表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/24

【拾七ノ花】  悪夢再来

 慶一が布団の中で目を覚ましたとき、外は未だに雨だった。


 昨日は夕方から、本当に酷い降りとなった。今までになく激しい、雷を伴う雨。梅雨を開けずに一気に真夏がやってきたのではないかと思うほど、強く耳障りな雨だった。


 半日おいて、雨も少しは収まったのだろうか。カーテンを開けて窓の外を見ると、霧のような雨が街を濡らしているのがわかった。天気こそ完全に回復しなかったものの、どうやら昨日程の激しさはないようだ。


「痛てて……。なんか、昨日はあんまり、よく眠れなかったよなぁ……」


 首の筋を伸ばすようにして二、三回ほど回し、慶一はカーテンを閉めて時計を見た。


「七時か……。こういうときに限って、寝坊しないで済むってのも馬鹿らしいよな」


 目覚まし時計をベッドの上に放り投げ、寝巻代わりに着ていたシャツを脱ぎ棄てる。学校は、一昨日の事件が原因で未だ休校だ。外出も控えるように言われており、本当であれば昼過ぎまで寝ることも可能だ。昨日はそれで失敗したが、今日のような何もない日に早く目が覚めるというのも、なんというか感覚がずれていると思う。


 適当な私服に着替えると、慶一は未だ眠たい目を擦りながら階段を降りた。リビングでは、既に母親が朝食の支度を整えている。焼けたトーストの匂いが鼻をくすぐると、慶一の腹から示し合わせたように情けない音がした。


「あら、起きたのね。今日は、寝坊しなかったみたいじゃない」


 寝癖を押さえながらリビングに入ってきた慶一の顔を見て、母親が言った。


「なんか、こんな日に限ってちゃんと目が覚めるんだよな……。ところで、父さんは?」


「お父さんなら、もうとっくに会社へ行ったわよ。いくらこの街で物騒な事件があったからって、会社まで休みになるわけないじゃない」


「だよな……。俺も早く、また学校に行けるようになるといいんだけど……」


 目の前に出されたトーストをかじりながら、慶一は何気なくテレビのリモコンを取ってチャンネルを回す。この時間、どの局も朝のニュース番組をやっている。


 さして面白い番組もないだろう。どうせ、一昨日の先輩の死を、面白おかしく好き勝手に報道するニュースがやっているだけだ。そう、慶一が思ったそのとき、適当に回していたニュース番組のキャスターの口から、信じがたい言葉が飛び出した。


≪さて、たった今入ったニュースです。本日未明、K県灘岡市にある氷山神社の拝殿で、当神社の神主と思しき男が殺害されているのが発見されました≫


「えっ……」


 殺害という言葉を耳にしたときと、慶一の口からパンが零れ落ちるのが同時だった。


 氷山神社といえば、昨日、慶一たちが訪れて祈祷を頼んだ神社ではないか。そこの神主が殺された。その事実は、慶一の背中に冷たい物を走らせるのに、十分過ぎるものだった。


≪現場からは凶器のような物は発見されておらず、また、拝殿の一部が酷く荒らされていたことから、警察では強盗殺人として捜査を進めています≫


 嘘だ。そんなはずはない。あの、神主の男が殺されたなど、これは何かの悪い夢だ。


 気がつくと、コーヒーカップを握る手がカタカタと震えていた。胃の中から、先ほど飲みこんだばかりのパンが、胃液と共に逆流してきそうだ。


「母さん、悪い! 俺、ちょっと出かけてくる!!」


 喉まで飛び出しかけたパンを強引にコーヒーで流し込み、慶一はテーブルを揺らしてリビングを飛び出した。


「ちょっと、慶一! あなた、学校から外出は控えるようにって、言われているんじゃないの!?」


「ごめん! 今、それどころじゃないんだ! 別に、遊びに行くわけじゃないから、気にしないでくれよ!!」


 適当な理由など、咄嗟に思いつくはずもなかった。後ろでは未だ母親が何か叫んでいたが、そんなことは知ったことか。


 家の外に飛び出して、慶一は両手を広げて雨の様子を確認した。幸い、今は弱い霧雨のようになっており、傘を差さなくともびしょ濡れになる心配はない。


 本当は、少しでも雨に濡れたくないという気持ちがあったが、それでも仕方ないだろう。今は一刻も早く、例の神社へ行って事の真相を確かめることが大切なのだから。


 自転車で雨の街に繰り出すと、霧のように細かい水滴が、べったりと顔に貼り付いてきた。いきなり頭から水を被せられたようにはならないが、それでもかなり不快なことに変わりはない。


 片手で顔を拭いながら、慶一は氷山神社に続く坂道を駆け上がった。ペダルがいつもより重く感じるのは、この陰鬱な空気のせいだろうか。それとも、自分の中に沸き起こってきた、未だ消えぬ呪いへの恐怖からだろうか。


 程なくして神社の入口に辿りついたとき、そこには既に報道陣が山のように集まっていた。その周りを取り囲むようにして、近所の野次馬も集まっている。


 中には露骨に携帯電話で写真を撮っている者もいて、不謹慎なことこの上ない。現場を取り仕切る警察の注意などには耳も貸さず、好き勝手に叫んで騒ぎ立てているのが見ていて不愉快だった。


「くそっ……。これじゃあ、中に入って調べることなんてできないか……」


 野次馬と、報道陣と、それから警察官。さすがにあれだけの人の壁を、強引に乗り越えて境内に侵入することはできそうにない。それに、例え境内に入ったところで、それから先はどうするのか。神主が死んでいることを確認しても、自分に何ができるというわけでもない。


 とりあえず、今日はここで、一端引き上げるしかなさそうだ。そう思って自転車のハンドルを切り返そうとした慶一だったが、その矢先、今度は聞き慣れた声で後ろから呼び止められた。


「おい、慶一! お前も来てたのか!?」


「えっ……なんだ、亮か。脅かすなよ」


 そこにいたのは亮だった。慶一と同じく、こちらも傘は差さずに自転車に乗っている。恐らくは、亮も朝のニュースを見て、慌てて飛んで来たのだろう。


「なあ、慶一。お前、今朝のニュース見たか?」


「当たり前だろ。だから、こうやって朝っぱらから昨日の神社まで来たんじゃないか」


「なるほど。考えていることは、同じってわけか。実は、俺もそうなんだ」


 自転車を降り、人の少ない木の影を選んで止めると、亮はそこへ来るように慶一へ手招きした。この程度の雨ならば、木の陰に隠れるだけで十分に凌げる。そう考えてのことだ。


「それにしても……まさか、神主さんが殺されちまうなんてな……。もしかすると俺たちは、とんでもない勘違いをしてたんじゃないのか?」


「勘違い? なんだよ、それ」


「昨日、やっぱりちょっと気になって、あのノートを読み直してみたんだ。それでわかったことなんだが……どうも、堀井有紗の怨念ってやつは、俺たちの知っている一般的な幽霊とは違うみたいだな」


「だから、何が違うってんだよ。俺はお前みたいに、ちょっと何かを聞いただけで、全部を理解できるほど頭がよくないぜ」


 自分の頭が悪いことなど、自慢することでもないだろう。言ってから後悔した慶一だったが、今さらどうにもならない。それに、気になるのは亮の口から出た、一般的な幽霊とは違うという言葉だ。


 そもそも、幽霊などという非現実的な存在に、一般的であるという言葉が当てはまるのか。なんだか妙な話になってきたが、とにかく亮の話を聞いてみないことには始まらない。


 逸る気持ちを抑え、慶一は仕方なく亮の話に耳を傾けることにした。慶一が黙ったことで、亮も気を取り直して話を仕切り直す準備ができたようだった。


「とりあえず、結論から言わせてもらうぜ。俺が思うに、堀井有紗の怨霊は……たぶん、人間を直接殺す力なんてない」


「ちょっ……いきなり何言い出すんだよ、お前! だったら、この神社の神主さんが殺されたのは、どう説明するんだよ! それに、先輩たちだって……!!」


「話は最後まで聞けよ。確かに、先輩たちも、神主さんも殺されたさ。そう、殺されたんだ。警察の人間が見ても、はっきりと殺人だってわかるような殺され方でな」


「それがどうしたんだ? まさかお前……今更になって、怨念なんていないって言いだすんじゃないだろうな!?」


 どうにも話が見えて来ない。焦りばかりが表に現れ、慶一は亮に急かすような態度で迫った。


「おいおい、慌てんなよ、慶一。これだけ条件が揃ってるのに、お前はまだ気づかないのか?」


 少しくらいは、頭を使え。そう言わんばかりの顔をして、亮は慶一の腕を振り払う。相変わらず読めない奴だとは思ったが、ここで喧嘩をしても始まらない。


「悪いけど、俺にはさっぱりわかんねえ。できれば最初から、ちゃんと説明してくれよ」


 半ばヤケクソ気味になりながら、慶一は雨除けに使っている木に背中を預けて亮に言った。もう、プライドなどにこだわっている場合ではない。いつもであれば、級友に馬鹿だと思われるのは悔しい気持ちもあるが、そんなものは知ったことか。


「それじゃあ、お前にわかるように説明するさ。もっとも、これはあくまで俺の推測みたいなもんだからな。あまり本気にされても困るぜ」


「そういう前置きは要らねえよ。とにかく、これ以上は勿体ぶった言い方をしないでくれよな」


「ああ、わかったよ。なら、最初から説明するけど……まず、俺が気になったのは、ノートの最後にあった下りだよ。あの、警察に出頭するって書いてあったやつ」


「そういえば、そんなことも書いてあったような……。でも、それがいったい、今回のことと何の関係があるんだ?」


「関係は大ありだぜ、慶一。そもそも、当時の映研メンバーを堀井有紗の怨霊が呪い殺したってんなら、なんでわざわざノートの書き手が警察に出頭する必要があるんだ? そんなことしても、堀井の怨霊に手錠をかけられるわけじゃない。事件の解決方法としては、あまりに支離滅裂じゃないか」


「そりゃ……確かに、そう言われれば、そうだな」


 あの日、ノートの最後に書かれていた一文が、慶一の脳裏に蘇る。



――――これから俺は、全てを警察に話しに行く。



 あのノートの最後の方にあった、事件の結末を臭わせる一文だ。この文に前後する形で、ノートの書き手が警察に出頭したことと、脚本を≪魔窟≫の奥に封印したことが書かれていた。


 ノートの書き手は、いったい何を思って警察に出頭などしたのだろうか。あの文面から察するに、あれを書いた人間は、事件の犯人が完全に堀井有紗の怨霊であると信じていた。では、犯人が怨霊だとして、最後に自分自身が警察に出頭する必要性はなんだろうか。慶一には、それが未だにわからない。


「なあ、慶一。俺も今朝のニュースを見るまでは気がつかなかったんだが……どうも相手は、何か物理的な手段でしか、対象の人間を殺せないんじゃないか? そうでなけりゃ、警察がこうも簡単に、殺人事件だなんて言いきれるはずがないぜ。先輩たちのときも、今回の神主さんのときもな」


「でも、それって変じゃないか、亮? もしも犯人が怨霊だったら、そんなことしなくたって相手を呪い殺せるんじゃねえの? それこそ……なんか、超能力みたいなパワーを使ってさ」


「だから、そこで例のノートの文章が出てくるんだよ。これは俺の勘なんだが……堀井有紗の怨霊は、誰かに憑依することで、その人間の身体を借りて殺人を繰り返しているんじゃないか? 死んだ人間の魂が人を殺すことはできなくても、生きた人間だったら人を殺すのも簡単だろ?」


「なっ……。そ、それじゃあ、あのノートを書いた人間ってのも、もしかして……」


「たぶん、お前の思っている通りだぜ、慶一。あのノートの書き手こそが、堀井有紗の怨念にとり憑かれた人間そのものだったんだろうよ。何かの拍子に自分が憑かれていることに気づいて……でも、自分の力じゃどうにもできなくて、結局は仲間を皆殺しにしちまった。大方、そんなところだろうな」


 最後の方は、亮の声も徐々に小さなものになっていった。言っている彼自身、自分の考えに確信が持てなかったのだろうか。


 いや、違う。確信が持てなかったのではなく、認めるのが怖かったのだ。自分の言っている言葉の意味を認め、それを他人に話すのが。自分の考えていることが、本当に現実になって襲いかかって来ることが。


 堀井有紗の怨霊は、他人に憑依して殺人を行う。その力がどこまでのものなのかは知らないが、少なくとも、街の神社にいる神主程度の力では、到底祓いきれないほどに強力なものだ。


 現に、祈祷を頼んだ神主は、翌日には何者かによって殺されてしまった。これもまた、堀井有紗の怨念に関わったからなのだろうか。彼女の怨念が宿る映画の脚本と記録ディスク。それらを処分しようとしたことで、堀井有紗の怒りに触れて、逆に始末されてしまったということだろうか。


 どちらにせよ、こうなってしまっては、既に事は慶一や亮の手に負えるものではなくなっていた。いや、もしかすると、敢と正仁が≪魔窟≫に封じられた脚本の封印を解いた時点で、既に事態は取り返しのつかないところまで話が進んでしまっていたのかもしれない。


「おい、亮……。これから、お前はどうするつもりなんだ? 神主さんも殺されて……俺たちだけで、本当に堀井有紗の怨念に勝てるのか?」


「さあな。とりあえず、俺は例のノートを警察に持って行くことにする。あの牧原刑事に直接連絡を取って渡せば、少なくともゴミ箱に捨てられることはないと思うからな」


「そんなんで大丈夫なのか? 相手が怨霊なんだったら、警察なんかより霊能者にでも頼んだ方がいいんじゃねえの?」


「いや、駄目だな。本物か偽物かわからない霊能者に頼んだところで、最悪の場合、あの神主さんみたいになるのがオチだぜ。でも、相手が他人の身体を使ってしか俺たちを殺せないってんなら、まだこっちにも勝機はあるさ。警察だって、相手が人間だったなら……例えそれが幽霊のとり憑いている人間でも、まともに対峙することくらいはできるだろ?」


「そうか……。確かに、お前の言う通りかもしれないな」


 幽霊の憑依した存在とはいえ、相手が人間であれば対処のしようがある。この短時間でそれだけのことを考えていたとは、やはり亮は頭が切れる。朝、吐き戻しそうになったパンをコーヒーで飲み込んで、何も考えずに家を飛び出した自分とは大違いだ。


 なんだかこの数日間で、慶一は亮に物凄い差をつけられたように感じていた。もっとも、今はそんな亮くらいしか、頼りになる人間がいないのも事実だ。自分の不甲斐なさに苛立ちを覚えながらも、慶一は亮と共に、例のノートを牧原に渡すべく動き始めた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 慶一と亮が牧原を見つけたのは、彼らが神社の脇で話を終えてから程なくしてのことだった。


 初め、亮は牧原に連絡を取ろうとしたが、意外なことに、牧原は彼らの直ぐ近くにいた。即ち、牧原もまた、今朝の神社で起きた殺人事件の捜査に狩りだされていたというわけだ。


 思いがけない場所で出会ってしまったことにより、慶一たちは、最初は牧原に叱られるのではないかと考えた。


 学校から外出を控えるように言われ、しかも今朝になって新たな殺人事件が起きたばかりだというのに、野次馬に混ざって現場を訪れる。普通の大人からすれば、説教の一つでも食らわせてやりたくなるところだろう。


 ところが、そんな慶一と亮の予想に反し、牧原は特に何も言わず二人の話を聞いてくれた。こんな場所で立ち話もなんだということで、今は近くにあった喫茶店へ場所を移している。別に、何か食べたいわけでもなかったが、牧原は二人に小さなケーキとコーヒーを注文してくれた。


「さて……。それで、僕に話したいことってのはなんだい?」


 注文したものがテーブルに並べられたところで、牧原が二人の顔を交互に見て言った。こうして見ると、牧原はどこにでもいる普通のサラリーマンのようにしか見えない。質問しているのは彼の方からだったが、少なくとも、警察の職務質問のような雰囲気はまったくない。


「あの……笑わないで、聞いてくれますか。こんなこと話せるの、刑事さんしかいなくって……」


「おいおい、なんだか意味深な台詞だな。僕は君たちと出会って、そう日が経ってはいないけど……そんなに信用してくれているのかい?」


「ええ、まあ……。それよりも、まずはこれを読んでみてください。あの日、瀧川先輩の死体が倉庫で発見されたとき、その倉庫で俺が見つけた物なんです」


 出されたケーキとコーヒーには手をつけず、亮は牧原に例のノートを差し出した。一見してただの古ぼけたノートだが、そこは牧原も警察官だ。事件の当日、その現場で発見されたノートという言葉を耳にして、途端に表情が険しくなった。


 一枚、二枚、牧原は亮から手渡されたノートを、余すところなく入念に目を通して行く。いつしかその光景に、慶一も亮もすっかり釘付けとなっていた。喫茶店には他の客も来ていたが、そんなものは気にもならない。ウェイトレスが何かを運ぶ音も、店の扉が開く音も、二人の耳には届いて来ない。


 ページをめくる音だけが、不気味にその場を支配していた。やがて、牧原の指が最後のページをめくったとき、慶一たちの背中にも否応なく緊張が走る。


「あ、あの……刑事さん……」


 最後のページを真剣な面持ちで読んでいる牧原に、慶一の口から思わず言葉が出た。慶一自身、自分でもどうして言葉にしたのかわからない。ただ、何か言葉を発しなければ、乾ききった口の中の不快感に押し負けそうだった。


「なるほど……。君たちが僕に見せたかったものは、これか……」


 ピンク色の表紙を閉じて、牧原が重たい溜息と共に言った。ノートを読み始めてからそこまで時間は経っていなかったが、やけに長い間、例のノートを読みふけっていたような気もする。


「馬鹿げた話だと思ったら、笑ってもらっても結構です。でも、このノートに書いてあった脚本は、確かに存在しました。そして、その封印を解いてしまった先輩たちも、皆殺されて……」


 あの日、倉庫の中で倒れていた敢の姿を思い出し、慶一は言葉を詰まらせた。


 亮の言葉を信じるならば、敢はこのノートを発見し、美幸と正仁の死の原因が堀井有紗の呪いによるものだというところまで突きとめたのだろう。もっとも、その直後に何者か――――恐らくは、堀井有紗の憑依した誰か――――によって殺されてしまい、彼の口から真相が語られることはなかったが。


 死の直前まで、敢は後輩たちの身を案じ、このノートの在り処をほのめかして事切れた。そう思うと、慶一はどうしても、このノートを無駄にしたくはなかった。例え、虚言と思われても構わない。自分は先輩の残したノートを最後まで信じたい。


「君たちの言いたいことはわかったよ。でも、これで全てを呪いのせいだって言うのは、少しばかり気が早いんじゃないのかい?」


 予想通り、牧原はノートの内容について、未だ半信半疑な様子だった。まあ、無理もない話だとは思うのだが、それは慶一の気持ちを必要以上に逸らせた。


「で、でも……。現に先輩たちは殺されて、俺たちだって、いつ殺されるか……」


「おいおい、落ちつけよ。えっと……高須慶一君だったかな? 君が不安になるのはわかるけど、今のままだと、あまりにも証拠が少な過ぎる。それに、呪いで人が死ぬんなら、僕たち警察の出番なんて無いに等しいんじゃないのかい?」


「うっ……。そ、それは……」


 図星を突かれ、慶一はそれ以上何も言えなくなった。いったい、どう話せば、牧原に呪いの真実をわかってもらえるのだろう。話したいことは山ほどあるが、どうにもうまく考えがまとまらない。


「おい、慶一。あんまり後先考えずに喋んなよ。こっからは、俺が刑事さんに説明するからさ」


 自分の感情を優先して話す慶一に呆れたのだろうか。今まで黙って様子を見ていた亮が、たまりかねた様子で話に割り込んだ。


「刑事さん。実は俺たちも、最初から呪いがどうしたなんて話は半信半疑だったんです。ただ、合宿で撮影したビデオに妙な物が映っていたりして、ちょっと不安な気持ちもあったもんですから……とりあえず、脚本の原本と映像の入った記録ディスクだけでも、お祓いに出すことにしたんです」


「お祓い?」


「はい。瀧川先輩が殺されて、示し合わせたように、このノートも発見されましたからね。その頃は、俺も含めて全員が堀井有紗の呪いを信じてしまっていて……例の、氷山神社にお祓いを頼みに行ったんですよ」


「なんだって!!」


 テーブルの上のコップが、牧原の動きに合わせて揺れた。今までは聞く側に回っていた牧原が、ここにきて初めて動揺した様子を見せた。どうやら彼も、亮が何を言わんとしているのか、少しずつ理解してきているようだった。


「お祓いを頼んだ俺たちは、これで呪いから解放されるって安心してたんです。でも、その矢先に神社の神主さんが殺されて……もう、どうしていいかわかんなくなっちまって……」


「そうか……。では、君たちは、あの神社の神主も堀井有紗の怨念が殺したと……そう、言いたいのか?」


「ええ、そうです。もっとも、正確には堀井有紗の怨念が憑依した誰かによって殺されたってことなんでしょうけど。これは俺の勘ですけど、堀井有紗の怨念は、誰かの身体を借りなければ人を殺せないんじゃないかと思うんで」


「なるほど……。どうやらこれで、こっちも事件の裏で動いているものがなんなのか、ようやくわかった気がするよ」


 亮の話を聞いているうちに、牧原は再び落ち着きを取り戻したようだった。椅子の背もたれに身体を預けるようにして深く腰掛け、胸の前で腕を組んでいる。怒っているわけではないようだが、何かを考え込んでいる。そんな様子だった。


「実は……これはまだ、あまり口外しないで欲しいんだけど……」


 牧原が、慶一たちの方へ顔を近づけて言ってきた。辺りの様子を気にしながら、辛うじて三人の間だけに聞こえるような声で。


「今朝、あの神社で発見された神主の遺体なんだけどね。その殺害方法が、君たちの先輩とまったく同じなんだ」


「お、同じ!? それじゃあ、神主さんも、誰かに刺されて……」


「たぶん、間違いないはずだ。まだ、検案書が上がったわけじゃないからはっきりとは言えないけど……使われた凶器は、君たちの先輩を殺したのに使われたのと、同じものだ」


「それじゃあ……やっぱり氷山神社の神主さんも、堀井有紗の怨念がとり憑いた誰かに殺されたってことなのか……」


 もう、これは疑いようのない事実だろう。堀井有紗の怨念は、確かにこの世に存在する。それが憑依しているのが誰かは知らないが、次に狙われるのは、いよいよ残る映研のメンバーたちだ。


 唯一の救いは、相手があくまで生きた人間としてこちらに襲いかかって来るという事実だった。これが実態のない悪霊の類であれば、何も手を打てずに死を待つばかりだ。しかし、相手が人間――――霊に憑依され、超人的な力を持っていたとしても――――ならば、警察の力を借りて対抗することも可能だろう。


「とりあえず、このノートは僕の方で預かろう。君たちの言う怨念なんてものが本当に存在するかどうかは知らないけど……どうやら、以前にも同じようなことが、あの学校であったことは事実みたいだからね。今回の事件との関係性や、君たちを狙っている者が誰なのか、僕の方で調べさせてもらうよ」


「すいません。お願いします」


 ノートを鞄に詰める牧原に、慶一と亮は申し訳なさそうにして頭を下げた。テーブルの上にあるコーヒーはすっかり冷め、ケーキも手つかずの状態で残されている。が、そんな物を口にできる余裕など、今の慶一たちは持ち合わせてはいなかった。


 会計を済ませ、喫茶店を出たところで、慶一たちは牧原と別れた。最後に牧原は、「今日はもう、家の外には出ないように」とだけ念を押して、そのまま氷山神社の方へと走って行った。


「なあ、亮……。これで、本当に良かったのか?」


「さあな。でも、怨霊の話は抜きにしても、刑事さんも俺たちが狙われているってことは信じてくれたみたいじゃないか。残念だけど、後は警察が動いてくれることを信じて、こっちは家で大人しくしているしかなさそうだぜ」


「そうだな。今の俺たちにできることって言ったら、そのくらいしかないもんな……」


 霧雨の降り続く街中で、慶一と亮は互いに揃って力なく肩を落として項垂れた。


 全ては終わったと思っていた。神社に祈祷を頼んだ時点で、呪いからは解放されたと思っていた。それなのに、この悪夢のような現実は、未だ終わりを見せようとはしていない。まるで、出口のないトンネルに溢れる闇のように、慶一たちにべっとりとまとわりついて離れない。


 時刻はそろそろ昼になろうとしていたが、慶一は自分の周りだけ、なにやらどんよりとした暗い空気が漂っているような気がしてならなかった。喫茶店の脇に咲いている紫陽花の花を横目に、慶一は自転車を押しながら、自宅に通じる坂道を登って行った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ