【七ノ花】 迫る女
その日は朝から強い雨が降っていた。
高須慶一が麻生美幸の訃報を知ったのは、彼が学校に着いて間もなくのことだった。その日の朝、学校のホームルームの時間にて、担任の口から彼女の死を聞かされた。
初め、慶一は自分が何かの冗談を聞いているのではないかとさえ思ってしまった。なにしろ、昨日まで一緒に映研の仕事をしていた先輩が、今日になって急に死んだなどと聞かされたのだ。あまりにも現実離れした話を耳にして、一瞬、自分がまだ家のベッドの中で夢を見ているのではないかとさえ思ってしまった。
もっとも、これが夢ではなく現実であることは、慶一自身もわかっていた。頬をつねっても当然のように傷みは感じたし、なにより慶一の担任は、人の死をネタに冗談を言うような人間ではない。
それから先は、もう授業の内容など頭に入らなかった。ただ、外の雨の音だけが、慶一の耳にやけに煩く響いていた。
麻生美幸が死んだ。担任は不慮の事故と説明していたが、慶一には到底納得できるものではない。いや、慶一だけでなく、恐らくは今この場にいない映研のメンバーたちは、誰一人として納得などしないだろう。
昨日、映研の活動中に見つけた、ビデオの映像に紛れ込んでいた黒衣の女。その女と一緒に映っていた美幸の死を、映像を見た翌日に聞かされる。
幽霊や妖怪の話の類などは信じていない方だったが、今回ばかりは慶一も、何か妙な因縁のようなものを感じざるを得なかった。偶然で片付けることもできるのだろうが、それでもどこかひっかかる。
悶々とした空気の中、慶一は一刻も早く授業が終わることだけを考えていた。できることなら、早く映研のメンバーに合って話をしたい。不謹慎と笑われるかもしれないが、それでもいい。あのビデオと美幸の死が、何の関係もないことを証明できればそれでいい。
予鈴が一つ鳴るたびに、慶一は自分まで急かされているような気がして落ち着かなかった。途中、何度か先生に注意されることもあったが、それさえも適当に謝罪して流してしまった。目先の成績のことよりも、ただ、美幸の死についての真相が知りたかった。
外では未だ、雨が激しい音を立てて降り続いている。昨日の夜から本格的に降り始めた雨は、翌日の昼を過ぎても一向に止む気配がない。
ふと、窓の外を見ると、校庭の隅にある花壇に咲いている紫陽花が目に入った。別に、取り立てて変わった光景ではないのだが、毬のように固まった薄紫色の花を見ていると、慶一はなぜだか無性に不安をかき立てられるような気がして思わず目を逸らした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
慶一が映研の会室を訪れたとき、そこにはまだ誰もいなかった。まあ、無理もない。いくら秋の文化祭に向けて映画作製をしているとはいえ、連日サークル活動をしているわけでもない。今日は本来であれば活動のない日であり、他のメンバーが来ていないのも当然といえば当然だった。
ガランとした部屋の中を見回すと、慶一の視界に電源の落ちたテレビが飛び込んできた。昨日、合宿で撮影したビデオを繋いで見た、あのテレビだ。
画面には何も映っていなかったが、それでも慶一の脳裏には、昨日のできごとがまざまざと蘇ってきた。
麻生美幸の演じるヒロインが、日没直後のバス停で恋人のことを想い佇んでいる一場面。その背景に映り込んだ、黒衣を着た髪の長い女。その顔は常に下に向けられたままで、表情は柳の枝のような髪の毛に隠されてわからない。
数年前、何かのホラー映画で見た女の幽霊の姿と重なって、慶一は自分の肩が震えたのがわかった。
この世に霊など存在しない。巷で噂されている怪談話など、所詮は下らない都市伝説に過ぎない。今までもそう思っていたし、これからも、その考えは変わらない。いや、変えたくないと言った方が正しかった。
麻生美幸の死と、ビデオに映り込んだ黒衣の女。その二つに何の因果関係もないと証明するために、自分は映研の会室に来たのではなかったか。心のどこかで未知なる者に怯えている自分から、不安を取り除いて安心するため。そのために、わざわざここまで足を運んできたのだ。
このまま考えていても仕方ない。そう思った慶一は、とりあえず昨日のビデオをもう一度確認してみることにした。あれは、確か昨日の活動の最後に、正仁と瑞希がしまっていたはずだ。
普段、備品が入っているロッカーを開くと、そこにはいつも自分たちが使っている様々な道具が押し込まれていた。あの、≪魔窟≫と呼ばれる倉庫の中ほどではないが、やはり汚いことに変わりはない。もっとも、慶一自身も掃除は苦手な方なので、自分から率先して何かを片付けようとは思わなかったが。
「えっと……。確か、この辺に配線をしまってあったよな……」
箱に入ったビデオカメラと、それから例の映像が納められたディスク。それに、テレビに繋ぐための配線を引っ張り出し、慶一はそれらを部屋の中央にある長机の上に置いた。
果たして、昨日見たものは本当に現実だったのか。否、それ以前に、あれと美幸の死について、本当に何か関係があるのだろうか。
もう一度ビデオを見ることで、それがわかるとは思えない。しかし、ここで何もせず待っているだけでは、自分の中の不安な気持ちを振り払えそうになくて嫌だった。
外では未だ、雨が激しい音を立てて降り続いている。その音に少しだけ耳障りなものを感じながら、慶一はビデオカメラの入っている箱に手をかけた。
「あの……」
次の瞬間、唐突に後ろから声をかけられて、慶一は思わず肩を震わせて手を止めた。
「あっ……。もしかして……ボク、邪魔でしたか?」
聞き慣れた声に、慶一は思わず胸を撫で下ろして後ろを見る。声の主は、同じく映研に所属している、後輩の瑞希だった。
「なんだ、瑞希かよ。まったく……脅かすなよな」
「ご、ごめんなさい。それよりも……今日って、活動がある日じゃないですよね? 先輩は、ここで何をしているんですか?」
「えっ……。いや、何をしているって言われても……」
美幸の死の原因が、もしかすると例のビデオに映った女にあるのかもしれない。そう思って調べに来たなどとは、口が裂けても言えなかった。
そもそも、本当に美幸の死と例の女が関係あるのか。それは、慶一本人にもわかっていない。それなのに、さも知ったような顔をして、後輩の前で怪談じみた持論を述べるのも気が引けた。
それに、慶一自身、今回の件が本当に例のビデオに理由があるのかどうか、それさえも見当がついていない。ただ、自分の不安を解消するために、自分の妙な考えを否定してもらうために会室に来たなど、後輩の女の子の前で口にするのは少し恥ずかしいところもあった。
「そう言うお前こそ、何しに来たんだよ。悪いけど、今は俺以外に誰もここにはいないぜ」
先ほど瑞希に尋ねられたことを、慶一はそっくりそのまま投げ返した。
「何をって……。ボクは、ただ……ちょっと、昨日のことが気になって……」
長机の上に置かれたビデオカメラに、自然と瑞希の目が向いている。恐らくは瑞希も、慶
一と同じ考えでここに来たのだろう。麻生美幸の死と昨日見た奇妙なビデオ。その二つに、もしかすると何らかの関係性があるのではないかと。
「昨日のこと、か……。実は、俺もそうなんだよな。麻生先輩と一緒に映ってた、あの女。あれのことが、ちょっと気になってさ」
「えっ、先輩もそうだったんですかぁ!?」
「どうやらそっちも、同じ理由だったみたいだな」
「はい。ボク……今朝、麻生先輩が亡くなったって先生から聞いて……。それで、昨日のことを思い出したら、急に不安になって……」
ぽつり、ぽつりと、呟くようにして瑞希は言った。慶一と目的が同じだとわかり、緊張が解れたせいだろうか。最後の方は、今にも泣き出しそうな声になっていた。
普段の彼女からは想像できない姿だが、やはり瑞希も女の子だ。同好会の先輩が亡くなったとなれば、泣きたくなる気持ちもわからないでもない。
目の前で不安そうにうつむいている瑞希を見て、慶一は思わず彼女の頭に手を置いていた。不謹慎だとはわかっていが、今の瑞希はいつもとは違い、少しだけ可愛く映っていた。
「ま、お前が不安になるのも仕方ねえよな。俺だって、麻生先輩のことを聞いたときにはびっくりしたしさ。今だって、昨日のことが気になって、気がついたら会室に来ちまったんだからな」
「うぅ……。でも、やっぱり、よくよく考えたら不謹慎ですよね。先輩が亡くなったのは事故かもしれないのに、なんか怪談話みたいなこと考えちゃって……」
「まあな。でも、このまま終わりにして明日から普段通り過ごせって言われても、俺には無理だぜ。先輩が死んだのを茶化すつもりはないけど……あんなもん見ちまった後だからさ。できれば、昨日のあれは何にも関係ないってことを、自分の中で納得してから帰りたいんだよな」
そう言いながら、慶一は自分でも瑞希の前で格好つけているのがわかっていた。
昨日のビデオを見たところで、麻生美幸の死の真相がわかるとは限らない。ビデオに映った女と美幸の関係だって不明のままだろうし、下手をすれば、疑念がより強まることになるだけかもしれない。
本当は、ここでビデオを再生したところで、何の解決にもならないことはわかっている。だが、ここまで来てしまったら引き下がるわけにもいかず、慶一は瑞希と共にビデオとテレビを配線で繋ぎ始めた。
「先輩。この配線って、ここに繋ぐんでいいんですかぁ?」
赤、黄、白。先端が三色の端子にわかれた配線を手に、瑞希が慶一に尋ねてきた。その口調は先ほどの不安げなものではなく、いつもの彼女のものに戻っている。自分と話すことで少しでも不安が和らいだのかと思うと、慶一も自分が少しは役に立てたような気がして安心した。
ビデオカメラとテレビを繋ぎ、プラスチックのケースに入っていたディスクを取り出してカメラに入れる。ディスクは場面毎に分けられて名前がついているので、お目当てのものを見つけるのは簡単だ。
カメラの側面にある蓋が、軽い機械音を立ててディスクを飲み込んだ。このまま放っておけば、後は機械が自動的に再生してくれる。
テレビ画面に画像が映し出されると、慶一と瑞希は部屋の隅に置いてあったパイプ椅子を広げてテレビの前に並べた。目の前では既に昨日見た合宿での光景が映し出されており、二人は無言のまま自分の用意したパイプ椅子に腰かける。
画面の前で構える二人に、既に言葉はなかった。その場の流れからなし崩し的に映像を再生することになってしまったが、やはりどこか不安が残っているのだろう。昨日見た薄気味の悪い女の姿が頭の中によみがえり、なんとも言えぬ重苦しい空気が部屋を包んでいる。
(もうすぐだ……。もうすぐ、昨日のあれが映ってるやつが出てくる……)
問題のシーンが迫るにつれ、慶一はいつの間にか自分が両手を堅く握りしめているのに気がついた。その手はじっとりと汗で濡れ、気がつけば背中にも同じものが伝わっている。
ふと、横を見ると、瑞希もまた顔を強張らせて固まっているようだった。なんとか画面から目をそむけないようにしているようだが、それでも完全に感情を隠しきれているわけではない。
このまま映像を流してしまって、本当に大丈夫なのだろうか。昨日は不気味な黒衣の女が映っているだけだったが、本当に昨日と同じ映像が流れるという保証はあるのだろうか。まさか、そんなことはないとは思いたいが、もしも昨日の映像とは違い、あの女以上に不気味なものが映り込んでいたら……。
考えるだけ馬鹿らしいと思ったが、例のシーンが近づくにつれ、慶一の頭には悪い想像ばかりが浮かんでくるようになっていた。恐らく、それは瑞希も同じだろう。亡くなった美幸ほどではないが、昨日は瑞希もそれなりに恐がっていた。普段は少年のように振舞うこともある彼女だが、やはり年頃の女の子なのだろう。
「あの……高須先輩……」
画面が日没直後のバス停に切り替わった瞬間、瑞希が慶一の名前を呼んだ。その声はどこか震えており、怯えているのは明白だった。
「大丈夫だって。これ、ただのビデオだから。そう、ただのビデオだよ……」
まだ何も聞かれていないのに、慶一は瑞希に向かってそう言った。それはまるで、自分自身に言い聞かせているとも受け取れる喋り方だった。
情けない。心霊現象など端から信じていないはずだったのに、気がつけば薄気味の悪いビデオの映像一つに怯えている。そんな自分が嫌になりそうな慶一だったが、後輩の手前、今さらここで逃げ出すわけにもいかない。
やがて、画面は問題のシーンに切り替わり、慶一と瑞希の身体に緊張が走った。
暗い、日の落ちたバス亭に佇む、今は亡き美幸の演じるヒロイン。その彼女の後ろに、例の女は立っていた。昨日と同じように、頭を下に向けた状態で、長い髪の毛を柳の枝のように下に垂らして。
編集の終わっていない映像は、当然のことながら効果音などついていない。この場面、美幸が喋らないことも相俟って、今は無声映画のように映像が流れるだけになっている。そのことが、後ろにいる女の不気味さを更に引き立てて、なんともいえぬ薄気味の悪い空気を作り上げていた。
画面の向こう側で、女はただじっと立っていた。歩くわけでもなく、喋るわけでもなく、ただひたすらに、闇の中で揺れているだけである。
一見して昨日と同じ、気味の悪いビデオの映像。薄暗いバス亭に佇む女の姿は確かに見ていて気持ちのよいものではなかったが、それだけだ。こんなビデオのせいで美幸が死んだなどとは、やはり考え難いものがある。
美幸の訃報を聞いたときには頭の中を不安がよぎったが、それも考え過ぎだったようだ。こんなビデオに、人を殺す力などあってたまるか。たまたま気味の悪い者が映り込んだからといって、そう簡単に人が亡くなることなどありえない。否、あってはならないと言った方が正しいか。
そこまで考えたとき、慶一は画面の中に映っている女の姿を見て、それに少しばかりの違和感を覚えた。
昨日見たビデオの女と、今日見たビデオの女。同じ黒衣の女なのに、どこか違って見えるのは気のせいだろうか。
具体的にどこが違っているかと聞かれればわからないのだが、妙に頭の中でひっかかることだけは確かだ。映像全体のバランスとでも言えばいいのだろうか。昨日見た映像と基本的には同じものなのだろうが、なんというか、女の位置だけが微妙にずれているように感じられるのである。
気がついた時には、慶一の手は側に置いてあったリモコンに伸びていた。そのまま巻き戻しのボタンを押して、先ほどの映像の冒頭部分までビデオを巻き戻す。
「ちょっ……。先輩、何してるんですかぁ!?」
「何って……ちょっと、映像を巻き戻してるんだよ。さっきのやつ……なんか、昨日見たのとは、ちょっと違った感じがしたから」
「違ったって……何かまた、変なものでも映ってたんですかぁ?」
「いや、そうじゃない。俺にもよくわからないんだけど……とにかく、なんか変なんだよ」
本当は、あんな映像など繰り返し見たいとは思わない。しかし、頭の中に妙な靄を残したまま、映研の会室を去るわけにはいかなかった。
自分はいったい、ここで何をしているのだろう。麻生美幸の死と奇妙なビデオの関係を調べようと来てはみたが、結局のところ何もわかってはいない。その一方で、ビデオに映った女の姿に妙な違和感を抱き、気がつけば例の映像を何度も繰り返し見ようとしている。
慶一自身、既に自分でも何がしたいのかわからなくなっていた。ただ、自分の中にある様々な不安を解消し、枕を高くして眠りたい。いや、より具体的に言うのであれば、美幸の死とビデオの女に何の関係もないことを、自分の目で見て納得したい。そういう気持ちだったのだろう。
巻き戻された映像が、再び慶一と瑞希の前で流れ始める。バス停の向こう側に佇む黒衣の女も、以前と同じように映っている。
二度、三度と繰り返して見ている内に、慶一にも先ほどの違和感の正体がわかってきた。
女がこちらに近づいて来ている。そんなものは気のせいだと言われれば、確かにそれまでなのかもしれない。それほど微々たる変化ではあったものの、それでも慶一には、黒衣の女が画面の奥からこちらに向かって来ているような気がしてならなかった。
最初はバス亭の向こう側にいた女が、だんだんとこちらに近づいてくる。道路を渡り、美幸のいる方のバス停まで足を伸ばし、最後は画面から抜け出してこちら側の世界にまで……。
そこまで考えたとき、映研の会室の扉が何の前触れもなく開け放たれた。決して乱暴に開かれたわけではなかったが、その音を聞いて、慶一と瑞希は揃って声を上げて飛び上がった。
「おい。お前達……こんなところで、何やってんだ?」
後ろから聞こえてきた声に、慶一は少しだけ安心した様子で胸を撫で下ろした。この声は、間違いなく男のものだ。あの、黒衣の女がやってきたわけではない。
声のする方に目を向けると、そこには正仁が立っていた。どうやら今の時間、会室に人がいないと踏んでいたようで、向こうも少しばかり驚いた顔をしている。
「なんだ、久瀬先輩ですか。まったく……脅かさないでくださいよ……」
「なんだってことはないだろ。そういうお前達こそ、こんな場所で何やってたんだよ。今日は別に、活動日でもなんでもないってのにさ」
「いや、その……。実は、昨日のビデオに映ってた変なもんのことが気になって……。あれ、なんだったのか、ちょっと確かめに来たんですけど……」
「ああ、そういうことか。お前達、もしかしてあれが、幽霊かなんかだと思ってんのか?」
未だ画面に映し出されている不気味な映像を他所に、正仁はさらりと言ってのけた。画面の向こう側で黒髪を垂らしている女のことなど、まるで気にも止めていない様子だった。
そもそも正仁は、呪いだの祟りだのといった話に関しては、端から相手にしていない性格である。慶一もその手の話には懐疑的な部分があるものの、正仁はそれ以上だ。なんというか、ホラーだのオカルトだのといった話に対して、酷く淡泊な部分がある。現に、昨年の文化祭に出したホラー映画の作製も、最後まで納得いかずに参加していたのは正仁に他ならなかった。
顔を知った先輩が入って来たことで、慶一は少しだけ緊張が解れたのを感じていた。一見してオタクのような外見をしている正仁だが、極めて現実的な思考も持ち合わせている。気難しいのが欠点でもあったが、こうして平然とした顔をされてしまうと、なんだか今まで自分が怖がっていたことが、妙に馬鹿馬鹿しく思えてならない。
だが、そうはいっても、慶一は正仁に今しがた自分が気づいたことについて語ろうとは思わなかった。なにしろ、気難しい正仁のこと。オカルティックな話を否定する性格も相俟って、こちらの主張などは一笑にふされることだろう。
「ったく、ビビりなやつらだな。あんなもん、たまたまバス停にいた女が映り込んだだけだって」
聞かれてもいないのに、正仁は小馬鹿にするような顔をして慶一と瑞希に言った。もっとも、それを聞いても慶一は、未だ自分の中に燻っている疑念のようなものを振り払うことができなかったが。
「まあ、そうですよね。麻生先輩のことがあったから……ちょっと、柄にもなくへこんでたのかもしれません」
「なるほどな。でも、それとこれとは別に関係のない話なんじゃないか? 確かに、麻生が亡くなったのは、俺も残念だとは思うけどさ……」
最後の方は、さすがの正仁も言葉を濁していた。昨日まで一緒にいた映研の仲間が、今日になって二度と会えない場所に行ってしまったことを知ったのだ。それだけに、さすがにいつもの強い口調で、慶一の言葉を否定することができなかった。
「おい。それはそうと、お前達……この辺で、ノートを見なかったか? 昨日、この部屋に置いてっちまったみたいでな。あれがないと、ちょっと困ったことになるんだが……」
「えっ? ノート、ですか……。俺が来たときから長机の上は何もありませんでしたけど……。なんだったら、一緒に探しましょうか?」
「悪いな、高須。それじゃあ、ちょっと力貸してもらうぜ」
口ではそんなことを言いながらも、正仁は何ら悪びれた表情をしていなかった。もっとも、彼はそういった類の感情表現が苦手なだけで、別に悪気はなかったのかもしれない。
流れていた映像を一度停止し、慶一と瑞希は正仁と一緒にノートを探すことにした。いざ、こうやって探し物をしていると、急に現実に引き戻されたような気がして頭の中が冷めてくる。いったい、自分は何を怖がっていたのだろう。ただ、ノートを探しているだけだというのに、そんな気持ちにさえさせられる。
程なくして、正仁の探していたノートは会室の隅にある棚の中から見つかった。最後に、正仁はビデオカメラの中からディスクを抜き取ると、それを小さなケースに入れて自分の鞄の中にしまった。
「あの……。先輩、そのディスクをどうするつもりですか?」
「ああ、これか? なんか、お前達が妙にビビってたみたいだったからな。ノートを探してくれた礼もあるし、ちょっと俺が代わりに調べてやるよ」
「ほ、本当ですか!? でも……先輩って確か、オカルト話は信じてないんじゃありませんでしたっけ……?」
「だからこそってやつだよ。変な先入観があると、思い込みで突っ走っちまうこともあるからな。その点、俺だったらそんな心配もないから安心しな」
「は、はい。それじゃあ、すいませんけどお願いします」
「任せとけって。まあ、明日のこの時間には、お前達の心配が取り越し苦労だったって教えてやるからよ」
そう言うと、正仁はその大柄な手で、慶一の背中を軽く叩いて笑った。後輩から頼られたことで、柄にもなく気をよくしたのだろうか。どちらにせよ、慶一にとって好都合だったことには変わりない。
あのままビデオの映像と睨めっこしていたところで、慶一と瑞希だけでは正直なところお手上げだった。麻生美幸の死とビデオの女との関係など、よくよく考えれば調べられるはずもない。否、それ以前に、女の正体が何者なのかでさえも、探る術を持っていないのだ。
その点、正仁は映研の中でも映像関係に強い人間だった。パソコン関係の知識も豊富で、特に動画や特殊効果についても詳しい。実際、映画を作製する際にも、正仁が編集業務の殆どを手掛けていると言っても過言ではないほどなのだ。
結局、自分たちの力だけでは、美幸の死の真相も黒衣の女の正体もつかむことができなかった。しかし、正仁にビデオの調査を頼めたのだから、まったくの無駄足というわけでもなかっただろう。
美幸が亡くなった原因を突き止めることはできないかもしれないが、あの黒衣の女が何者なのかということだけならば、正仁に任せておけば十分に調べてもらえそうだ。あれが本当に人間なのか、それとも幽霊の類なのか、正仁なら納得のゆく答えを出せるに違いない。
本心では、正仁に幽霊の存在を否定してもらいたいのだろう。黒衣の女が単なるバス待ちの客だったということで、心の安心を得たいのだろう。
内心、卑怯だと思いつつも、今の慶一にできることは限界があった。利用しているようで申し訳ない気持ちになりつつも、慶一は瑞希と一緒に一足先に会室を後にした。