『お百度参り』 旧バージョン
美咲からの電話。
何年ぶりだろう。
急に会いたいなんて。
僕が帰郷したことを、誰に聞いたのか? 田舎の噂は速い。
あまり良い話じゃないらしいことは、彼女の声のトーンで分かった。
彼女とは、幼稚園から中学校まで一緒に通った幼なじみ。
昔から、仲良く遊ぶことと、喧嘩することとを繰り返していた。
高校からは、彼女は地元の女子高、僕は男子校へと別々に進学した。
それからは、お互いの通学路からはちょっと離れた、通称「海が見える丘」という丘の上の小さな公園で待ち合わせて帰ることが度々あった。
そこでの時間のほとんどが、彼女に何か嫌なことがあった時、その愚痴を聞くことに費やされた。
「海が見える丘」のベンチに座って、あくびをせずに我慢することが、当時の僕の務めだった。
彼女の身の回りに起こった出来事は、ほとんど大した事件ではないのだけれど、
それについて僕が意見をすると、
「そんなんじゃないのよ」
と言われ、しばしの押し問答の末に、
「まったく女心が分かってないわね」
と呆れられるのがオチだったから。
電話で呼び出されてから約30分後、僕たちは「海が見える丘」にいた。
「変わってないね」
開口一番、彼女が微笑んだ。
「えっ?」
東京の大学を卒業して、垢抜けたつもりだったのにと、ちょっとだけ曲げかかったヘソが、
「突然の無茶な頼みでも、引き受けてくれるところがよ」
すぐに元に戻った。
「それを僕に頼むっていうのは、美咲も変わってないってことだろ?」
口唇をキュッと締めて、肩をすくめる彼女のクセは変わってない。
「ここも変わってないな」
久しぶりの木製のベンチの座り心地、そして手触りが懐かしかった。
「さて、何の話かな?」
彼女はけだるそうにベンチの僕の横に座り、大きなため息をついた。
失恋したという。
予想通りだ。
散々愚痴られた。
元彼氏に同情するほど。
「あーあ、ここに39回も来たのにな」
「数えてたのか?」
「当たり前じゃん。でも無駄だったかー」
彼女は大きく背伸びをした。
「海が見える丘」で百回デートすると、二人は結婚するっていうのが、この場所の伝説だった。
山の神様と、海の神様が、50回ずつ数えたら、お百度参りで絆を結んでくれるって。
「失恋って言うのは厄介ね。いいことなんて何もない」
彼女はうつむいて、足もとの石ころを軽く蹴とばした。
「1つだけあるよ」
「何?」
「新しい恋を始められるってことさ」
僕は冗談めかして言った。
「今はそんな気分じゃない」
「いずれなるさ」
「ならない」
「なるさ。保証する」
「懐かしいね、押し問答」
「ああ、本当だ」
「昔から、いつも私の文句を受け止めてくれたよね」
そう、この感覚。
「ありがとう、今日も愚痴を聞きに来てくれて」
彼女との会話は、僕の心も温かくなる。
「僕たちは、何回くらいここに来たかな?」
「さあね」
お百度参りなんて迷信だよ。だったら僕たちはとっくの昔に結ばれてるじゃないか、
と言いかけてやめた。
「そっか。デートじゃなかったもんな」
僕が笑うと、彼女は立ち上がって海の方へ歩き出した。
彼女は、今度は足元の石ころを1つ拾い上げ、中途半端なオーバースローで海に向かって投げた。
もちろんそれは海に届くはずはなく、崖下の方へすぐに見えなくなってしまったけど。
その背中に、
「始めてみないか?」
僕は言葉を投げた。
「何を?」
「俺たちのお百度参り」
振り向いた彼女の口唇が、キュッと締まった。ほんの一瞬。
「愚痴を聞かされるためだけに来たんじゃない」
「それは本気で?」
「今は冗談を言うシチュエーションじゃないと思うけど」
「もし断ったら?」
「とりあえず明日またここで会おう」
「明日も断ったら?」
「あさっても会おう」
「あさっても断ったら?」
「お百度参りさ」
また会話のキャッチボールが弾みだした。
「百度目も断ったら?」
「百一度目にチャレンジするさ」
「それじゃお百度参りじゃないじゃない」
「神様たちは、算数が苦手かもしれないよ」
「どういう意味?」
「海神か山神がうっかり数え間違えて、願いを叶えてくれるのは、百一回目かもしれないからね」
「仕方ないわね」
全然仕方なさそうじゃなく、彼女は笑った。
-おわり-