サンタクロースの弟子
魔法使いや魔女など、不思議な力を使う人たちに弟子という名の見習いがいるように、サンタクロースにも弟子がいる。
これは、サンタクロースを信じている子供に起こった小さな幸せの物語だ。
ユウトという七歳の男の子がいた。ゲームで遊ぶよりも、外でサッカーや野球をするよりも、本を読んだり、絵を描いたりするのが好きな普通の男の子だ。他の子供たちと少しだけ違うのは、友達には言えない秘密をもっていることだった。
ユウトは夢見がちな少年で、同じ年頃の女の子たちが人形を使ってごっこ遊びをするように、頭の中に作り出した空想の世界を自分だけの遊び場にしていた。
頭の中のことなら人には見えない。いつ、どんなことをして遊んでいても誰にもわからない。
だからユウトは学校の朝礼で校長先生がつまらない話をしている間や、机に頬杖をついてうとうとしてしまうような授業中にはいつも自分の世界で遊んでいた。
その世界ならユウトはどんなことでも出来る。クラスの誰も読めないような難しい本を読むことができるし、大きなトラが牙をむき出しにして襲い掛かってきても怖がらずに戦える。その上、必要なら戦いに勝つことだってできた。だけど友達の魔法使いに動物の言葉を教えてもらってからは話し合って解決することに決めていた。自分の世界に住む仲間と理由もなく戦うのは悲しいし、もし勝っても、相手が傷ついた姿を見るのは辛かったのだ。
学校から帰ってきて、仕事に行っているお父さんとお母さんがまだ帰ってきていないことを確かめると、魔法使いの友達を家に招いて、魔法の呪文を習ったり、一緒におやつを食べたりしていた。お母さんが仕事に行く前に用意してくれたクッキーの一つを魔法使いの友達、ツバサに、一つは自分に、そして残った一つを二階の自分の部屋にある机の小さな引き出しに入れて、ちゃんと閉めずに少しだけ開けておく。
「それ、いつもやってるな。何かの儀式なのか?」
ツバサが首を傾げた。
「ううん。これは妖精さんのためのおやつなんだ。」
「妖精さんって?」
「人がいる家に住みつく小さな妖精だよ。本で見たんだ。僕の家にも住んでるんだよ。」
「へぇ。大きな音を出して人を驚かせたり、金属を盗んだりするいたずら妖精のコボルトのことか?」
「違うよ。家の仕事を手伝ってくれる妖精なんだ。」
そう言ってユウトは机の棚からスケッチブックを取り出し、小さな妖精の絵を描いた。
エンピツで描かれた妖精は白黒のサンタクロースのような姿をしている。
「上手いもんだ。」
ツバサは感心したように呟いて、ユウトから絵を受け取ってまじまじと見つめた。
そして思い出したように
「これはブラウニーだな。」
と言った。
「魔法使いや魔女に弟子がいるように、サンタクロースにも弟子がいる。それはお下がりの着古した茶色い服を着た小さな妖精でブラウニーと呼ばれている。ブラウニーは人が住んでいる家の中で、ふかふかのベッドがない、テレビも絵本もないような部屋を見つけると、その部屋の中にこっそり忍び込み、屋根があって、床と人間の足音だけしか聞こえない場所に自分の住家を作るんだ。そして部屋を借りる代わりにその家の掃除をしたり、飼っている動物の世話をしたりする。でも、彼らが働くのはいつも人のいない昼間か、寝静まった夜のはずだ。姿を見たことがあるのかい?」
ユウトは首を振った。
「ううん。ない。でもいるのがわかるんだ。学校で汚してしまった洗濯物を部屋に散らかして寝たり、寝坊した日に慌てて探し物をして学校に行ったりすると次に見たときにはすっかりキレイになってる。それに、こうやっておやつを隠しておくといつの間にか持っていって食べてしまうんだよ。」
最初はお母さんが用意してくれたおやつを我慢して机の上に置いたり、床に置いたりしていたけれど、ブラウニーは姿を現さなかった。おやつもお母さんが片付けてくれるまでずっと部屋にあった。
ある日、ブラウニーのためにおやつを置く場所を作ろうと散らかった部屋を片付けていたとき、机の引き出しにおやつを入れてそのまま忘れてしまった。後になってそれを思い出したとき、誰も触ってないはずのおやつは引き出しから消えてしまっていた。
「そうか。それならよかった。ブラウニーは家の人に姿を見られてしまうとサンタクロースになるために必要な魔法の力を失ってしまうんだ。」
ツバサがそう言って手に持っていたブラウニーの絵を返した。
「この絵は歓迎のしるしとして部屋の一番よく見える壁に飾るといい。仕事をしに来たブラウニーが見たらきっと喜ぶよ。」
「そうかな。そうするよ。」
ユウトは頷いて、その絵をベッドの横の何も飾っていない壁にテープで貼り付けた。
そのとき、階下から物音が聞こえた。ドアのカギを開ける音、ビニール袋がガサガサ鳴る音。
「お母さんが帰ってきたみたいだ。」
「じゃあ僕はそろそろ帰るよ。」
ツバサとユウトはいつも別れ際にするように握手をした。ぼそぼそと呪文を呟く声が聞こえて、ツバサは小さく手を振って消えた。
「ユウト?いるの?」
部屋のドアがノックされてお母さんが入ってきた。
「お母さん、おかえり。」
「ただいま。おやつ食べた?お腹すいてる?」
「うん。大丈夫。」
「そう。あら、その絵は自分で描いたの?」
「うん。ブラウニーっていう妖精だよ。」
「ブラウニー?チョコレートのお菓子みたいな名前ね。」
お母さんはそう言って頷いた。そしてもう一度ブラウニーの絵をよく見て、ユウトの頭を優しく撫でた。
「よく描けてるね。上手いわ。」
「ツバサもそう言ってくれたよ。」
「今日はツバサ君と一緒だったの?」
「うん。新しい魔法を教えに来てくれたんだ。」
自分の世界の話を他の誰かに言っても信じてもらえないし、バカにされて悲しい思いをすることもある。だからこの話は誰にもしないと決めていたユウトだったが、お母さんだけは別だった。
仕事から帰ってきたお母さんがユウトの話を聞きながら夕食の準備をする。どんな不思議な話でも信じてくれるし、ユウトが自分の世界を大切にしていることを絶対にバカにしない。
それどころか、ユウトが夢を失くして、ツバサたち魔法使いのことや、妖精たちを嫌いになりたい、忘れてしまいたいと言ったらひどく悲しんで、叱られた。
「理由もないのに好きなことを諦めて忘れようとしたり、嫌いになろうとしなくていいの。ユウトが大切にしているものなんでしょう?だったら、どんな話でも聞かせて、教えてほしいな。」
そう言われてからはどんな話でも、お母さんになら安心して話せるようになった。
「ねぇ、明日のおやつは妖精のブラウニーのためにチョコレートのブラウニーにしようか。」
お母さんはそう言ってお菓子の本を取り出した。ユウトは首を傾げた。
おやつを用意してくれる日はいつもお母さんもお父さんも仕事に行く日と決まっていたからだ。
「明日は土曜日なのに、仕事なの?」
「うん。お父さんもお仕事だって言ってたから、一人でお留守番になっちゃうけど、大丈夫?」
「うん……大丈夫だよ。」
「ごめんね。十二月はとても忙しいの。日曜日には一緒にいられるからね。」
「クリスマスは?一緒にいられる?」
この質問にお母さんは少し困った顔をした。
「まだわからないの。でもユウトと一緒にクリスマスを過ごせるように頑張ってみるね。」
ユウトはそれを聞いて一瞬、不安そうな顔をしたけれど、お母さんに見つかる前にそれを隠した。
毎日働いているお父さんもお母さんもクリスマスの日だけは必ず仕事を休んで、終業式を終えて帰ってきたユウトを家で迎えてくれる。そして一緒にクリスマスソングを歌ったり、オーブンから漂うケーキの香ばしい匂いに包まれながら部屋の飾り付けをしたりしていた。夜になるとお母さんが焼いたチキンと手作りのケーキを食べて、雪が降る町をサンタクロースが走り回るアニメのDVDを見て過ごす。いつもよりほんの少しだけ夜更かしをして、サンタクロースが来るのを待ちながら眠る。
毎年、そうやって過ごしてきたユウトにとってそこにお母さんがいないというのは考えてみるだけでも寂しくて、気持ちが重く沈んだ。
だけど、お父さんは一緒にいてくれるはずだ。二人でツリーの飾り付けをして、部屋をキレイにして、夕方、お母さんが帰ってくるのを待っていればいい。それからはいつもと変わらないクリスマスだ。ほんの少しくらい寂しいのは我慢しなければ。そう思っていたユウトに仕事から帰ってきたお父さんはこう言った。
「ごめんな、ユウト。クリスマスの日も仕事になった。」
「え、お父さんもなの?」
思わずユウトが呟いた。その悲しそうな顔を見たお父さんは困ったように慌てて付け足した。
「その代わり、ユウトの欲しい物を何でも買ってやる。プレゼントとケーキがあればいいだろ?」
「お父さん、そんな言い方……。」
お母さんが咎めるような目でお父さんを見た。だけど、ユウトには聞こえていなかった。
クリスマス・イブに終業式が終わって学校から帰ってくる。誰もいない家の鍵を自分で開け、ただいまを言う。ツリーをキレイに飾りつけようとしても、ピカピカ光るライトのコードを巻くのはお父さんの仕事だから、ツリーは天使や丸い飾りをぶら下げて静かに立っているカサカサの木のままだ。
いつもと同じようにおやつを食べて、絵を描いたり、本を読んだりしながらお母さんが帰ってくるのを待つ。それよりも遅く帰ってくるお父さんとご飯を食べて
「サンタさんが来るから早く寝なさい。」
そう言われてベッドに入る。クリスマスソングも、焼きたてのケーキの甘い匂いもないクリスマスだ。
泣くのは我慢しようと必死に唇を噛んでいたユウトだったが、頭の中に次から次へと浮かんでくる今年のクリスマスの寂しさに堪えきれず、とうとう泣き出してしまった。
お父さんは困ってお母さんとユウトを交互に見た。お母さんはすぐに立ち上がってユウトを優しく抱きしめた。
だけどユウトは泣き止まず、晩ご飯を半分も残して眠ってしまった。
翌朝、優しく声をかけるお母さんのことも、行ってきますを言いにきたお父さんのことも無視してユウトはずっとベッドの中で丸まっていた。
こうしていれば何かが変わるとは思っていなかった。ワガママを言って二人を困らせていることもわかっていた。だけど、顔も見たくないほど悲しかったのだ。
こんな風にお父さんとお母さんを困らせるような悪い子にはサンタクロースは来てくれないかもしれない。そう思ったユウトは鼻をぐずぐず言わせながらベッドから出た。
朝ご飯を食べて、ツバサに話を聞いてもらおうと思ったけど魔法が上手く使えず、ツバサは現れてくれなかった。学校の友達はきっとユウトの話より、サッカーやゲームで遊びたいと言うだろう。そんな気分にはなれなかったので、ユウトは一人で出かけることにした。
ユウトの家の近所にはおばあさんが一人で住む大きな古い一軒家がある。その家の裏に木がたくさん生えた庭があって、虫や鳥や、花も咲くけれど誰もそこには近付きたがらない。いつも暗くてじめじめしていて、ちょっと不気味だからだ。
「おばあちゃん、こんにちは。」
「あら、ユウトくん。こんにちは。」
縁側で縫い物をしていたおばあさんは顔を上げ、にっこり笑って手を振った。
「秘密基地、借りてもいい?」
「いいよ。あとでお菓子と飲み物を持っていってあげようね。」
「ありがとう!」
ユウトは少し大きい声でおばあさんにお礼を言って、家の玄関と塀の間にある細い小道に入っていった。
この家の庭に行くには塀の壊れたところからこっそり入るか、おばあさんの家を通り抜けるか、この小道を通るしかない。
最初、ユウトは友達を探してこの庭に入った。塀の壊れたところから入ったのだけれど、そこには泥水がたまっていて、手や服が真っ黒になってしまった。
帰りも汚れるのが嫌だったので他に出口がないか探して歩いていたら、おばあさんの家に辿り着いた。おばあさんはユウトの姿に驚いて、怖い顔をしたけれど、ユウトが正直に謝るとすぐに笑顔になって許してくれた。それからはおばあさんもユウトの友達だ。
ユウトが探していた友達はこの家の子だったようで、その子と仲がいいことを知ったおばあさんはユウトに友達と一緒に遊べる秘密基地を教えてくれた。庭の中にある小さな物置小屋だ。
子供か、細くて背の小さい大人しか通れないような小道を抜けて庭に置かれた五つの置石のうち三つ目を左に曲がったところにその物置小屋はあった。
物置小屋には小さなドアと大きなドアがついていて、ユウトは大きなドアから中に入る。
おばあさんが敷いてくれたカーペットを汚さないように靴を脱いで、身長より少し高いところにある棚の上を覗き込んだ。
「やぁ、ハニー。」
そこに住むユウトの友達、猫のハニーだ。ハニーは満月みたいに丸く黄色い目で今入ってきたばかりの人間を見つめた。それがユウトだとわかると棚の上から静かに飛び降りてその足にハチミツ色の体をすりつけた。
ここに住むのはハニーと紅茶色の毛をしたアン、黒猫のリュウとブチ柄のメイの四匹だ。
ハチミツ色のハニーはユウトが座るとその膝の上にくるりと丸まった。
部屋の隅に置かれたカゴの中には猫用のブラシとおもちゃが置いてある。ブラシを手に取ってそっと体を撫でると、ハニーはゴロゴロと喉を鳴らした。
お母さんに怒られたり、ケンカをして落ち込んだときはここで猫と一緒に過ごす。猫たちはユウトに寄り添って励ますようにユウトを見つめたり、遊びに誘って気分を変えさせようとしたり、何も言わずに甘えて悲しみを紛らわしたりする。
特にハニーはユウトの言葉がわかるようだった。お母さんの悪口を言ったり、友達が言ったひどい言葉を聞かせると悲しげに鳴いて尻尾を震わせたし、ユウトが落ち込んで弱音を吐いたときや、反省しているときは力強い鳴き声で顔を手にすりつけた。
「アン、今年のクリスマスはとても寂しくなりそうだよ。」
ユウトが呟くと、ハニーは首を持ち上げて大きな瞳でユウトを見つめた。
「お父さんもお母さんも仕事なんだ。一人でツリーを飾って、二人が帰ってくるのを待たなきゃいけない。きっとクリスマスソングも、チキンも、夜更かしの甘いココアもなしだ。」
泣きそうになるのを堪えているとハニーがざらざらした舌で手を舐めた。
「わかってるよ。我慢しないとサンタさんは来てくれない。だけど、プレゼントより家族で過ごすクリスマスが欲しいんだ。そうじゃないならクリスマスなんていらないよ。」
ハニーが小さく優しく、宥めるように鳴いた。頬のふわふわした毛をそっと手に擦り付けてくる。
「ありがとう、ハニー。大好きだよ。」
滑らかな柔らかい体に顔を埋めてユウトはハニーを抱きしめた。
夕方、家に帰るとお母さんが帰ってきていて、晩ご飯の準備をしていた。
「おかえり。」
「ただいま。」
我慢することに決めたけれど、やっぱりまだお母さんの顔を見て話せない。
そう思ったユウトはそのまま黙って部屋に戻った。机に座って頬杖をつくと、壁に飾ったブラウニーの絵が目に入った。
「ねぇ、ブラウニー。サンタさんに僕の願いを伝えてよ。」
絵の中のブラウニーは白黒のままじっと動かなかった。
その日も、翌日も、ユウトは誰とも口を聞かなかった。お父さんはイライラしてそんなユウトを叱ろうとしたけれど、逆にお母さんに怒られてしまっていた。
自分のせいでお父さんがお母さんに怒られているのを見て、ユウトの心は痛んだ。自分がとても悪い子になってしまった気がした。でも、我慢するにはこうするしかなかった。
泣きながら大きな声でワガママを言って二人を困らせてしまう方がずっと嫌だったのだ。
朝、学校に行く準備をして、朝ご飯を食べたユウトは
「……行ってきます。」
小さくそう呟いて家を出た。お母さんは優しくユウトの髪を撫でて見送った。
お母さんはユウトの気持ちがわかっているから何も言わない。ユウトなりに我慢しようとしていることも、クリスマスをいつも通り過ごせなくてどれだけショックを受けているのかも知っている。ユウトが話してくれるのを待っているのだ。
ハニーはお母さんみたいだな、とユウトは思った。それとも実はお母さんが猫語を話せるのを隠していて、こっそりハニーから話を聞いているのかもしれない。そんなことを考えて、授業中に教科書で顔を隠してクスクスと笑った。
学校から帰る途中、ユウトはカバンのポケットを探ってあることに気付いた。いつもそこに入っている家の鍵がないのだ。きっと秘密基地に行った日、カバンから出したのを戻し忘れてしまったんだろう。
冬休み前の短縮授業でいつもより早く帰ってきたので、お母さんが帰ってくるのを待つ時間もいつもより長い。玄関のドアがしっかりしまっていることを確認して、大きなため息をついた。カバンを地面に下ろして、その横に座り込む。家の窓も見てみたけれど、お母さんは間違いなく鍵を閉めていてどこからも入れそうになかった。
秘密基地に行こうかとも思ったが、お母さんが帰ってきてユウトのカバンが部屋になかったらきっと心配するだろう。おばあさんの家に行っていることはお母さんも知っているけれど、場所までは教えていないので、迎えに来ることもできない。
「どうしよう……。」
膝を抱えて地面をじっと見つめて、本当に魔法が使えればいいのにと思う。ツバサから教えてもらった魔法はユウトの世界でだけ使えるものだ。身の回りに不思議なことを起こせるようなすごい魔法は使えない。
二度目のため息をついたとき、不思議な音が聞こえた。
小さく叩くような音。カタカタと震えるような音。そしてカチャンと少し大きな音がして、ドアが僅かに開いた。
「え……?」
お母さんが家にいたのだろうか?お父さんが早く帰ってきているのだろうか?そう思って家中を見て回ったけれど、誰もいなかった。カバンを置くために部屋に戻ってユウトは首を傾げた。
ユウトが描いた絵の中から白黒のブラウニーが姿を消していたのだ。
「ブラウニー?」
カタン、と部屋のドアが音を立てた。ドアを開けたけれど、ブラウニーの姿はなかった。
ふとツバサが言ったことを思い出した。
――――ブラウニーは家の人に姿を見られてしまうとサンタクロースになるために必要な魔法の力を失ってしまうんだ。
もう一度閉めたドアに耳をくっつけて待った。小さな叩くような音。ブラウニーの足音が聞こえる。
「鍵を開けてくれたのは、君なの?」
ユウトが話しかけると、足音はピタリと止まった。
「ありがとう。助かったよ。」
ドアがコン、とノックされた。ブラウニーからの返事らしい。しばらくするともう一度コツコツとドアが叩かれた。
「何?」
今度は三回叩いたブラウニーは足音を立ててユウトの部屋の前から走り去った。
おそるおそるドアを開けてみると、ドアの前には大きな折り紙とノリとハサミが置かれていた。部屋の飾りを作るために使っている折り紙は、細く切って輪っかの飾りにしたり、あちこちを切って動物や人間がいっぱい繋がった飾りにしたりする。
お母さんが買ってきてどこかに隠しているのでクリスマスの日に飾りの準備を始めるまではどこにあるのかユウトは知らなかった。
ブラウニーはサンタクロースの弟子だ。ユウトが家族のいないクリスマスを楽しむ気がないことを知って、準備をさせるために現れたんだろうと思った。
「僕だけでクリスマスの準備をするの?」
もう一度ドアを閉めてブラウニーにたずねると、ドアがコンと鳴った。
「でもツリーの場所も知らないし、ライトはいつもお父さんがやってたから僕は上手くツリーに巻きつけられないし……」
またブラウニーが遠ざかっていく。追いかけるように部屋から出たけれど、ブラウニーの姿も見えず、合図もなかったのでどうしていいかわからない。仕方なく戻ってきた部屋の中にいつの間にかツリーの入った大きな箱が運び込まれていた。
箱の向こう側からガサッと音がしたので覗き込んでみると、机の上に置いた折り紙の一番上にあった白い紙がキレイな雪の結晶型に切り抜かれていた。
それを指でつまんで持ち上げて、窓から差し込む光に透かして見る。
「ブラウニー……クリスマスの準備を手伝ってくれるの?」
ドアがコンと鳴った。ユウトはブラウニーのいなくなった絵に向かって言った。
「わかった。でも、その代わりお父さんとお母さんにはこのことは内緒にして。僕とブラウニーだけでやるんだ。いい?」
ドアがもう一度鳴るのを聞いてユウトは微笑んだ。
その日、帰ってきたお父さんとお母さんの前でユウトは言った。
「今年のクリスマスは僕が悪い子になっちゃったからきっとサンタさんは来ないと思う。」
「そんなことないよ。どうして?」
「僕のせいでお父さんはお母さんに怒られてしまったし、僕はすごくワガママな子だった。サンタさんはきっと僕にプレゼントを持ってきてくれないよ。だからプレゼントもケーキもいらない。今年はクリスマスはしないんだ。」
お父さんとお母さんは顔を見合わせた。ずっと落ち込んでいたユウトがいきなりそんなことを言うのが不思議で仕方ないのだ。
「だから、僕はお留守番をしてるから安心してお仕事に行ってきてよ。」
ユウトはにっこり笑って席を立った。残された二人は訳がわからないという顔をして部屋に戻っていく後姿を見ていた。
その日からユウトは学校から帰ってくると部屋にこもり、お母さんに呼ばれてご飯やお風呂などの用事を済ませる他はほとんど一人で過ごしていた。
実は一人ではないのだが、ユウトは誰にもブラウニーのことを話さなかったし、ブラウニーも姿を見せないのでまるで一人でいるように見える。
ブラウニーの魔法は素晴らしかった。ユウトが作った紙の輪っか飾りや切り紙などはユウトが頼まない限り家のどこからも出てこないように隠してあったし、お母さんやお父さんが突然部屋に入ってきても見られないうちにパッと消えてしまう。ブラウニーお手製の飛び出すクリスマスカードや色とりどりに飾られたクリスマスリースなどはまるで絵本の中から飛び出してきたようにかわいくて楽しかった。
ユウトは今までできなかった切り紙ができるようになったし、ブラウニーに手伝ってもらってキレイに揃えて切った折り紙を驚くほど早く輪っかに繋ぐことができた。
今までお父さんと二人がかりでやっていた部屋の飾りの準備が終わると、クリスマスカードに二人へのメッセージを書き、ツリーの飾り付けを始めた。
ユウトの身長よりも大きいクリスマスツリーは去年よりも高いところまで手が届くようになっていて、毎年それを見たお父さんが褒めてくれた。だけど一番上には椅子に登ってもまだ手が届かないので抱えて持ち上げてもらい、星を飾るのだ。そうやってキレイに飾り付けたツリーにお父さんがライトを飾って、コンセントを差し込む。そうやってキラキラと瞬くツリーはユウトの自慢だった。
まだ何も飾られていないツリーを少し悲しそうに見つめて、肩を落とした。そして下から順番に飾りをぶら下げていった。
「丸い飾りは下の方。お菓子の飾りは真ん中。天使の飾りは上の方。一番上に星を飾るんだ。」
ブラウニーのいなくなった絵に向かってそう言うと、ツリーの葉がカサリと音を立てた。
最初は丸い飾りしか付けられなかったユウトが今ではお菓子の飾りを自分だけで付けられるようになっている。背伸びをすれば一つか二つ、天使の飾りもつけられる。椅子を使えば星以外はみんな手が届く。
「星飾りはブラウニーがつけてよ。僕には手が届かないから。」
そう言ってユウトはブラウニーが魔法で椅子の上まで持ち上げてくれた雪代わりの真っ白な綿をのせていった。だけどブラウニーは星を飾らないようだ。
「どうしたの?」
ユウトが椅子の上から声をかけるとツリーが揺れて音を立てた。よく見ると、まっすぐ上に向かって伸びていたツリーが頭を差し出すようにユウトに向かってお辞儀をしていた。
生まれて初めて、お父さんに抱え上げられることなく星を飾って感動したユウトは思わず声を上げた。
「すごい!」
ツリーは面白がるようにカッサカッサと音を立てた。ブラウニーの笑い声と重なって鳴るそのかわいらしい音にユウトもつられて笑った。
キッチンから飲み物とおやつを持ってきて、いつものように引き出しの中に入れる。
いつもは二、三日は引き出しの中に残っているおやつがあっという間に消えてなくなるのを見て、ユウトは嬉しくなった。
そしてクリスマス・イブの前日、全部の飾りが完成した。
「ケーキとチキンはどうしよう。」
ユウトがそう呟くと、部屋のドアがノックされた。ブラウニーからの合図を聞いてドアを開けると、そこにはお母さんがよく読んでいるケーキの作り方の本が置いてあった。
「ケーキ、僕が作るの?できるかな?」
いつもより少し大きな音でドアが鳴った。自信たっぷり、ということらしい。
「うーん。わかった。頑張ってみるよ。それで……チキンは?」
今度は部屋の窓の外から合図があった。慌てて窓に駆け寄ると、下からハニーがユウトの部屋の窓を見上げていた。部屋から出て階段を駆け下り、玄関から飛び出す。ハニーはユウトが家から出てくると、尻尾を一振りして立ち上がり、歩き出した。ユウトが立ち尽くしていると後ろを振り返って尻尾をもう一振りした。
導かれるままに歩いて行くと、ハニーは塀の上や空き地に少し寄り道をした後、おばあさんの家の前で立ち止まった。
「あら、ユウトくん!」
縁側からおばあさんが呼んだ。ユウトはハニーを抱いて門を開けて中に入った。
「こんにちは。」
「こんにちは。あら、ハニー。おつかいがちゃんと出来たのね。いい子だわ。」
ハニーはかわいい声で鳴いてユウトの腕から縁側に飛び乗り、おばあさんにすり寄った。
「ユウトくんにプレゼントがあるの。上がって。」
おばあさんはハニーを抱いて立ち上がり、手招きした。ユウトは靴を脱いで縁側から家に上がった。
畳の部屋を通って、キシキシ音がする廊下を渡り、おばあさんはキッチンに向かった。そしてハニーをそっと床に降ろして冷蔵庫を開けた。肌色の大きな鳥肉が入っていた。
「この前、遊びに来たとき、クリスマスはお父さんもお母さんもお仕事でいないって言ってたのを聞いてしまったの。それでね、その時にチキンがないって言っていたでしょう?あんまり悲しそうな声だったから何かしてあげたくなったの。だからね、もしよかったら……私が焼いたチキンを貰ってくれないかしら?」
「そんな、ダメだよ……おばあちゃんの家のチキンは?」
「これは私が一人で食べるには多いわよ。それにいつもハニーやリュウたちと遊んでくれるお礼がしたかったの。ね、おばあちゃんからのクリスマスプレゼントよ。貰ってくれる?」
ユウトは喜んで頷いた。おばあさんはもっと嬉しそうに笑った。
「じゃあ、明日のお昼までには焼いておくから。学校の帰りに取りに来てくれるかしら?」
「うん!ありがとう、おばあちゃん!」
おばあさんに見送られてユウトは家に帰った。後はケーキを焼いて部屋の飾り付けをすればクリスマスの準備は完璧だ。ブラウニーが手伝ってくれるなら美味しいケーキが焼けるはずだ。何の心配もなかった。
家に帰ると仕事から帰ったお母さんが晩ご飯の準備をしていた。
「おかえり。どこに行ってたの?」
「ただいま。猫のおばあちゃんのところだよ。」
「そう。ちゃんと手を洗ってね。」
「はーい。」
ユウトは手を洗って、部屋に戻った。ケーキの本が机の上に開いて置いてある。開かれていたのはイチゴのショートケーキのページだった。
「これを作るの?」
絵に向かってそうたずねると、壁がコンと音を立てた。
読めない漢字やわからない言葉で書かれたレシピを睨むように見ながら、傍に添えられた写真と交互に読んでみた。それでもやっぱり意味がわからない。ユウトはまだ卵を割ったり、野菜を切ったりするくらいのことしかやったことがないのだ。
「わかんないよ。ホントにできるのかな。」
呟いてみたけれどブラウニーからの返事はなかった。
やがてお父さんが帰ってきて、お母さんがユウトを呼びに来た。慌ててケーキの本を机の本棚に隠して部屋から出た。テーブルにつくとお母さんが言った。
「明日はいつもより早く帰れると思うの。チキンは無理だけどケーキの材料も買ってあるし、ユウトの好きなオムライスを作ってクリスマスを過ごしましょう。」
「お父さんも早く帰れるようにするよ。ツリーくらいは飾らないとクリスマスらしくないもんな。」
二人がそうやって考えてくれたことはとても嬉しかったユウトだが、隠れてクリスマスの準備をしていることがバレないように黙って俯くしか出来なかった。
「ユウトはいい子よ。ね、クリスマスをしないなんて言わないで。」
ユウトの態度を自分が悪い子だと思っているせいだと誤解したお母さんが優しい声でそう言った。
「意地を張らなくてもいいじゃないか。な?」
お父さんは宥めるようにユウトの頭を撫でた。ユウトは目だけ上げて二人の顔をじっと見つめた。
「猫のおばあちゃんが、僕へのクリスマスプレゼントにチキンを焼いてくれるって言ったんだ。」
二人はほっとしたように微笑んで、顔を見合わせた。
「そうなの。じゃあ、お礼に何かクリスマスプレゼントを用意しなくちゃ。何がいいかしら?」
「猫が好きなら首輪とか、いいんじゃないか?」
「やだ、それじゃあ猫へのプレゼントじゃない。」
お父さんとお母さんは笑った。ユウトは上手く話をごまかせたことに胸を撫で下ろした。
「僕、おばあちゃんのプレゼントを用意するから……ごちそうさま。」
引き止められないように食器を持ってさっと立ち上がり、大急ぎでキッチンに片付けて部屋に戻った。
おばあさんへのクリスマスプレゼントはもう決まっている。ブラウニーに作り方を教えてもらった紙のクリスマスツリーだ。前に描いたハニーたちの絵と一緒にあげるつもりだった。
「危なかったよ。」
ブラウニーに言うと壁に飾ったブラウニーの絵が笑い声のようにカサカサ言った。ユウトも小さな声でクスクス笑って机の前に座り、紙のツリーを作り始めた。
夜遅くまでかかって完成したツリーは、光らないし、かわいい天使もお菓子もついていないけど、なかなかいい出来だと思った。スケッチブックから猫の絵を破り取り、くるくる丸めてテープでとめた。学校に持っていく、ほとんど何も入っていないカバンに大切に入れて家を出た。
「おばあちゃんに、ちゃんとお礼を言ってね。」
「うん。行ってきます。」
お母さんに見送られて家を出る。退屈な終業式はツバサたちに「メリークリスマス」を言って、ちょっとしたパーティーをするのに丁度よかった。ブラウニーの話をすると、ツバサはワインを片手に笑った。
「ブラウニーはサンタクロースの弟子だ。ということはいつかサンタクロースになるんだ。未来のサンタクロースにクリスマスの準備をさせるなんてなかなかおもしろいな。」
確かにそうだと思った。酔ったツバサがあんまり笑うのでユウトもおかしくなって笑い出しそうになったけれど、静まり返った体育館でいきなり笑い出すのは恥ずかしかったので必死に我慢した。
クラスで成績表の見せ合いと冬休みの予定をたっぷり話した後、ユウトは教室を飛び出した。カバンに入れたプレゼントがコトコトと音を立てる。おばあさんの家に着くと、ハニーが出迎えてくれた。おばあさんがいつものように縁側に座っている。
「いらっしゃい。待ってたのよ。」
「こんにちは。」
おばあさんは小さく「よっこいしょ」と言って立ち上がった。おばあさんが座っていた日当たりのいい座布団に今度はハニーが座る。ユウトは前のときと同じように靴を脱いで縁側から家に入った。
バターと焼けたタマネギとお肉のおいしそうな匂いで満たされたキッチンのテーブルにはこんがりキツネ色になった大きなチキンがある。
「ちょうどいい頃だわ。」
大きなケーキを入れるような箱を取り出すと、おばあさんはその中にチキンを入れてフタをした。そしてテープでフタをしっかりと閉めると、赤いリボンで周りをかざった。
「これでプレゼントらしくなったわ。」
おばあさんが朗らかに言った。ユウトは思い出したようにカバンを床に置いて、中からプレゼントを取り出した。
「これは僕から、おばあちゃんに。」
そう言って小さな紙のツリーとユウトが描いた絵を手渡すと、おばあさんは驚いたように目を丸くして微笑んだ。そしてツリーと絵のことをユウトが顔を真っ赤にして恥ずかしがるほど褒めた。
「ありがとう。大事に飾るわね。」
「うん。メリークリスマス、おばあちゃん。」
「メリークリスマス、ユウトくん。」
おばあさんからチキンを受け取ると、箱はずっしりと重く大きかった。両手で抱えるようにしてチキンを持ち、ユウトは家に帰った。
その帰りを待ちわびていたブラウニーは、ユウトが玄関に着くなり鍵を開けてドアを開いた。両手が使えないユウトは靴を脱ぎ散らかしたまま、リビングへと急いだ。
リビングに入ると、これまでに準備したものが全部そこに揃っていた。ブラウニーが運び込んでおいてくれたのだ。
「飾りつけは後にして、まずはケーキから始めよう。」
テーブルの上にチキンを置いて、ユウトが言った。ブラウニーは既にキッチンの準備を整えていた。
大きいボウルが二つ。泡だて器も二つ。バターを塗ったケーキを焼く型に、クリームを塗るためのナイフやヘラ。ふるいにかけてたっぷり空気を含んだ小麦粉。滑らかにときほぐされた卵。ヘタを取って薄切りにされたイチゴと、丸いままのイチゴ。
ユウトはまず、本の写真の通りに卵と砂糖を混ぜ合わせた。ボウルを抱きかかえるように混ぜたので顔や服にも生地が飛び散ったけれど、写真と同じような色になってきた。ブラウニーが近くまで持ってきた小麦粉を入れて、更に混ぜると段々粉っぽさが消えて滑らかなクリームみたいになった。
ブラウニーがしっかり下準備を済ませてくれたケーキの型にそれを流し入れて、余熱が終わったオーブンに入れる。ヤケドしないように、そっとだ。本の通りの時間にセットして、スタートボタンを押す。振り返ると、使い終わったボウルや泡だて器はすっかりキレイに洗ってあった。
「さて、この間に部屋を飾り付けなくっちゃ。」
ユウトはそう呟いてまず玄関の扉にブラウニーが作ったクリスマスリースを飾り、次に輪っか飾りを手に取った。いつもは天井に近いところにピンやテープを使って留めるのだけれど、ユウトの手ではまだ届かない。椅子を使って、精一杯背伸びをしてやっと届いたところに飾りをつけた。椅子を動かしてよじ登ると、ブラウニーの魔法で輪っか飾りが蛇のようにユウトの手に巻きつく。それをテープでとめて、また椅子から降りて移動する。その繰り返しでやっと部屋の半分を飾り付けた頃、オーブンから音楽が鳴り響いた。焼けた合図だ。
お母さんがいつもやっているように、竹串でそっと真ん中を刺してみる。ぺしゃんこのスポンジは硬くて、なかなか櫛が通らない。その竹串をじっと見て、
「どうしてふわふわにならなかったんだろう?」
と聞くと、ブラウニーが壁をコンと叩いた。するとスポンジがみるみるうちに膨れて、見慣れたいつもの形になった。
大きなミトンを使って恐る恐るオーブンから熱いケーキを出す。キッチンに用意された網の上にケーキを型ごと置いて、ひっくり返すとコンコンと音がして型からケーキが飛び出した。
「クリームを作らなくちゃ。だよね?」
当然、というようにまだ使ってないボウルが鳴った。冷蔵庫から生クリームを出してきてボウルに注ぐ。小さな泡だて器で腕が痛くなるくらいかき混ぜると、液体だったクリームが少し固まってきた。砂糖を好きなだけ入れて、またかき混ぜる。泡だて器についたクリームを味見してみると、お母さんが作るケーキより少し甘かった。
「砂糖、入れすぎちゃったかな。」
首を傾げてまたクリームをかき混ぜる。ふと気付くと、ブラウニーがケーキのスポンジを二枚に切ってくれていた。出来上がったクリームをヘラで塗っていく。この部分だけならユウトはお母さんのお手伝いで何度もやったことがある。塗ったクリームの上に薄く切ったイチゴをキレイに並べて、その上にまたクリームをのせて、もう一枚のスポンジケーキを重ねる。残ったクリームを塗るのはお母さんの仕事だったからまだやったことはない。ヘラでスポンジを削ってしまったり、クリームが剥がれてしまったりしてあまりキレイに塗れなかった。削れたスポンジが混ざり、場所によってクリームの厚みが違うデコボコのケーキはユウトの想像とは全く違う出来上がりになってしまっていた。
「……茶色いブツブツのケーキになっちゃった。」
しょんぼりとうなだれるユウトの目の前で、今日のおやつだったクッキーがポロポロと勝手に砕けてケーキに降り注ぐ。クッキーはケーキの上にまんべんなくくっついて、本当に茶色いブツブツのケーキになった。だが、さっきとはうってかわっておいしそうに見える。
「すごいね、ブラウニー。」
ユウトは感動してケーキを見つめた。コン、と音がして顔を上げるとさっきまでクリームが入っていたボウルはピカピカになり、その中に袋に入ったクリームが用意されていた。
これはいつもお手伝いしている中でも一番の得意だった。袋を両手で包むように持ち上げ、その底についている金具の部分をクリームに触れないようにそっと近づける。手に力を込めると、金具の星型に切込みが入った部分からクリームが出てきて、ケーキの上に角を立てた。ぐるりと一周分のクリームの角を作ると、袋の中身はちょうどなくなった。角の上に丸いままのイチゴをのせていく。残りは真ん中に円を描くように並べる。そうやってクリスマスケーキが完成した。
初めてお母さんの手を借りずに作ったケーキを満足げに眺めて、冷蔵庫に入れた。
「さぁ、部屋の飾り付けを終わらせなくちゃ。」
また椅子によじ登って飾り付けを始めたとき、玄関から音が聞こえてきた。最初はブラウニーのいたずらかとも思ったが、どうやら違った。
「ただいまー。」
玄関からそう声をかけてきたのはお母さんだった。
「大変だ、お母さんが帰ってきちゃった!」
ユウトは部屋を見回した。このままでは靴を脱いだお母さんはまっすぐリビングへやってくるだろう。まだ飾り付けは終わっていない。これから飾ろうと思っていた切り紙は床の上に散らばっているし、チキンも箱に入ったままテーブルの上に置かれている。それにツリーのライトだって光っていない。
何とか足止めしようと慌てて椅子から飛び降りた。玄関に向かうと、お母さんは自分が脱いだ靴とユウトが脱ぎ散らかした靴を片付けているところだった。
「おかえり。」
「ただいま。クリスマスにユウトを一人にしておけないからって、早く帰ってきちゃった。」
「そうなの。あの、まだ、えっと……ここにいて。すごい散らかしちゃったんだ。」
「そんなこといいよ。一緒に片付けて、ご飯の準備をしましょう。」
お母さんはそう言って歩き出そうとした。その前にユウトが立ちふさがった。
「ホントにダメだよ。見たらきっとすごく怒るよ。だから、いいよって言うまでここにいて。」
両手を廊下いっぱいに広げて通れないようにしているユウトを見てお母さんは困ったように首を傾げた。
また、玄関から音が聞こえた。ドアが開いて、今度はお父さんが帰ってきてしまった。
「ただいま。何やってるんだ?」
ユウトがお母さんの行く手をふさいでいる様子を見て、お父さんは笑いながらたずねた。
「リビングを散らかしたから片付けるまで入っちゃダメだって言うの。」
「ふーん?一緒に片付ければいいじゃないか。そこをどきなさい。」
お父さんの手がユウトをふわりと抱き上げた。ユウトは暴れたけれど、お父さんの方が力が強くて大きい。とても敵う相手ではなかった。
「ダメなんだ。まだ入らないで。ねぇ、お願い。」
「そんなこと言ったらお母さんが晩ご飯の準備を出来なくて困るだろう。」
「やだ、ダメだよ。まだ見ないで、ねぇ……。」
ユウトは泣き出した。それを見た二人はやっと、これがただごとではないということに気付いてユウトを床におろし、顔を覗き込んだ。
「どうしたんだ、ユウト。」
「どうしたの?話してごらん?」
なかなか話そうとしなかったユウトに二人が優しくたずねると、しゃくりあげながら答えた。
「お父さんとお母さんにクリスマスをプレゼントしたかったんだ。昼間はお仕事でもいいから、夜はちゃんと三人でクリスマスを過ごしたかった。いつも三人で準備していたことを僕がやってビックリさせたかったの。」
「そうだったの。嬉しいよ。ありがとう、ユウト。」
お母さんが優しくユウトの髪を撫でた。お父さんもその言葉に頷いた。
「でもダメだった。まだ飾り付けも終わってないし、ツリーを光らせる前にお母さんたちが帰ってきちゃったから。」
「これから一緒にやろう。いつもより少し遅くなったけど、いつも通りクリスマスソングを歌って、お母さんは料理をして、お父さんと部屋を飾って、三人でユウトの好きなアニメを見よう。」
「夜更かしと、ココアも?」
「もちろん。」
お父さんが片腕にユウトを抱き上げた。ユウトは嬉しくなって首に腕を回し、ぎゅっと抱きついた。
お母さんがリビングのドアの取っ手を掴んで、引っ張り、開けた。
「……ブラウニー!」
ユウトは思わず叫んだ。
リビングの壁という壁にはユウトが用意した輪っか飾りと色とりどりの動物や雪の結晶。真っ赤なリボンを結んだ椅子に囲まれたテーブルの真ん中に熱々の湯気がたったチキン。お父さんとお母さんの座る場所には花の形に折られたハンカチとブラウニーが作ってユウトがメッセージを書いたカードが並んでいた。ユウトの席にもカードがあった。
「これは……どういうことだ?」
お父さんは不思議そうに部屋中を見回して首を傾げた。ユウトとお母さんの目が合った。
「きっと、小さなサンタクロースの仕業よ。ね?」
お母さんが笑った。ユウトは頷いた。お父さんは訳がわからず、ただキレイなクリスマス色の部屋を眺めていた。
それからお母さんが作ったオムライスを食べて、ユウトが初めて作ったケーキを切り分け、こっそり分けておいた小さな一切れを紙のお皿にのせてユウトの部屋に持って行った。
ブラウニーが置いていったユウト宛のクリスマスカードは開くとお城と花火が飛び出すカードで、メッセージを書くところには小さな手の跡がいくつもスタンプされていた。これはきっとクリスマスの準備を手伝ってくれた妖精の手だと説明すると、お父さんは目を細めてその手形をじっと見つめた。お母さんは
「友達から貰ったプレゼントだから大事にしなさい。」
と言って笑った。
ユウトは頷くとカードをそっと胸に抱きしめた。それからアニメのDVDを見て、夜更かしと甘いココアを心ゆくまで楽しんだ。
「サンタさんが来る前に寝なさい。」
いつものようにお母さんが言ったけれど、ユウトは首を横に振った。
「僕がほしかったプレゼントはもう貰っちゃったから、サンタさんはきっと来ないよ。」
お母さんは人差し指を立てて、左右に振った。
「サンタさんのお手伝いをした特別イイ子にはきっと特別なプレゼントを用意してくれてるはずよ。」
「特別なプレゼント?」
「そう。だからもう寝なさい。」
二人はユウトを部屋まで連れてきてベッドに寝かせた。電気を消して、おやすみを言い、ユウトが肩まで布団をかけたのを確かめて部屋から出て行った。
だけどユウトは今日一日のことや、ブラウニーと過ごした日々のことを思い出すとすぐには眠れそうになかった。とても幸せで、これまでにないほど楽しいクリスマスだった。
「ありがとう、ブラウニー。」
そう呟いてみたけれど、ブラウニーからの合図はなかった。
静かな部屋に不安が募る。もしかしたらブラウニーは魔法を使いすぎたせいで力を失ってしまっていて、もうユウトの前に現れてくれないかもしれない。
いてもたってもいられなくなって、ユウトは飛び起きた。ベッドから出て、一番近くにあった机の明かりをつける。ぼんやり薄い蛍光灯の光で壁に貼り付けたブラウニーの絵が浮かび上がる。
足音を立てないようにそっと近付いていくと、そこにはユウトがエンピツで描いた白黒のブラウニーではなく
赤と白の服を着た小さなサンタクロースが描かれていた。