普通の俺と普通のクラスメイトたち
今日は、最後の授業が体育だ。
授業内容はバスケだった。
バスケ部エースで、クラス二のイケメンの桜木が無双する。
俺も、クラス一のイケメンとして負けるわけにはいかないと、最後まで桜木に食らいついていた。
残り時間は少なく、最後にやけくそ気味にダンクを狙って大ジャンプをする。
それにいち早く反応した桜木が、横から俺を追って跳ぶ。
「させん!」
俺はそれに気が付き、華麗にかわしながらダンクを試みる。
が、流石に運動部に、その所属している種目では敵うはずもなく、無情にもボールを弾かれる。
そこで、健闘むなしく終了の合図を知らせるホイッスルが鳴り響く。
俺が、悔しがっていると、爽やかスポーツマンの桜木が近づいてきて、健闘を称える握手を求めてくる。
「やるな、秋篠。お前が一番手こずったぜ。流石、御三家だな」
俺は、その握手に答え、返事をする。
「旧だけどな」
そんな握手を見ていた女子たちは「キャー、男の友情よー」「目の保養だわ」「サク×アキ、いや、アキ×サクかな?」ってなもんである。
最後の奴は、何言ってるかわからん。
御三家と言っても、身体能力がやばかったのは昔の話であり、今は一般の吸血人と特別な差はない。……特別な差はない。(全く差がないとは言ってない)
俺は、そういった後ろめたさや入っても必要以上の期待をされるのが億劫で中学から、部活動というものをしたことがない。
どうしても興味を持ったことも、じいやに頼んで講師を家に呼べばいい事だしな。
そんなわけで、今も絶賛帰宅部である。
帰宅部の俺は、たまに暇を持て余すことがある。
今日がそれだ。
春菊も、放課後はサッカー部があるので遊ぶことは出来ない。
放課後は、他の友達と遊びに行くか、携帯で車を読んで帰るところだが、今日はすぐには帰りたくない気分だった。
これが、手持無沙汰というやつか。
大概、こういった時には、図書館で読書か、将棋という人間の作ったボードゲームを研究する部に橘がいるので、遊びに行ったりするが、今日はどちらでもない気分だった。
校舎を新たな発見はないかと適当にブラブラすると、飽きてきたので、今度は校舎の裏側にある庭園に出てみる。庭園では、美化委員が薔薇を植えていた。
「おっ、秋篠君」
美化委員の一人にクラスメイトの辻 綾がいて、俺を見つけ声を掛けてきてくれる。
「やぁ、辻」
「一人で、こんなとこで何してんるんだい?」
「なんだか、手持無沙汰でね。ブラブラしてただけだよ」
それを聞いた辻は、丁度良かったと目を輝かせて薔薇の苗をこちらに差し出す。
「土は、もうイジっておいたから、あとは植えるだけだよ」
親指を立て、男前にウインクする。
彼女は、ショートの栗色の髪と、ぱっちりした目、姉御肌も相まって男女ともに人気のある奴だが、これは頷ける。
俺はいい経験だと思うことにし、手伝うことにする。
「もう、咲いてる苗を植えるんだな」
俺の手にした苗には、もう立派な赤い薔薇が咲いていた。
「薔薇は繊細だからね。新苗じゃ、地植えに向かないんだよ。だから、ある程度育てた大苗を植えるんだ。それに、新苗だと、花が咲くまで数年かかるんだよ? そんなにかかったんじゃ、その間、庭が寂しいだろ?」
「確かにな、ずいぶん詳しいけど、薔薇好きなのか?」
「いやいや、これぐらい普通だよ。それに僕の好きな花は百合かな。あの繊細な美しさにはしばしば時間を忘れるよ」
「ふーん」
確かに百合もきれいだしな。
元々、美化委員の人数もそこそこいた為、大した時間もかからずに薔薇を植え終えた。
「じゃあね。秋篠君、本当にありがとう」
「あぁ、いい経験になったよ」
俺は、時間もいい頃合いになり、そろそろ帰ろうかと思っていた時、視界の端で珍しいものを捉えた。
一人の女の子が、何やらこそこそと周りを窺いながら、庭園のさらに奥の林の方に消えていったのだ。
普段なら、何か知られたくないことでもあるのかな? と、無粋に後をつけたりはしないのだが、その女の子というのが珍しい。
よく知った顔だ。だが、良く知らない女だ。
クラスメイトなのだが、クラスで唯一、話したことのない子だ。
名を、掛宮 クレア。
そう、今日、織部も言っていたが、うちのクラスの二人目の御三家にして、新御三家の掛宮家の人間だ。
橘とは、別の意味で珍しい、色の抜けてない純粋な漆のようなショートボブの黒髪。刺すような視線に覗かせる濡羽色の瞳。
攻撃的なオーラも相まって全身真っ黒な女である。
成績は優秀だが、いつもブスッとしている。
全く声を発しないわけではないが、本当に最低限しか喋らない印象がある。
少なくとも俺は、授業で指された時と事務的内容以外で声を聴いたことがない。
そんな彼女が、何をしに人目につかない林の奥へ消えていったのだろう?
気にするなというのは、あまりに酷ではないか?
俺はこっそりと彼女の後を追ってみることにした。
林は思ったより長くなかった。
開けた場所に出たが、そこには学園の敷地範囲を示す五メートル程の壁があった。
掛宮の背中が見え、何をするのかと思えば、その壁をその場で助走なしで跳び超えた。
呆れた身体能力だ。
本当に同じ生き物なんだろうか?
俺は溜息をつき、充分な助走をつけたうえで、壁を飛び越えた。
気付かれないよう、少し時間を置いたためか、肝心の掛宮の姿が見当たらない。
辺りをキョロキョロと見渡し、歩き回っていると、足元に何かが落ちているのを見つけた。
「……絵具?」
この絵具が掛宮の物だという保証はないが、触った感じ土や埃はついてない。落としてから、そう時間は経ってないのだろう。
他に頼りになるものもないので、これを掛宮の物だと決めつけ、辺りをもう一度よく探すと、同じように絵具が一つ、二つと落ちている。
その絵の具の向かう方へ歩いていくと、なんだが昔読んだ『ヘンゼルとグレーテル』を思い出した。悪い魔女に捕まらなければいいがな。
開けたところを、絵具を辿って更に降りていくと、そこには広い湖があった。いや、これは池か?
どちらにせよ、夕陽が水面に写りこんでいて、とても綺麗で、俺はその情景的な様子に一瞬目を奪われた。
そして、水辺には掛宮の後ろ姿があった。
体育座りで、鉛筆を使い、一心不乱にスケッチブックに何かを書いている。しばらく、黙ってみていると描いては破り、描いては破りを繰り返している。
納得するだけの出来の物ができないのだろうか?
なんにせよ、彼女の意外な一面を見た。
彼女は風景画を描くのが趣味だったとは、意外だったな。
それもあんなに必死になって。
俺になんか知られたくなかっただろうが、両手いっぱいに抱えた絵具を返してやらないと、流石に困るだろうと思い、掛宮に近づく。
余程集中してるのか、俺がすぐ後ろに立っても気付く様子がない。
俺は、悪いとは思ったが、掛宮の絵の腕前がどんなものかと思い、少し背後から覗いてみた。
後から思えば、これが失敗だった。黙って絵具を置いて帰ればよかったのだ。
最初は、何を書いているのかわからなかった。
だが、湖の風景なのではないことは、すぐに分かった。
生物だ、目が二つ、鼻が一つに……それに髪まである。
俺は一瞬、頭が真っ白になった。
「っ、おい! お前‼」
つい、興奮して語気が荒くなる。
彼女は、心底驚いたように後ろを振り返ると、大きく目を見開く。
「……まさか、お前、それ……人物画か!」
彼女は、咄嗟にスケッチブックをお腹に抱え隠すが、もう遅い。
「……掛宮の家の者なら、言うまでもないよな。いや、別に誰だって知ってることだよな」
掛宮は俯く。
「人物画は、世界的に禁止されている。俺たちは、同族を書いてはならないんだ」
それは、大昔から決まっていたことで、人間が完全に滅んだあと、その動きは本格化した。昔は、絵本やライトノベルといった、人間をデフォルメされた挿絵が入ってるものもあったらしい。
驚くことに、人間は絵しかない漫画というものも生み出したことがあるとか。
だが、今のご時世、そんなものは見たことがない。
さっき頭をよぎった『ヘンゼルとグレーテル』だって、大昔は絵本という括りだったらしいが、俺は字でしか見たことがない。
あれは、賢しい人間が、自分たちの短い一生を紙に閉じ込める行為で、俺たちのような高尚な生き物のすることではない。
何より、モデルでもいようものなら、相手を侮辱する行為だ。
絵本やライトノベル一冊でも見つかれば、その家の信用など地に落ちるというのに、よりによって直接描いてるなんて、いくら御三家でも、最悪、侮辱罪で法の下に裁かれるのでは?
掛宮は、何かを言いたそうにこちらを見ている。「このことは言わないで」か「つい魔が差して」か、どちらにせよ、もし今後ばれた際に、俺も同罪に問われては困るので、心苦しいが、学校に報告はしなくてはならない。
秋篠の家の誇りなどではないが、万が一俺が罪に問われれば、家族に迷惑がかかるのだ。
掛宮は大きく息を吐く。覚悟を決めたのか、口を開いた。
「はぁー、ばれちゃしょうがねぇ」
ぼりぼりと、頭を掻いて胡坐で座りなおした。
「⁉」
急に掛宮の態度が粗暴になる。
ただですら、人物画を描いてる御三家なんて大変なシーンを発見して混乱してるのに、その上掛宮まで豹変するなんて、人生で一番の大事件は間違いなく今日だ。
「……おい、急にどうした?」
俺は、極めて冷静に声を掛けるが、本人はどこ吹く風だ。
「あ? これが、素の私だよ。文句ある? それより、誰かにチクったら殺すからな」
温厚な俺も、こいつの開き直りには流石に頭に来た。
「誰が、誰を殺すって? 生殺与奪権をどっちが握ってるか分かってんのか?」
掛宮は、大して興味がなさそうな目をすると、ゆっくりと立ち上がった。
そして、地面に向かって右手を軽く振るう。
―ボコンッ
それは至ってシンプル、彼女の拳圧で地面がめくれ上がった音だった。
「喧嘩なら、兄ちゃんにも負けたことないぜ。で、どっちが生殺与奪権を握ってるって?」
兄ちゃん、生きてるんだろうな?
俺が、言葉を失っていると彼女は続けざまに言い放つ。
「まぁ、旧御三家と手合せってのも悪くないかもな」
彼女は、地面を薙ぎ払った右手を前に出して、今度は俺に照準をつける。
俺だって、身体能力にはそこそこ自信がある。百メートル走なら五秒台だし、バーベルなら三百は上げる。垂直に十メートルは飛べるだろう。
でも、こいつとは格が違う。
少なくとも、俺はあんなエグイ拳圧はない。それとも、身体能力の差よりも武術経験の差か何かか?
「さっきから、急に黙っちまったな。で、どうするよ?」
俺は必死に考えた。その結果。
「今日のところは帰る。でも、絶対に人物画はやめさせるからな」
命あっての物種だ。
俺は、戦略的撤退をすることにした。背後から「チクったら、命はないからなー」と可愛らしい声が聞こえたが、悪寒しかしない。