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拓馬の母

 七月に入るとあっという間に期末テストが終わり、結果が手元に届く。


拓馬からは予定していた六月に母親のほうが都合がつかなかったようだ。


どうせなら夏休みのほうが話し合いができるのではないかということで、七月の中旬に三者面談にあわせてこちらに戻ってくることになったと聞かされた。


 あの悲しみを浮かべた千江美を見てから、拓馬にどことなく近寄りにくくなっていた。


「拓馬君と喧嘩でもしました?」


 体をびくりと反応させ、隣を歩く翔子を見た。たまたま昇降口で鉢合わせ一緒に帰ることになったのだ。


「そんなことないよ」


「ならいいですけど」


 彼女は言葉を飲み込んだようだった。


 あれ以来、彼女は普通に話をしてくれるようになった。拓馬とのことを普通に話してくる。


その彼女の言葉には拓馬は好きな人としてではなく、友達として映っているような気がしていたのだ。


 そのとき、翔子の足が止まる。


「また明日」


 わたしはそう言ってくれた翔子に会釈すると、家の中に入った。


 玄関先には見慣れない黒のスーカーがあるのに気づいた。リビングを除くと、細身の女性が椅子に座っていたのだ。


「万里さん」


 わたしは思わず彼女の名前を呼ぶ。


 彼女はわたしを笑顔で迎えてくれた。長いまつげに通った鼻筋。化粧っ気もなく綺麗な肌。


澄んだ目に、はっきりとした二重の瞳。彼女のパーツを一つずつを挙げても全体を見ても褒め言葉しかでてこない。


周りの注目を浴びるほどの目立つ容姿は母親のものを部分的に遺伝させていたのかもしれない。


「早く着いて、まだ拓馬達も学校だろうし、ここで一息つくことになったの。学校が終わったら拓馬が迎えに来てくれるらしいわ」


 拓馬という言葉を聞き、心臓の鼓動が乱れた。そんな自分に抵抗を感じながらも平静を取り繕う。


「そうなんですね。荷物を置いてきますね」


 拓馬が来たら母親は絶対にわたしを呼び出すだろう。その前に洋服を着替えておこうと思ったのだ。


 だが、廊下に出たわたしの耳にチャイムの音が届いた。


一瞬、自分の服を見て躊躇ったが、玄関のドアを押す。すると、そこには目を見開いた拓馬の姿があったのだ。


遅れてインターフォンを通じた母親の声が家の外から聞こえてきた。


「開けちゃったのね」


 あきれたような母親の声が後方から聞こえてきた。わたしは自分の行動を恥じ、後方に戻る。


 母親が早速やってきた。


「よかったら寄っていけば? 久しぶりよね」


 その言葉に拓馬のいい返事を期待する。だが、彼は浮かない表情を浮かべたままだった。


「いえ、今日は失礼します。また今度」


 いつの間にか外に出てきていた万理さんが靴を履く。


「またお邪魔するからそのときにはゆっくり話しましょう」


 わたしはそういってくれた二人を見送った。


 拓馬と話をしなかったことにほっとしながらも、どこか寂しかった。


「おばさんはいつまでいるの?」


「とりあえず一週間くらいをめどに考えているらしいわ。話によってはこっちに戻ってくるんだって」


「そっか」


 先にリビングに入った母親を見送り、扉を閉めた。千江美に振り払われた手をじっと見て、あのときの彼女を思い出していた。




 重い体を起こすと、腕を上に伸ばした。起きて真っ先に携帯を見た。


いつもはそこまで携帯のことを気にしていないが、彼女をどうするかという話し合いが行われるということを気にしていたのだ。


わたしに知らせてくれるわけもないのにと軽く自分をいさめ、時刻を確認すると苦笑いを浮かべた。


もう時刻は朝を周り昼前になっていた。昨日眠ったのが遅かったからだろうか。


 のどの渇きを覚え、階段を下り一階に行く。だが、扉を開けたとき、思わず足を止めていた。


「おはよう」


「どうして?」


 人気のないリビングに白いシャツを着た拓馬がいたのだ。


「今日は母さんが千江美と一緒に買い物にいくらしいから、たまには会いたいなと思ってやってきたんだ」


 そうさらっと言ってしまうのが拓馬。だが、それを拓馬を好きな人が聞くと、ただ複雑なだけなんだろう。


「大丈夫なの?」


「母さんがたまにはって言ってくれたから大丈夫だよ。今まで土日も毎週出かけていて、休んだ気がしなかったんだよね」


「何かあったの?」


「千江美がさ、毎週、あれがほしい、これがほしいと言って付き合わされてばかりだったよ。実際何かを買うことはなかったんだけど。一人で出かけるのが嫌なのかと思えば、しょっちゅう一人で出かけていたりもしたし」


 その言葉に胸が痛む。拓馬と一緒に出掛けたかったんだろう。


「どうかした?」


「なんでもない」


 彼女なりに真剣なのかもしれない。従兄妹であれば恋仲になることはありえないことではない。法律では何ら問題がないのだ。そこに互いの気持ちがありさえすれば。


「でも、誰もいないの?」


「おじさんたちは買い物で、奈月は部屋」


 恐らく両親が買いものにいったあと、奈月が部屋に戻ったんだろう。


 一応、テーブルの上には湯呑が置いてある。拓馬のために出したのだろうか。


「おかわりいる?」


「もうのどが渇いていないからいいよ。今から出かけない? 少しだけでいいから」


「どこか行きたいところでもあるの?」


「ただ美月と出掛けたかったんだけど。用事があるならいいよ」


 千江美のことが頭を過ぎれど、そう言われて嬉しくないわけがなかった。


「分かった。いいよ」


 そこであわただしい心が一息つき、周りにも目が行くようになる。そのとき、拓馬の後方にある鏡で自分の姿を確認し、固まっていた。


「着替えてくるね」


 わたしは目を逸らし、できるだけ拓馬の目の前から逃げるように部屋に戻った。


できるだけ鏡を直視せずにクローゼットから黒の膝丈のワンピースを取り出した。


手櫛で髪の毛を整えると、黒のショルダーを手に階段を降りる。


 リビングの外から中を覗き込む。


 拓馬と目が合い、彼は笑顔を浮かべ、強引にわたしとの距離を詰めてきた。


 整った顔が至近距離に現れ、わたしは一瞬体を震わせた。


 キスされるかもしれない。そうとっさに思ってしまったから。


 だが、拓馬は顔を離すと、再びにこりと微笑んだ。


「似合っているよ。可愛い」


 さっきの戸惑う心を振り払うように、強い口調で言い放った。


「可愛いって、こんなの誰でも似合うじゃない。変なことを言わないで」


「変なことじゃないって。本心を語っただけだよ」


「いちゃつくなら部屋でやってください」


 わたしの背後から話初めは聞こえた声が、いつの間にかわたしの隣で聞こえる。


 髪の毛を後方で一つに結った奈月があくびをかみ殺しながら入ってきたのだ。


「今のどこを見たらそう見えるの?」


 声が上ずるのを感じながらも、できるだけ平静を装っていた。


 だが、奈月は淡々とした表情一つ変えない。


「目の前の状況」


「どう考えてもいちゃついてない」


「まあ、いいけどさ。そのまま延々と可愛い可愛くないを言い続けるの? 時間の無駄だよね」


 彼女の言うことはもっともだとは思う。


「今から出かけてくる。お母さんたちによろしくね」


 冷めた反応を示す奈月に見送られ、家を出た。




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