど、僕、もう死んでもいいです。
……むしろ死にたいです。もう終わっていいですか?
ずっと、ずっと、死にたいと思いながら生きてきたんです。終わらせてくださいよ。死なせてくださいよ。僕を、僕を楽にしてくださいよ……!!!!
……ああ、すみません。変なことを聞かせましたね。ダメですね。僕のミスでたくさん死んだのですから、僕は責任を取らないといけませんね、はは、あはは、あははははは……
誰か、僕を、助けて。
マクシミリアン・ダールマン……だったか。
……彼を奈落へ突き落としたのは、俺の罪に他ならない。
彼を救えるのは俺ではない。……が、救える人間に目星はついている。彼女の力を信じ、託すとしよう。
「……来てやったわよ」
ノエル・フランセル。本名はジャック・オードリー。
カミーユ=クリスチャン・バルビエに対する贖罪は充分なほど果たしたが、多くの人を「依頼」とはいえ殺めた罪は重い。
「それが贖罪になるなら……僕は、受け入れるしかない」
コルネリス・ディートリッヒ。愛称はケース、またはキース。
その根底にあるものが「正義」とはいえ、道を踏み外した殺人鬼であることに変わりはない。
……もっとも、被害者の中には確かにどうしようもない悪を為したものも含まれていた。考慮すべき点ではある。
「どんな力にもなります。……母ではなく、罪人として」
エリザベス・アダムズ。……旧姓はカウフマン。
生前の罪はさほど重くはないが、死後に多くの魂を混乱に陥れたとして、自ら助力を願い出た。……その信心深さと献身を無碍にする必要はないだろう。
「面白そうだからな。手伝いくらいならいくらでも?」
レニー・ビアッツィ。……こちらは生前になんの罪も犯していないが、死後、あらゆる魂に詐欺行為を働いたという被害の情報は届いている。幸い、能力は非常に高い。こき使うほかないだろう。
「……レオナルドは生存したか」
「まあ……ここ来てすぐグリゴリーに診てもらってたしな。今頃ピンピンしてると思うぜ」
「……なかなかにしぶとい男だな……」
殺しても死なない、というのは、ああいう人間のことを言うのだろうか……と、ふと思った。
さて、問題は次だ。
「……ロジャーは」
話しかけたくもない相手に問い掛ける。
「私に肉体……いや、骨格かな。とにかく身体を託した後、すぐに眠りについたよ。君を信頼してのことだろう」
「そうか。貴様とは顔も合わせたくないが、裁かないわけにはいかん。……かと言って、過剰な裁きになるのもよろしくないのだがな」
ロナルド・アンダーソン。仔細は省くが、どう考えても屑という言葉では足りない外道だ。ただ、本人が今まで受けてきた苦痛を鑑みると、私怨で過剰な罰を課すわけにもいかないのも事実ではある。腹立たしいし目を光らせておく必要はあるが、大人しくする限りどうにか使っていればいいだろう。
……腹立たしいが。
ロジャー・ハリスも動機が動機とはいえ、友人を焼き殺したことに変わりはない。……ただ、救った人数もそれなりに多いし、同情できる点も多々ある。望み通り、安らかに眠らせるのが筋だろう。
「ああ、安心してくれ。今の君は身も心も立派な青年に成長した。どこにも美少女らしい要素がない。勃つものも勃たないよ」
「…………」
思わず蹴り倒したくなったが、堪えた。
「カミーユも言っていたけど大仕事よ。やり切るまで耐える自信はあるの?」
ノエル・フランセルはセットの乱れた茶髪を気にしながら、グレーの瞳を細め、訝しげに問うてくる。
「無論だ。……やり切る理由もある」
暗闇に、ぱっと光が灯る。
……俺の携帯電話が、メールの着信を知らせてランプを光らせていた。
「……ロバート……」
返信する、と周りに視線で合図をし、画面を開く。
性別がどうであれ愛している。支えになりたい……と、真っ直ぐな言葉が送られてきた。……トルマリンブルーの澄んだ瞳を、否が応にも思い出す。
『必要ない。』
……あいつに背負わせることではない。
『ロバート。……お前がその世界にいると知るだけで、そちらにも守る価値ができた。』
……善良で、純粋で、優しいお前が、それでいて心に確かな核を持ち、真っ直ぐに信じた道を進めるお前が、
お前がその世界を愛すというのなら、
『だから、もういい。それだけで充分だ。
……ありがとう、ロバート。』
俺はこの荒野を切り開き、お前が生きる世界を、お前が笑う尊い時間を、……お前が見つめた未来を守ると誓おう。
ロバート、お前が苦しむ必要はもうどこにもない。
だから、お別れだ。
ただ、もしお前が存分に、満足するほど生きて、その時に俺の仕事が終わっていれば……その時は、その時も、俺を愛すると言うのなら……
その時こそ、この想いを伝え、共に眠りにつこう。
短い時間だったが、お前の瞳が光を灯し、お前の手が棘を払い、お前の声が道を指し示した。
ロバート。俺は一人の人間として……お前を、心から愛している。
パタン、と携帯電話を閉じる。
充電が切れれば、もう、この空間は隔絶される。
……ノエル・フランセルはため息混じりに、見覚えのある絵筆を撫でつつ、観念した。
……コルネリス・ディートリッヒは「今度こそ間違えない」と、何度も己に問いかけていた。
……エリザベス・アダムズは黙ってロナルド・アンダーソンを凝視し、相手も冷や汗をかいて後ずさりつつ、肩を竦めた。
「さあ、神妙な顔ばかりしなさんな。大博打を楽しもうぜ」
コインを弾き、レニー・ビアッツィはにしし、と笑った。




