空色の瞳
エリーとユニが組み手を終え、昔話を始めた時と大体同じ時間、ルリ達は眠っているシエルの近くで彼女を守るように部屋で今後の事について話していた。
シエルの容態は落ち着いているとエリミアからのお墨付きを貰ったので、ルリとクオン、ルクスリアの三人で襲撃犯達を学園内の風紀や、生徒同士での問題が発生した時に出動する学園の警守課に突き出しておいた。状況も説明した時の、警守課の人間の顔がこぞって処罰に困っていた顔をしていたのは、間違いなく今回の主犯があの貴族だからだろう。
過去に何か事件を起こしているのだろう、と少なからず思った三人は改めて、あの男には注意すべきだとシエルに伝えようと、そう心の中に留めながら部屋に戻ってきた。
「あ、るぅちゃん達お帰りなさい」
扉を開けて、最初に目に飛び込んできたのはベッドに座ってこちらに向かって手を振っているシエルの姿だった。
「お、お嬢様……もう大丈夫なんですか?」
「うん、ごめんね心配させて。みーちゃんももう大丈夫って言ってるから」
ルリの心配そうな声に、シエルはごめんね、と誤りながら寄ってきたルリの頭を優しく撫でる。
「えっと……ちょっとだけ外の風を浴びてきてもいいかな……? シルフィに着いて来てもらうから」
「一人は流石にお嬢様の頼みといえど……と思いましたけど、そうですね……シルフィードが護衛にいるならまあ……いいでしょう」
シエルの頼みにルクスリアも仕方なし、と承諾するとシエルはぴょこんとベッドを降りて扉の外へと歩いていく。
出て行って、ルリは頭を撫でられたときにふと気付いたことがあった。あの時シエルの瞳が極僅かにだが開いていたような気がしたのだ。勿論自分の気のせいかもしれないと気に留めていなかったのだが、
「……お嬢様の目の色って、あんなに綺麗な空色だったっけ……?」
シエルは外に出ると、シルフィードに話しかける。
「ねえ、しるふぃ」
「何ですか、お嬢様?」
「もしも……もしもさ、私達の生まれてから死んじゃうまでの全部が決まっている、っていう世界なら、しるふぃはどう思う?」
唐突な質問に、シルフィードは少し迷って答えを考えてから口を開く。
「うーん……そう、だね……もし知ってるなら、釈然としないし変えたいかなって思うかも。でも、知らないんだったら知らないなりに精一杯過ごしたいかな。例えそれが決まっているとしても」
「しるふぃはそうなんだ……ありがとね、変な事聞いちゃって」
「あーいえ、別に構いませんよー? それにしてもどうしたの、急にそんな事聞いて」
シルフィードが不思議そうにそう聞くと、シエルはくすりと笑みを浮かべてこう答えた。
「それはね──」
──さっきの言葉が、本当の事だから、だよ
ぽん、と両手をシエルが叩くと刹那、世界が灰色に変わる。
「ごめんなさいね、貴女をダシに使ってしまって」
石のように固まったシルフィードをつぅっと撫でながら、シエルは別人のような妖艶な笑みを作り上げる。
「さて……私は、私の役目を果たしましょう。この魔法も長くは使えないもの」
「──あら、あらあら……随分と派手な魔法を使う人が来たと思ったら……シエルちゃん、一体どういうつもりなのかしら?」
セッカが、シエルの背後から若干の敵意を露にしながら、そう問いかける。
「どういうつもり……そうね、敢えていうなら……未来に必要な布石を打つために、かしら?」
「ふぅん? そうなんだ。……それはそうと、シエルちゃん」
セッカがシエルを見つめながら、口を開く。
──貴女は、誰なの?
刹那、シエルの足元から巨大な岩の棘が突き出る。だが、シエルはくすりと微笑んで、自らに襲い掛かる岩の棘に指先を当てる。
それだけの動作をしただけの筈なのに、岩の棘は粉々に砕け、砂塵と化してしまった。
「いきなり私に魔法を使うなんて酷いですよ、セッカさん」
「そうかしら? 私には貴女がシエルちゃんじゃなくて別の誰かに見えるのだけれど」
そう言って、セッカは首飾りを取ると、魔法をかけていたのか杖がセッカの身長と同じくらいの大きさにまで大きくなる。
ぎゅっとそれを握ると、シエルに──否、シエルの身体に乗り移っている何かと相対する。
「……そう見えちゃいます?」
「ええ、とっても……ねっ!」
セッカが杖を横薙ぎに振るうと、その軌跡に小さな火球が生まれる。それはゆらゆらと揺らめいて、シエルに乗り移っている何かが、少しでも怪しい動きをしたらそれは牙を剥くのだろう。
「へぇ……東方の術式何て珍しい魔法を使うのね。確か『華焔』だったかしら?」
「よく知ってるのね、私以外に帝国でこの魔法の名前を知っている人に初めて会えたわ」
「それは良かったわね。まあ、私には効かないけれどね」
パチン、とシエルが指を鳴らすと、周りの空気が急激に冷やされていく。それは錯覚でも何でもなく、数秒も経つと、吐く吐息が白くなる程に気温が下がっていた。
「貴女が東方の魔法を使うというのなら、私もそれで答えてあげるわ」
もう一度指を鳴らすと、パキパキと音を立てて氷の結晶の華が空間に咲き乱れる。
「えっと、たしかこれは『氷結術・彩氷華』だったかしたらね」
それは、セッカの魔法の対となる魔法であり、真っ向からセッカと相対する、という意思表示でもあった。それ程に力の差をセッカに見せ付けたいのか、それとも純粋な力比べがしたいのか、セッカにはその意図が分からなかったが、セッカはそれに悪意を感じなかったために不思議と応じてしまった。
「真っ向勝負ってやつ……?」
「んー……人の言葉で言えばそんな感じかな? さあ、力比べ……いえ、魔力比べをしましょう!」
そう言うと、彼女の周りを漂っていた氷華は一斉にセッカに襲い掛かる。それに真っ向からセッカも炎の華をぶつけ合う。
──瞬間、灰色の世界に赤と青の大爆発が起こった。
それは周囲にある、あらゆる物を凍てつかせながら、灰燼へと還していく。もしもこれがシエルを操っている人物の作り上げた魔法の効果外で起きてしまえば、大惨事は免れなかっただろう。
「っ……シエルちゃんの身体を乗っ取っているようだけど、中々やるじゃない……そこだけは、認めてあげるわ!」
「お褒めに預かり光栄ですね、私も久しぶりに貴女のような、魔法での真っ向勝負を挑んでもらえる人と会えて嬉しいわ……でもね、私もずっと遊んでいるわけにはいかないのよ」
シエルに取り付いている彼女はそう言うと、もう一つの魔法を瞬時に展開した。解き放った魔法は、炎と氷の爆発よりも眩しい強烈な閃光を発して一時的とはいえ、セッカの視界を奪う。
「楽しかったわ、また会いましょう。とっても強い魔法使いのセッカさん」
「ま、待ちなさいっ……」
セッカは目が見えないながらも、魔力で彼女を追おうとしたが、歩きだそうとしたセッカの足がぐい、と引っ張られ、そして鋭い痛みが走った。
完全に、魔力探知でも姿を見失ってしまった頃に、ようやくセッカの視界が戻ってくる。ぼんやりとはっきりしない目で、自分の足元を見ると、氷の蔦が足枷のように彼女の足に絡みついていた。
「っ、逃がしちゃったわね……」
セッカは足枷となっていた氷の蔦を杖で強引に叩き割って、足を自由にする。ぎゅっと唇を噛んで、何処へと消えていった彼女の事を思いながら、灰色の空を見つめる。
彼女が、一体何をしようとしているのか、あくまでもただの人間のセッカには理解が出来なかった。だが、それを引き金にいずれ何かが起きてしまう、それだけは理解できた。
「早いうちに対策を打っておかないと……その為に、私達のお姫様にも話を通しておかないとね」
「さて……ここならいいかしら?」
シエルの身体は、学園の屋根の上へと来ていた。彼女の空色の瞳はじっと何も無い灰色の空を見つめていた。
……いや、何も無い事は無い。ただ、普通の人間には見ることが出来ないだけなのだ。現に、彼女の瞳の先には膨大な情報量が流れ込んできているのだ。
「ほんと……随分と稚拙で、粗雑な防御結界……なのに、どうしてこんなにも隙が無く完璧な結界になるのかしら」
彼女の瞳に映っていたものは、まるで子供の自由帳のように好き勝手に張り巡らされた幾重もの町を覆う巨大な結界だった。普通であればそんな乱雑に張られた結界など穴だらけなのだが、不思議な事にその結界には、一分たりとも隙をつけるような場所が存在しなかったのだ。
「流石は、あのお姫様達ね。見た目こそ酷いけれど、私が過去見てきた中で最高クラスの防御結界じゃない。……まあ、私には関係ないのだけれどね」
くすりと笑みを漏らすと、虚空に魔力で魔法式をつらつらと書き上げていく。それは、あっという間に自分の姿を覆うほどの文字量になり、薄白く発光する魔力の文字がふわりと浮いて結界へと導かれていく。
ゆっくりと浮遊していく文字を眺めながら、まるで懐かしいものを見るような目で辺りを眺めていると、彼女の張っていた探知魔法の範囲内に、セッカとは違った反応が感知された。
「……今日はお客様が多いのね」
くすりと楽しそうに微笑むと、向かってくる人物の方角を向いて、じっと接敵するのを待った。
「……貴女ですか? この馬鹿げた魔法を使っているのは」
その相手とは、数日前にシエルがプラトーの町に外出し、森の奥の泉に行った時に出会ったメイド服の少女──リーネだった。
「ええ、そうよ? それにしても貴女は変わっているのね、魔法使いでもないのにこの空間で動けるなんて」
「特殊な訓練を受けていたもので。……それはそうと、先日出会った時とは随分と雰囲気が違いますね、まるで別人のようです」
「あら、そう見える?」
わざとらしく驚いたような表情をするが、リーネは顔色一つ変えずにナイフを抜き、臨戦態勢に入る。
「ええ。それに、貴女からは危険な気配が痛いほど伝わってきます。なのでここで──」
「始末、するの?」
瞬間、リーネは自分のその発言を痛いほど悔いた。周囲の空間の時間を止める様な大魔法は、高位の魔法使いでもかなりの集中力を要する為、下手に動く事すら出来ず、戦闘など以ての外なのだが、目の前にいる少女は全くの別物だった。
この空間を維持しながらもまるで当然の事かのように、自分との戦闘を受け入れる気だ。
「いいよ? まだ時間もあるから、制限時間いっぱい遊んであげるわ」
リーネは、目の前の少女に若干の恐れを抱きつつも今ここで手を打たなければまずい事になるという直感の元、シエルに向かって疾走した。
「……化け物め」
予備動作無しの全速力から流れるように両の手から放たれた六本のナイフが、銀閃となってシエルに襲い掛かる。
だが、そのナイフは彼女の身体に届き切る前に、まるで砂埃のように風化して消えてしまった。
「『刃砕き』どうかしら、私の魔法は?」
「……防御に秀でてはいますが、対したことはなさそうですね……!」
リーネのそれは、勿論強がりだ。彼女の主兵装はナイフ、それがほぼ完全に封じられたとも言ってもいいこの状況下での戦闘の継続は相当厳しい。
「本当に防御だけだと思っているのかしら……?」
「どうでしょうね!」
リーネは再びナイフをシエルに向かって投げつける。それが意味の為さない行為だと分かっているのに、それを繰り返すという事は何か策があるのだろう。
「今度は何をしてくれるのかしら?」
余裕の笑みを崩さないシエルに一直線に向かうナイフは、再び身体に触れる直前に風化して消えてしまう。だが、それでもお構い無しにとナイフを数十と投げ続ける。
何か策があると思っていたシエルは、それが策のない無謀な特攻のように思え、一つ溜息を付くと。
「つまらないね、貴女」
そう言って、リーネに攻撃を加えようとした。
「──本当に、そうですか?」
刹那、ナイフを数メートル先から投げていた彼女がシエルの目の前まで迫り、その足で回し蹴りをお見舞いする寸前まで来ていた。
「っ!?」
流石のシエルに憑り付いた霊もこれは予想外だったのか、咄嗟に衝撃波を放つ無詠唱魔法を使いリーネを突き放す。
「惜しい、ですね……あと数センチと言ったところでしたが、僅かに届かなかったですね」
「そうね、本当に惜しかったわね。あの無謀な攻撃も計算のうちかしら?」
つぅ、と冷や汗を一筋垂らすシエルがそう聞くと、リーネは涼しい声で答えた。
「勿論です。私の個人的な経験則ですが、格上に一番致命打を与えやすいのは格下の行動に呆れ、己の勝利を完全に確信した時、でしょうか」
「……ご高説どうもありがとう、頭の片隅にでも入れておいて上げるわ」
一度だけの奇襲の機会を生かせなかったリーネは表情にこそ出していなかったものの、非常に焦っていた。
自らでも語っていた通り、このまま戦い続ければ間違いなく自分は負けるだろう。現在の自分に出来る道はどうにか逃げ遂せて、次に目の前の敵と出会う時に完膚なきまでに倒す為に力をつけることだ。
「ふふ、運がいいのね。時間よ、メイド服の子猫さん」
ぱちん、とシエルが指を鳴らすと世界に徐々に色が戻っていく。
「貴女とはまた会えそうね、私じゃなくてこの娘が……ね」
とん、と自分の指先を胸に当てると、ふわりと校舎の屋根上から飛び降りた。
「──はっ!?」
シルフィードが、色が戻った世界で意識を取り戻す。彼女にとっては、いや、時の狭間を動いていた全ての人間以外は、一瞬不意に意識がブラックアウトしたような、そんな感覚しか無かった。
「お嬢様はどこに……? って、ちょっと洒落にならないですよ……っ!?」
シルフィードがシエルを探している時に、目に入ったのが……屋根の上から自由落下するシエルの姿だった。
シルフィードは己の身体を疾風と変え、シエルの落下点に滑り込むと同時に実体化、重力での加速も加わりかなりの重圧がシルフィードの華奢な身体にのしかかってきたが、そこは霊姫の意地と経験で地面に落ちる前に逆風を吹かせて、落下速度を和らげる。
何とかシエルの窮地を救ったシルフィードは、ぺちぺちとシエルの頬を叩いて返事の無い彼女を起こそうとした。
「起きて下さい、お嬢様っ!!」
「ぅ……? しるふぃ……どうしたの……?」
「どうしたのじゃないですよ! いきなり屋根の上から飛び降りるなんて、馬鹿なんですか!?」
シルフィードの切羽詰った表情と言葉にシエルは何故かきょとんとしていた。それはまるで、自分のやっていた事が理解できていないようにも見えた。
それを見て、何かがおかしいと思ったシルフィードはシエルに問いただす。
「……お嬢様、お嬢様がはっきりと覚えていると自信を持って断言できる一番最後の記憶って、どこですか?」
「んー……そうだね……私があの貴族の人に捕まるところ……かな、それが一番新しいところ、かな」
(という事は、お嬢様はあの時別の誰かが操っていた……?)
シルフィードはシエルのその言葉を聞いて彼女の表情に納得した。
だが、問題はそこではない。自分達霊姫にシエルの身体を乗っている事を悟られずに、彼女の身体を所有権を奪い取った、となると魔法の達人なんて次元ではなく、それこそこの世界に存在する六大元素を統べる霊姫と同等か、それ以上の魔法を使用しなければ不可能だ。
そんな相手が、シエルの身体を使っていたとなると一大事なうえ、彼女の身を守ることをさらに徹底化していかなければいけないのと、その犯人を捜すというかなりの大事になってしまう。
「……そっか、わかりました。なら今日は一度部屋に戻りましょう。……とても大事な話があります。私達霊姫とお嬢様だけではないです、エリーさん達も呼ばなければならないので出来るだけ急いで戻り、全員が集まるのを待ちましょう」
シルフィードの数えられるほどの真面目な声に、シエルも何も言わずにこくんと頷いた。
「……彼女を危険視すべきなのか、それとも……器の方を……いえ、ここで私が考える事ではないですね。一度拠点に戻りご主人様に報告いたしましょう。かの星霊よりも危険な存在が現れた、と」
リーネは空中を軽やかに蹴り上げると、学園から北方面──そのまま進むと、王城がある方向へと空を走っていった。
そして、シルフィードに抱かれながら部屋に戻るシエルとシルフィードの二人。いつの間にか彼女の瞳は、澄んだ空色ではなく、濁った金色に戻っていた。




