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【参ノ花】  宵の宴

 映画の撮影が始まったのは、ミーティングがあった週の土曜日からだった。


 あれから数日間、敢は時に他のメンバーたちに意見を求めながらも、脚本を完璧なものに仕上げていた。今では白地の紙に印刷された台本として、映研のメンバー全員の手にコピーが渡っている。


「それにしても、随分とまた田舎なところに来たわねぇ。こんなところ、土日の連休使わなかったら、普段は絶対に来たりしないわよね」


 一足先に顔を出し始めたセミたちの鳴き声を聞きながら、雨音が額の汗を拭って言った。隣では、両手いっぱいに買い物袋を持った慶一が、無言のまま力なく頷いている。


 今、彼らが来ているのは、郊外にある田舎町の一つだった。辺りに田んぼや畑が広がり、遠くの方には山も見える。その光景は典型的な田園風景と言えるようなものだったが、ここは別に観光地というわけではない。名所の類があるわけでもなく、本当の意味でどこにでもある閑静な田舎町の一つなのだ。


 彼らを始めとした映研のメンバーは、現在はこの田舎町にある小さな民宿に泊まっていた。映画の撮影のために訪れたとはいえ、ちょっとした合宿気分である。もっとも、そのための買い出しなどをやらねばならないのは、はっきり言って少しばかり面倒臭かった。


 本来であれば、買い出しなどは下っ端の一年生がやる仕事だ。しかし、今回の合宿は遅めの新人歓迎を兼ねており、一年生に労働をさせてはならないというのが会長である敢の意向である。結果、今回に限っては、二年生である慶一や雨音、それに亮が雑用を引き受けることとなっていた。


「はぁ……。ようやく帰って来れたか……」


 民宿の入口に辿りつき、慶一は持っていた袋をドサリと降ろす。中に入っているものは、殆どが菓子かペットボトル飲料の類だ。後は、小道具の補修などに使う、紙やテープなどが少々といったところか。


 民宿の中に戻ると、途端に涼しい風が慶一と雨音の二人を包んだ。夏が近づくに連れて蒸し暑さの増している外とは違い、民宿の中は冷房が効いていて快適だ。


「それじゃあ、慶一は先輩たちの待っている部屋に、ジュースとお菓子を運んでおいて。領収書は、私から後で瀧川先輩に渡しておくから」


「おいおい。この荷物、俺だけで二階の部屋に運ぶのかよ」


「大丈夫、大丈夫。ここまでだって、慶一がほとんど一人で運んで来れたんじゃない」


「それはそうだけどさ……。お前だって、ちょっとくらいは手伝ってくれてもいいじゃんか」


「なに言ってんの。本当だったら、今回の買い出しは慶一だけで行くはずだったんだからね。付き合ってあげただけでも、ありがたいと思いなさいよ」


 そう言いながら、雨音は眉を少しばかり吊り上げて慶一を睨んだ。


 今回の買い出しは、くじ引きではずれを引いた慶一の担当だった。だが、慶一を一人で行かせるのは心配だということで、雨音が直々に同伴を申し出たのである。


 結果、小さな荷物程度なら持ってもらえたし、買い物も手際よく済ませることができた。確かに、それは助かったのだが……どうせなら、最後まで手伝ってくれてもいいのではないかと慶一は思った。


「ああ、そうそう。私はこれから、シャワーを浴びて汗を流すから。念のため言っておくけど……あんた、覗いたりしたら殺すからね」


「わかってるよ、そんなこと。ってか、そんなつまんねえもん、誰が好き好んで見るかっての……」


 最後の方は、雨音に聞こえないくらい小さな声で言ったつもりだった。が、それでも、女子というものは悪口に敏感な生き物なのだろうか。


 次の瞬間、慶一が身構えるよりも早く、彼の顔面に強烈なパンチが飛んできた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 映画の撮影が始まったのは、慶一と雨音が買い出しから帰って程なくしてからのことだった。


 今回の合宿では、映画の制作に使えそうなシーンを一通りまとめて撮ってしまおうという目論見もある。この手の話に詳しい者にとっては常識かもしれないが、映画というのは、別に脚本の順番通りに撮影を進めなくても良い。いや、映画だけでなく、大概のフィクション作品は、個別に撮ったシーンの繋ぎ合わせで作っていることがほとんどだ。


 今年の映研の作品、≪アジサイの咲く頃≫は、出だしと終わりに田舎町のシーンが存在する。それらの場面をチマチマと撮影しているわけにはいかないので、まずはこの合宿でまとめて撮影してしまうことにしている。どうしても撮り直す必要があれば、またこの街を訪れることになるのだろうが、それは夏休みに入ってからでも十分だ。


 観光客の少ない小さな田舎町ということも相俟って、その日の撮影はとんとん拍子で進んだ。


 余計な人がいないということは、それだけ撮影に集中できるということでもある。無関係の通行人が入って映像を撮り直すような羽目に陥ることも少ないし、交通量の少なさから、道のど真ん中でも平気で撮影ができる。なんにせよ、余計な邪魔が入らないで撮影に集中できるということは、映研のメンバーたちにとっても願ったり叶ったりだった。


「ふぅ……。とりあえず、今日はみんなご苦労さん。一年生にとっては初めての撮影だったけど、まあそれなりに上手くはいったかな?」


 敢が映研のメンバーたち、ことに一年生の秀彰や瑞希にねぎらいの言葉をかけた。


 民宿の部屋に並べられた菓子と飲み物の山を囲う様にして、映研のメンバーたちは輪になって集まっている。その中には、以前のミーティングには姿を見せていなかった、二人の人間も混ざっていた。


「はいはい、堅苦しい挨拶はそこまで。折角の合宿なんだし、青春は大いに楽しまなくっちゃ損よ、損」


 缶ビールを片手に、輪の外側にいた女性が声を上げて言った。彼女の年齢は、どう見ても敢や慶一たちより一回りくらい上だ。ショートパンツとTシャツというラフな格好で、部屋の隅にある座布団の上に胡坐をかいて座っている。


「あっ、古賀先生! いいんですか……引率の先生が、生徒の前で飲酒なんて」


 雨音が少し呆れたような顔をして、その女性を見た。もっとも、古河と呼ばれたその女性は、気にすることなく手にしたビールを堪能している。


「ああ、生き返るわね! やっぱり夏は、冷やしたビールが最高ね」


 生徒たちよりも一足先に喉を潤して、古河明恵こがあきえは満足げに言ってのけた。


 同好会とはいえ、それでも学校が公認している課外活動の一つ。当然のことながら、顧問の存在は不可欠となる。非常勤講師の身であったものの、明恵は学校から半ば押し付けられるような形で、映研の顧問をさせられていた。


 本来であれば、部活にはそれなりの知識を持った人間を顧問につけるのが普通である。同じ体育教師でも野球ができる者が野球部の、サッカーが得意な者がサッカー部の顧問になる。剣道部や柔道部などに至っては、顧問が有段者であることも多い。


 また、仮に特殊な知識に乏しい者であっても、生徒指導能力のある人間が部活動の顧問につくこともある。その一方で、同好会の顧問などをさせられる教員は、ほとんどが間に合わせのように仕事を任されているだけの者が多かった。


 正式な部活動とは違い、あくまで学生のやっている同好会。いかに伝統があろうとも、あくまで学校側からすれば、部活よりも格下の扱いである。


 そんな活動には、女の非常勤でも置いておけばいい。そう言わんばかりに学校側から仕事を押し付けられたときは、さすがに明恵も憤慨した。


 元来、気の強い明恵のこと。「女の非常勤だからって、舐めるんじゃないわよ!!」と、思わず教頭に食ってかかろうとしたものの、今となってはそれも懐かしい。


 彼女が映研の顧問になってから、もう三年ほどの時が経つ。もとより場の空気を自分なりに楽しむことが上手い明恵は、いつしか映研のアイドル講師的な存在となっていた。


「ほらほら。あなたたちも、折角用意したお菓子が余ってるわよ。こんなこと、滅多にやれるもんじゃないんだし、楽しめるときに楽しんでおかなかったら勿体ないわよ」


 ほとんど男のような格好で豪快にビールを飲み干す明恵に、秀人や瑞希はどう答えていいのかわからない。一方、敢や正仁は慣れたもので、さっさとペットボトルの口を空けると、紙コップに飲み物を注ぎ始めた。


「あっ、先輩! 先輩がやらなくても、俺がやりますから」


 敢の横にあった紙コップを取って、慶一が言った。いくらなんでも、さすがに先輩に飲み物を注がせてしまうのは申し訳ない。そう思って、慶一も近くにあった500mlのペットボトルを手に取ると、その蓋を空けて中のお茶をコップに注ぐ。


「えっと……。麻生先輩は、お茶でよかったですか?」


 敢の隣に座っている少女に慶一が尋ねた。麻生美幸あそうみゆき。先日のミーティングに、アルバイトの関係で参加できなかった三年生だ。


「うん。ありがとう、慶一君」


 何気なく笑っただけだったが、そんな美幸の顔に、慶一はしばし見惚れていた。天使のような明るい笑顔と、スカートから覗く白い足。これを前にして、見るなという方が無理だろう。


 慶一が知る中でも、美幸は間違いなく美少女の部類に入る人間だった。身体の線は細く、グラビアアイドルのようなセクシーな色気はないが、代わりに控え目で優しい気品のある空気をまとっている。映研の中ではマドンナのような存在で、映画のヒロインは問答無用で美幸が推されることが多かった。


 現に、昨年の映画でも、美幸はメインヒロインの役を演じていた。美幸はお化けだの幽霊だのといった話が大嫌いだったので、安っぽいホラー映画とはいえ本気で怖がっていた。それが映画に僅かばかりの臨場感を与えていたのが、あの駄作において唯一評価できる部分だ。


 もっとも、どう見ても作り物にしか見えない怪物を前にして悲鳴を上げている美幸の姿は、恐怖を煽るというよりも彼女の可愛さを引き立てているといった方が正しい。本人は意識していないのだろうが、去年の映画のせいで、学校内に美幸のファンができたのは間違いない。


「ちょっと、慶一! なに、麻生先輩の方見て鼻の下伸ばしてんのよ! ホント、いやらしいわね!!」


 慶一の隣に座っていた雨音が、立腹した様子で彼の頬をつねった。突然、頬に刺すような痛みが走り、慶一は思わずその場で飛び上がって雨音に叫んだ。


「痛っ! おい、雨音! お前、いきなり何すんだよ!!」


「なによ、大袈裟に。ちょっと、ほっぺたつねっただけじゃない」


「だから、なんで俺が、お前につねられなきゃならないんだよ!」


「さあね。自分の胸にでも聞いてみたら。さっきから、麻生先輩の足元ばっかり見ちゃって……この、ドスケベ!!」


「なんだよ。さてはお前、妬いてんのか?」


「なっ……! 馬鹿なこと言わないでよ!!」


 慶一と雨音。先日のミーティングに引き続き、痴話喧嘩の第二ラウンドが始まった。昨年、二人が映研に入って来てからというもの、ほぼ毎週の如く繰り返されている一瞬の風物詩だ。


「おいおい。こんなところまで来て、またいつもの夫婦喧嘩か? まったく、お前らは一年の頃から成長しねえよな」


 足元に広げられたスナック菓子を口に放り込みながら、亮が笑って言った。彼にとっては見慣れた光景だったが、年である秀彰や瑞希にとっては、夫婦喧嘩云々の下りは初めて耳にする言葉だった。


「ええっ! 高須先輩と皆口先輩って、そういう関係だったんですかぁ!?」


 大袈裟に口元を覆い、瑞希が叫ぶ。常にジャージ姿でいることの方が多いような少女だが、こんなときの反応は、年相応の女の子のそれと同じだ。


「ちょっと、亮! 誰が夫婦よ、誰が!!」


 横で驚いている瑞希を他所に、雨音が亮に怒鳴る。怒りの矛先を向けられてはたまらないと、亮は雨音の追求から逃れるように、少しばかり身を引いた。


「まあまあ、皆口もいいかげんに落ち付けって。さっきのは、軽い冗談みたいなもんなんだからさ」


 部屋の隅に積まれた座布団の上に飛び乗って、亮はへらへらと笑っていた。どうにも馬鹿にされている感が拭えない雨音だったが、ここで頭に血を昇らせても相手の思うつぼだ。


 この辺り、亮は他人を手玉に取るのが非常にうまいと思う。妙に博識な一面がある半面、普段は人を食ったようなことも平気で言うのだから、まことにつかみどころのない人間と言えよう。


 そういえば、昨年のホラー映画作製の際、亮は自分から進んでモンスター役を引き受けた。なんでも、「人を食うのは俺の専売特許」などと言って、自ら人食いゾンビの役になれるよう、先輩に裏でお願いしておいたとか。


 自分の性格さえネタにしたブラックジョークのつもりだろうか。そんなことを平気でやってのけてしまう辺りからして、やはり口では亮に敵わないと思ってしまう。


「はぁ……。でも、高須先輩と皆口先輩が変な関係じゃなくて、ボクも安心しましたよぉ」


 騒ぎが収まったところで、瑞希がほっと胸を撫で下ろした様子で言っていた。


 彼女の言う変な関係とは、いったいどんな関係なのか。その点に突っ込みを入れてやりたいと思った雨音だったが、ここはあえて我慢した。うかつに訊けば、それこそ再び亮にいじられるためのネタを提供しているようなものだ。


「ほらほら。皆口さんも、いつまでもむくれてないの。早く食べないと、お菓子、なくなっちゃうわよ」


 明恵が横から雨音をせっつく。ふと見ると、その顔は既に耳の先まで赤い。いつの間に空けたのか、彼女の足元には既に数本のビールの缶が転がっているのが見える。


「先生……。ちょっと、飲み過ぎじゃないんですか?」


「何言ってんのよ。この私が、この程度のお酒で酔っ払うわけないでしょう。なんだったら、皆口さんも一足先に、大人の階段を登ってみるかしら?」


 酒臭い息を吐きながら、明恵が雨音に顔を近づけて来た。最悪だ。いくら非常勤講師とはいえ、引率の教員がこれでは話にならない。普段は気さくで生徒にも人気のある先生なのだろうが、これでは万が一にも何かの事故が起きた際に、迅速な対応ができるとは思えない。


 法律と、果ては指導者という自分の立場さえも無視して酒を勧めてくる明恵に対し、雨音は一言、「けっこうです」とだけ告げて席を立った。そのまま窓辺に向かって溜息を吐くと、彼女の息で窓がほんの微かに白く濁った。


 映画は好きだし、映研のメンバーたちも嫌いなわけではない。しかし、彼らといると、どうにも疲れてしまうのも確かだ。明恵からは「皆口さんは真面目すぎる」などと言われていたが、あながちそれも、嘘ではないのかもしれない。


 菓子の山を広げながら下らない話で盛り上がっている仲間を背に、雨音は窓の外に映る景色に目をやった。昼間は緑一色に包まれていた山々も、今は夜の闇に覆われて真っ黒だ。街の中にも灯りはまばらで、どこか寂しい感じがする。


 民宿から続く道のさらに向こう。山の麓にあるバス亭の姿を思い浮かべながら、雨音は今日の撮影のことを振り返った。


 バス停で想い人を待つ一人の少女。演じるのは、もちろん映研のマドンナである麻生美幸。清楚で可憐なイメージを白いワンピースが引き立てて、黙っていてもそれだけで絵になる光景だ。


 このシーンは、特に美幸が何かを喋るわけではない。ただ、無言の中にも強い想いを秘めているような演技をしなければならず、それなりに大変だったことを覚えている。雨音自身が何かを演じたわけではなかったが、既に日の落ちたばかりのバス停で何度もリテイクを繰り返した結果、危うく最終バスを逃すことになってしまったのは記憶に新しい。


(それにしても、今日はなんだかんだで大変だったわね。古賀先生ほどじゃないけど……たまには私も、少しくらい羽目をを外してもいいのかな?)


 今日の撮影が思いの他にハードスケジュールだったことを考えると、途端に真面目ぶっている自分が馬鹿らしくなった。


 好きなことをやっているとはいえ、それでも全てがうまくいったわけではない。ストレスが溜まることもあるだろうし、何かをやり遂げた後、打ち上げの様な空気を楽しみたいという者もいるだろう。


 窓の脇に下がっているカーテンを閉めると、雨音はどこか納得したような顔をして、再び仲間たちが談笑している席に戻って行った。

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