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家でのひと時

 母親は部屋を出ていくときに奈月を呼ぶ。奈月はためらいながらもリビングを出て行った。


 わたしと千江美が部屋に取り残されることになった。


 彼女は膝の上で拳を握る。


「わたしのこと自業自得だとでも思っていますか?」


「思ってないよ。そんなこと」


 わたしの言葉を彼女は鼻で笑う。


「あなたはいつもそう。いい子ぶって、自分が悪い子にならないようにしている」


 そんなことを意図的にしたことはないが、彼女にそう見えたのならそうかもしれない。


 彼女は不快感をあらわにする。


「わたしはあなたのことが大嫌い。いつも幸せですって顔をして、わたしのほしかったものを奪っていくの」


 わたしを傷つけるための言葉のはずなのに、彼女はそれ以上に傷ついているように見えたのだ。


 前に見たのと同じ目をしていた。


 何かを抱え続けるのは限界に達していて、敵意をぶつける相手をどこかで探していたのかもしれない。そして、そんな自分を嫌悪しているように思えてならなかったのだ。


 彼女の目から涙があふれる。彼女は何を形にしたのだろうか。悲しみだろうか。だが、わたしにはそうは思えなかった。


「今日、わたしたちを見た?」


 彼女は頷く。


「あなたが拓馬に何か買ってもらっていたのを見た」


 彼女が見たのはあのお店に出入りしたときだったんだろう。だから、こんなことになったのかもしれない。


「あれはわたしにも買ってくれたけど、拓馬が持っていた大きな袋は千江美ちゃんの誕生日プレゼントなんだよ。今月誕生日なんだよね」


 千江美が体を震わせた。


「でも、いつもあなたばかり優先して。分かっているけど、どうしょうもないくらい嫌なの」


 謝りかけた言葉を飲み込んだ。彼女はわたしに謝られたくないはずだった。


 だから事実をできるだけ端的にまとめる。


「本当はあれはあなたを誘おうか迷っていたのよ」


「わたしは一言も誘われてない」


「あなたが小さいころ好きだったから一緒に連れて行きたいって買ったけど、そこにはあなたの両親との思い出もあるからどうしていいかわからないと言っていたの。だから行かないなら一緒に行こうとは言われた。でも、あなたが行きたいといえば連れて行ってくれると思うよ」


 もともと彼自身がそう考えていたものだったからだ。


 彼女の目からあふれる涙の量が増す。


「ばかじゃない。わたしのことなんか心配しても何もメリットなんかないのに」


「でも、心配になってしまうものはどうしょうもないとは思うよ」


 それから彼女は何を言うのでもなく、ただ泣いていた。それが悲しみだったのか、まったく別の感情だったのかわたしには分からなかった。


 十五分ほど経過し、母親たちは戻ってきた。千江美は少し落ち着きを取り戻していた。そして、母親の入れてくれたコーヒーを飲み干していた。


 母親はシャツの寝巻を渡す。見たことないものなので買い置きしていたものだのだろう。


 彼女は奈月に連れて行かれ、部屋を出て行った。


 わたしは誰かと話をする気にはならずに部屋に戻ることにした。


 階段を上がり、息を吐く。そして、窓から覗く雨が降りしきる暗闇の中に街灯がおぼろげに漂うのを見て、息を吐いた。




 問題集を閉じると、その場に顔を伏せた。


 あれから一時間ほどが経過し、雨脚は徐々に強くなっていく。拓馬から連絡が来ることもなかった。千江美達は下にいるのか、階段を上がってくる音も聞こえなかった。


 不意に床がきしむ音がし、扉が軽くノックされる。


 返事をすると奈月が顔を覗かせた。彼女は背に扉を当て、少し上目づかいにわたしを見る。


「さっき、千江美から何か言われなかった?」


「あの子が何か言っていた?」


 奈月は首を横に振る。


「何も。でも、そんな気がした」


「気にしなくても大丈夫。心配かけてごめんね」


 わたしの言葉に彼女は耳に髪の毛をかけた。そして、二度瞬きをした。


「お風呂に入ってきたら? 千江美は和室にいるから」


「ありがとう」


 何かあったのかと察した彼女は顔を合わせないように気遣ってくれたのだろう。彼女の言葉に甘え、お風呂に入ることになった。


 浴室を出ると火照る体をタオルでふく。部屋の扉を開けたとき、扉が開いているのに気づき、そこから中をのぞくと、千江美の姿を発見した。


 彼女は一瞬顔を仰け反らせる。


「別にわたしは」


「ご自由に。でも、あまり面白いものは何もないと思うよ」


 彼女は頬を膨らませ、わたしをにらむ。


「おこればいいじゃないですか? プライバシーの侵害だとか言って」


「別にみられて困るようなものって何もないんだよね。散らかしたら片づけてほしいけど」


 ドアを閉めるとベッドに座る。


 彼女はわたしを怪訝そうな目で見る。


「それっておかしいです」


「かもね。でも、実際にないんだもん。よく携帯を見られて困るという人もいるけど、見られて困るものってほとんどないんだよね。友達の電話番号をメモされたりはダメかもしれないけど」


 彼女はそれで黙ってしまっていた。


 彼女はなぜわたしの部屋にいたのだろうか。思い当たることは一つしかない。


「拓馬の写真が見たい?」


 彼女の体がぴくりと反応する。だが、その表情は図星というわけではなく、意表をつかれたようだ。彼女の白い肌が若干赤く染まる。


「わたしはそんなに持っているわけじゃないけど、ある分なら見せてあげるよ」


 わたしは本棚からアルバムを取り出すと、拓馬の乗っているページを開き、彼女の目の前に並べた。


「邪魔な人がいる」


「それは我慢してね。わたしのアルバムだもん」


 わたしは彼女の言葉に苦笑いを浮かべる。


「嫌いって言っているのになんでそんなに構うの? 親切の押し売り? 自分がいい人ってことをアピールでもしたいの?」


「わたしはいい人でもないよ。それに嫌いなら嫌いでいいよ。無理に好きになる必要なんてないんだもん。精神衛生上悪いでしょう?」


 わたしが大げさに肩をすくめると、彼女は口をつぐむ。


「嫌いじゃなくなってくれたら嬉しいけど、それを決めるのはわたしじゃないもの」


 彼女は唇を噛むと拓馬の写真に視線を落とす。


「紅茶、緑茶、オレンジジュース、グレープフルーツジュースのどれがいい?」


「紅茶」


「分かった。持ってくるね」


 少し間を開けて戻ろう。わたしがいないほうが彼の写真を堪能できるだろう。


 だが、歩きかけた足を止め天を仰ぐ。彼女の意表をつかれたような表情は拓馬の写真を求めていたわけではないようだった。考えをめぐらせ、わたしは一つの答えに行きついた。


 わたしはリビングに戻り二人分のお茶を用意した。肌がべたつく暑さであることを考え、アイスにする。


「あの子はどう?」


「今は拓馬の写真を鑑賞中」


 リビングで洗濯物を畳んでいた母親は軽く苦笑いを浮かべる。


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