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18. 恋人

 血を吐く青年の顔が分からない。

 (あたし)を呼ぶ声も、ノイズに掻き消されて聞こえない。


 痛みだけを残して、「彼」の記憶が消え失せていく。


「死者は生者の(ことわり)に干渉すべきではない」


 ……凛とした声が響き、意識がクリアになっていく。


「つまり……オリーヴ・サンダースを裁くべきは俺達ではない」


 赤髪の青年の姿が、視界に浮かび上がる。


「だから、今は安心しろ」


 語りかけているのは……私に、じゃ……ない……?

 ノイズが晴れていく。懐かしい「彼」の姿が、脳裏に蘇る……




 ***




 どういう流れだったかは分からない。

 偶然だったのかもしれない。

 涙を流す彼の姿を見てしまった日、私達は初めて深いキスをした。


 性的なことを望まなかった彼の裸を、その日、初めて見た。

 それなりに鍛えられて無駄な肉のない身体は、男性のようにたくましくも見えたけれど、女性のようにしなやかにも見えた。

 事前に聞いていた通り、男性器も女性器もない身体。……けれど、そんなことは特に気にならなかった。

 それよりも、傷痕と火傷と痣だらけの肌が月光に照らされていたことが痛々しかった。私は可能な限りすべての傷にキスを落として、震える身体を抱き締めた。


「オリーヴ」


 ぎこちない愛撫に時折身体を跳ねさせ、彼は小さく私の名を呼んだ。縋りつくようでいて、怯えているような……弱々しい響きだった。


「死にたくない」


 絞り出したような掠れ声を覚えている。


「まだ、死にたくないんだ」


 消え入りそうな慟哭を覚えている。

 それでも、次の朝、私を起こした彼の笑顔はいつも通り穏やかで、飄々(ひょうひょう)としていた。

 ……なんとなく、もう二度と会えないような、嫌な予感がした。




 ***




 遠い過去から、意識が帰ってくる。

 ポールは床に転がったまま、ぼんやりと虚空を見つめていた。

 キースは難しそうな顔をして何事か考え込んでいて、レヴィは携帯電話を取り出し、画面を確認している。


「……そういうことか」


 深くため息をつき、レヴィはポールの方を見る。

 ポールは静かにまぶたを閉じ、観念したかのように黙り込んでいる。


「私……弟さんから聞いたの。あなたが死んだって……内臓の傷が、やっぱり良くなかったみたいだって」


 記憶は一部なら蘇ったけれど、まだ穴が空いた部分は多い。

 それでも……ポールを失った痛みだけは、今なお忘れられない。

 私は床に膝をつき、縋りつくようにして彼に近付いた。


「大したことないって……退院する時言ってたよね。それは、本当だったの? ポールは黙ってたけど、あれ……お母さんに殴られた後遺症なんでしょ?」


 ポールは目を閉じたまま、「うん」と小さく呟いた。


「養父母さんは何も教えてくれなかった。……仕方ないってわかってるよ。ポールは虐待被害者で、実親に情報が漏れるのは不味いもんね。いくら恋人だったとしても……うかつには、話せないよね」


 涙がぼろぼろと溢れる。

 こんなに大好きなのに、どうしてだろう。

 今、私の中からは、彼の記憶がごっそり抜け落ちている。


「……あなたなんだね。私の記憶を奪ったのは」


 目の前の相手に問いかける。

 この空間に来た瞬間、私から記憶を奪った……私にとって、すべての元凶。


 ポールはしばし黙り込んで、口を開いた。


「そうだよ」


 鈍い頭痛が私を蝕んでいる。

 塗り潰された記憶が悲鳴を上げている。

 忘れたくない、思い出してと叫んでいる。


 私はここに来たかった。

「敗者の街」でも、「迷い子の森」でも、なんだっていい。

 もう一度、彼に会いたかったんだ。


「忘れて欲しかった」


 ポールは目を開き、静かに語る。

 解き放たれたように、記憶の蓋が次々と開かれる。楽しい思い出も、悲しい思い出も、蘇っていく。


「どうして……?」


 声が震えて、上手く言葉にならない。

 ポール。私、言いたいことがたくさんあったんだよ。

 記者になる夢を叶えたとか、友達が増えたとか、あなたの作品を少しでも広められるように記事を書いたとか、それに……あなたのために……


「ごめんね」


 ポールは私に視線を合わせない。


「ぼくのせいだ」


 つぅ、と、ひび割れた頬に透明な雫が伝う。


「ぼくにさえ出会わなければ……ぼくなんかを愛さなければ、きみは、幸せだっただろうに」


 あなたのために、私は、復讐をした。

 確かにフランスでの職は失って、賠償金も払って、再出発にも苦労したけれど……でも今はイギリスで記者にも復帰できてるし、何より、私……あなたのために頑張ったんだよ。


 あなたに会って、間違ってないよねって聞きたかった。

 本当は不安だった。あなたを苦しめた人でも、あんなに酷い人でも、あなたにとってはお母さんなんだから。でも、私は許せなくて、でも、その選択をあなたがどう思うか、私にはわからなくて、だから、会って確かめたかった。


「昔のきみは、そんな苦しそうな顔をしなかった。……なんの(かげ)りもない、明るい笑顔を見せる人だった」


 追想するように、薄いグリーンの瞳が遠くを見つめる。


 ポールの言う通り、彼と出会った頃の私は、なんの苦労も不幸も知らなかった。

 両親が死んだとか不仲だったとか、何か酷い事件に巻き込まれたとか、そんな経験は一度もない。

 復讐のことで裁判沙汰になった時も、母は私を(ねぎら)い、父は私の再出発を手伝った。そうして、子供の頃からの夢だった記者を今でも続けられている。誰が見ても、恵まれた人生。……そのはずなのに。

 空虚な感情を抱いていた。世界が色彩を欠いたように見えていた。……ポールを失ってから、ずっと、そうだった。


「きみの苦しみは、ぼくのせいだろう?」


 ポールは涙を流したまま、力なく笑みを浮かべた。

 ああ、もう……どうしてこうなっちゃったんだろう?

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