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【拾九ノ花】  二十年前の亡霊

 牧原が慶一の家に着いたとき、そこには慶一だけでなく、彼らの両親と数人の制服警官の姿もあった。


 聞き取りを続ける制服警官を呼び止めて、牧原は事の詳細を簡単に説明させる。先ほど慶一からあった連絡を含めて整理すると、どうやら次のようになるらしい。


 まず、慶一が今朝になって郵便受けを見てみると、新聞を覆っている袋に血が付いているのがわかった。なにかと思って郵便受けの中を覗いたところ、そこには何者かによって放り込まれた、二つの目玉が転がっていたという。


 最初、目玉を見た両親は、これは誰かの性質の悪い悪戯だと思ったそうだ。ここ最近、近所で物騒な事件が起きているので、それに便乗して豚の目玉でも放り込んだのではないか。そう思ったという。


 だが、そんな中で慶一だけは、これが人間の物ではないかと疑って聞かなかった。現場に呼び出された警察官達も対応に困っていたが、牧原には慶一の言っていることに、あまり想像したくない心当たりがあった。


 公園で見た、木に吊るされる形で発見された田村秀彰の遺体。かなり激しく刺殺されたようだが、それだけではなく、遺体からは両方の眼球がなくなっていた。


 血の涙を流す埴輪の顔。変わり果てた秀彰の姿を思い出し、牧原は込み上げてくる吐き気を堪えて飲み込んだ。


 刑事という仕事を続けて決して日が浅いわけではないが、やはり猟奇殺人事件の遺体というものは見慣れるものではない。監察医の連中の中には、ああいった遺体の検死解剖を終えた後に焼き肉を食いに行けるような人間もいるらしいが、さすがに牧原もそこまで大胆な真似はできない。


「災難だったな、慶一君」


 玄関先で質問を続ける制服警官を押しのけて、牧原は慶一に声をかけた。もっと他に言い方があったとは思うが、今の牧原には、このくらいしか慶一にかけてやる言葉が思い浮かばなかった。


「あっ……刑事さん。本当に来てくれたんですか?」


「ああ。君からの連絡を受けたとき、僕もちょうど仕事で外に出ていてね。それよりも、こんなところで立ち話をするのもなんだ。ちょっと、場所を変えて話さないか?」


 なるべく慶一や両親を不安がらせないように言葉を選びながら、牧原はなんとか場所を変えて話せないものかと考えた。


 慶一の自宅で発見された二つの目玉。これは恐らく、殺された秀彰のものに間違いはない。新聞配達員が慶一の家に新聞を届けるのは、だいたい五時から六時の間。そうなると、秀彰はそれ以前の時間に殺されて、犯人はその目玉を抉り出し慶一の家の郵便受けに放り込んだということになる。


 まったくもって、考えただけで胸が悪くなる話だ。刑事である牧原でさえそう思うのだから、慶一にとってはかなりの衝撃だったのだろう。もっとも、これから話す話の内容によっては、慶一に更なる不安を与えることになるのは目に見えていたが。


 秀彰の死を、果たして慶一に伝えるべきか。しばらく悩んだ末、牧原は場所を変えて、改めて慶一に伝えることにした。


 遅かれ早かれ、秀彰の死は慶一の耳に届くことになる。その際、彼の遺体の発見された状況を慶一が知れば、彼はこちらに対する信用を完全に失ってしまうだろう。


 なぜ、あのときに言ってくれなかったのか。その不信は牧原個人に対するものから警察全体へと向けられて、慶一に捜査協力を依頼することが難しくなってしまう。


 所詮はただの高校生。協力と言っても聞きとりくらいしかできないのだが、彼は同時に事件の犯人から狙われている身でもある。これ以上の惨劇を防ぎたい牧原としては、慶一に要らぬ不信感を抱かれるのは、あまり得策とはいえなかった。


「すいません。ちょっと、慶一君と二人でお話ししたいことがあるんですが……よろしいでしょうか?」


 念のため、牧原は慶一の両親に確認を取る。どうせ、あれこれと理由をつけて反対されるのだろうが、最後は強引に押し切ってしまおうとも考えた。


 案の定、初めは慶一の両親も、自分の息子だけが別の場所に連れて行かれることに対して反対した。こちらは事件の被害者だ。それなのに、どうして息子だけ警察に連れて行かれなければならないのか。それが両親の言い分だった。


 特に、父親からの反発が激しかったが、最終的には慶一本人が同意したために、両親もそれ以上は何も言えなくなったようだった。なんにしても、これは牧原にとって都合がよい。慶一の気が変わらない内に彼をパトカーに乗せると、牧原は運転席に座っている制服警官に命令して車を出させた。


 早朝、雨上がりの街中を、牧原と慶一を乗せたパトカーが走る。とりあえずは、その辺の喫茶店にでも場所を移して話をするか。そう思っていた牧原だったが、このまま慶一を隣に放置しておくわけにもいかなかった。


「とりあえず、簡単に話そうか」


 頃合を見計らって、牧原は慶一にゆっくりと話し始めた。どうせ、いずれは全てを話さねばならないのだ。今、この場で少し話をしても、大して変わりはないだろう。


「まずは、落ちついて聞いて欲しいんだが……今朝、君の友人の田村秀彰君。彼が、公園で変死体になって発見された」


「えっ……! ひ、秀が!?」


「僕も彼に、一度会っているから間違いはない。犯人は夜の内に秀彰君を殺害したようだが……家から遺体を運びだしたのか、それとも外に誘いだして殺したのかは、まだわかっていない」


「夜の内って……。やっぱり、犯人は堀井有紗の憑依した、何者かってことですか?」


「それも不明だ。だが、君の家で発見された二つの目玉。恐らくあれは、秀彰君のものだろう。彼の遺体からは、眼球がなくなっていたからね。これが何かを意味するものなのか、それとも単なる嫌がらせなのか……その辺りも含めて、現在捜査中だ」


「そう……ですか……」


 やはり、いきなりでは重すぎる話だったか。だが、ここまで話してしまった以上、牧原にも後戻りは許されなかった。


「すまない。昨日、君たちから例のノートを貰って話を聞いたばかりだというのに……僕の力が及ばなかった」


「いえ……。刑事さんのせいじゃないですよ。それに……亮はあんなこと言ってましたけど、俺は正直、まだ半信半疑な部分もあります。本当に犯人が堀井有紗の怨霊なら……やっぱり、人間の俺たちがどう足掻いても、敵わないんじゃないかって思うんです……」


 最後の方になるにつれ、慶一の声が小さくなっていった。確かに、その気持ちもわからないではない。相手が本当に悪霊のような存在であれば、警察の力など無力に等しい。


 もっとも、牧原からすれば、幽霊のような存在が人を殺すなどとは未だに信じられない話だった。現に、秀彰の遺体は全身を鋭利な刃物で刺された姿で発見された。それ以前に発見された被害者の遺体も、動揺に刺殺された痕がある。凶器を用いてしか人を殺せない以上、人の太刀打ちできない相手ではない。そう思いたかった。


「慶一君。君の言いたいことはわかるが、僕はまだ、犯人が人間だと思っている。仮に、百歩譲って、悪霊のような存在がとり憑いた人間だったとしても……相手が人間だったら、まだ対処のしようがあるだろう」


「それは……確かに、そうですけど。でも、現にこうやって、俺の仲間はどんどん死んでます。俺からすれば、超能力みたいな力で殺されるのも、ナイフで後ろから刺されるのも、大して変わんないですよ。先輩も、あの神主さんも、それに秀も……結局は、堀井有紗の怨念から逃げられなかったわけですし……」


「だが、だからこそ、君たちの協力が必要なんだ。これ以上の犠牲者を出さないためにも、今は少しでも情報が欲しい。それが例え、君たちが下らないことだと思っている情報だったとしてもね」


 自分はあくまで、一刑事としてこの事件を解決する。だから、幽霊の話云々は抜きに、こちらに協力して欲しい。そういうつもりで言った牧原だったが、慶一からの返事はなかった。


 これ以上は、場所を変えても同じことか。本当はもう少し詳しく色々な話を聞きたかったが、慶一の精神状態を考えると、あまり彼を連れ回すのも得策ではない。


 そう、牧原が考えたとき、彼のポケットに入っている携帯電話が唐突に鳴り出した。一瞬、場の空気がリセットされたことを感じながら、牧原は手慣れた様子で電話を取り出し呼び出しに応じた。


「はい。牧原です」


 慶一に話しかけていたときとは違う、どこか鋭さのある顔つきになった。穏やかなサラリーマン風の顔から一転して、事件の犯人を追いつめるときに見せるそれになる。


 電話の相手は、どうやら警察署にいる牧原の部下のようだった。牧原は電話越しに部下からの報告を受けると、最後に引き続き情報を集めるように言って電話を切った。


「刑事さん。今の、誰ですか?」


「ああ。ちょっと、署の方で下っ端に頼んで置いた仕事があってね。昨日、君たちからもらったノートなんだが……僕の方でも気になって、あのノートを書いた人間を探してみたんだよ。過去に類似の事件が起きていないかどうか、その辺の調査も含めてね」


「それで……結果は?」


「喜んでいいのかどうかわからないけど、とりあえずは大当たりだった。二十年前、君の学校では確かに連続殺人事件が起きていたんだ。事件は犯人が警察に出頭する形で幕を閉じたみたいだけど……当時、その犯人が高校生だったということもあって、そのまま闇に葬られたみたいだね」


 牧原は電話の内容をかいつまんで話しているだけだったが、それを聞いている慶一の面持ちは、徐々に険しいものになっていった。


 二十年前、今の慶一たちを襲ったのと同じ、連続殺人事件が存在した。その犯人は自ら警察に出頭し、事件は解決されたことになった。


 あの、ノートの最後に記されていた内容と、不気味なまでに一致する話だ。堀井有紗の怨霊に憑依された人間が、自分でも気づかない内に殺人を繰り返す。そして、最後はその事実に気づき、自ら警察に出頭した。大方、そんなところだろう。


 こんな事件があったことは、当然のことながら慶一達も知らなかった。事件による風評を恐れた学校側が、二十年という歳月の間に揉み消してしまったとも考えられる。どちらにせよ、事件の真相を知る者は、今の学校や慶一の暮らす街には数えるほどしかいないはずだ。


「慶一君。僕はこれから、例のノートを書いたと思しき人物に会いに行く。君には申し訳ないが、ゆっくりと話を聞く時間がなくなってしまったね。駅前まで戻って車を止めるから、君はそこから家に帰るんだ」


 ここから先は、警察の捜査の一環だ。慶一を無駄に巻き込むことはしたくない。だが、そんな牧原の考えに反し、慶一は首を縦に振ろうとはしなかった。


「すいません、刑事さん。勝手なことってわかってはいるんですけど……俺も、その人に会うことってできますか?」


「君が? し、しかし……これは、一応は捜査の一環で……」


「でも、俺たちだって、事件の当事者です。だから、≪知る権利≫ってやつもありますよね?」


「それは、微妙に言葉の使い方を間違えている気もするが……」


「お願いです! 先輩たちが殺されて……それに、秀まで殺されて……俺だって、もうじっとしてるのは限界なんですよ! なんで、俺たちが狙われるのか……。どうして秀が、殺されなきゃならなかったのか……。真実ってやつが目の前にあるなら、それを知りたいんだ!!」


「なるほど、真実か……。まあ、君の気持ちもわからないではないが、本当にいいのかい? 下手をすると、あまり聞きたくないことを聞くような結果になるかもしれないよ」


「構いません。あのノートを書いた人に会うことで、堀井有紗の怨霊と戦う方法がわかるなら……俺にだって、覚悟はあります」


 もう、ここまで来たら後戻りはできない。秀が殺されたことによって、慶一自身もそれは十分に理解していた。


 どうせ、このまま何もしなければ、最終的には死を待つばかりになるのだろう。ならば、全てを警察に任せて逃げ回るのではなく、こちらから呪いに立ち向かってやる。先輩や秀の敵討ちではないが、これ以上堀井有紗の好きにさせてなるものか。


 呪いという不条理な存在と戦う意思を固めた真っ直ぐな瞳。そんなものを見せつけられては、さすがの牧原も折れざるを得なかった。


 本当は、慶一を捜査につき添わせるのは嫌だったが、既に四人の生徒が殺されている。ここで慶一の意思を汲まず、とにかくこちらを信じて待てと言ったところで、信用してはくれないだろう。


 大通りに出たパトカーの横を、朝の街中を歩くたくさんの人が通り過ぎて行く。それら道端を行き交う人々を横目に、牧原と慶一を乗せたパトカーは、ノートの書き手が待つ場所を目指して走り去った。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 慶一と牧原を乗せたパトカーが止まったのは、白塗りの壁が目立つ病院の手前だった。


 車を降り、運転席にいる男に軽く指示を出すと、牧原は改めて目の前にそびえ立つ病院を見た。先ほど、車の中で部下から連絡を受けて向かった先。それが、他でもないこの病院だ。


 一見して、どこにでもありそうな大病院。しかし、この病院に収容されている人間が何者なのかを知れば、ここが単なる大病院ではないと気づくだろう。


 統合失調症、解離性人格障害、妄想性障害。その他、様々な精神疾患を抱える患者たちが、この病院には集められていた。しかも、それらの中でもかなり重度の症状を持ち、なかなか治療が進まない人間たちの、隔離病棟的な意味合いが強い場所だった。


「さて、と……。ここまで来て、こんなこと言うのもあれだけど……本当に、覚悟はいいんだね、慶一君」


 隣にいる慶一に、牧原は念を押すようにして最後の確認をした。


 この先に広がっているのは、牧原にとっても未知の世界。院内で治療を受けているのは、極めて不安定かつ危険な精神状態にある者たちばかりだ。


 刑事の自分でさえ、この場所に足を踏み入れることには若干の躊躇いを感じている。では、これが単なる高校生の慶一にとってはどうだろうか。恐らく、今の牧原以上に緊張しているであろうことは、傍から見ても明白だった。


「先に言っておくけど、ここに収容されているのは、世間一般で言われる精神病の患者だ。それも、かなり重症で、隔離して入院させなければならないほどのね……。そんな人たちの収容されているような場所に入ることに、君が抵抗を感じるのなら……悪いことは言わないから、今からでも引き返した方がいい」


「べ、別に平気ですよ。俺だって、車の中で刑事さんに話は聞きましたから。そのくらいの覚悟は、できているつもりです」


 口ではそう言いながらも、慶一の声は震えていた。堀井有紗の怨霊も恐ろしいが、精神の均衡を欠いて社会から隔絶されざるを得なかった者たちと対峙することも、また動揺に怖い。それでもなお、慶一を突き動かしていたのは、真実に少しでも近づきたいという使命感のような感情だった。


 白塗りの牢獄。正にその言葉が相応しい院内へと足を踏み入れると、微かな消毒薬の匂いが鼻を刺激した。精神疾患の患者を専門に扱う病院でも、この匂いだけは他と同じなのだろうか。そんなことを考えていると、やがて若い看護婦が現れ、二人を面会の部屋へと案内した。


 部屋を出る際、看護婦は慶一と牧原を見比べるようにして、訝しげな顔をしながら立ち去った。まあ、無理もないだろう。牧原が刑事だということは知っていたが、その刑事が、なぜ慶一のような少年を連れているのか。普通の人間であれば、その非常識な組み合わせに疑念を抱くのも当然だ。


「ここが、あのノートを書いたって人と話すための部屋ですか? なんだか、刑務所にもありそうな場所ですね」


「ああ、そう言われてみればそうだね。ここはあくまで治療を専門としている場所だけど、人を閉じ込めておくってことには変わりないしな」


 部屋に入ってからというものの、慶一は妙に自分の胸の奥がそわそわするのを止められなかった。こうして牧原と話していなければ、不安でこちらの頭までおかしくなってしまいそうだ。


 慶一と牧原の座る椅子の前には、ガラス張りの壁がある。その向こう側にも部屋があり、どうやら患者はその部屋の中から面会する人間と会話できるようだった。


 向こう側の部屋には中央に椅子が一つあるだけで、後は他に何もない。実に殺風景な場所だと慶一は思ったが、あそこに座るのは普通の人間ではない。いつ、何を考えて、どんな行動に及ぶかわからない以上、あのように何もない部屋の方が安全なのかもしれない。


 程なくして、付添いの医師に連れられる形で、面会を約束していた男が現れた。男は部屋の中央にある椅子に腰かけて慶一と牧原を見ると、一瞬だけ口元を三日月のように歪め、それから直ぐに口の前で手を組んで口元を隠した。


「あれが……あの、ノートを書いた人なのか……」


 慶一の予想とは違い、男は随分とやつれた姿をしていた。それは、この病院で長期に渡り暮らしているからかもしれなかったし、その心の中に抱える闇が表に現れているからかもしれなかった。


「ふん……。あんた達かい、俺を呼び出したのは?」


 低く、くぐもったような声で、男は慶一と牧原に言った。こけた頬のせいか、二つの目玉が必要以上に飛び出して見える。ぎょろりとしたそれで睨まれると、それだけで慶一の背中に不快な痒みが走った。


「灘岡署の牧原だ。君が、石鎚勝いしづちまさるで間違いはないかい?」


 場の空気に飲まれ、何もできない慶一に代わり、牧原が男に名前を聞いた。部下からの報告で既に聞いていたのか、牧原は男の名前を知っていた。


「いかにも、俺が石鎚勝さ。それで……わざわざ警察が俺に何の用だ? 二十年前の事件のことなら、とっくに解決してるだろう?」


「その、事件について聞きたい。二十年前、君は当時の灘岡高等学校に通い、映画研究会に所属していたと聞くが……そのことに、間違いはないか?」


「ああ、そうだ。確かに俺は、二十年前に映研に所属していたさ。だが、もう全ては終わったことだ。今更になって、事件のことを蒸し返したところで何になる?」


「それが、あるんだよ。君が事件を起こしてから二十年後の今、再び同様の手口の事件が灘岡高校で起きている。しかも、君と同じ映研のメンバーが巻き込まれる形でね。今日、新たに警察が発見した遺体を含めると、既に五人もの人間が犠牲になっているんだ」


「ほう……。そいつは興味深い話だな」


 石鎚と呼ばれた男は、口元を隠していた手を下に落ろしてにやりと笑った。身体は真っ直ぐ正面を向けたまま、首だけを牧原の隣にいる慶一に向ける。


「おい、小僧。お前……さては、灘岡高校の人間か?」


「えっ……? は、はぁ……」


「そんなに固くなるこたぁねえよ。それよりも……お前、もしかして、例の倉庫から古びた桐の箱を持ち出したんじゃないか? それで、その中に入っている脚本を取り出した。違うか?」


「そ、それは……」


 心の中を見透かされたような気がして、慶一の顔に動揺が走った。その隙を見逃さず、石井は畳みかけるようにして慶一に尋ねる。今までは質問していたのが牧原だったのだが、いつしか尋ねる側と答える側を逆転させられていた。


「お前達があの脚本を引っ張り出して、それに何らかの関わりを持ったなら……残念だが、もう逃げることはできねえよ。堀井のやつに殺されるか、それとも全てを失って俺のようになるか……その、どちらかしか道はないぜ」


「堀井……? もしかして、それは堀井有紗のことを言ってるのか!?」


「それ以外にどんな堀井がいるってんだよ、小僧。あの脚本を手にしたお前ならわかるだろ? 堀井のやつは、正真正銘の大悪霊だ。あいつの力に抗えるやつなんて、まともな人間にはいやしねえさ」


 石鎚がけらけらと笑いながら、慶一の方を見てさも楽しそうに言った。人の不幸を嘲笑い、面白がっているような様子に、慶一は見ているだけで不愉快な気分にさせられた。


「お前達が、どうしてあれの封印を解いちまったのかは興味ねえよ。ただ、堀井の力は本物だ。あいつは他の人間に憑いて人を殺す。誰かの中に潜んで、夜になると、その凶暴な一面を剥き出しにして……殺したいやつを、一人ずつ始末していくのさ。それも、ガキが虫けらを甚振るような、残酷な方法でな……。うふ……ふふふ……」


 話している間に感情が高ぶって来たのだろうか。石鎚が、徐々に身体を左右に揺らしながら小刻みに笑い始めた。牧原が病院の者を呼ぼうと思って立ち上がったが、それでも止まらない。石鎚は薄気味悪い笑い声を上げながら、更に二人に向かって話を続ける。


「あいつは……堀井のやつは、生きてた頃から演技のうまいやつだったからなぁ……。役が降りて来るっていうのか? あいつは演技をするときに、本当にその人間になりきっちまう。死んでからも、そいつは変わらねえ」


「変わらないって……。それじゃあ、今も堀井有紗は、どこかの誰かの中に潜んでいるってのか!?」


「小僧、なかなかいい勘してるじゃねえか。お前の考えている通り……堀井のやつは、とり憑いたやつに成りきって行動するのさ。その演技があまりに巧みなもんで、憑かれた人間も、最初は気がつかないんだよ。夜、堀井のやつが闇に紛れて人を殺している記憶を、完全に自分のもんだと思い込んじまう」


 石鎚が、慶一の方に同意を求めるような視線を送ってきた。そんなことを言われても、こっちだってわかるものか。そう思った慶一は石鎚から目を逸らして牧原の方を見たが、石鎚はそれさえもお構いなしに、ガラスの向こう側で話し続けた。


「最初は俺も、自分が堀井に憑かれているなんて思ってなかったぜ。夜、堀井のやつが俺を使って人を殺すのを、なんとなく夢に見ていただけだ。ただ、最後の方は……堀井が演じているのか、それとも自分の意思なのか……それが、自分でもわかんなくなっちまったんだよなぁ……。ひひっ……ひひひっ……」


 しゃっくりのような笑い声を上げながら、石鎚はやけに饒舌になって話を続けた。慶一は、そんな石鎚に何も返さない。先ほどは堀井有紗の名前が出たことで自分を取り戻した慶一だったが、今ではまた、完全に石鎚のペースに飲み込まれていた。


「馬鹿らしい。それじゃ君は、あのノートに自分で書いたように、堀井有紗の霊が君にとり憑いて人を殺させていたって言いたいのか!?」


 慶一に代わり、今度は牧原が叫んだ。なんとかこちらに主導権を取り戻したい。そんな焦りもあったのだろうが、ガラス越しの石鎚は、それさえも見越しているようだった。


「くくっ……くふふっ……。まあ、そう慌てんなよ、刑事さん。それよりも、いいことを教えてやる。優しい俺様からの、お前達へのアドバイスだ」


 相変わらず不敵な笑みを湛えながら、石鎚はぬうっと顔だけを前に突き出して牧原と慶一を交互に見た。骸骨のようにやつれた顔は、しかし、実に楽しそうに笑っている。


「堀井のやつだって、なにも全員が全員に憑依できるってわけじゃねえ。とり憑く相性ってのか? とにかく、そういったもんが関係してるらしくて、あいつは自分が最も憑き易いやつに憑くんだ。二十年前は、たまたまそれが俺だったんだろうな」


「憑き易いやつだと? まるで、君自身が霊媒師の才能があるとでも言いたげな感じだな」


「霊媒師、か……。あはっ……あひゃひゃひゃっ……! こいつは楽しい発想だぜ!!」


「ごまかすな。こっちはこれでも真剣なんだぞ!!」


 いったい、牧原の発言の何が面白かったのか。牧原自身、石鎚の行動には理解しかねる部分が多かった。今まで人を食うような意地の悪い笑みを浮かべていたと思ったら、他愛もないことで急に腹を抱えて笑い出す。とてもではないが、まともに会話ができる状態ではない。


 やはり、ここに来たのは間違いだったか。いくら二十年前の事件のことを知っているとはいえ、石鎚は所詮、精神疾患を抱えた男。妄想と現実の区別がつかなくなった者を相手にするのは、牧原の予想以上に困難なことだった。


「くっくっくっ……。いや、すまねえな、刑事さん。でも、あんたの発想が実に面白かったんでね。つい、我慢できなくなっちまったよ」


「いいから話を続けてくれないか? もう、時間が残り少ない」


「だから、そう慌てんなって言ってるだろ? それに、俺はあんたの考えているような、霊媒師みたいな力はねえよ。ただ、俺の身体が堀井のやつと、体質的に同調しやすいってだけだったのさ。俺が警察に自首した後、堀井が俺にそう言って来たぜ」


「ふう……。あくまで君は、堀井有紗の怨霊が憑依した誰かが、人を殺していると言いたいんだな?」


 もう、これ以上は埒が明かない。牧原は困った顔をして頭を掻くと、石鎚は実に嬉しそうにしながら、けらけらと小馬鹿にしたように笑っていた。


 やがて、程なくして面会の時間は終わりを迎え、石鎚は病院の人間によって連れて行かれた。後に残された牧原は、あれはもう駄目だろうと思って石鎚の去った後の部屋を見つめていた。


 石鎚の症状は、俗に言うな二重人格のような物なのだろう。自分の中に、堀井有紗の怨霊というもう一人の人格がある。それが、時に石鎚の表に出て、おぞましい殺人を繰り返す。そうやって、自分の意思の及ばないところで、石鎚は人を殺して来たのではないだろうか。


 最後、石鎚自身に堀井の怨霊が真相を告げに来たというのも、二重人格で説明はつく。多重人格者は、ときに複数の人格が脳内で会議のようなことを始めることがあるという。ということは、石鎚もまた、そのような状態になったのではないか。自分の中でもう一人の自分と会話する。そんな不思議な現象を、堀井有紗の怨霊と話したと思っているのではないだろうか。


 二十年前に同様の事件が起きていたことで、牧原はその関係者が生きていたと知ったとき、事件解決の可能性に淡い期待を抱いていた。だが、先ほどの石鎚との会話で、それは無残にも打ち砕かれた。


 警察として、幽霊が事件の犯人だったなど、絶対に認めるわけにはいかない。これは、石鎚同様の妄執にとり憑かれた、何者かによる犯罪だ。犯人の目的は不明だが、過去の事件になぞらえるような形で、慶一たち映研のメンバーを殺害している。そう考えるのが、牧原としては一番しっくり来る。


 どちらにせよ、捜査は振り出しに戻ってしまったか。そんなことを考えながら、牧原はふと、隣にいる慶一の顔を見た。


「大丈夫かい、慶一君。なんだか、君にはただ、嫌な思いをさせるだけで終わってしまったようだね」


「いえ……。別に、平気ですよ……」


 牧原の心配を他所に、慶一はどこか焦点の定まらない瞳のまま、ぼうっと部屋の奥を見つめていた。


「本当に大丈夫かい? なんだか、随分と顔色が悪いが……」


 明らかに、ここに来る前の慶一とは違う空気を感じ、牧原は訝しげな表情をしながら慶一に声をかけた。だが、そんな牧原の声でさえ、当の慶一にとっては単なる雑音程度にしか聞こえていなかった。


 堀井有紗は、憑かれた人間を演じながら、巧妙に己の姿を隠して人を殺す。その演技があまりに巧みな故に、憑かれた人間は、それがあたかも自分の意思であるかのような錯覚を覚えてしまう。


 先ほど、石鎚が言っていた言葉が、慶一の頭の中で何度も蘇った。堀井の殺しの記憶は、最初は夢のような形で憑いた人間の記憶に現れる。かつて、石鎚が残したノートの記述にも、そんなことが書いてあったような気がする。


(堀井の殺しの記憶は、夢になって残るのか……? だったら、まさか、ここ最近のあれは……)


 石鎚の言葉、ノートの記述、そして慶一自身が明け方近くに見た奇妙な夢。人を刺した感触まで生々しく残る、やけにリアルな悪夢のことを思い出した。


 ここ最近、自分はあまり眠れない状態が続いていた。そればかりか、時に雨の中を徘徊しているような夢を見て、その翌日には誰かが殺されていた。


 まさか、自分が人を殺したのか。今までは気がつかないだけで、自分の中に堀井有紗が入り込んでいたのか。


 信じたくない。認めたくない。自分が先輩たちを殺したなどと。氷山神社の神主を殺し、果ては、あの気弱で大人しい秀彰を殺したなどと。


 自分はあくまで高須慶一だ。断じて堀井有紗ではない。そう言い聞かせることでしか、慶一には今の自分を保つための術が見当たらなかった。そうしていないと、今に自分も、あの石鎚のように壊れてしまう。そんな気がしてならなかった。



――――あはっ……あひゃひゃひゃっ……あひゃっ……ひひひっ……。



 石鎚の不愉快な笑い声が、慶一の頭の中で何度もこだまする。既に彼は慶一と牧原の前から消えていたが、その薄気味悪い笑い声だけは、慶一の頭にこびりついて離れなかった。

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