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当たり前の答えだったはずなのに

 小さい頃の拓馬は泣き虫で、よく泣いていた。わたしはそんな拓馬の世話をかいがいしくしていた気がする。それは泣いていた彼が心配だったからという単純なものだった。


「今日は元気ないね」


 拓馬はわたしの顔を覗き込んできた。綺麗な顔が視野に収まり、意図しないうちに心臓の鼓動が乱れていた。目をそらし、そんな心臓の鼓動に気づかない振りをした。


「昨日、寝不足だっただけ」


 受験勉強でと言えれば受験生らしくていい。だが、実情は違っていた。家に帰ってから拓馬とあの名前も知らない少女がかなしそうにしたのが頭から離れなかったのだ。ベッドに入ってもそのことを思い出し、寝るのを諦めた夜中の三時過ぎにやっと眠ることができたのだ。


「勉強もいいけど、体調を崩さないようにね」


 そうさらっと言葉が出てくる。拓馬にとってのわたしのイメージはそうなのだろう。

 わたしはあいまいに頷く。わたしの思考はどちらかと言えば単純で、あまり物事に思い悩むということはなかった。それどころか泣いた記憶もあまりない。


 わたしが泣いたのっていつなんだろう。家族のことで涙をしたことはあまりない気がする。ああいう家族で、わたしはいつも怒られないように卒なくやってきた。だから、親に怒られたのは幼い頃、奈月と遊んでいて、家の窓ガラスを割ったときくらいだ。そのときは年上だったわたしだけが怒られていた。


それは四歳も離れた姉なのでということで割り切っていたし、そんなものだと思う。


拓馬を好きな子に嫌がらせされたときも、唖然とし、落ち込みはしたが泣くことはなかった。落ち込むことはあったが、泣いた記憶というのはいまいち思い浮かばなかったのだ。


「見詰め合うのは悪くないんだけど、そろそろ行かないと遅刻するよ」


 拓馬のその言葉に我に帰る。携帯の時間を確認すると、補習の十分前になっていた。間に合わない時間ではないけど、意味もなく道の真ん中で立ち止まっていたことになる。


 拓馬はわたしの持っていた鞄をひょいと取り上げた。


「何か悩みがあるなら相談に乗るよ」


「何でもないの。鞄は返してくれないよね?」

「当り前」


 拓馬はにっと笑う。

 わたしは苦笑いを浮かべると、足早に学校への道を急ぐことにした。



 拓馬の教室の前まで行き、別れを告げる。何も言わないわたしに心配そうな顔はしていたが、具体的に何かを聴くことはしなかった。廊下に入っていく彼を見送り、階段を上ることにした。今日は珍しく廊下で顔見知りには合わなかった。


 だが、教室の前に来たとき、自然と足は止まる。教室の前に見たことのない三人の女の子の姿を見つけたからだ。わたしが足を止めたのは三人の上履きのラインの色だった。黄色の拓馬と同じラインだ。ここ数日のことを思い出し、重い頭を抱えながら、気づかない振りをして教室に入ろうとした。


そのわたしの通行を一人の少女が妨げる。何かを言う前に彼女のするどい瞳がわたしを射抜く。その子が拓馬と再開した日にわたしをじろじろ見ていた子だということを思い出していた。


「坂木先輩は拓馬君とつきあってないんですよね」


 語尾をわずかにあげているが、疑問として問いかけているというよりは微妙にあがらない語尾に彼女の気持ちの強さが含まれている気がした。ラインを見たときの嫌な予感が嫌なくらいリアルに実現していく。


 違うと言おうとしたが、昨日の拓馬の表情がよみがえり、一度言葉を飲み込む。だが、否定しないということは事実を捻じ曲げるということで、わたしの性格ではそんなことは耐え難いことでもあった。


「付き合ってないよ。ただの幼馴染だから」

「そうなんですか。よかった」


 二人は顔を見合わせ、互いに意思を確認しているようだった。だが、何気なく振り向いたショートカットの女の子の動きが止まる。他の子もその異変に気づいたのか後方を見ていた。わたしもその子の変わりように促されるようにして、後ろを見つめていた。その理由は背後に立つ長身の人を見た瞬間、すぐに分かった。


 彼は視線に気づいたのか、右手の人差し指でかるく頬をかく。


「失礼しました」


 彼女達は誰に言ったか分からない言葉を残し、あっという間にその場から去っていく。

 動けないわたしに拓馬が歩み寄ってきた。


「これ、預かったままだったから」


 拓馬が渡したのはわたしのお弁当が入った袋だった。彼はそれをわたしの手に握らせると、先ほど彼女達の歩いた道筋をなぞるように歩いていった。そのときの拓馬の表情はわたしの知っている少年だった彼のものだった。


 付き合っていないから当たり前の返事をしただけなのに、嘘をついてしまったときに似ている心の中をとけとげしたものが傷つけていくような嫌な気持ちが変なしこりを残していく。だが、その曖昧な感情を口に出すこともできずに、彼の後姿を見送っていた。


 再開して三日目。少年だと思っていた彼を、恋人の対象として意識できるほどわたしは切り替えが早い人間でもない。どうしてつきあっているとか、いないとかみんなそう答えをすぐに求めようとするんだろう。


 でも、みんなじゃなかった。少なくとも拓馬は違う。彼はわたしを好きだといったけど、すぐに答えを求めてくることはなかった。その代わりに変なことはされたけど。


 あの言葉で彼は傷ついたのだろうか。影がかかり、顔を上げるとわたしの机にきた佳代と目があった。


「今日は拓馬君のところに行かないの?」

「約束しているわけもないし。拓馬も友達と食べていると思う」


 あの可愛い感じの男の子と一緒に。拓馬にとって親しい友人のようだった。

 それにあんな言い方をしたわたしを食事に誘うような表情でもなかった。


 わたしはお弁当を見る。この時間、拓馬も同じものを見ているだろう。だが、彼の気持ちがわたしと同じでないことを期待していた。


「気になるなら行けばいいのに」

「気にしてないよ」


 わたしがあんなことを言ったのに気にする必要はなかった。当たり前のことだったからだ。それでもあの少年のような笑顔がしっかりと頭に刻み込まれていた。結局わたしは拓馬のところに行くことはなかった。



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