02-20 紫氷の英雄
ルナフォード邸。
その奥の部屋で、レイトは眠っていた。
ノースウィンドの家宅捜索からは二月が経過し、その間、レイトは一度も目を覚ましていない。
しかし、グレイシア以外の精霊は呼び掛けに応えるため、レイトの生存だけは一応、確認されている。
というのも、レイトの周囲は温度が極限まで下がり、現在容易に人が触れられるような状態ではないのだ。
トウキは今月に入って何度めかの見舞いに訪れた。
出迎えるのは基本的にディアナで、あまり歓迎されてはいないようだ。
「何度も申し訳ない」
「いえ……」
言葉数も少なく、沈み気味のディアナの案内で通いなれた扉の前にたつ。
ドアノブは手を刺すように冷たく、扉を開くのを拒んでいるように感じる。
しかし、ここから先はトウキしか進むことができない。
扉を強く押して開くと、ばきばき、と氷が砕ける音がする。
肩に氷の欠片が降るが、気にせずに、滑りやすい足元に気を付けながら、ベッドに眠るレイトのもとへ。
眠っているようにしか見えないが、起きる兆しもない。
食事など、一切摂取していないが、その辺りは有り余る魔力で補われているらしい。
『また来たの?』
声が響く。
トウキの眼にはもはや精霊の姿は映らない。
「なにか変化はあっただろうか?」
『前に来たときよりも魔力の量は少しずつ小さくなってきているけど、まだいつ目を覚ますかわからないわ』
「そうか、すまない」
レイトの姿を見る。
レイト自信の体は、ノースウィンドの血と、火と氷の精霊加護によって全く変化がない。
しかし、その加護の影響圏をでるとしっかり凍りついている。
「いっそう、ここにある魔力を一気に使って魔法を発動させることはできないのか?少しの間でもディアナにレイトの顔をみせてやりたいのだが」
『できないことはないけど、こんな大量の魔力使ったら、屋敷が消え失せるわよ?』
「なにも攻撃魔法に限らずとも……」
『うーん…………天候操作とかしてみるか。危ないから外に出ていなさい』
「ちょっとまて、何をするって!?」
見えない力によって扉が開かれ、トウキが追い出される。
「どうかされましたか?」
「すまない、余計なことをしてしまったかもしれない」
「それは……!?」
突如、扉の向こうから鐘の音の用な音が響き始める。
「ルナ様はなにを?」
「わからん……」
音は次第に大きくなり、それにともなって部屋を中心とした魔法陣が展開された。
「いったい何をどうしようと言うのだ?」
「こんな複雑な魔方初めてみました……」
そんなことを言っている間にも魔力は練り上げられ、それに伴って魔方陣も巨大化していく。
「ディアナ!」
「お母様!?」
自分の屋敷の異変に学園から駆け付けたシンシアが急いで現状の確認をする。
「何?この複雑な魔法陣は?」
「ルナ様が展開させたようで……」
「申し訳ありません。私が余計なことを言ったばかりに……。ですが、破壊が起きるようなものではないかと思われます」
「とりあえず、あとで話を聞くわ。何が起きるかわからないし少し離れましょう」
シンシアに導かれて屋敷を出る。
魔法は何重にも展開され、紫色の輝きを放っている。
使用人たちも避難させ、空を見上げていると、背後から馬を駆る音が聞こえる。
「母上!ディアナも、無事でしたか!?」
「イサク、ちょうどよかった。ここで見ていなさい。やっと理解したわ、この魔法の意味を」
「?、それはどういう……っ!?」
重なり合っていた魔法陣が一つに統合され、瞬く間に街を覆う巨大な魔法陣となる。
「これが、聖霊の力……」
「お母様!青の魔法陣が!?」
「――イサク、すぐに城に戻りなさい。あの人に伝えて、レイトが目を醒ましたから、今夜はお祝いしましょうか、って」
「!?」
青の魔法陣は紫の魔法陣と共に空へ上がり、夏の青空に弾けた。
「!?」
「何も、起こらない……?」
「よく見なさい」
ピシッ、と空にヒビが入る。
そして、
「――空が、割れる……」
「兄様は大丈夫でしょうか……」
亀裂は一気に広がり、光を散らして空が砕けた。
光の欠片が雪のように降り注ぐ中、空には闇と輝く月が。
太陽の居所を隠し、凛と冷たい光を降り注ぐ。
「なんだ、これは……」
「行きましょうか、レイトの元に」
「お、お母様、ちょっと、まって!」
微笑みを浮かべながら、先を行くシンシアに皆が続く。
「イサク、戻りなさいと言ったでしょう」
「この眼で見て、きちんと事実を宰相に伝えさせていただきます」
「仕方ないわね……」
シンシアがまだ、酷く冷たいドアノブを握り、回す。
凍気はかなり収まっており、かなり寒い程度で、人間が活動できるレベルである。
「あら、シンシア。遅かったわね」
「ルナ様。あの規模の催しをする際は事前にお話しいただけると嬉しいです」
「次はないと思うけど、そうするわ。それよりも、」
ルナがベッドに腰掛けながらレイトの頭を撫でる。
「そろそろ目を醒ましそうよ。ノースウィンド、あなたの助言の御蔭かも知れないわ。一族郎党皆殺しにするのはやめてあげる」
「……ありがとうございます」
「兄様……」
ディアナが感極まって、既に涙を流している。
「ディアナ、ルミアを呼んでくれる?」
「はい。来て、ルミア」
ディアナの隣に金髪の女性が立つ。
「お久しぶりです、ルナ様」
ルナが空を指す。
「コレの事、エレンは怒ってる?」
「怒ってはいませんが、ルナ様がここまでするのに興味を持ってふらっと遊びに来るかもしれません」
「そう……まあ、しかたないか」
ルナが珍しくため息をつき、レイトの隣にそのまま寝転がる。
「レイト、そろそろ起きなさい。グレイシアも、それ以上レイトを占有するというならこちらにも考えがあるわよ」
ルナがそう声をかけた途端、枕元に氷の聖霊が出現した。
「今しがた目を醒ましたばかりなのですが?」
以前見た時よりも、強い力を放ち、周囲には氷の破片が舞いキラキラと輝いている。
「あなた……ずいぶん力あがったわね」
「ええ。お蔭様で。レイト、レイト。さあ起きましょう」
グレイシアがレイトの頬を手で優しくたたく。
「……起きませんね」
「グレイシア、一時的に加護解きなさい」
「……別に構いませんが」
レイトの加護が解けると同時に、レイトの身体を凍てつくような空気が襲った。
「!?!!?!」
「あ、起きた」
「寒い!?ななな、何があった!?」
「おはようレイト、二ヶ月ぶりね」
「ああ、おはよう……皆さんもお久しぶりですね?」
レイトが入り口付近で呆然と立ち尽くしている一同に挨拶をする。
「に、に、に、にいさまぁああ―――――!」
もう、既に泣いていたディアナが、涙をこぼしながらレイトに抱き着く。
「ごめん、ディアナ。心配かけたね。母さんも、兄さんもすみませんでした」
「無事に目を醒ましたのだからそれでいいのよ」
「そうだね。じゃあ、私は城に戻ります。レイト、また、夜には父上を連れて戻る」
「あ、はい。頑張ってきてください」
じゃあ、と手を振ってイサクが部屋を出ていく。
ディアナはレイトに縋ったまま泣き続けている。
「少し落ち着いたら、話を聞かせてもらいましょう。トウキ・ノースウィンドも同席するように」
「わかりました」
「了解しました」
少し目じりに涙を浮かべたシンシアが、部屋を出、トウキもそれに続いた。
レイトはディアナの髪を撫でながら、ルナに問う。
「結局、この二ヶ月の間、僕の体の状態はどうなってたんですか?」
「負の魔力で溢れてたわ。地脈からのエネルギーをグレイシア経由で全部体に叩き込めばそうなるわよ。負の魔力が強すぎるせいで、自然界との境目がほとんどない状態だったから、物理的にはこうなる前と何も変わってないと思う」
「なるほど……ところで、どうやってその状態を解いたんですか?」
「その魔力を一気に使ってみたんだけど、ノースウィンドの提案で。このまま自然に減るのに任せていれば1000年単位で目を醒まさなかったかもしれないし、上手くいってよかったわ」
「なかなか無茶をしますね……ともかくありがとう、ルナ。ところで、僕の身体とグレイシアの事ですけどですけど」
自分の身体をまじまじと見るが、見た目に大きな変化はない。
だが、若干の違和感がある。
変わっているとすれば、中か。
「まあ、あれだけ大きな力を叩き込まれれば私たちにもいくらか影響はあったし、グレイシアなんてもろに食らったわけだから、一気に魔力が上がったみたいね。レイトの中の負の値も結構大きくなってるわ」
「マジですか……」
「マジよ。私たちの方はグレイシア・私・フレアの順ぐらいで上がってるわね。ずいぶん生きてきたけど今更こんなに力が上がるとはね」
「とりあえず、詳しいことはあとで調べてみるしかないね。ディアナ、手を貸してくれる?」
「ぐす……はい、もちろんです!」
ディアナに手を引かれ、ベッドから起き上がると英雄は久々に立ち上がった。