普通のイメージは役に立たない
次の日の朝、下足箱で会ったのは、いつもの春菊ではなく、辻だった。
俺は平静を装って、いつも通りの挨拶をする。
「おはよう、辻」
辻は手を軽く上げ、挨拶を返してくれる。
「やぁ、おはよう、秋篠君」
辻もいつもの辻のようで安心した。
と思ったのだが、辻は何やら顎に手をやり、俺の目をじっと見つめた。
「…………」
もしかして怪しまれている?
「なっ、なんだ辻? 俺の顔に何かついてるか?」
こんなベタベタな誤魔化す時の常套句を言う日が来るとは思わなかった。
「秋篠君、君の家で使っている洗剤かシャンプーの種類はわかるかい?」
ん? 急に何の話だ?
俺は会話の意図が分からず、正直に答える。
「いや、使用人に任せてるから、よくわからないな」
「……そうか、もしよかったら今度聞いておいてくれないかい?」
「なんでだ?」
そう聞くと、辻はポッと顔を赤らめた。
「……いや、僕の好きな人と同じ匂いがしてね」
こえー、一体何もんなんだよ、こいつ。
そう言えば、前にこいつの吸血人としての力って嗅覚の特化だって言ってたような気がする。
一昨日までは容姿端麗というより、ちょっとだけ眉目秀麗よりのクラスメイトだなーぐらいだったのに、今じゃ危険人物にしか見えない。
「そっ、そうだな、その内聞けたら、聞くよ」
絶対に教えんがな、こいつに少しでもツッキーの情報を漏らすと辿り着いてしまう可能性も捨てきれん。
それも、ツッキーが男だとばれた暁にはどんな制裁が待っているかも想像がつかない。
最近、秘密にしなきゃいけないことが増えすぎて、頭を抱えながら、辻と教室に向かった。
教室に入ると何か違和感を感じた。
「……おはよう」
「秋篠君、おはよ~」「秋篠、はよー。今日もかっこいいな」「オッス、秋篠。相変わらずイケメンだな」「おはよう。朝からオーラ放ってるね」
みんなの反応はいつもと変わらないように思う。
いや、やや明るいぐらいか?
結局違和感の正体には気が付けずに席に着いた。
「おはよう、橘」
「おはよう、秋篠君」
橘の顔を見ても、特に変わった様子はない。
じっと見つめたせいか橘に不審そうな顔をされる。
「どうしたの? 私の顔に何かついてる?」
「いや、何でもないよ」
結局、その日は違和感の正体に気が付くことはできなかった。
大した問題でなければいいけどな。
放課後はいつものように掛宮に付き合わされるのかと思ったが、今日は昨日久しぶりの良いものが描けたので、色塗りまでしたいから、俺はいらないとのことだ。
……どれだけ、ツッキーみんなに愛されてるんだよ。
まさか、自分が自分に嫉妬する日が来るとは思わなかった。
俺は仕方がないので、久しぶりに早く帰ろうと迎えの車を呼び、手持無沙汰なので待っている間校内をうろつくことにした。
すると、体育館の方からキュッキュッと特徴的な音が聞こえてきた。
その音につられ、校舎に隣接されている体育館に足を運ぶ。
案の定、その音の正体はバスケットシューズと体育館の床がぶつかり合う音だった。
俺は意外とこの音が好きだったりする。
体育館の隅で水分補給をしている友人に声をかける。
「よう、桜木」
「おぉ、秋篠、なんだ? 入部する気になったか?」
「いや、迎えが来るまでの時間潰しだよ」
「そうか、残念だ」
桜木は残念と口では言うが、大して気にした様子はない。
「今年は全国いけそうか?」
うちのバスケ部は毎年、県ではいいところまで行くのだが、あと一歩が届かないことが多い。ここ数年は、全国に行ってないはずだ。
「どうかな? エースの加賀美が頑張ってくれてはいるが、正直もう一つってところだ」
桜木は曖昧な表情をする。
俺は、そこであれっ? と思った。
「エースって、お前じゃなかったっけ?」
俺は今の今まで桜木がバスケ部のエースだと思っていたが、覚え違いだっただろうか?
それとも、エースだったのは去年の話で今年から加賀美って奴に奪われたか?
「いや、俺はナンバーツーってところだよ。エースは加賀美って一年がやってるよ」
「一年でエースなのか、そりゃ凄い」
細かいチーム事情を聴かれるのも面白くないだろうと思い、俺はそれ以上追及はしなかった。
「あぁ、あとはそこにお前が加われば、本当に全国も夢じゃないかもな」
桜木は悪戯っ子のような笑い方で茶化す。
俺は軽く嘆息して、大げさに頭を振る。
「冗談はよしてくれ、高校二年の春からやって戦力になるほど、全国は甘くないだろ?」
桜木は俺のリアクションに軽く笑いながら、少し真面目なトーンで答える。
「冗談半分だけど、意外とありだと俺は思ってるぜ。技術は簡単には身につかないだろうが、御三家だけあって身体能力はかなり高いし、何より御三家ってのは世界的にも注目されてる。
お前が部活動でも始めれば、うちの部を応援する声も増えるだろう。試合中の応援の数ってのは試合の雰囲気を作るんだ、結構馬鹿にならないぜ? 更にそれで、相手チームがお前を警戒すれば、エースと俺の得点チャンスも増えるって寸法だ。
なっ? 結構メリットが多いだろ?」
それを聞いて、俺は少し呆気にとられた。
意外半分、感心半分だ。
「……お前って意外とよく考えてるんだな」
俺のイメージする桜木は、いい意味で直情的というかザ・スポーツマンみたいな感じだった。
「もっと明るい脳筋かと思ったか?」
あっ、それ分かりやすい。
桜木は苦笑しつつ続けた。
「俺だって、色々考えてるんだぜ? なんとなく皆が求めてるイメージは分かるんだが、それはどうも性に合ってなくてな」
桜木は照れ臭そうに頬を掻いた。
俺は桜井の言葉を汲み取りながら、自分の言葉にまとめてみた。
「見た目のイメージと中身のイメージが違うってところか?」
桜木はニヤッと口角を上げて笑った。
「そう、そんな感じだよ。まぁ、求められてるものを演じるのも、そんなに悪いことじゃないけどな、出来れば他の奴には言わないでくれよ」
そう言って立ち上がると「そろそろ練習に戻るわ」と体育館の中心に戻っていった。
その背中に、今日ちょっと気になっていることを聞いてみた。
「なぁ、そういえば今日クラスがなんか変じゃなかったか?」
桜木は顔だけ俺の方を向いて答えた。
「あぁ、そういえばそうだったかもな、なんだろうな?」
桜木も違和感の正体までは分からなかったようだ。
俺は腕時計を見るといい時間になっていたので、これ以上練習の邪魔はしまいと体育館を後にした。