知らない人といた拓馬
夏休みが終わった。のどかだったクラスの雰囲気も徐々に変わってくる。
だが、今のわたしに周りを気遣う余裕はなかった。
今まで見た事のないアルファベットの表示に固まっていたのだ。
「はっきり言っていいのか分からないけど、かなりやばくない?」
わたしのことを考えてくれたであろう台詞に状況を自覚し、顔が蒼くなる。
勉強はしていたはずだった。だが、目の前に現れたのは今までとは比べ物にならないほど悪い模試の結果だ。
「どうしよう」
「きっと知らないところが出ただけだよ。ここを抑えていけば大丈夫。間違っているのは暗記系ばかりだもん」
わたしの台詞に戸惑ったのか、里実はさっきとは百八十度違う意見を述べた。
勉強はしていた。だが、それは時間だけで集中力がついてこず、割りの悪い勉強となってしまっていた。その原因も分かっている。
拓馬がほかの人と一緒にいたということがちらつき頭から離れなかった。なんでも言えると自負していたのにも関わらず、肝心なことを言い出せないままだ。
「まあ、頑張ろう。あれだったら休み時間とか、放課後とか教えるから声をかけてね」
以前のわたしのように余裕で合格圏内だった彼女の言葉に、わたしは力なく頷いた。
「何かあった?」
眉根を寄せわたしの顔を美しい顔が覗き込む。思わずのけぞり、後ろに歩を進める。
「なにが?」
「様子がおかしいから」
取り繕ってごまかそうとしたが、彼はじっとわたしを見つめる。
「テストが返ってきたんだけど、ものすごく悪かったんだよね」
「そんなに悪かった?」
「すごく」
「もしかして邪魔した?」
「そんなことないよ。わたしのせいだもん」
問題はわたしの中にある。
「これからは少し控えるようにするよ」
「大丈夫だよ。家で勉強する」
「大学入ってからなら余裕できるだろうから、それから遊ぼう」
彼は明るく笑う。
わたしは彼の言葉に頷いた。
これだとどっちが年上なのか分からない。
「拓馬は成績とか平気なの?」
「普通に」
悪いと言わない彼は以前の成績を維持しているのだろう。
「しばらくは勉強だけに集中するようにする」
「そんなに集中できないことがあったんだ」
彼は少し気になるのか、わたしをじっと見る。
そんな彼に笑い、わたしは心を決意した。
わたしはそれから勉強に集中するようにしていた。女の子と一緒にいたといっても、わたしだって顔見知りに会えば親しく会話を交わしたり、途中まで一緒に行ったりするだろう。きっと拓馬とその子もそんなものだ、と言い聞かせていた。
うだるような暑さはあっという間に過ぎ、身を凍てつかせる寒さが訪れ始めていた。
わたしと拓馬の関係は以前と、正確には夏以降と変わらない。
あくびをかみ殺し、首を後ろに仰け反らせる。首の横が軽い刺激を感じ、肩の疲れを緩和させる。
そして、問題集を閉じた。
時刻は七時を指していた。もうじき夕食の時間だろう。飲み物を取りに行くために部屋を出て、階段を下る。
ちょうどそこで黒のバッグを持った母親と出くわす。
「どうしたの?」
「明日の朝、パンにしようと思ったんだけど、買うのを忘れちゃって」
「お父さんに頼めばいいのに」
「今日遅くなるんだって」
「わたしが買ってくるよ。気分転換」
「ありがとう」
わたしは部屋に戻り、コートとマフラーを着こむ。そして、母親からお金を受け取り、靴を履く。
そして、外に出ると手を頭の後ろで組み、体を伸ばす。
冬の直前の冷たい風が疲れた頭をひんやりと冷やしてくれた。
学校とは違う方向に歩き出す。
この近くにあるスーパーがある。いつもそこで母親は買い物をすませているのだ。
信号を渡り、まばらに車が止まった駐車場の脇を抜けていく。
そして、お店の中に入ろうとしたとき、わたしの足は止まる。
わたしをそうさせたのは入口から少し離れた場所にいる男女の姿が目に入ったからだ。
長身で顔立ちの整った男の人と、もう一人は知らない人だ。今日、帰りがけに見た人とも違う。ショートカットで長身の白いシャツにジーンズの女の人だ。彼女と拓馬が目を見合わせ、笑う。
彼女の細い手が拓馬の頭に触れる。
拓馬の顔が赤くなる。そして、腕をぴんと伸ばし、何かを彼女に言う。
わたしの知らない人だった。
拓馬の友達かもしれない。そうやってスキンシップを取ってくる人も少なからずいる。
だが、拓馬のそんな姿を今まで見たことがなかった。
わたしは首を横に振り、唇を噛むともう一つの入口からスーパーに入ることにした。
まぶしい光がまぶたの裏を叩く。私はカーテンを開けると、外を覗き込む。体の腕が鉛とかしたような重さを感じる。
昨日は寝つけなかったのだ。あの場面を見たことで、想像以上のショックを受けていた。
再会した当初にあのシーンを見ていたとしたらどれほどよかっただろう。
制服に袖を通し、いつも通りにごはんを食べて、家を出た。
家の前にいつものように明るい笑顔を浮かべる拓馬の姿がある。
「おはよう」
いつもと変わらない笑顔を浮かべる拓馬を横目に、顔を背け、小さな声で返事をする。
「おはよう。昨日、何をしていた?」
「何って、いつもと変わらないかな。学校終わってからは買い物をして、家に帰って。いつも通りだよ」
いつも通りと言い放った拓馬の言葉がわたしの胸に突き刺さった。
あの女の子といたのも拓馬にとって日常だったのだろうか。それともあまりに他愛ないことなのだろうか。
いつも拓馬はわたしに正直で嘘がなくてなんでも行ってくれるという過信があったのだろう。拓馬から前者の答えを聞くのが怖くて、「あの子は誰なの?」と聞きたい気持ちを飲み込んだ。




