変わった彼と変わらないわたし
我に返り、拓馬のことばかり考えていた自分自身を戒める。とりあえず、気持ちを落ち着けるために制服を脱いでしまおうと考えたのだ。
部屋に戻ると、クローゼットをあける。最初にめについた黒と水玉のボックスワンピースを手にする。
制服からわたし服に着替えると、ほっと溜息をついた。
わたしは窓辺に行くと、窓を開ける。
思いのほか、部屋の中が蒸していたためだ。
生暖かい空気が部屋の中に飛び込んできて、わたしの汗ばんだ肌を掠めていく。
拓馬とわたしは幼馴染だった。でも、彼とはわたしが中二のときに引っ越して以来、まったく連絡も取ってなかった。久しぶりに会った彼は想像以上にかっこよくなっていたけど、中身はそんなに変わっていないようだった。
どうしてここに戻ってきたのだろう。おばさん達も一緒なんだろうか。拓馬の両親はわたしの両親とも仲がいい。特に彼の母とわたしの母親は中学時代からの親友だ。もし、再び引っ越してきたなら挨拶くらいしにきてもいいと思うけど。忙しいのか、それともわたしだけが知らなかったのだろうか。
後からお母さんに聞いてみよう。
拓馬の両親も彼の親だと納得できるほど、揃って美男美女だったのを覚えている。
お父さんは穏やかな人で、お母さんは大雑把な人だというイメージだ。
そのとき風の音だけが響く部屋に、紛れ込むようにノック音が響く。
わたしは何も考えずに、ドアのところに行き、扉を開けた。
そこにいたのは黒髪で長身の男性だった。彼はわたしと目が合うと、はにかんだように微笑む。彼の手にはオレンジジュースの注がれたグラスが二つ握られている。
「二人で飲んだらって」
「二人って」
また激しい勘違いをしているんだろうな。あの母親は。もうあきらめの境地に達しているので、何も思わないが、ため息だけはこぼれてくる。
「俺のも持ってきてしまったけど、下で飲むから、美月は自分の分だけ取れば?」
わたしの今の心境が顔に出ていたのか、彼はそういうと、ひとつだけ差し出した。
今までの彼だと、有無を言わさず部屋に入ってきたが、さすがに高校生にもなるとそういう分別はつくようになるのかもしれない。
なんとなく変わったのかな……?
もう四年も経つ。人が変わるには十分な時間だ。昔のように、自分勝手に何かをしてくるわけもないだろう。
「いいよ。部屋に入っても」
幼馴染との再会だ。
懐かしくないわけもない。
両親のことも聞きたいし、彼とも話をしたい。今までの空白だった四年間のことを知りたいと思っていたのだ。
拓馬はそう言われると思わなかったのか、戸惑いがちにわたしを見る。
わたしは彼の背中を押す意味を込め、二つのグラスを取り上げ、机の上に置く。
それがいいと合図だと思ったのか、部屋の中に入ってきた。
部屋の中に入ってくると、彼の長い影がフローリングに浮かび上がる。それを見て、彼の背丈の高さを改めて感じていた。最後にあったときはわたしより目線が下だった。男の人の中ではそんなに大きいか分からないけど百六十はないわたしからしたら十分大きい。
「何センチ?」
「百七十五くらいだったかな」
「大きくなったね」
「でも百八十はほしいかな」
わたしの言葉を聞いたからか、眉をひそめ、複雑そうな顔をしていた。
やはり彼との会話は昔とはどこか違っていた。昔のような彼はいないのだと思うと、少しほっとしたと同時になんだか寂しかった。彼に気を許した瞬間だったのかもしれない。
「いつ、こっちに戻ってきたの? おばさんは?」
「親は向こうだよ。俺だけ戻ってきた」
「家は?」
彼の家は引っ越す前は借家だったので、こっちに家は残っていない。向こうで新しい家を建てたと母親から聞いた。だから、拓馬の家族はここには戻ってこないものとばかり思っていたのだ。
「マンションで一人暮らし」
「四月から?」
彼はうなずく。そのことを奈月とわたしの両親は知っていたことになる。
わたしの両親は分かる。拓馬の両親と親しいからだ。
だが、拓馬と奈月も今日初めて会ったというわけではないようだ。
どうして奈月なんだろう。彼が一番親しい相手として彼女を選んだのだろうか。
心の中にもやもやとしたものが湧き上がり、何もいえなくなる。拓馬にとってはわたしはその程度の存在なのだと教えられた気がした。別にそれはいい。だが、あんなことをしておいて、それはないんじゃないかという気がしなくもない。
明るい表情を浮かべている拓馬を睨む。
「なんでこっちの高校に来たの?」
想像より荒っぽい言葉を投げかけていた。自分の寂しい気持ちを言葉でぶつけてしまい、嫌な気持ちになる。年上のわたしがこんな態度をとってはいけないのに、と思ってもついそうしてしまっていたのだ。
拓馬の目に動揺がうつる。
突然こんなことを言われるとは考えてもみなかったのだろう。
なぜこんな言い方をしてしまったのだろう。 必死に強い言葉の言い訳を模索していたとき、拓馬がくすりと笑うのが分かった。
「いろいろあるけど、一番の理由は美月に会いたかったから」
わたしは顔が赤くなるのを感じながら、拓馬を見た。
拓馬の笑顔に胸が高鳴るのが分かった。
「何言っているのよ」
さっきの反省を払いのけてしまうような、かわいくない、強い、相手を跳ねのけるような言葉。わたしは顔が赤くなるのを自覚して、顔を背けた。今はそう反応するので精一杯だった。今の心の戸惑いを気づかれたくなかったからだ。
拓馬にどきどきするなんて間違っている。
「だって昔と全く変わってないからさ。俺の気持ちは」
少し低くなった声がどことなく、心地よくて、現実味のないものに変えている。彼から好きだと言われたことは一度や二度ではない。けど、落ち着いた声がその言葉を初めて聞く言葉ように変えてしまっていた。だが、それでも子供のころの、何度も言われた言葉を思い出し、彼の言葉がどこまで本当のことなのかわからなくなる。
「拓馬は変わったよね?」
「そっかな」
そういうと、やさしく笑う。
そんな表情を見ていると、大人になったんだってわかった。
「学校は高等部からだよね? 慣れた?」
「まあ、そこそこ」
そこで言葉を切るのは、やっぱり変わったと思う。今までといっても四年前だったら、毎日のように、聞いてもいないのに日々の出来事を語ってきていた。
彼がすっと立ち上がる。机の上にあるコップを手に取ると、一つをわたしに差し出してきた。
「飲む?」
落ち着いた心地いい声に思わずうなずくと、コップを受け取る。
やっぱり変わったと思う。昔と変わっていないところはあるが、昔はこんなに大人びた雰囲気をかもし出すことはなかった。
拓馬は変わって、わたしはほとんど変わっていなくて。その事実がどこか寂しい。
そのとき、拓馬の制服から電話の着信音が響いていた。