ひと夏の思い出作り 前編
今回からかなり書き方、というか文章の行間が空いてます。今後もこうなると思いますので、よろしくお願いします。
紅よりも赤く染まった空の下、私とシエルは向かい合って立っていた。泣きそうなほど悲痛に歪んだ表情で、シエルは私に問いかけてくる。
「大切な物を守るために、全部を捨てないといけないなんて……おかしな話だよね? だって、私の大切なものって沢山ある筈なのに……」
「何を言ってるの……?」
全くと言っていいほど状況が理解できない私に、シエルは私を、否、私の後ろを指差した。
そこにあったのは──私たちのよく知っている者達の事切れた姿の山だった。その変わり果てた姿に私は、情けなく声を漏らして後ずさりして、バランスを崩して尻餅をついてしまった。激しくなる動悸を無理やり押さえ込み、見たくも無いそれを睨み付ける様に見ると、ルリやクオン、果てにはシルフィード達霊姫の姿であった。
「みんな、私のせいで……」
シエルは震える声で、涙を零している。私はどう言葉をかけようかと迷いながら、まだ少し震えている足でシエルに歩み寄る。だが、彼女はそれを否定するように一歩後退して、ゆっくりと瞳を開く。
「し、い……? その瞳……」
シエルの瞳は金の瞳ではなく、澄み渡った空と同じ色をしていた。何もかもが分からないまま、困惑と同様で立ち尽くしていると、ゆっくりとシエルがこちらに歩み寄り、とん、と身体を寄せて耳元で小さく呟いた。
「……ごめんね」
鈍い痛みと、涙を必死で堪えているシエルの顔と、私の胸に突き立つ銀のナイフ。何も言えないまま、私の視界は赤と黒に染まっていく。掠れた声で、必死に言葉を紡ごうとするが、思うように言葉にならないまま、私の身体の制限時間は無くなっていった。
私の本能が最後の意地で、自らの体の限界を超え、ぼやけている視界で私が捉えたのはシエルともう一人の何者かの姿だった。そこで、私の視界は完全に黒に染まり、意識も同じように闇の中へと消え去った。
◇◆◇◆◇◆◇
「……っ!?」
エリーは瞳を開けると同時に跳ね起きて、周囲を見回す。そこは、いつも通りの平和な朝を迎えた自分達の部屋だった。安堵の一息をつき、横で安らかな寝息を立てているシエルを見つけ、僅かな苦笑と共に起こさないようにそっとベッドを抜け出る。
あの夢のせいか、エリーの寝衣には嫌な汗がべっとりと全身に張り付いていて長くは着ていたくなはいような状態になっていた。
「はぁ……」
大きなため息を一つついて、洗面所の備え付けの籠の中に寝衣と下着を投げ込んで浴室に向かう。
浴室の蛇口を捻り、少し待つと魔法で人肌よりも少し暖かい位の温度になったお湯がシャワーとなってエリーの体の汗を洗い流す。きらきらと光る雫が、体に張り付いた銀の髪を伝い、滑らかな肌を経由して床へと流れていく。普段ならばぴったりと背中に貼り付けていて他人には分からないようにしている極薄の羽もシャワーの水滴に当たって、僅かだがその輪郭が見えるようになっていた。
(そういえば、昔しぃのお婆様が言ってたっけ……)
シャワーを浴びながら、エリーはかつてシエルの祖母が言っていた事をふと思い出した。
『妖精の夢は未来を暗示しているの。もし、不思議な夢を見たのなら、それは貴女の未来なのかもしれないのよ、エリー』
あれが、もし本当に未来の予知夢だとしたらぞっとしないし、どうにかしてあの夢の景色を変えなくてはいけない。
「でも……どうやって変えるの? 第一、あの夢には気になることが多すぎる……」
見たことの無いシエルの瞳の色、最後にぼんやりとしか見えなかったが謎の人影、そしてシエルとエリーを除いた見知った人物達の死体──
どこから、あの夢に繋がる糸口を探せばいいのかも分からないうえ、あの未来がいつやってくるかも分からない。不安要素だらけの厄介な時限爆弾をエリーは不運にも掴まされてしまったわけだ。
「とりあえず、しぃが起きたら夢の事を……いや、やめておいた方がいいわね。あの子に、変な心配をかけたくないし……」
蛇口を捻り、シャワーを止めて、備え付けのタオルで濡れた髪と身体をふき取る。その辺りで、重要な事にエリーは気づいてしまった。
(……着替え、持ってきてなかった……)
どうしたものかと考えていては身体が冷えてしまう。仕方なくタオルを身体に巻いて、部屋に戻り服を探そうと扉を開く。
「なんじゃ? 妾の主は湯浴みの後の服を忘れるほど間抜けだったのか?」
いつの間に起きていたのか、にやにやと笑ってタオル一枚のエリーを見つめるクオンが目の前にいた。ばつの悪そうな表情をして、シエルは言い返す。
「うっさいわね……たまにはそういう日だってあるのよ……それはそうと、凄い今更なんだけどあんた一応吸血鬼……なのよね? 陽の光って弱点じゃなかったっけ?」
ふと思い出した純粋な疑問をクオンにぶつけてみる。クオンは話していなかったかの? と、首を傾げた後に左手をエリーの前に差し出す。そこには前に話していた、世界を渡れるという黒曜石に精緻な薔薇の紋様が掘り込まれた指輪がはめられていた。
「これを付けていると吸血鬼の弱点から身を守ることも出来るらしいのじゃ」
ふふん、と胸を張って話しているクオンの言葉を聴きながらエリーは服を着て、呆れ顔で口を開く。
「……それって、私に言っていい代物なの? 人が人なら、その話を聞いたらあんたからその指輪を奪い取って売り捌きそうだけど」
クオンは、小さく吹き出して笑い声を上げる。馬鹿にされたような、そんな気がしたエリーがむっとした表情で睨むと、クオンはそれを否定するようにまだ笑いの色が残ったままそれに答える。
「少なくとも、主はそんな事はしないじゃろう? 妾の話を聞いた後にそんな事を言うのじゃから。それに、その辺の小悪党に負けるほど妾の腕は弱くない。それくらい分かっておるじゃろう?」
悪戯っぽく笑うクオンのそれは契約して短いながらも、エリーを信用して、自らを信用しろ、という意味の笑みなのだろう。エリーも苦笑してクオンに言い返す。
「分かってるわよ。でも、いつあんたが寝首を掻かれるか分からないからね。……まあ、その時は私が何とかしてあげるけど」
「くくっ、妾の主はあれか、つんでれとかいうやつか」
「はぁ!? 何言ってるの!?」
クオンにツンデレ扱いされ、素っ頓狂な声を上げるエリー、それで目が覚めたのかシエルが眠そうな声と共にベッドから上半身を上げる。
「あぇ……? えーちゃん、どこ……?」
まだ寝ぼけているのか、エリーが寝ていた横のベッドをぽふぽふと叩いてエリーの場所を探している。それを見てエリーは仕方ない、といった表情を浮かべてシエルの目の前に歩み寄る。
「ここよ、しぃ。起こしちゃったかしら?」
「んーん……大丈夫だよー、気にしないでねー……?」
まだ完全に目覚めてはいないのか、小さく身体が上下左右に揺れていて、今にも夢の世界に誘われそうだった。そんなシエルを見てエリーはあの夢の事が気になり、あまりこの事には触れたくないのだが、今回ばかりはと思い、念のためにエリーは。
「しぃ、嫌なら構わないのだけれど……しぃの目、見せてくれない?」
「ふぇ……? 別にいいよ?」
そう言って、シエルはごく普通に、何の躊躇いも無く自らの閉じた瞳を開く。
エリーを映すその瞳の色は──彼女のよく見知った光の失われた濁った金の瞳だった。
それを良かったと喜ぶべきではないが、少なくとも今はいつものシエルで間違いないと確信した。夢の中で見たシエルは明らかに普段とは様子がおかしかったからだ。
「どうかしたの? えーちゃん、何て言うか……ちょっと不安がっているような気がする」
シエルの見透かしたような一言に、エリーは焦りなどの感情を出来るだ気づかれないように押し殺しながら、答える。
「ん……ちょっと、変な夢を見ちゃってね。しぃも夢に出てたから、少し怖くて」
当たり障りのなさそうな返事をして、何とかシエルの追求を逃れようとする。別に嘘は言っていない。シエルは、ふーん……と少し思案した後、ぽんぽんと自分の横のベッドを叩く。何かと思って横にすとんと腰を下ろすと、エリーがむぎゅっといきなり抱きついてきた。
「これなら、ちょっとは不安なの、治まる? 私は、ずっとえーちゃんの傍にいるから……安心して?」
「ふふ……しぃ。もう大丈夫だから、凄く落ち着いた……ありがとう」
そう言うが、シエルは抱きしめたエリーを離そうとしない。ぎゅっと胸元で抱きしめられているエリーには、とくんとくん、と脈打つシエルの心臓の鼓動が聞こえて、自分の心臓の鼓動がだんだんと早くなってくるのを感じた。
寝起きのシエルの体温はいつもよりも高く感じられて、彼女の髪からはふんわりと甘い香りが漂ってくる。冷静になったからこそ、エリーはそれにむしろ動揺して、顔を赤らめる。
「あ、えと……しぃ?」
「どうしたの……?」
「そ、そろそろ……離してくれない、かな……?」
決して大きくは無いが、女性としてのやわらかさを主張してくる胸に、エリー自身が理性の限界を少しずつ感じ始めたので何とかして離れようとするのだが──
「いや……だった?」
寂しそうな表情で、シエルが見つめてくる。エリーがうっ……と気まずそうに声に詰まらせてどうしようかと必死で思考を巡らせる。
「い、嫌じゃないけど……ほら、ルリ達もいるから、ね……?」
エリーがシエルの注意を二人に向けさせると、そっとシエルから身体を離す。恥ずかしさで紅潮した顔をシエルに見られない事だけが唯一の救いだったが、クオンはにやにやと笑いながらこちらを見つめ、いつの間にか起きていたルリは、困り気味な表情でぽりぽりと頬を掻いていた。
「安心しろ主様、妾達は主様達の事など丸わかりじゃ。そうじゃろう?」
クオンが不意にルリに話題を振ると、何故今自分に振るの!? と言わんばかりの驚いた表情でどう答えたものかと狼狽している。
「性格悪いって言われなかったのかしら……」
エリーのその呟きを耳ざとく聞いていたのか、どうじゃろうなぁ? と、ニヤリと笑いながら答えた。
呆れ気味にため息を一つつくと、それをクオンは回答と取ったのか、くくっと笑ってこれ以上の追求を止めた。
何とも言えない雰囲気の中、各々が自由に部屋の中でくつろいでいると、扉がノックされる音が聞こえた。
「はいはーい、どちらさまですかー?」
シエルが扉の向こうの誰かに問いかける。
「あ、私よー。ちょっとお話があるんだけど、いいかしら?」
扉の向こう側から聞こえてきた声はセッカのものだった。シエルは声を聞いてから、部屋の扉を開く。
「ごめんね、いきなり押しかけちゃって」
「セッカさんが突然来るなんて珍しい、ですね……?」
「あはは……ちょっと、込み入った用事が出来ちゃってね……それで何だけど──」
セッカが申し訳なさそうにそう言ったあと、両手を合わせて頭を下げて二人に──いや、正確には四人に頼み込む。
「ルリちゃんとクオンちゃんを今日と明日の二日間だけ、私に預けて貰えないでしょうか……?」
その言葉の意味が分からず、一瞬四人の思考が完全に停止する。ダメかな……? と、ちらっと上目遣いでシエル達を見る。
当の本人たちは、意味を一足遅れて理解したようで、どうしたものかと困惑しながらどう答えればいいかと迷っていた。
「べ、別に怪しい事とかに付き合わせるわけじゃないよ!? ちょっと私の研究にどうしても二人が必要で……」
「研究……?」
エリーがジトッとした視線をセッカに向ける。セッカは気まずそうな表情をしながら答える。
「う、うん……クオンちゃんの魔法は私たちの知っている魔法形態のどこにも当てはまらないし、ルリちゃんは獣人種の上位種である獣神種、二人の話を色々と聞きたくて……あ、もちろん相応のお礼はするつもりだよ?」
セッカの必死の懇願にルリが、間違いなく『相応のお礼』という部分に期待して聞く。
「ほんとに今日と明日だけ、なんですよね?」
「もちろん、あと三日でこの長期休暇も終わっちゃうからね。それに、貴女達の関係は重々承知しているけど、それでも世間的な見た目は、あくまでも奴隷と主人、そして契約者と使い魔だからね。あまり私の研究のためだけに傍においては置けないから」
「礼、というのは勿論期待しても良いのじゃろうな?」
「あ、それは期待してていいよ? 学園長権限で大抵のものなら何とかなるからねっ!」
明らかに職権乱用な気もしなくはないが、そうまでしてでも、二人の事が必要なのだろう。
「はぁ……わかりました。では、二日間だけセッカさんの下へ行く許可をいただけますか? お嬢様」
「ん、分かったよ。いい子にしてる事、わかった?」
「ふふ、わかってますよ」
「……妾はどうするのじゃ? 主様よ」
クオンの言葉に、エリーはまるで他人事のように答える。
「あんたが良いなら、私は別に止めないわ」
ただ、と付け加えるように一言。
「一応、あんたは私の使い魔、もといパートナー何だから……何かあったら私に言う事。良いわね?」
「くふふ……勿論じゃ、約束しよう」
エリーのこの言葉に、クオンは少し嬉しそうに微笑むと、セッカに感謝しろと言わんばかりのドヤ顔を決めて言う。
「仕方ないから、妾もそこの犬っ娘と一緒に借りられてやるのじゃ」
「あ、ありがとう……四人とも、ほんとありがとう……! この埋め合わせは必ずするからね!」
そう言うと、セッカは二人を連れて早速部屋の外に出て行った。すぐにでも、研究に入りたいのだろう。数ヶ月ぶりに二人っきりになり、一気に静かになった部屋で、少し照れ気味にシエルはボソッと呟く。
「えっと……二人っきり、だね……」
「そ、そうね……って、シルフィード達がいるから本当の意味で二人っきりではないような気がするんだけど……」
「んとね……しるふぃ達は今日は星霊達との重要な話があるとかで席を外してるの。もしも危ない事があれば、呼んでくれたらすぐに飛んでくるとは言ってたけどね?」
シエルがそういうという事は本当に二人きりなのだろう。エリーは内心でガッツポーズを取りながら、出来るだけ冷静にシエルに話しかける。
「そ、それなら……二人で久しぶりに出かけない? もうすぐお休みも終わるからさ、思い出、一つくらいは作っておきたい、し……」
尻すぼみになって、顔を真っ赤にしながらエリーは己の勇気を振り絞ってシエルにそう伝える。シエルは、それを聞いて少し驚いたような表情をした後に、くすっと微笑んで。
「──うん、二人っきりの思い出、作ろっか。どこに行く? 私はどこだってえーちゃんとなら行くよ?」
「……っ、そ、それならね、行きたい所、決めてるから準備して、出来るだけ早めに出発しよ? そこには夜に行った方がきっと良いと思うからっ」
こうして、シエルとエリーは偶然にも出来た二人きりの時間を使って、ひと夏の最後の思い出を作るために扉を開き、外へと向かった。




