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sampling case.3

 あ、ネコだ。と思った。

 ものすごく丸々とした砂色のネコが、十字路をのそのそと横切っている。ぶっちゃけデブいそのネコをなんとなく眺めていると、ガラガラと車輪の音が聞こえてきた。

 とりあえず脇に避けながら音の方を見ると、御者が手綱を握ったまま居眠りをしていた。

 馬車ってけっこう揺れるんだけど、あのヒトよく眠れるな、とつい感心してしまったところで、さっきのデブネコがまだのそのそと道を渡っているのに気が付いた。

 おデブだからのろいんですね、分かります。

 じゃなくてっ。

 このままじゃ轢かれる。

 そう思ったボクは咄嗟に杖を出して馬車に向けると、拘束魔法を発動させた。

 即座に馬車の下から無数の蔦が一斉に飛び出し、瞬く間に車体を固定する。

 その結果、強引に足を止められた馬が驚いて嘶き、居眠りしてたヒトは御者台から落っこちた。

 ボクはすばやく拘束魔法を解除して、さっと物陰に隠れた。

 あのまま進めばネコを轢いてたとはいえ、御者のヒトが居眠りしてたのが悪いとはいえ、ボクが魔法で馬車を足止めして、御者のヒトが馬車から落っこちたのは事実だ。

 もしあの御者が性質の悪いヒトだった場合、どんな言いがかりを受けるか分からない。

 幸か不幸か、今この十字路には、ボクと馬車しか居なかった。つまり、誰も御者の居眠りを証言してくれない代わりに、ボクが拘束魔法で馬車を止めたコトの目撃者も居ないってコトだ。

 こんなことでギルドから警告なんて受けたくないボクは、馬を宥める御者のヒトの声を背後に、すたこらとその場から逃げ出した。


 ふたつほど角を曲がったボクは、気付けば真っ白い場所に立っていた。

 禁区みたいに何も無いけど、ココは禁区よりも異常な場所だ。禁区は無秩序に魔素嵐が巻き起こるから危ないだけで、空と大地の区別はできたし、ちゃんと終わりも存在していた。

 何よりココは、魔素の欠片も感じられない。世界のどこにでも存在するハズの、魔素が。

 そんな場所で魔法師のボクに出来るコトなんて、高が知れている。

 最悪の果てと呼ばれる禁区よりも性質の悪い場所に、身ひとつで放り込まれる日がくるなんて。

 どうしようかと途方に暮れていると、唐突に、本当に何の脈絡もなく唐突に、ひとつの魔力反応が発生した。

 ボクの、目の前に。

 一瞬前まで、魔素すらなかった場所に。

 そして、頭の中に響くような、空間全部にこだましているような、そんなよく分からない声がした。

 コンニチワ と。

 それは、目の前にある魔力反応の塊がボクに話し掛けているんだと、なぜかボクはそう思った。

 ボクの目は誰も何も映していなかったけど、魔力反応があって話し掛けられた以上、そこにはナニカが居るんだろう。

 そんな存在は聞いたコトも無かったけど、この時のボクは、目の前の魔力の塊をそう云うモノだとすんなり受け入れた。

 更には、ボクに何かご用ですかと、訊ねてさえいた。

 するとその魔力の塊は アリガトウ と伝えてきた。

 タスケテクレテ アリガトウ と。

 はて、こんな魔力の塊に遭遇したのはこれが初めてのハズだけど。そう思ったのが顔に出ていたのか、魔力の塊はあのデブネコが自分だと言い、ボクはそれにすんなりと納得した。

 後で思ったコトだけど、この奇妙な白い空間は、同じく奇妙な魔力の塊のナワバリみたいなモノだったんだろう。魔素が無いと気付いた時の恐怖も忘れ、魔力だけのナニカと対話できるようなクソ度胸はボクには無い。なのに実際それをしていたと云うコトは、外部からなんらかの精神干渉を受けていたと考えるべきだ。

 しかも干渉されているコトを、ボク自身に気付かせないように。

 そんなコトは人間と魔王くらいの実力差がなければ不可能なので、ボクとしてはもう悪神にでも行き会ったと思って諦めるしかない。できるコトなんて、精神破壊や精神汚染ではなかったコトを喜ぶくらいだ。

 話を戻すと。

 魔力の塊から オレイシタイ ナニカナイ と唐突に言われて、別に無いですとボクは返した。正確には「無い」と云うより「分からない」だったんだけど。

 たとえばさっきボクが助けたのが、ネコじゃなくてヒト、それも王太子だったとする。その場合の「お礼」は貰わないといけない。名目上は王太子サマの命を救った「報酬」だけど、実際には街中で王族がふらふらしてたコトの「口止め料」だから。貰わないとボクの自由とか命とかが無意味にピンチになる可能性があると云う、イヤ過ぎる「お礼」なのだ。ちなみに、うっかり王太子サマを轢きかけた居眠り御者がどうなるのかとか、考えるのも恐ろしい。

 要するにボクが知りたいのは、どんな種類の「お礼」なのかってコトだ。

 ボクは知り合いから分かり難いと定評のある説明を駆使して、それはもう頑張って説明した。魔力の塊はじっと一箇所に居たから、多分話を聞いてくれていたんだと思う。

 その証拠に ワカッタ と返事があって。

 チガウセカイニ イッテミナイ と、訊かれた。

 違う世界。つまり異世界。

 ボクがぱっと思い付く異世界といえば、最近流行り出した異世界転移冒険譚だった。

 平凡な冒険者が突然見たコトもない世界へと放り出され、チートと呼ばれる不思議な力を駆使して好き勝手に生きて行く。

 そこでは魔力の代わりに雷の力を使う機械学が発達していて、機械学は色んなコトができる。世界の端と端に居ながら会話ができるし、夜を昼のように照らし出せる。数日で世界のどこにでも行けて、それは雲の上や海の底だって例外じゃない。

 目の前の魔力の塊は、つまりそんな世界へ行かないかと言っているってコトだろうか。

 読む分にはそれなりに楽しめた異世界転移だけど、ボク自身が行くとなれば話は別だ。

 機械学の発達した世界には、魔素が存在しない。魔素が無いから魔物は産まれないし、魔物を狩る冒険者も存在しない。

 冒険者をやるしかなかったはぐれエルフのボクには、異世界で糧を得る手段が無いのだ。

 これは受け取った方が面倒になるタイプの「お礼」だと判断したボクの、言うべき言葉は決まっていた。

 お礼なんていりません。どうしてもと言うなら、さきほどの拘束魔法の使用をごまかしてもらえると助かります、と。そう言った瞬間、目の前の魔力塊がぶわわっと広がって覆い被さってくるように動いた。

 反射的に魔力障壁を張ったところで、ボクは自分が十字路に立っているコトに気付いた。

 あれ、と思った時には馬車を牽いた馬がボクの障壁に過剰反応して暴れだし、御者台からヒトが落っこちた。

 ボクはすばやく障壁を解除して、さっと物陰に隠れた。

 どうやら拘束魔法を使ったのは無かったコトにされたらしいけど、今度は路上で魔法障壁を張った傍迷惑なヤツとしてギルドから警告される可能性が生まれてしまった。

 この程度のお願いでこれだけのズレだ。異世界転移なんて承諾してたら、どんなロクでもない事態が待っていたやら。

 ボクはボク自身の判断が正しかったと実感しながら、すたこらとその場から逃げ出した。


 なぜボクは異世界チート転移を願わなかったのか?

 冒険者は、不確定要素の高すぎる依頼は受けないモノだ。



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