いつの間にか、ここにいた。
初執筆です。少しシリアスですが、気長に読んでいただければうれしいです。
追記:2019/11/10 改訂しました。
2019/11/13 鉤括弧閉じ直前の句読点を削除しました。
2019/12/19 改訂しました。
「はじめまして、でいいのかな?」
「――?」
少年のような、少女のような、幼げな声が聞こえた。
途端に、意識が泥の中から這い上がるようにゆっくりと覚めてきて、微睡みのような心地から少しだけ頭がはっきりとしてくる。かなり長い間眠っていた気分だ。それぐらい、頭の中がまだぼうっとしていてだるさが抜け切らない。
起き抜けの体でまず感じたのは、椅子の硬い感触だった。どうやら居眠りしていたみたい。だるさはあるけれど体の痺れはないから、実はそんな長い時間居眠りはしてないのかな。そんなことを考えながら目を開けた時、「あれ?」と思った。
最初に目に飛び込んできたのは、何かうすぼんやりとした自分の手足と椅子だった。顔を上げると、目の前は全く見えないと言える位の暗闇。周りを見回しても、どこもかしこも黒、黒、黒。
真っ先に「ここはどこだろう?」って疑問が浮かんだ。視界に何の情報もないこの空間は不気味すぎて不安感を覚える。同時に、世界に自分しかいないのではという恐怖が頭をよぎる。それを否定するため縋るように叫ぶ。
「だ、誰かいませんか⁉」
『……』
空間の反響がそのまま答えだった。正確には、それしかないという事実が僕の孤独を証明した。
できれば他に人がいないか探しに行きたい。けれど、まず確実に迷子になりそうだし、何より行先に何があるか分からないのが怖かった。だから椅子に座ったまま少し身を竦ませてじっとしてしまう。
でも、暗闇の中独りでただじっとしていれば、言い知れぬ不安感が次第に大きくなってゆく。いっそ何も考えずまた寝てしまおうと考えたけれど、どうしても眠気よりも不安感と心細さが勝ってしまい、結局はただじっとしていることしかできなかった。
既に自分の心の中に敵が侵入している上での、たった一人での籠城作戦。
ただ、予想よりも早くこの作戦は終わりを迎えることになる。
「待ってて。今、行くから」
「っ!」
暗闇のなかで突然その声を聞いた。弱気になってたせいもあってか、かなり驚いてしまった。
でもこの声、さっき夢見心地のなかで聞いた声じゃないか。朦朧としていたからはっきりとじゃないけど、すごく心に残った声だったから憶えている。
そういえば、今更だけどこの声の主は誰なんだろう。中性的でありつつ、子供らしい高い声。その印象から多分女の子かなと予想した。
それはともかく、さっきの言葉、「行く」ってことは、もしかして会えるのだろうか。てことは、もう独りぼっちじゃなくなるんだ。
そんな期待と安心感でやっと明るさを取り戻し始めた時、突然「カツッ」という硬質な音が響いた。
「っ!?」
「改めましてこんにちは。えっと……、人間さん?」
真っ暗な世界に、少女はいきなり現れた。視界に広がる暗闇を切り裂くように、僕の目の前に姿を現した。本当に別の場所から瞬間移動してきたみたいにいきなり現れたものだから、驚きすぎて声が出せなかった。
ただ、現れたといっても人型の影が突然浮き出てきたというだけで、はっきりと姿が見えたわけじゃない。その様がむしろ幽霊みたいだったから、余計に不気味に思えて正直とても怖かった。
「……? 反応なし?」
でもどうやらその子は怖がらせたつもりはないらしい。むしろその子の方が緊張しているのか、少しだけ慌てた様子が伝わってきた。反対に僕はもう落ち着いてきたけれど、せっかく自分以外の人間に会えたのに顔が見えないのは少し悲しく感じた。
「どうかしたの? お願い、返事をしてっ?」
ゆっくりと、少し語気を強めて語りかけてくる。もしかして焦れたのかなと思ったけど、怒っている様子はなくて、丁寧で確かめてくるような真剣さがこもった声だった。
この子が何者かは分からないけど、こんな真っ暗闇の中話しかけてくるなんてまともな人間じゃないとは思う。はっきり言って怪しいことこの上ない。他の人の存在に少しだけ安心しかけた一方で、突然現れたこの子に怯えている自分もいた。
ただ、敵意は全然感じられないし、彼女の声はどこか必死そうだった。それに意図は分からないけれど、話ができるなら好都合だ。実際声が聞こえた時点で、ここがどこなのか教えてもらおうと思ってたんだ。
だから僕は、多少警戒しつつも彼女に返事した。
「えっと。ごめん……なさい。ちゃんと聞こえてます」
「あっよかった。やっと反応してくれた」
「ごめんなさいっ」
「そんな……。何度も謝らなくていいわ。あと、敬語もいらない」
「あ……。うん」
「うん!」
語気は強めだけど、静かな声だった。少しゆっくりで小さな声量というのもあるけど、一番は抑揚が小さいからそう感じるのだろう。聞いてる人の気分を落ち着かせる力がある。それだけじゃなく、彼女の態度がこちらに悪意を感じさせる様子のない素直なものだったこともあって、第一印象は悪くない。まだ警戒は解くべきじゃないかもしれないけれど、今の気持ちとしてはかなり安心してた。
話し相手が確保できてある程度安堵した。それでも、あんまり元気よく会話できない。それは当然、目が見えないから。目の前に誰かが立っているのは影が見えるから何となく知ってるけれど、逆にそれ以外全部見えない。周りの景色とか話相手の女の子の顔も多分すぐ近くにあるのに、確認できない。今僕がわかるのは、彼女の声と椅子の感触だけ。
だからこそ僕は、怪しいと警戒しているくせに、外界と自分を結ぶ唯一の繋がりとして、この子に縋っているんだ。
「あの、いきなりで悪いんだけど、質問してもいいかな?」
「うん。何でも聞いて」
「じゃあまず、君は誰?」
「わたしは『天使』!」
「え?」
「えっと、信じられないかも知れないけど、わたしは『天使』なの」
いやさすがに待った。
「ごめん、それはさすがに信じられない」
「あ。えとね、嘘じゃないよ! ちゃんとした証拠はあるの」
「証拠?」
「ほら、わたしの背中、翼が生えてるのよ!」
そうやって彼女は身体を反転させた、ように思えた。はっきり言って暗闇の中で相手の姿もはっきりとは見えないのに、前後なんて区別がつかない。でも、シルエットはぼんやり見えるから、彼女の背中から彼女の背丈ほどの長さの翼らしき影が2枚、左右に広げられていくのが分かった。その姿はまさに「天使」そのものだ。
「わあ……!」
僕の反応に満足したのか、彼女の影が翻り再び僕と向き合ったのが分かった。
「どうかな? 信じてくれる?」
「まだ頭は追いついてないけど、確かに『天使』っぽい!」
「『ぽい』じゃなくて本物っ」
「ねえ、触ってみてもいい?」
「えっ……。それは恥ずかしいわ」
流石に触るのはダメか。でも一応、見るだけより触ったほうが本物なんだって信用できるっていう理由もあったんだけどな。
「じゃあ、名前は?」
「え、名前?」
「君の名前」
「……わたしは、名前を持ってないの」
「え……、そうなの?」
「うん。ごめんなさい」
予想外の事実にショックを受けた。聞いてはいけない事だったのかもしれない。実際彼女の声が少し沈んでいた。そのせいか、彼女の翼も若干萎んだように見える。暗い空気に耐えられなくなり、すぐ別の質問をしてみた。
「ここはどこなの?」
「あ……」
しかしこの質問も不味かったのか、彼女の怯えるようなか細い声が漏れた。ただすぐに、黙っているべきじゃないと思ったのか、彼女は簡潔に答えてくれた。
「ここは、『会議室』って呼ばれるところ。『天界』の一部だよ」
「『天界』……。てことは、やっぱりここは天国なの?」
「うん。ここは天国で、わたし達『天使』が住む場所なの」
その答えによって、天使という存在が目の前にいる時点で逃れようもなく頭に浮かんだ可能性が、僕の中で確実なものへと変わっていく。
でも。そんな。待って。嘘だと言ってほしい。だって、今僕がいるのが天国なんだとしたら、僕は。
「僕は、死んだの?」
「……」
彼女は何も答えてくれない。
きっと突然「死んだ」なんて口にした僕に呆れてるんだ、そうに決まってる。たとえ天国にいたって、死んでるとは限らないんだから。きっと僕は、別の理由で天国にいるに違いない。それが何なのかは分からないけど、絶対そうだ。多分これから彼女は、「『死んだ』なんて簡単に言うな!」って僕を叱った後、すぐにその別の理由を説明してくれるんだ。
そうでしょう。ねえお願い。何か言ってよ。イヤだ。夢なら覚めてくれ。信じられない。
だって、死んだ記憶がない。そもそもなんでこんな場所にいるのかも分からないのだから。
そもそも、なんで。
「……あれ?」
おかしいな。思い出せない。何も思い出せない。
混乱していた頭の中が嫌に静かになる。意識が覚醒してすぐに自分の存在を否定されたことに対する悲しみが、今度は大きな違和感と疑問へ移ろっていく。
僕は今なぜここにいるのか。ここはどこなのか。2つともさっきも思ったことだ。でも「今まで何をしていたのか」は不思議と考えていなかった。
考えてみればおかしなことだ。知らない景色が見えて、知らない人物が現れだ。こんな状況なら普通はまず自分の記憶を辿るのに、その発想が浮かばなかった。
それだけじゃない。記憶そのものがないんだ。今まで自分が、どこで、何をしていたのか、どんな状況にいたのかを欠片も覚えていない。直前だけではなく、その前もその前の前もと順番に遡っても見つからないんだ。
「……どうかした? 顔、真っ青だよ?」
こちらを窺うような声が聞こえる。あまりにも今の自分の心境とかけ離れた優しげで静かな声は、お前だけが異常なのだと突き放しているように感じる。
僕には、縋るものが自分の中にはなかった。だからそのまままっすぐ落ちる。記憶を手繰り寄せることも、どこかに摑まることも叶わない。全てを消し去る奈落に突き落とされた様に錯覚する。
「待って、ダメ! 気をしっかり持って!」
気付けば真正面にこちらと目を合わせようとしている顔の輪郭があって、肩を掴まれていた。彼女の声は、相変わらず抑揚が少ないのに何故か悲痛な感情を滲ませているのがハッキリと分かる。
肩を掴まれた後も体は未だに震え汗まみれになっていた。パニックで飛躍しさっきまで沸騰していた頭、ほぼ焦点があっていない瞳にこわばった顔、縮こまった体を温めるかのように両腕で全身を抱き身じろぐ姿は、むしろ凍えているように見えたことだろう。
一方予想よりも大きかったその少女の体躯は、それでもなお自分よりは小さい体躯のように感じた。顔も小さくて、また幼げで静かな声質だったことから、今更ながらにやっぱり女の子なんだなと、ほんの一瞬自分の頭の中の喧騒が再び止んで、そんなことを思っていた。
暗くてもわかる、目が合ってる。この少女は僕のことを見てくれている。それだけで、自分の存在が約束された気になった。自分の存在を感じることができたように思えた。
両肩の自分を捕まえてくれた人を実感させる柔らかい手と温かい体温に、今度は間違いなく縋りながら問いかけた。
「教えて……。僕は何者?」
「え……?」
「今まで僕は、何をしてたの?」
「……なるほど。まずそこから説明するのね」
そんなぶっきらぼうな言葉の割に安心させるような柔らかい声に、自然と耳が傾く。手が肩から離れ、気配で顔が離れていくこと、足音で体も離れていったことがわかった。その喪失感にまた不安に駆られたが、椅子に座ったのか、ギシっという音が鳴り、存在を確認できてほっとする。どうやらあの子用の椅子もあったらしい。少女は咳払いすると、冷たい声で、信じられないことを告白した。
「あなたは、わたし達の手によって、正しい寿命を迎える前にお亡くなりになりました」
第1話であらすじのセリフが出ましたが、ここでの会話は第3話ぐらいまで続きます。
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