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わたしを振り回す人

 頭をたたきつけるような音が響き渡る。わたしは重い体を動かし、枕元に置いてある携帯を手に取る。そこにはセットされたアラーム時刻が表示されていた。アラーム音を消すと、重い体をゆっくりと起こした。


 締め切ったカーテンの隙間からは春を感じさせるうららかな日差しが遠慮がちに差し込んできた。今日は拓馬と待ち合わせをしていることもあり、いつもより目覚ましを十分ほど早く設定した。待ち合わせに遅刻をしてしまうことは避けたかったからだ。昨日は早く寝たこともあり、目覚めはいつもよりは心なしか体も軽い。とりあえず先に飲み物でも飲もうと思い、ベッドから出る。


 一階に行くといつもよりリビングが心なしかにぎわっている気がした。ドアノブをまわし、中をのぞいた瞬間、あくびをするのを忘れ、部屋の中をただ見つめていた。


 紺のブレザーに身を包んだ彼はわたしと目が合うと、目を細めていた。


「おはよう」


 だが、わたしの心境は穏やかに微笑む彼のものとは全く異なっていた。


「拓馬、どうしてここに」

「おばさんから昨夜、電話がかかってきて、家でごはんを食べたらって言われたから言葉に甘えることにした」


 その後ろには満足そうに微笑む母の姿を見つけた。今の時刻が六時十分。一人暮らしで大変なのは分かるので、呼ぶなとは言わない。でも、昨夜電話をしたなら、前もって知らせておくくらいしてくれればいいのにと思う。お風呂に入った後、親とは顔をあわせなかったので、向こうにもそれなりの弁解の理由はあるんだろうけど。


「そのパジャマ似合っているね」


 そう拓馬はさらりと笑顔で言う。

 その言葉で我に返る。わたしは朝起きた状態でリビングまでやってきたのだ。


「着替えてくる」


 顔が赤くなると同時にリビングを飛び出していた。

 部屋に戻るとドアを閉め、もたれかかる。


 いつもと違う心音を刻む心臓に手を当てる。いつになく心臓がドキドキしていた。

 昨日キスされた部分が熱を持ち、思わず頬をなぞっていた。拓馬はいつも通りの彼で、余裕を見せ付けられたみたいな気がした。


 あのころより大きくなった彼に戸惑っているのはわたしだけで、拓馬は昔と変わらない感じでわたしと接しているのだろう。確かに中二の頃からそんなに顔は変わらず、身長も大幅には変わっていない。ただ年齢だけは確実に重ねてきたといった具合だった。


 そこまで考えて、我に返る。わたしが拓馬との待ち合わせのために早く起きた時間は十五分。そのことを考えると、そうしたことを延々と考えている余裕はなさそうなことに気づいたからだ。


 結局、制服を着てリビングに戻ると、急いでごはんを食べることになった。早起きしたのにいつもと変わらない時間に家を出ることになった。


「荷物持つよ」

「いいよ。大丈夫」


 わたしはそう言ってきた拓馬の言葉を笑顔でかわす。拓馬はわたしの隣を歩いていた。わたしの目線には拓馬の腕があり、もう昔のように顔をあげないと視線が交わることはなかった。


 変わっていないけど、変わっていて。そのことは必要以上にわたしを戸惑わせる。ただ、この戸惑いが恋であるかと問われたら、真っ先に否定していた。ただあまりの変化にわたしの心がついていけないだけなのだ。一ヶ月もすれば昔のように普通に接することができるはずだ。


「美月ってさ、昔から青系がよく似合うよね」


 彼は目を細めていた。だが、紺色の制服を見て、首を傾げる。確かに青系だが、この制服を見て似合うというのだろうか。他に何か拓馬に青系のものを着ているのを見られただろうかと思ったとき、脳裏に蘇るのは今朝みたパジャマのことだった。


「今朝のことは忘れてください」

「別に恥ずかしがらなくてもいいんじゃない? あんなの子供のときに見慣れているって。昔は一緒にお風呂に入ったりしたんだから」


 わたしをからかうためではなく、まじめな拓馬の表情を見ていると本気で言っているのだろう。なんともいえない複雑な気持ちだった。


 大体わたしのことが好きらしいのに、ここまで動揺しないってありえない気がした。


「恥ずかしいことは言わないで。もう昔とは違うんだから」


 わたしは頬を膨らませると、頬をそむけた。口にして、まるでわたしが幼馴染に恋焦がれてるような台詞を言っていたことに、口にして気づいた。


「そんなにいじけなくていいのに」


 拓馬にキスをされたけどわたしに対する態度は好きな子に対する態度というよりは、近所の子供に対する態度をとっているような気がする。好きな子相手ならもう少し特別に接してもいいんじゃないかと思うくらいだ。奈月を好きだと言っている田中くんなんかは彼女がいるいないによって態度が明らかに変わる。彼の本心は大人びた顔立ちを隠してしまっていた。


「今日、友達に美月と噂になっている相手のことを聞いてみるよ」

「言わなくていいよ」

「美月を悩ませるものは一つずつ解決しないとね」

「だからそれはもういいの」


 わたしは言葉を飲み込む。


「でも、俺も気になるし」

「本当、忘れていいから」


 だが、拓馬が聞く耳を持っているようには思わなかった。

 拓馬はこの話を聞いたらどうするんだろう。喜ぶのだろうか。それとも戸惑うのだろうか。わたしにはそんな己に対する問いかけの答えも見つけることができなくなっていた。



 学校への距離が狭まってくると、同じ制服をきた人がぐんと増える。その中には拓馬のことを知っている人もいたのか、こちらをちらちらと見てくる人も少なくない。中には昨日と同様の視線をぶつけてくる人もいて、複雑な気持ちになってきた。


「今日、やけに人の視線を感じるような気がするんだけど。何かおかしい?」


 拓馬は眉をひそめ、わたしに問いかけてきた。鈍いのか、鈍くないのかさっぱり分からない。噂がわたしと拓馬のことであれば彼自身も少しは知っていてもおかしくない。だが、全く気付いていないということはやはり鈍いのだろう。


 今日、特別に感じるのはわたしがいるからだろう。昨日、わたし一人でいるだけであれほど注目を浴びたのだ。それもつきあっていると噂になっている女の子が一緒にいたら、彼に好意を持っている人は間違いなくその姿を執拗に姿を確認するはずだ。拓馬がわたしのためにとしてくれた優しさが逆効果となってしまっていた。こんなことなら登校時間をずらせばよかったと思ったとき、明るい声が響く。


「おはよう。美月」


 振り返らずともそれが誰か分かった。佳代だ。


「おはよう」


 わたしの心臓は悪い予感を感じながら高鳴っていた。その後ろめたさからか、小さな声で挨拶をした。


「何? 元気ないね」


 彼女の視線がわたしの後ろで止まるのが分かった。拓馬の存在に気づいてしまったんだろう。口をあんぐりと開け、後方を眺めていた。その彼女は我に返ったように体を震わせると、口元を綻ばせ、わたしの耳元でそっとささやいた。


「美月、知らないって嘘ばっかり。照れ隠しだったんだ。やっぱり奈月ちゃんの言っていたことは本当だったんだね」


 少なくとも昨日の時点で嘘はなかった。どうにでもしてくれというのは今のわたしの状態を言うのだろう。もう何も弁解する気にもならなかった。彼女は昨日の噂が真実であるという確信しただろう。


「奈月の言ったこと?」

「何でもないの。ね?」

「そうだね」


 佳代は昨日とは打って変わって、笑顔になっていた。おそらく彼女の中では照れ隠しをしているわたし像は着実に形成されてしまっただろう。そして、男っ気のなかったわたしに勘違いとはいえ、彼氏ができたことが嬉しいのかもしれない。彼女はそういう子だった。


「邪魔すると悪いから先に行くね」


 最後に余計な言葉まで残し、軽い足取りで学校に向かった。


「佳代」


 我に返り、彼女を呼ぶが、そのときにはすでに彼女の姿はわたしの手のひらにすっぽりと納まるほどのサイズになってしまっていた。


「さっきのはクラスメイト?」

「そう」


 拓馬の言葉に重い口調で反応する。

 学校に行けば、クラスにそのことが広まっているんだろうなと思うと気分が重くなってきてしまっていた。


 横に並んでいた拓馬の足が止まる。わたしは思い気持ちを抱えながら拓馬を見た。だが、わたしが彼の顔を確認する前に、拓馬の手がわたしの髪の毛をかきわけて、額に滑り込んでくる。彼の大きな手がわたしの額をすっぽりと覆い隠す。


 拓馬の手がわたしの額に触れた。


「元気がないみたいだけど、まだ体調が悪い?」

「そんなことないよ」


 やっとの思いでそう口にしたが、今のわたしに周囲を見渡す勇気なんてなかった。だが、不思議と視線の鋭さだけは嫌と言うほど感じていた。


 額に触れていた大きな手が離れる。


「熱はないみたいだね。家に戻るなら送るよ」


「送るって補習はどうするのよ」


「そんなものより美月のほうが大事だから、サボる」


 拓馬はそう悪気のない明るい笑顔で口にする。嬉しいけれど、視線の数が増したのを肌で感じる限り、周りにも聞こえていたんだろう。


「大丈夫だから。早く行こう」


 そう言って歩き出そうとしたわたしの手を拓馬が掴んだ。彼はわたしが動揺する間に、わたしの鞄をするりと奪い取った。


「返して」


「病み上がりなんだから、安静にしないとね」


 それでも奪い返そうとしたわたしの手を彼はぎゅっと握りしめた。


「なんなら美月も抱えてあげようか?」

「馬鹿なこと言わないでよ」


 わたしは頬を膨らませ手を振り払うと、鞄を返してもらうことを諦め、早歩きで学校に行くことにした。


 昇降口は補習開始の少し前という時間帯からか、多くの人であふれかえっていた。今までは人が多いで済んだ時間帯も針のむしろのうえにいるようなちくちくとした視線を感じた。だが、その発端であろう拓馬はいつも通りで、彼の鈍感さがうらやましくなってきてしまう。


 靴を手早く履き替えると、わたしのクラスの靴箱まで丁寧にも迎えに来た拓馬と合流した。わたしは極力周りの人と目を合わせないようにしながら、拓馬の教室のある三階にたどり着いた。


「荷物を持ってくれてありがとう」


 彼は皮製の鞄を差し出す。だが、その隣のお弁当の入った袋は渡さない。


「今日、お昼、一緒に食べよう。この弁当は預かっておくから」

「一緒にって、嫌だって」


 そう強い口調で言うが、拓馬は手をわたしの頭に載せ、軽くはたく。そのとき目の前の教室から出てきた見知らぬ女の子に睨まれた気がした。

 胃がきりきりと痛む。


「じゃあね」


 あくまでマイペースな彼はわたしに声をかけると、廊下を軽い足取りで歩いていった。わたしは彼を追いかける元気もなく、自分の教室に行くことにした。


 だが、教室の扉を開けたわたしは自分の席に顔見知りが座っているのに気付いてしまった。佳代だ。彼女はわたしと目が合うとにんまりと笑い、手招きした。


 わたしが近くに行くと佳代はわたしの席を立ち、席を譲った。だが、その脇に立ったまま動こうとしない。

 前の席の里実は含みのある笑みを浮かべ、こちらを見ていた。


「拓馬君に会ったんだ」


「知っていたの?」


「この前偶然会ったから」


「じゃあ、佳代達のいっていたかっこいい人が拓馬ってことも?」


「それは知らなかったよ。まさかとは思ったけどね。でも、拓馬君相手でよかったじゃない。昔から一番仲のよかった男の子なんだから」


 彼女の言うことは間違ってない。幼馴染の男も、友人と呼べる男も空白期間があるとはいえ、拓馬だけだろう。だが、どこか抵抗を感じてしまっていた。


「でも、やっぱり人気あるんだね。拓馬君。結構、告白とかされているみたいだよ。全部断っているみたいだよ」


「別に興味ないし」


「その割にはほっとしたような顔をしているように見えるけどね」


 里実は佳代と顔を合わせると、とんでもないことを言い出していた。


「そんなことないから。わたしと拓馬はただの幼馴染なの」


 わたしは里実の言葉を何度も否定する。


「つきあっているという話も奈月が自分と拓馬が付き合っていることにされたくないからわたしの名前を出しただけなんだってさ。だから、それもデマなんだから」


「じゃあ、奈月ちゃんとはつきあっているわけじゃないんだ」


 わたしたちの会話に割り込んできたのは田中君だ。


「奈月ちゃんと拓馬君はね」


 と里実が言う。


 里実はわたしと小学校から同じで、拓馬のことも知っていたのだ。


「よかった。まあ、そいつと仲良くな」


 田中君はぽんぽんとわたしの肩を叩く。どうでもいいけどという言葉がついてきそうな態度だ。


「でも、あまり噂を加速させたくないなら学校ではあまり話をしないほうがいいかもね。昔よりも比べ物にならないくらいかっこよくなったし」


 里実の言葉が胸に突き刺さる。

 できるならわたしもそうしたい。でも、そうできなくなっていた。


「無理。今日のお弁当は拓馬に奪われたし。お昼は一緒に食べないといけない」


「本当に相変わらずだよね。本人は女の子に人気があるって自覚がないしからね」


 里実はわたしの言葉に苦笑いを浮かべていた。

「噂なんか気にしない。でも、拓馬君の話、聞かせてね」


 佳代はそう満足そうな笑みを浮かべた。

 佳代の興味はそっちに移っているのか、明るい言葉をかけてきた。


 先生が入ってきて、授業が始まる。黒板の文字を書き写していくが、その日の午前中は授業にあまり集中できなかった。


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