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学生であることのほかに職を持つ人のことを何というか。
答えは、勤労学生だ。
大学生でありながらアルバイターでもある僕は当然、勤労学生という字面からしてすでに忙しない日々を送っていそうな人種である。実際、平日は本当に忙しい。朝は大学に行くためだけに駅まで歩いては満員電車を形成する人々の一員として役目を全うし、大学に着けば優等な授業態度で講義に臨み、その帰りの道すがらアルバイトをこなしているのだから、世の中勤労学生こそが多忙を極めていると言ってもいいくらいだというのが僕の持論である。だが、それを口にすることはしない。我が父に申し訳ないからだ。
足取り重く会社へ向かう父の背中を見送った土曜日の朝、僕は昨日の元交際相手および後輩の言葉を思い返す。前者はともかく後者を思うと、このまま、いつも通り、バイトの時間まで寝ていようとか、あえて趣味の時間にしようとか、そういう僕の好むインドアな過ごし方が是とも言えない。普段通りに過ごし、何も変わらぬ日常を送り続けるよりも、あの後輩の少し驚いたような顔が見られるかもしれないという些細な変化を期待しようと思った。これは決して好意などではなく、
「見返してやる……。」
ただただ純粋な復讐心だ。かくしてデリカシーも無ければ大人気もない僕は、比較的足取り軽く家を出た。もちろん、万が一にも父を追い越すことのないような正午前に。
世の大学生が全てそうだなどと言うつもりは毛頭ないけれど、それでもほとんどの大学生は夜、飲み会に繰り出すことを楽しみにしているのだろうと思う。その会合がどんな名称のものであれ、お酒は美味しいし、なにより明るい空気の中で過ごす時間が好きなのだ。僕も勤労学生である前に一人の大学生であることもあって、例にもれず飲み会が好きである。勤労学生にも、お酒を嗜む時間があっても良かろう。
そんな僕にこの健全な時間帯と、ついでに素面の人々は眩しく映る。絶対に日差しのせいではない。急いでるときにつっかけで履くようなサンダルとは大違いなスニーカーに、いつも感じている足の開放感を奪われつつ歩く。ダイエットといっても、ランニングなんてするほどの体力が自分に残されているとも思えず、散歩という態でウォーキングをしたのは正解だったと思う。
ただ、距離を間違えた。
通学時には徒歩で駅まで行っているわけだから、体重を減らすための運動ならばその倍ほどは歩かねばならないだろうと思った。それは間違っていないと思う。そこで自分の体力を買い被らなければ良かったのだ。いつもの駅を通り過ぎて、もしも折り返していればとっくに自宅に着いていたろう距離を歩き、右足の小指が訴える痛みをなんとかしようと公園に寄った。
端的に言えば、休憩を取ろうとしたのだ。