天使の告白
令和間ニ合ワナカッタ……(泣)
天使ちゃん目線です。
追記:2019/11/13 鉤括弧閉じ直前の句読点を削除しました。
「あなたは、わたし達の手によって、正しい寿命を迎える前にお亡くなりになりました」
「……え?」
わたしがそう告げると、彼は訝しみと絶望が滲んだ表情を見せる。
彼は、ほんの数十分ほど前に、とある特別な事情で「天界」に召された、自覚を持ったままの「魂」だった。「だった」っていうのは、今はわたし達天使が話し合って決めた一時的な処置として、彼に人間の子供だった時の姿を模した体を貸しているから。
もちろん本当は、本物の天使の体ではないにしても、死人の魂に体を与えることはいけないこと。こんな処置は空前絶後だと、天界の歴史を見てきた賢者達も頭を抱えていた。
それでも彼にここまでの待遇を用意した理由は、いきなり殺された魂へ対応と説明をするため。というのが建前で、本音は体裁と、前例のない大事件に対する時間稼ぎのためだ。
「……やっぱり死んだの?」
彼は、さっきまでのクシャクシャに歪んでいた顔を、今度は苦いものを食べたような渋い表情に変えてつぶやいた。不安や悲しみを消化していく内に不可解さが浮かんできたのか。突然訪れた自分の死に納得できないまま、受け入れられずにいるんだろう。
おそらく彼は呟いた独り言に返事は期待していないだろうけど、わたしは敢えて、その言葉に返事した。
「正確には殺されたの、……わたし達、の手によって」
「……そうなんだ」
彼はそのまま、腑に落ちてないような顔で黙ってしまった。
わたしは、彼に次にかけるべき言葉が見つからなかった。今までなんとかうまく喋れたのがウソのように、頭の中はさっきから緊張と恐怖で満ち満ちていた。
彼は今、殺されたと言われて、わたしのせいだと告げられてどう思ったのか。激しい怒りに襲われているのだろうか、憤りなんて通り越して憎悪や悪意に変質し、自分を殺した相手にどうやって報いるか考えを巡らせているのかも。もしくは絶望が心を染め上げているのか。殺したわたしに恐怖を抱いている場合もある。
いずれにしても、わたしは彼のその心情を想像すると、彼を殺したという罪悪感に飲み込まれそうになり猛烈な吐き気さえ感じる。
「あの、僕は……」
「――っ」
「僕は、何かとんでもなく悪いことをしたのかな?」
「……え?」
しかし彼が口にしたのは、わたしを責めるものでも、恐れるものでもなかった。
予想外な発言に対するわたしの反応を「自分の発言が曖昧すぎた」と捉えたのか、彼は詳細に自分の考えを告げる。
「えっとね、僕、実は何も憶えてないんだ。突然暗闇に連れてこられたって感じで。いきなり殺されたって言われても訳が分からないっていうか、そもそも殺されたのか実感がないしさ。この世界にひとりで残されて、ここはどこだろうって考えて。なんだか、変な表現だけど、ついさっきうたた寝から覚めたみたいな感覚なんだ」
ああ、やっぱり。さっきの質問で気付いたけれど、生前の記憶を失っていたんだ。目覚めた直後記憶がなかったためにあれだけ取り乱してしまったんだろう。自分のことが思い出せないなんて、いったいどれだけ怖かったことだろう。
「わたしがあなたの人生を奪ったから――」
「待って!」
口から無意識に出た懺悔の、というか後悔の呟きは、殺されたと聞かされても何故か落ち着いているような彼の言葉に遮られる。
「ごめんなさい。君を責めたいんじゃなくて、そもそも殺された実感がないっていうことが言いたいんだ」
「でも……」
それは記憶を奪ったからだ。彼は自分が殺された瞬間を思い出せないから「殺された」と感じないだけ。つまり、私が悪いことに変わりはない。
そう説明しようとしても彼は手で制してわたしの言葉を遮る。
「正直にいえば、僕にはよく分からないんだ。君が僕に安心を与えてくれる存在であると同時に命を奪った相手でもあるって聞いても、そんなのどう考えても矛盾してて。ただ、漠然と君が悪い天使さんじゃないことは感じられている」
彼の言葉に引っかかった。「安心」とは何だろうか。もしかして、突然震えだした彼を正気に戻そうと呼びかけたことに対してなのかな。
「なんで? 君はわたしをよく知らないでしょ。それに『安心を与える』なんて言いすぎ。わたしがあなたを安心させたとは思えない。ただ強く呼びかけただけで、何もしていない」
「ううん、あれのおかげで一瞬だけど頭にブレーキがかかったんだ。だからするりと君に質問出来たんだと思う」
「……」
納得できない。
感情の奔流から引き留めようと大声で叫んだつもりではある。本当はビンタを考えたくらいだが、すぐ目が合ったことで震えも止まったようだしそれはしなかった。そこから感情がぶり返す前に質問してくれたことも、多分反射で行動した結果だろうからそこは言及しない。
だけど、それで彼に信頼される理由も分からない。仮にわたしに殺された自覚がなく、むしろ落ち着きを与えてくれた人物だと思っているにしても、記憶を奪い、自分を殺したと主張する相手を数回会話したぐらいで信じれるだろうか。
それに、彼は自分の生死を訊いた時、とても不安そうな顔をしていた。わたしはそれを見て怖い思いをさせていると感じたし、それが当たり前の反応だとも思った。彼にとって「死」というのはこんなあっけらかんと話せるものじゃないはずだ。
そんな疑問をよそに話を再開する彼は、しかしおかしなことを言い出した。
「話の続きだけど、僕は君の話を聞いて頭がこんがらがった。でもね、一旦殺されたっていうことなしに考えてみることにしたんだ」
「えっ?」
「……いや、違うね。殺されたって分かってないからあえて無視したんだ。とりあえず、殺されたかどうかは分からない。なら次の疑問、なんでここに呼ばれたのか」
彼はここで一旦一呼吸ついた。
「さっきも言った通り、僕は天使さんが悪い天使には思えない。というか思いたくないんだ。だからこそ、他の理由を考えたんだ」
「……それで?」
わたしは正直恥ずかしくてとてもむず痒い気持ちになったけど、彼の心の内を意固地になってまた反論すると会話が進まないと思い、先を促す。
「僕はね、君が平気で人を殺すとはどうしても思えない。だから、殺すに相当するだけの理由があるんじゃないかと思った」
「理由……」
「そう。つまり僕は――」
息を吸い込む彼。隠しきれなかった緊張をわずかに覗かせ、躊躇いがちに口を開く。
「生前何か大きな罪を犯し、その罰として天使である君の裁きを――」
「――! 違うっ!」
思わず声を荒げてしまう。彼は話を途中で遮られて驚いているが、わたしはこれ以上話を聞いていられなかった。
彼が放ったセリフは、わたしの懸念なんて及ばないくらいけろっとしたものだった。まさか自分の死にそこまで落ち着いていられるなんて考えもつかなかった。けれどその内容は、わたしが絶対に認めるわけにはいかないものだ。
「違うの、そうじゃなくて……」
声が震える。恐怖なんて塗りつぶすくらいただただ恥ずかしい。何て自分勝手な恐怖を抱いていたんだろうって心底イヤになる。
でも、これは言い訳。本音は、彼のせいにするのが怖かっただけだ。わたしの罪悪感が、彼にこれ以上負い目を感じたくない一心で叫んだんだ。
「……じゃあ、どうして僕は死んじゃったの?」
当然出てくる疑問に一瞬狼狽える。わたしのことを感情の読めない目で見つめてくる彼に、わたしの思考回路はフリーズしそうになる。ついさっきまで覚悟していたつもりだったけれど、やっぱり「つもり」でしかなかったと心臓が訴えてくる。
ダメだ、話せ、話さなきゃ。自分がどんな下らない理由で彼を殺したのかを吐き出すんだ。
ようやく訪れてしまった懺悔の時間に、声の震えを無視しながら言葉を発する。
「えっと。まずね、わたしには人の魂を浄化する役目があるの」
「? ……何の話?」
「あなたが死んだ経緯。簡単にいうと、人は死んだら魂だけ抜けて死後の世界へ「輪廻の川」を通じて流されていくのだけど、その子たちにはまだ記憶が残ったままなの。自我が残った魂だと生まれ変わること、というより別の体に入れることができないから、天界でわたし達が浄化してただの魂に戻してからもう一度輪廻に戻してあげるの」
魂達には、自分を自分たらしめているものがあらかじめ備わっている。人間で言うところの「アイデンティティ」みたいなもので、魂も自分達の持つ性質、特徴、テーマに則って、もう1回地上に戻り新たな魂としてまた形を持つ。そしてまだ生まれてない赤ちゃんの中に潜って、生まれるのを待つ。
これこそが輪廻であり、この循環で魂は巡っている。
「それと僕が死んだことがどう関係しているの?」
「あなたの死の原因にとても関係しているの。それで、基本的に魂はこの輪廻の流れに従っているのだけれど、天使がその流れに介入した時、流れ方が変わってしまうの」
「流れ方が変わる?」
「例えば、生き死にを繰り返して廻りすぎた魂が擦り切れて消えたり、逆に魂が突然分離して、本来生まれるはずだった魂の順番が後ろに回ったりするの。それを調整、つまり流れに介入して生命の量を適度に増減させるまでがわたし達の仕事なの」
「……つまり僕は、その『介入』とやらで殺されたの? だったら天使さんのせいじゃないよ。君は仕事をしていただけ――」
「待って。まだ続きがあるの。長引かせてごめんなさい。ここからあなた自身の話よ」
ここまでは前提の話。まず彼の魂がどこで死んでしまったのか、どうして殺されたのかを説明するために避けられない背景の説明だったのだ。
「わたしはその時、いつも通りに魂を浄化していたの」
本当にいつも通りの業務のはずだった。
魂というのは外側に記憶が張り付いているため、ボールみたいにゴロゴロと転がすように剥がして記憶を浄化する。
魂は「輪廻の川」の中を一度にたくさん流れていくから、一個一個丁寧に浄化したりせず、わたし達がその流れの上下に待機して、魂が川の内側へ集まって流れるように、川の流れに対して斜めにかつ左右交互に結界の役目をした膜を張る。
この膜は「記憶」を通さないようにできているから、川のいたるところに張ることで魂がぶつかる度に少しずつ魂から記憶が剥がれていく。
途中で膜により「川」を完全遮断し、円を描くように流路を作り、流れを最初の部分へつなげて戻す。これをループさせることで完全に魂から記憶を剥離させると、膜を透過できるようになり魂は元の「輪廻」に帰っていく。
これが基本的な浄化工程。
これらの膜は天使が魔力を注ぎ込むことで維持しているから、耐久力も天使次第。ムラが出ることを防ぐために天使の魔力は全員で共有しており、滅多なことがないと尽きないようにしてる。それでも膜一枚一枚には個別に担当の天使がついている。
わたしがついていたのは丁度流れがループする部分、先ほど説明した円形の場所にある膜の一つであり、天使が魂に干渉する部分だ。
彼の魂が現れたのは突然だった。
彼の魂は輪廻の流れに従わず不規則に泳いでいた。
別に珍しいことじゃなくて、さっきも言ったような分裂や消滅する魂、加えて地獄送りになるような元悪人の魂のように普通に転生することがない魂っていうのは通常じゃない動きをすることが多い。
だから普段通り、わたしの膜がその魂に触れた瞬間に魂を絡めるように膜を引き延ばし包み込んだ。詳しい説明は省くけれど、悪人の魂じゃないと判定できたから、仲間を呼んで、この魂のように特別な動きや反応を示す魂を集めた湖へ運んでもらった。
この湖は「川」の一部を膜で囲むことで切り離された場所で、他の膜と同様に共有の魔力で出来ている。この中に入れて、他の魂の邪魔をしないように個々が伸び伸びと自由に変化していくことで、まともな魂になるまで待つ。その後輪廻に戻されるというわけ。
わたしはその後近くで仕事を続けていたけど、なぜだか彼の魂が落ち着く様子はなかった。
それからしばらくして。
「ねぇあなた、あれ見てみなさいよ」
「……え?」
湖から戻ってきて魔力維持に努めていると、突然仲間から声をかけられた。
「ご、ごめんなさい。交代の時間だった? すぐに――」
「違うのよ。あぁ、でも抜けてもらってもいいかしら?」
「?」
「あれあなたのでしょ? ちょっと見てほしいのよ」
何の用事で呼ばれたのか告げられず、だが膜の魔力維持の交代はしろと言われて戸惑ったけれど、早く来るよう急かされたので、とりあえず他の仲間を呼んでもらってすぐその子と交代し、彼女の目的地に向かった。
その途中で、彼女の言っていたものが何なのかは察しがついた。
「もしかして、用事はあの光について?」
「そうよ。あなたずっと仕事していたのに気づかなかったの?」
「何? あのまぶしいくらい光っている場所?」
「知らないけど、光っているのはあなたが包んだ魂よ」
「え!」
彼女の発言は当然ウソではなかったが、湖に光るまぶしい球体を見るまでその言葉を素直に受け入れることはできなかった。
発言通り、件の彼の魂がまぶしい程の輝きを放ちながら湖の中で沈んでいた。動きは止まっていたが、そのことがむしろ事の異常性を表していた。
というのも、魂は普通川を泳ぐものだからだ。泳がなきゃ輪廻は回らない。
周りでは休憩中の天使がわいのわいのと騒ぎながら、宝石を鑑賞するようにうっとりとその光を眺めていた。
「あ! やっと来たわね!」
騒ぎの中にも拘らず、声の主はわたし達のことを早くも見つけたようだ。
「あなた、あの魂に何をしたの⁉」
「何もしてないけど……」
「なになに? その子があの魂包んだ天使?」
途端に「あら」とか「ホントに?」とか言いながらわたしは囲まれてしまった。みんな口々にどうやって魂をあんなに光らせたのかを訊いてきたけど、原因なんてわたしにも分からないから返答に困ってしまった。
するとさらに周りが騒いでしまって、喜ぶ子以外に「異常事態なんじゃ……?」と心配する子も出てきた。思えば、わたしのそういう自信なさげな態度がそういう子達に不安を与えてしまったのかもしれない。
「ねえ、中身を見てみない?」
「え?」
「そうね、こんなに光っているなんて不自然だもの。何かおかしいことがあるんじゃない?」
「光っているってことは、魂が持つエネルギーが放出されてるのかも」
「でもそんなことしたら力がなくなって消失するはずよ。消失ならもっとおとなしく変化するはず」
「いずれにしても異常事態には変わりないわね」
第一声に反応した子たちが、堰を切ったように口々に自らの懸念をまくしたてていく。それは周りにも広がり、不安が周囲に伝播し、好奇心も刺激され場の流れが変わっていった。
「ちょっと待って! 勝手に膜を破くのは……」
「しかし、こんな強い光を発してる個体は見たことがありません。一度中身を確認するのが得策なのでは?」
「で、でも――」
「いいじゃない! 別に張り直せないわけじゃなし。一回確認するだけよ」
「勝手に破いちゃダメでしょ?」
明確な規定はない。しかし暗黙の了解とでもいうべきか、異常な動きをする魂は基本的に膜に包み湖に連れて行った後は放置して手を出さないようにしている。
実際、わたし達の上司は、わたし達が膜を剥がそうとするときには必ず立ち会うし、勝手に破くことをよく思っていない様子だ。
「いいんじゃない? 別に魂に何かして弄るってわけでもないんだし」
「だから――!」
「ああん、もう! ならあなたがどうにかしてくださいな!」
「も、もちろん」
というわけで、すぐに輪廻の川を管理しているわたし達の上司である大天使様に報告に行った。魂を湖から取り出して長時間持ち歩くわけにもいかないので、直接来てもらい、状況を簡単に説明した。
「とにかくみんな不安になってしまい、わたし達では原因も分からないため、お呼び致しました」
「ふむ……。残念ながら私にも理由は分かりませんねえ。光ることは間々ありますので原因は見当がつきますが、これだけ強く、しかも長時間光るものは初めてです」
「なら、度々光る魂は何が原因でそうなるのですか?」
「稀に、我々天使と非常に相性のいい存在がいるのです。膜には天使の力――聖力がわずかに宿っているために、それに反応するなり共鳴するなりして、『弱く』光るのです」
わざと「弱く」の部分を強めて言ったのは、大天使様自身もこれが異常事態であると思っているからだろう。
「しかし、ならこれは――」
「大天使様」
その時、わたしをここまで連れてきたあの子が声を上げた。彼女は凛とした表情で、ハキハキと臆することなく大天使様に提案を掲げた。
「この光ははっきり言って異常です。これだけ光るということは、とても強いエネルギーを持っていることは疑いようもありませんわ。今はまだ害はありませんが、過去に強い力を持った魂が爆発したということを聞いたことがあります。即刻引きあげないと危険では?」
彼女の言葉に、周りの子達が不安を煽られざわつき始めた。
もうその時からかなり経つが、突如「輪廻の川」の中間地点で魂が爆発する事件が発生したのだ。爆発と言うより破裂に近い印象があったらしいが、突然衝撃と熱波が周囲に広がり、天使達を襲ったのだ。
わたし達天使は種族の関係上傷の治りが早いためそれは問題ではなかったけれど、魂は別だった。魂自体はあってないような形にとらわれないものだけれど、衝撃で吹き飛ばされ川から追い出されかけたらしい。
魂というのは輪廻の流れに従って天に召される。もし川から弾き出されれば、文字通り輪廻から外れて消滅してしまうのだ。「輪廻の川」の水には魂を維持するための力が流れており、そのおかげで完全に非物質であるはずの魂は存在が保たれているらしい。
とにかく、そんな事情があったため、魂たちへのケアで現場は大混乱。幸い予兆を察知した天使達により衝撃は半分近く殺されたものの、川の流れも歪んでしまったため、復旧に手間がかかった。
わたしもその事件の時はそう遠くない場所で膜を張っていたので、思わず渋い顔をしてしまう。そしてその事件の責任を負い魂の修復や避難、原因究明に尽力なさった大天使様は、厳めしく顔を強張らせた。
「その様な発言を軽々しく口にするものではありません!」
でもお叱りを飛ばした後、再び冷静な態度に戻り、こう続けた。
「……しかし、危険は確かに考慮するべきでしょう。この魂を掬ったのはあなたですね」
大天使様はわたしのことをまっすぐ見つめて言った。
「は、はい」
「膜は切り取って包みましたか?」
「いいえ、自分の魔力で引き延ばした膜で」
「では、あなたには立ち会ってもらいましょうか。この魂を一旦隔離します」
その後、わたしには分からないレベルの手続きがあったようだけれど、話はとんとん拍子で進み、遂に膜を剥がすこととなった。
私たちは、川水を引いて作った、流れから十分遠く離れた貯水所へと移動した。ここなら最悪爆発しても魂たちに被害はない。周囲は結界に覆われており、唯一川水を引く通路だけ外と繋がっていたけれど、そこもたった今閉じた。
「いいですか? くれぐれも慎重に。特に、絶対に生身で触れてはいけませんよ? 聖力に過剰に反応することで、魂が崩れかねませんからね」
「……はい!」
この時やっと自分の予想以上の大事の予感を察して、わたしは急な緊張に襲われた。わたしは自分自身に結界を張り、魂の前で立ち止まると深呼吸して緊張を紛らわす。
大丈夫。爆発しても後ろに大天使様がいる。いざとなれば魂を結界で封じ込めてしまうだろう。そう思い込んで、膜に魔力を伝える。
初め、異変は小さいものだった。魔力だけでなく聖力も吸い取られていく感覚に目を見張ると、膜は全く反応していなかった。不可解に思いもう一度、膜に切れ目を入れるイメージで魔力を伝えても、膜にはひびも入らなかった。
「? どうしましたか?」
「い、いえ、なかなかひびが入らなくて」
この時、わたしは焦っていた。話が重い方向に進んでいったときは不安になったが、わたしのするべきことなんて簡単なことのはずだった。こんなところで手間をかけさせるわけにはいかず、これからまだまだ必要な処置が残っているのだ。なのに何故か膜が破けず、どれだけ魔力を注いでもびくともしない。だからこそ加速度的に焦りが大きくなっていく。
その大きすぎた動揺が、目の前を真っ白にさせた。
「――! 待ちなさい! 今すぐ供給を止めるのです!」
「え――?」
気が付けば件の魂が、太陽が現れたと感じるほどに光を放ち、空間を埋め尽くそうとしていた。
そして恐るべきことに、いつの間にかわたしは膜を両手で包んでいたようだ。力を伝えよう、伝えようと力んだ結果だろうか。
わたしの手の中で、太陽が光をこぼしていた。こぼれた分だけで、眩しすぎて手の輪郭が見えなくなるほどの光だった。
わたしは悟った。この魂が私の聖力を喰っていたのだと。
わたしは気付いた。その食欲は注いだ直後より大きくなっていることを。
わたしは聞いた。
――ピキッ、と……まるで乾いた薄いものが割れるような音を。
手に丸い重みを感じた時にはすでに手遅れだった。魂は一際眩しい光を放ち、世界を白く染めた。目を覆うと思わず手から魂を落とした瞬間、その魂は二つに割けた。
「た、魂が、割れ――」
「何をしているのですか!」
大天使様の声に混乱から強制的に復帰させられる。声のほうを向くと、恐ろしい顔をしてこちらに歩み寄りながら怒鳴っていた。
「魂を触ってはいけないと最初に言ったではないですか!」
「ごめ、ごめんなさい! わ、わたし、とんでもないことを!」
この瞬間、わたし達は魂が死んだものだと考えていた。だから次に起こる現象を二人ともすぐに理解はできなかった。
「な――!」
2つに分かれた魂は、しかし両方とも生きていた。一方はまばゆく光り輝きその場で静止して、もう一方は小さく光り輝きながら激しく貯水所の中を泳ぎまわっていた。
「分裂⁉ まさか、聖力を糧に……? そんなこと――」
大天使様は固まりつつも何かを呟いていたが、わたしはその声を聞き逃し、ただ呆然と2つの魂を見ているだけだった。
激しく動く魂は、遂に「輪廻の流れ」への唯一の繋がりである、かの水路の入り口の結界へ激突した。そのままゴリゴリとむごい音を立てながら、壁に阻まれ失速していくかに思われた。何せ小さくとも爆発に備えた結界なのだ。魂が一つぶつかったくらいでは壊れない。
しかし何と――魂は動きつけていた。何かに突き動かされるように、もしくは何かに対しもがくように、結界に何回もぶつかっていった。その勢いは、減るどころかむしろ増すようで。
「い、いけません!」
大天使様は流石すぐ立ち直り、魂の暴走を止めようと結界を張る。しかし皮肉なことに、その判断は遅すぎたようだ。
――バキッと、今度は固く分厚いものが無理矢理貫かれたような音が響く。
暴走は止まらず、水路をまっすぐに突き進んでいく。
「いけません! あんなものが輪廻に出たら――!」
ここでようやくわたしも現実に引き戻された。
全天使達が知っている魂の爆発事故。その爆発の被害は、「輪廻の川」の形を著しく歪め、数百の魂達が被害に遭った。しかもこれは、周りの天使達がとっさに結界を展開させて、威力を削ったうえでのものだった。
そしてこの貯水所の結界は、そんな衝撃の爆発に耐えられるように作られたものだ。その結界を破る暴君がもし「輪廻の川」に出たなら――。
戻ってきたわたし達が見た光景は、凄惨の一言だった。
膜はほぼ全て破け、水路は無作為に削られ、細い直線状の支流が見える範囲だけでも30は新たに生み出されていた。魂は荒波に揉まれて打ち上げられた個体が数多く現れ、皆その対処に追われていた。中には無理に止めようとした子もいたらしく、休憩所でミイラになっていた。
そしてこの騒ぎを起こした件の暴君は、川を遮断しループさせるため川の一番最後に取り付けられた膜を突き破ろうとしていた。その膜は、魂を浄化するための最終防衛ラインなので生半可な力じゃ破けない。しかし、爆発の威力を超える力で動き回る暴君を止めるには少し心もとないようにも思えてしまった。
大天使様は状況をすでに遠くから確認したのだろう。着いた瞬間、聞いたこともないような大声で宣言した。
「皆さん! ひとまずは、皆さんの命に別条がないこと、そのことだけは安心しました。しかし、この騒ぎを起こした暴君は、今あの大きな膜、わたし達にとって一番壊れてはならない、壊されてはならないものの前にあります! 今はまだ持ちこたえているでしょうが、このままではいずれ破られてしまいます!」
大天使様はここで大きく息を吸って、言い放った。
「よって、この魂を追い出し、輪廻から外します」
「!」
それは、事実上の死刑宣告だった。
なぜなら魂は「輪廻の川」の水に浸からず、人に宿ることもなければ、滅してしまうから。
魂が殺される。馬鹿な私のせいでだ。その事実に数秒か、或いははもう少し長く固まっていた。
「待ってください! それは――!」
やりすぎではないか。そう訴えようとした瞬間だった。
「大膜、撤去!」
大天使様の声が響く。衝撃に固まっている間に、すでにすべての魂の避難が完了していた。元々打ち上げられた魂を保護していたのもあってすぐ対応できた上にそこまで数も多くなかったんだろう。
暴君は、膜がなくなった瞬間に消えるような速度で現世に向かっていった。このままではあの子は、あの世とこの世の境目に弾かれて、輪廻から追放されてしまう。
体は勝手に動いていた。
「何をしているの!? 待ちなさい!」
大天使様の叫びも聞かずに、気付いたらもう大膜の外を飛んでいた。
今思えば正気の沙汰ではなかった。どうしてあの魂にここまで固執していたのかも分からない。あれは、仲間を傷つけ、魂達を瀕死に追い込み、「輪廻の川」を滅茶苦茶にしたのに。
それでも、このまま殺してしまうのはダメな気がしたんだ。
必死に追いかけた。ただただまっすぐ「輪廻の川」伝いに、前だけ向いて、側を流れる川の下流以外の全てを無視して必死に魂を探し続けた。速く、速く、慣れない速度を無理して飛んだ。そして――愚かにも空を飛んだまま気絶する刹那にやっと気付いた。
自分の聖力が、ほとんど失われていたことに。
目が覚めた時、体はボロボロだった。
右腕は肩が割れ肘も可動域を無視して折れ曲がり、翼にいたっては複雑骨折しすぎて動かせば激痛が走る。頭から落ちたのか血で瞼が開けにくい。
激痛を耐え無理に首を上げると、クレーターと血痕が一直線上に点在しているのが見えた。
体の損傷は床に数回バウンドしたせいでついたものかな。惨い様も、飛行中に気を失ったのだから当然だ。むしろこれでも運がいい方かもしれない。というのも、こんな大けがでも天使なら動くことはできるから。
わたしは起き上がろうと腕に力を入れる。しかし腕は地面をわずかに押し返すだけで、あとは激しい痛みだけが返ってきた。よくよく周囲を観察しようとすれば、視界もまだぼやけていた。
この時点で、聖力が正しく機能していないことに気づいた。件の魂に、触れた瞬間聖力の大部分を喰われていたのだろうとも、そのせいで、魂が暴走するだけのエネルギーが生まれたのだろうことも。
ふと、少しばかり遠くに、くすんだ灰色の球が転がっていた。何とか芋虫のように這いよると、それが何なのかはすぐ分かった。その球はほんの少しだけ、あの暴君と同じ光を漏らしていたから。
わたしは、自分の犯した過ちに、弄ばれた魂に、そして救えなかった悔しさに、体が動けるようになるまで涙した。
ごめんなさい! 令和になった瞬間に投稿したかったのですが間に合いませんでした!
それと、この話を長期間待ってくれた読者の皆さま方に、遅れてしまった謝罪と、待っていただけた感謝を申し上げます!
この話は非っ常に難産でして、設定と展開とに深く関わる所なので、あれもこれもそれは違うと書き落としている間に、何故かこんなに文字数が爆発していました。はっきり言って詰め込みすぎたかも…。
とにかく、これからは一か月に一、二回は投稿したいと思っていますので、どうか見捨てずお付き合い頂けるとありがたいです。
次の投稿は6月6日(木)か6月9日(日)を予定しています。(可能ならもっと早めるかも?)
誤字脱字がありましたら、ぜひご報告ください。
あともちろん、感想などもどしどし書いてください!