強引な幼馴染
こんな人知らなかった。
こんなかっこいい人を見て、忘れることはあまりないとは思う。
そこに恋愛感情が伴わなかったとしても。
「仲直りって誰と誰?」
「お兄ちゃんと、お姉ちゃん」
「お兄ちゃんってそんなに佐藤さんと親しいの?」
「佐藤って誰?」
わたしが佐藤さんを指す前に、彼はわたしの手をつかんでいた。
言葉が出てこずに、彼を指差しかけた人差し指が宙を指す。
視界に入ってきたのはあきれた妹の顔だ。
「受験生なのに大丈夫? 拓馬お兄ちゃんじゃない。苗字は伊藤じゃなかったっけ?」
「伊藤……たく……ま?」
わたしの手をつかんでいた佐藤さんの笑みが悪戯っぽい笑みに変わる。
「久しぶり。美月」
そのなれなれしい口調に、伊藤拓馬という名前。奈月が兄と呼ぶ存在。わたしはそんな人を一人しか知らなかった。
手を振り払おうとしたが、彼は強い力でわたしの手を握ったまま離そうとしない。彼は奈月の登場でこうなることを見越していたのだろう。
「ああ、お兄ちゃんが自分の名前を嘘ついたのか。どうせよからぬことでも考えていたんでしょう。わたしは先に帰るから、二人で帰る?」
「ちょっと奈月」
慌てて妹を呼び止める。
歩き出した彼女は肩越しに振り返る。そのとき、彼女の長い髪が風にそよぐ。彼女の口元がかすかに微笑む。
「でも、お姉ちゃんもまんざらじゃなかったみたいだけどね。お似合いだと思うよ」
「奈月」
わたしは大声で彼女の言葉をたしなめる。
そして、唇を軽く噛むと拓馬を見た。
わたしの脳裏の過ぎるのは少年だった頃の彼の姿。美少年という言葉がこれほど合う人はいないというくらいかわいい子だった。確かに言われたら分かる。拓馬だということは。でも、逆を正せば、言われないと分からないほど彼はかわっていた。変わっていない部分をあえて探せば、名前と相変わらずその整った容姿に驚くくらいだ。
「お兄ちゃんは中身は相変わらず最悪だけど、見た目だけはかっこよくなったからね」
「中身が最悪って」
奈月の言葉に苦笑いを浮かべている。
わたしが分からなかった最大の理由はわたしの記憶との相違だ。
茶色の髪の毛に、茶色の瞳が彼の記憶の一部にあった。
目の前の拓馬の髪の毛は昔の面影もないほど真っ黒だった。
「髪の毛の色が変わってない?」
「染めたから。イメチェン」
そうあっさりと告げた。そう言った彼の瞳がいたずらっぽく光る。
基本的に髪の毛は染めたらいけないが、学校側もまさか髪の毛を茶髪に染める生徒がいても、黒髪に染める生徒はあまりいるとは思わないだろう。
唖然とするわたしをよそ目に、二人の会話は続いていく。
「でも、たかが髪の毛くらいで分からなくなるなんて、幼馴染相手に冷たいね。美月は」
「だってわたしも分からなかったから分からないんじゃない? わたしのときは事情が事情だから分かったけど」
奈月は彼にそう告げた。
「そんなに変わった?」
拓馬は少し不満そうに自分の髪の毛を触っている。
「まあね。でかくなったし、髪の毛黒いし、声も汚くなったし」
「汚いって」
「ごめん。わたし、嘘は苦手だから」
奈月は得意げにさらりとかわす。
彼女は汚いといった言葉を否定するつもりはないようだった。
素直に低くなったといえばいいのに、わざとなのだろう。口先が達者な彼女がそんな言葉を知らないとは思えなかった。
「じゃ、行こうか」
腕を引かれ、拓馬を見る。彼の行動で我に帰る。
「どこに行くのよ。手を離しなさいよ」
「美月のおじさんとおばさんに呼ばれていてさ」
「そんなの聞いてない」
「だって言わないように頼んでおいたから。サプライズって感じでいいでしょう? きっと脳が刺激を受けて活性化するよ。受験勉強で四苦八苦しているお姉ちゃんへの贈り物よ」
奈月は屁理屈としか思えないことを言い出していた。彼女の瞳はさっきとは異なり興味の対象を見つけた子供のように輝いている。
このまま家に帰りたくなかったわたしは適当な理由を作り出した。
「わたし、寄るところあるの」
「お母さんがケーキを買っていると言っていたけど、お姉ちゃんの分も食べていい? お姉ちゃんの大好きなチョコレートケーキ」
その言葉でわたしの動きが止まる。食べ物の名前に露骨に反応してしまう自分が情けない。
「本当、美月は変わってないよね」
拓馬は追い討ちのように子供に対して向けるような優しい笑顔を向けてきた。彼の手がわたしの頭を撫でる。
「子ども扱いしないでよ。わたしは高三なんだから。もう再来年には成人だし、結婚だってできるのよ」
わたしはそんな拓馬の態度に驚き、そう強い言葉を伝えた。だが、普通こんな言葉を年上の人に使うことはっても、年下の人に使うことはあまりない気がする。
「でも、美月が結婚するのはあと六年以降先だから、今から言うのは早急だよね」
「何で六年」
大学に進んで、就職して二年働いてということなのだろうか。それとも大学院?
「俺と結婚するからに決まっているだろう。俺が大学を卒業するまで六年」
拓馬はぽんぽんとわたしの頭を叩いた。
「結婚って何を言っているの」
驚きの言葉に予想外の大きな声が飛び出してきた。
「いい年して道端で大声出して恥ずかしくないの?」
奈月は肩をすくめて、わたしのそばまで顔を寄せてそうささやく。
わたしが辺りを見渡すと、道行く人がわたしたちを見ていた。わたしと目が合うと、みんな目をそらす。もう何も言えなくなってしまった。
そして、拓馬に引きずられるようにして家に帰ることになったのだ。