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王子様と呼ばれる一年生

 春の暖かい日差しが窓から遠慮なく差し込んできた。そんな光のせいなのか、睡眠不足のせいなのか、体全体に錘がのしかかったように体が重い。今日は素直に休めばよかったのかもしれないと思うほどだった。


「美月」


 いつもテンションの高い声が聞こえてきた。顔を動かして、横を見ると、そこには髪の毛を耳元で二つに結んだ女の子の姿があった。彼女は大きな瞳でしきりに瞬きをし、私をじっと見つめている。何かに強く魅入られたかのような態度だが、それは彼女にとって珍しいことではなかった。それどころかよくある日常のワンシーンだ。


「何? 佳代」


 筆坂佳代は肩を震わせ、私の肩をぽんとたたく。


「水臭いなあ。彼氏ができたなら言ってくれればよかったのに」


 その言葉に思わず体を起こす。


「誰のこと?」

「美月があの一年のかっこいい人とつきあっているって話。美月は年上が好きだって言っていたのに、そうでもなかったんだね。それとも彼が特別なのかな?」


 彼女はにやけた顔を隠すためなのか、口元に手を当てていた。だが、今でも笑っている彼女の目元を見ていると、そんなことは無駄なことだと思わざる終えない。

 彼女は私がその言葉を認めることを期待していたのか、私の顔を覗き込んできた。


「誰がそんな嘘を流したのよ」


 あの一年生というのは誰のことかすぐに分かる。彼の顔と名前も知らないが、噂にはなっていたのだ。今年の一年にすごくかっこいい人が外部から入ってきた、と。おそらく彼のことなのだろう。外部からというのはわたしが通っているのは中高一貫の私立学校だからだ。高校から入ってくる人はわずかながらにいる。彼もそのうちの一人だったのだろう。


 佳代の話によると、彼見たさにたまにそのクラスに見物人が訪れるほどだったと聞く。目を輝かせている彼女も当然のように彼を見ていて、彼女も彼のことを大絶賛していた。だが、別にそう言われても私自身、そんなに彼に興味がなく、そんな彼女の話を話半分で聞いていたのだ。


 そんなそわそわとした季節が過ぎ去ろうとしていた四月の下旬に、とんでもない話が耳に届いていた。


「嘘じゃなくて、本当のことだよ。だって奈月ちゃんが言っていたらしいよ」


 奈月と聞き、私は眉をひそめた。奈月は私より四歳年下の妹。だが、一見しただけでは、私たちが姉妹であることを気づく人もいない。それは私達があまりに似ていないからだ。


「俺は奈月ちゃんがその一年野郎とつきあっていると聞いたけど」


 そう話に乗ってきたのは私の隣に座っている田中謙一。彼は切れ長の目をひそめながら言葉をつづっていた。その顔に笑顔はなく、野郎と言い放った彼にあまりいい感情を持っていないのだと一目で分かるほどだった。


「野郎って、失礼だよ。かっこいいじゃない。まさしく王子様って感じ」


 佳代は腰に手を当て、身を乗り出し、彼を睨んでいた。

 だが、田中くんもそんな佳代の態度にひるむことはない。

 彼はそっぽを向いてしまった。


「王子様って、ただの日本人じゃねえか。頭おかしいんじゃないの?」

「みんなそう言っているよ。奈月ちゃんを取られたから僻んでいるんでしょう。どうせあんたは相手にされないから大丈夫よ」」


 佳代は大げさに肩をすくめていた。

 私はそんな二人のやり取りをまだ眠気の残る目でじっと見ていた。だが、二人のそんな無意味な言い争いは納まる様相を呈さない。

 二人は小学校からの幼馴染で仲がいい。

 幼馴染と言う言葉でわたしの中に嫌な記憶が過ぎるが、それをあっという間に振り払った。


 要は噂が噂を呼んだだけなのだろう。

 その一年がわたしと付き合っていると行ったのも根も葉もない噂なのだろう。

 本当にばからしいと思いながらも、一応妹のために否定しておくことにした。


「奈月は彼氏とかいないと思うよ」


 それどろかあの子が男に興味があるのかから謎だった。今の彼女が興味があるのはそういったことよりも化学とか物理が好きなようで、家ではそんな本ばかり日々読んでいる。世間的に言うと少し変わった子だった。だが、そんな彼女は誰に似たのか、美少女という言葉がぴったりな容姿をしていた。長い睫毛に、大きすぎない大人びた瞳。それは冷めた印象も与えるが、笑うと可愛さを増す。血がつながっている私でさえそんな印象を持つのだ。きっと他の人にはよりそう見えていると思う。


 中学二年生の彼女だが、中学生に見られることはほとんどない。それどころか、私と一緒に歩いていると友達に間違われるほどだ。四歳という年齢差が悲しくなってくる。中学生と高校生ならいろいろと違うはずなのに。


 そんな誰もが認める美少女の彼女は私の周囲の人に限れば、男女を問わずに人気があった。目の前の佳代もそんな人のうちの一人だった。他にも、告白できるかはともかく彼女に好意を持っているという人の話を聞いたのも一度や二度ではなかった。後輩からよく分からない恋愛相談までされたこともあった。わたしはそんなのもそつなく断ってた。そもそもわたしが彼女の恋愛に絡むなど、最も嫌がるのは彼女だ。わたしの周囲の人に限ったのは、彼女自身口数が少なく、友人もあまり多くはない。そんな彼女を近寄りがたいと評する声も何度も耳にした。


「当り前だよ。だって、奈月ちゃんがお姉ちゃんの彼氏って言っていたから間違いない」

「だから奈月ちゃんがそいつと」


 と二人の言葉がほぼ同時に止まる。佳代と田中は言葉を交わすと、二人でなにやらうなずきあっていた。


「二人で一人の男を譲り合っているとか?」


 その言葉を聞き、ものすごい方向に話が飛躍していることだけは分かった。


「だから私はその人のことを見たことも、話したこともないんだけど」


 それどころか名前も知らない。だから、佳代はあえて話が通じるようにかっこいい人と言ったんだろう。名前を聞いてもだれそれ状態だからだ。


「美月に彼氏はいないよ。私が言うんだから間違いないって」


 何か言おうとした佳代の言葉は背後から聞こえてきた言葉にあっという間にかき消される。まだ、眠気の漂う頭でゆっくりと振り返る。すると、そこにはスレンダーな体に長い艶のあるロングヘアをした女生徒の姿があった。彼女は目を細めると、わずかに首を傾げて微笑んでいた。松方里実だ。


 はきはきとした口調はひなびた体をしゃんとさせるほどの力強さがある。佳代も田中も心なしか背をピンと伸ばしているような気がした。


「里美が言うならそうなのかな。じゃあ、奈月ちゃんと付き合っているのかな」


 最初は残念そうに言っていた彼女の口元が言葉の最後には歪んでいた。そして、笑顔で田中を見るのを見逃さなかった。


「本当、変な期待をさせてごめんね。奈月ちゃんだったみたい。その人と付き合っているのを隠したくて美月の名前を出したのかも」


 隠したくてというのは彼女に限って考えられない。だが、噂が面倒で、わたしに押し付けたというならありえるだろう。


「傷をえぐるようなことを言うな」


 田中は顔を伏せ、悲しんでいるのかいないのか分からない高い声を響かせる。

 彼も奈月のことが好きなうちの一人だったということは知っていた。


 なぜ、当の本人で私を差し置き、里美の言葉なら素直に信じられるのかと疑問を持つが、今までの経験上、気にしても無駄ということだけは分かっていた。


 今年の新入生ということは二歳差か…。


 そこまで考えたときに笑顔の耐えない男の子のことを思い出していた。さっきは思い出す直前に振り払えたのに、今回は失敗したようだ。彼は笑うと本当に可愛い子だったのを今でもはっきりと覚えていた。

 席を立っていた里美が私の前の席に座る。彼女は私の顔を覗き込み、いたずらっぽく微笑んだ。


「本当、美月は男っ気がなかったよね。この六年間。でも、正確には四年かな」


 四年という言葉で、彼女が誰のことを言いたいのかすぐにわかる。


「余計なことは言わないでよ」


 男っ気って、あいつをそんな風にカウントされると困るからだ。あいつはそんなんじゃない。ただの幼馴染で弟みたいな存在だったのだ。


「四年前ってことは、中二の頃、彼氏がいたの?」


 佳代は意外そうな顔で私の顔を覗き込む。


「そんなんじゃないから」


 彼氏じゃない。でも…。

 私は思わず左手の小指の先で唇をなぞる。

 キスをしたことはあった。

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