幕間1
『その日』のことで明確に憶えていることは、夜空を舐めるように立ち上る炎と、抱きしめた大切な人の命だけだった。
『その日』。ある過去の一時点にしか過ぎないその日。私は全てを失った。
家も故郷も。
家族も友も。
何もかも、大切なものはすべて私の両手から零れ落ちて灰となって消えた。燃え盛る炎が何もかもを壊し、奪い去る。轟々と空気を食らう炎の音に紛れて、断末魔が聞こえるような気さえしてしまう。おそらくその声は幻覚だ。そんなことはわかっている。なぜなら、炎に呑まれてしまった友たちは、もうすでに絶命しているのだから。
それでも、そんな声が聞こえると感じてしまうのは、自分自身が弱っているからだろう。体だけではなく心までもが、既に限界だったのだから。
でも、それでも。私は歩き続けた。足を止める訳にはいかなかったから。
燃え盛る炎は身を焦がすように熱く、周囲には血臭と死臭が満ちている。鼻を衝くような刺激臭はタンパク質が燃える異臭だろう。視界の先には延々と焔の紅が連なり、燃え尽きて散る灰塵が行く手を遮る。遠くからは獰猛な獣の遠吠えが聞こえていた。
自分の体はもはや瀕死。怪我によって喪失した血液が、意識を奪わんと鎌を振りかぶっていた。なんとかこの地獄のような場所から這い出ることができたとしても、その先の展望など見えていない。幼い自分には生きていく術もなく、先立つものも、何も持っていないからだ。そんな状況で十に達したばかりの幼子がどのように生きてゆけばいいのかなんて、当時はまったく理解していなかった。
それでも、この先にどんな苦労や地獄が待っていようとも、足を止める訳にはいかなかった。
ただ死にたくない。そんな思いも、確かにあった。だが、一番の理由は自分の腕の中に抱いた自分よりも幼い命だった。
腕の中の命。小さく幼いそれは、意識を失いぐったりとしていたが、それでも体の奥で確かな鼓動を伝えている。
愛しく大切な小さい命。絶望と喪失を理不尽にも押し付けられた『その日』の中で、唯一自分に残された『守りたいもの』。
そのたった一つのものを何があっても守り抜くと、私は炎の中で誓った。