普通の俺にできる特別なこと
俺は、気を紛らわせる為に、というより頭を使いたくなかったので、いつも習慣から湖で掛宮のモデルになっていた。
俺が来てから、掛宮は一言も言わずに書き始めた。
それから、五分もたったない時、掛宮はペンをおいた。
「あー、もう、やめだ、やめ。いきなり死人のような顔で現れたかと思えば、全身から覇気がねぇ。これ以上ブサイクに描かれてぇのか?」
掛宮はボリボリと頭を掻くと、ギロリと睨む。
「何があったか知らねえし、興味もないが、今日はもう帰れ。そして、その面直るまでしばらく来なくていいぞ」
この言葉は存外こたえた。
お前は役立たずだと、そう言われたのだ。
心の支えが折れそうになる。
ここでも捨てられたら、俺には何が残るんだ? なんの役に立っている? もしくはどんな存在価値がある?
気を紛らわせるため? 頭を使いたくないから? いつもの習慣?
誤魔化すなよ。
最後の寄る辺だったんだろ? ここでなら、まだ存在価値があると思ったんだろ?
でも、帰ったって俺に何が出来るんだ?
原因もわからない事態に首を突っ込むなんて、問題文の書いてないテストの答えを探すようなもんだ。
となれば、どちらかに聞かねばならない。
伊波のグループか橘本人に。
伊波のグループは俺と橘が仲のいいことを知っている。それを聞くってことは解決に動いているという証拠で、決していい顔はしないし、教えてもくれないだろう。
橘はもっと難しい。俺に迷惑をかけまいと、意地でも口を割らないだろう。
ああ見えて頑固の塊みたいなやつだ。
いっその事、教室の真ん中で「橘のどこがブスだー!」と叫べれば気持ちいいかもしれないが、そんな度胸もなければ、成功もしない。
この世界では、一人の正しさなんて多くの正しさに揉み消されてしまうのだ。
例えば、俺が一人、橘の美しさを叫んだところで、伊波というクラスの中心がブスだと言えばそれはブスになる。
特に、容姿という、自分の定規を持てないものは顕著だ。
俺は目の前の掛宮を見つめる。
こいつが例外なのだ。
一が全に勝つ可能性のある女。
口に出してなんて、絶対言わないが、俺の憧れ。
そこまで考えて、口から甘えがこぼれそうになる。
掛宮なら、掛宮なら何とかしてくれるのでは?
俺は唇を思いっきり噛み締める。
口の中に血の味が広がる。
俺は掛宮に無言で頭を下げ、その場を去った。
これが、最後の抵抗。
窮鼠の抵抗。
ここで掛宮に助けを求めるようなら、俺は掛宮を憧れることすらおこがましくなってしまう。
俺には何が出来る?
橘のために何が出来るんだ?
俺は家に戻ってから布団に着くまで、そのことばかりを考えていた。
「坊ちゃま、お目覚めの時間ですよ」
気付けば、朝になっていた。
どうやら、考えながら寝てしまったらしい。
「おはよう、じいや」
いつもの変わらない朝の日課を済ませ、登校の準備をする。
(とにかく、まずは原因を突き止めなくては)
兎にも角にも、まずはこれしかないだろう思う。
俺は、俺の不用意な発言のせいで訪れた、空前のパンブームにも頭を悩ませながら、ロールパンを口に放り込む。




