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【拾伍ノ花】  呪われし者

 学校側から生徒たちへの一斉帰宅が命じられたのは、敢の遺体が発見されてから程なくしてのことだった。生徒たちは学校から追い出されるようにして帰され、代わりにやってきた警察が、学校内を忙しなく動いている。


 遺体の発見現場となった映研の倉庫は、現在は完全に警察の手によって封鎖されている。立ち入り禁止を示す黄色いテープが張り巡らされ、鑑識官と思しき制服姿の人間が、僅かな証拠でも見逃さんと辺りを調べ回っていた。


「で……君たちは、行方不明になった先輩の手掛かりを探そうとして、この倉庫に来た。そこで、先輩の遺体を発見したってことでいいのかな?」


 鑑識の男たちとは違う、グレーの背広に身を包んだ警察官が、慶一たちに質問していた。他でもない、あの牧原刑事だ。昨日、彼から貰った連絡先に秀彰が電話をかけたことで、彼もまた敢の遺体が発見された現場へと赴いていた。


「まあ、そんなところですね。俺が倉庫の入口で血痕を発見して、それから鍵を壊して中に入って……奥の方まで行ってみたら、先輩が死んでました」


 映研のメンバーを代表して牧原の質問に答えていたのは亮だ。その場には慶一や瑞希、それに雨音を含めた全員が戻って来ていたが、彼らに話をさせることはなく、亮だけが牧原と話していた。


「なるほど。ところで……君たちは最初に血痕を発見したとき、そこで先生に相談するってことは考えなかったのかい?」


 牧原の、探るような視線が亮に向けられる。こちらを疑っているのか、それとも単に、当時の状況を細かく知ろうとしているだけなのか。恐らくは、その両方だろう。


「一応、先生を呼びに行こうとも考えましたよ。でも、万が一のことがあったらマズイじゃないですか。そりゃ、鍵を壊したのは悪かったと思いますけど……あのときは、俺も少し、焦っていたような気がしますし……」


「そうか……。いや、ありがとう。もう十分だよ」


 牧原が、ペンを仕舞って手帳を閉じた。その顔には、既に先ほどの険しさはない。昨日、初めて慶一や亮と出会ったときのような、どこにでもいる優男のそれに戻っていた。


 程なくして、刑事たちが捜査を続ける現場に、顧問の明恵も現れた。なんでも、警察沙汰になったとのことで、生徒たちの代わりに校長室に呼ばれていたのだとか。本当は映研の生徒たちも呼び出されるはずだったようだが、そこは明恵が機転を利かせ、なんとか校長や教頭を言いくるめたようだった。


「皆、待たせたわね。大丈夫だった?」


「あっ、先生!!」


 明恵が来たことで、少しは緊張の糸が解れたのだろうか。まず、瑞希が駆け寄る形で明恵に近づき、それから全員が彼女の側に集まった。


「ごめんね、皆。校長先生たちにあれこれと説明していたら、思ったより時間を食っちゃったわ」


「別に、それは構わないですよ。こっちもこっちで、亮が中心になって、刑事さんに説明してくれていましたから」


「へぇ……。宮川君って、思ったより頼りになるのね。こんな事件が起きた後で、直ぐに警察の質問に答えられるなんて……普通、なかなかできないわよ」


「そうですよね。でも、何もできないよりはマシだと思いますよ。少なくとも、そっちにいる誰かさんなんかより、よっぽどね……」


 雨音の刺すような視線が、隣にいる慶一に向けられた。


 機転を利かせて倉庫の鍵を開け、更には刑事の質問にも臆することなく答えた亮。その、亮の指示を受け、気が動転しながらも警察にきちんと連絡を入れた秀彰。そして、先生に事の次第を伝えに行った雨音自身に、校長や教頭をいいくるめ、なんとか生徒たちを守ろうとした明恵。


 それに比べて、あんたは何もしていないわね。そう言わんばかりの表情だった。思わずむっとした慶一だったが、今は反論したい気分にもなれない。それに、確かに自分が役に立っていないのも本当だったので、面と向かって強気に出ることもできなかった。


 ところが、そんな慶一を差し置いて、雨音に突っかかったのは瑞希だった。普段、後輩として控え目にしていることが多いだけに、これにはその場にいた全員が目を丸くした。


「皆口先輩、酷いです!! 高須先輩は、あの後、ちゃんとボクのことを追いかけて来てくれたんですよ!! それなのに、そんな先輩を役立たず呼ばわりするなんて、皆口先輩は鬼ですぅ!!」


「なっ、なによ!! 別に、私は……」


「高須先輩は、ボクのことをちゃんと心配してくれたんです! だから、そんな先輩のことを悪く言うなんて、絶対に間違ってますぅ!!」


 いつになく語気を強め、瑞希は雨音を睨んで叫んだ。その身長差故に瑞希が雨音を見上げるような形になっていたが、それでも瑞希は一歩も引く様子を見せない。ともすれば、そのまま雨音に跳びかからんとする勢いで、雨音に激しい敵意を向けていた。


「おい、止めろよ、二人とも。麻生先輩や久瀬先輩だけじゃなく、瀧川先輩まで殺されたってのに……こんなところで喧嘩していても、しょうがないだろ!!」


 もう、これ以上は見ていられない。慶一が、たまらず二人の間に割って入った。もっとも、それは純粋な道徳心から来るものではなく、罪悪感につき動かされての行動と言った方が正しかったが。


 正仁に続き、敢の死の原因にも自分が関係しているかもしれない。そんな状況の中、今度は映研の仲間同士で自分を中心に揉め事を始められる。その光景に、慶一自身が耐えられなかったというだけの話だ。


「雨音……。何があったか知らねえけど、俺のこと悪く言うなら、別の場所にしてくれよな。わざわざこんな場所で言うなんて、ちょっと見苦しいだろ」


 慶一に言われ、雨音もそれ以上は何も言えなくなった。続いて慶一は、今度は未だ不服そうな顔をして雨音を睨んでいる、瑞希に向かって口を開いた。


「瑞希も止めろ。そりゃ、俺のことを庇ってくれるのは嬉しいけどさ。それで雨音と喧嘩されたんじゃ、こっちだってたまんねえよ」


「そ、そんな……。ボクは、ただ……先輩のことを悪く言われたのが許せなくって……」


「だから、俺は別に気にしてないってば。とりあえず、お前も雨音に謝れよ。後の話は、それからだ」


 最後の方は、少し念を入れるような口調になった。そこまで言われると、瑞希としても従うしかなかったのだろうか。顔を下に向けたまま雨音に謝ると、瑞希もそれ以上は何も口に出さなかった。


「はぁ……。とりあえず、三人とも気が済んだかしら? 確かに、こんな事件に巻き込まれて気が動転しているのかもしれないけど……ちょっと、節操がなさすぎるわよ」


 今まで事の成り行きを見守っていた明恵が、半ば呆れた顔をして呟いた。今しがた校長や教頭を相手に奮闘して来たばかりだというのに、ここに来てまた揉め事を起こされてはたまらない。そんな気持ちが見てとれるような表情だった。


「それじゃあ、今日は皆、もう帰りなさい。後のことは、私の方でなんとかしておくから」


「すいません。なんか、先生は何も悪くないのに、こんなことになっちまって……」


 別に、自分が悪いと言われたわけでもないのに、慶一は明恵に謝った。程なくして、その明恵に促されるような形で、慶一たちは揃って学校を後にした。


 これ以上は、あの場所にいても、返って邪魔になるだけだ。敢を殺した犯人が、果たして美幸や正仁を殺した者と同じ人間なのか。その辺りのことも含め、全ては警察に、あの牧原という刑事にお任せする他に方法がなかった。


 校門を抜け、学校の外に出ても、慶一たちの気分は晴れなかった。そればかりか、誰一人として口を利かず、無言のまま歩いている。


 映研の三年生は、これで全員がこの世を去ったことになる。それもこれも、全てはあの奇妙な映像から始まったのだ。


 合宿で撮影したビデオに映り込んだ、不気味な黒衣の女。一連の事件は、やはりあの女の呪いということなのだろうか。美幸も、正仁も、それに敢も、全てあの女によって殺されたというのだろうか。


 しかし、だとすれば、なぜ自分たちが呪われる。慶一の頭に残った疑問はそれだった。自分たちは、別に墓場を荒らしたわけでもなければ、心霊スポットに足を踏み入れたわけでもない。それなのに、たまたま映像に女が映り込んだだけで、その女に呪い殺される。こんな理不尽な話などあるものか。


 呪いか、それともビデオの映像とはまったく無関係の殺人事件か。果たして真実はどちらなのか、それがわかるまでは、何と結論をつけてよいかわからない。そう、慶一が思ったときだった。


「なあ、ところでさ……」


 今まで黙って歩いているだけだった亮が、突然口を開いた。


「皆、今日はこれから予定とかあんのか?」


「予定? なに言ってんだ、お前。例えあったとしても、先輩があんな目に遭った後だぞ。そんなもん、適当に理由つけてキャンセルするに決まってんだろ?」


「だったら話が早いな。皆、これから俺に、ちょっとつき合ってくれないか? 全員に、話しておきたいことがあるんだ」


「話しておきたいことって……なにも、こんなときに言いださなくたっていいだろ!?」


「いや。こんなときだからこそ、話しておかなきゃならないんだよ。先輩たちが殺された理由……お前は知りたくないのかよ、慶一?」


 亮の目が、先ほど牧原を相手にしていたときのそれに変わった。普段の飄々とした態度からは想像できない、険しく真剣な目だ。


 いったい、こいつは何を言い出すんだ。そういう気持ちが無かったと言えば、それは嘘になる。しかし、その一方で、三人の先輩が亡くなった理由を、どこかではっきりさせておきたいと思っている自分もいる。


「わかったぜ。でも、下らない話だったら、マジで勘弁だからな。こんな日に、お前の冗談につき合ってられるほど、こっちはタフじゃないんだ」


「冗談、か……。まあ、そう思われても仕方ないよな。来たくないんだったら、別に無理強いはしないさ」


「いや、行かせてもらうぜ。行って、話を聞いて……それで、もしも下らない話だったら、俺はその場で帰らせてもらうけど……いいか?」


「ああ、それでいいさ。他の皆も、慶一と一緒の考えってことで構わないか?」


 亮が、その場にいた全員の顔を一通り見てから言った。反論はない。やはり、雨音も瑞希も、それに秀彰も、どこかで自分の中にある疑念のようなものを振り払いたいと思っているのだろうか。


 気がつくと、空はいつしか雲に覆われ、再び雨模様になりそうだった。朝はあれだけ晴れていたというのに、梅雨時の天気というものは、どうにも意地が悪い。


 時刻は昼を少し過ぎたばかりだったが、慶一たちは、どこか足早に亮の後を追いかける形で道を急いだ。このまま雨に降られるのも嫌だったが、それ以上に、早く亮の口から彼の伝えたい何かを聞きたいという気持ちが強かった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 慶一たちが亮に案内される形で入ったのは、学校の側にある喫茶店だった。この時間、店はそこまで忙しくないのか、客の姿はあまりない。昼時のピークをちょうど終えて、しばしの休息が訪れているようだった。


「さて、と……。それじゃあ、何から話したもんかな」


 いち早く椅子に腰かけた亮が、腕を頭の後ろで組んだまま言った。


「おい、亮。お前から呼んでおいて、そいつはないだろ?」


「まあ、そうムキになるなよ、慶一。俺だって、何から話せばわかってもらえるのか、完璧に頭の整理がついてるわけじゃないんだからさ」


 そう言いながらも、亮の中では既に話すべきことは決まっているようだった。慶一に続いて雨音と瑞希、それに秀彰の三人が座ったところで、亮は徐に鞄の中から何かを取り出した。


「とりあえず、こいつを見てくれよ」


 亮が鞄の中から取り出したもの。それは、一冊の古ぼけたノートだった。ピンク色の表紙はそこまで汚れていないものの、角の部分を見ると、かなりすり減っているのがわかる。それは、中のページも同様で、黄色いカステラのような色になっていた。


「おい、亮。なんだよ、このノート」


「こいつか? 実は、あの後、皆が≪魔窟≫からいなくなったとき、俺が見つけたんだ。ちょうど、先輩の死体が指差している、その先でな」


「なっ……!? お前、そんな大事そうなもん持ち出して……なんで、牧原さんに渡さなかったんだよ!!」


「仕方ないだろ。俺だって、これが事件に本当に関係のあるものなのか、まだ少しだけ疑っているんだ。それに、ここに書かれている話なんて、刑事さんに信じてもらえるような内容じゃない」


 亮が、ノートに書かれた文字を指差しながら言った。その指先を追うような形で、慶一たちもノートに書かれた文章を読んでゆく。


 初めは、単なる映研の活動記録でしかなかったノートの内容。しかし、それは徐々に、恐るべき殺人事件の経過を書いた、驚愕の話へと変貌していった。ちょうど、書き手が変わってヒロインと脚本家が死んだ辺りから、その内容は一変したといってよい。


 まるで、何かに憑かれたようにして、慶一たちはノートのページをめくっていった。慶一だけでなく、そこにいる亮以外の全員が、ノートの中身を食い入るようにして覗きこんでいる。


 やがて、最後のページまで読み終わったところで、慶一は重い溜息を吐いてノートを閉じた。隣を見ると、雨音や瑞希も複雑そうな顔をして押し黙っている。秀彰に至っては、もう完全に怯えてしまっているようで、震えを抑えるのが精一杯といったところだった。


「なあ、亮……。これって……」


 ノートを亮の方へと突き出して、慶一が言葉を区切った。それ以上は、何も言葉にしたくはない。亮もそんな慶一の気持ちをわかっているようで、無言のままノートを受け取った。


「これでわかっただろ、慶一。俺たちは、どうやら絶対に開けてはいけない禁断の箱ってやつを開いちまったみたいだな」


「そんな……。それじゃあ、先輩たちが殺されたのは、全部そのノートに書かれていた女の……堀井有紗とかいうやつの呪いだってのか!?」


「ノートに書かれていることを信じるなら、そういうことになるな。今思えば、たぶん、あのビデオに映った女が、その堀井だったんじゃないのか? 警告か、それともこれから呪い殺すってことを伝えるための予告か……その、どっちかはわからないけど、俺たちに何かを言いたくて現れたってんなら、辻褄も合うぜ」


「辻褄も合うぜって……マジで言ってんのかよ、お前!!」


 思わず、慶一が声を荒げて前に乗り出した。ガタッ、という音がして、テーブルの上に乗っているガラスのコップが揺れた。


「おい、落ちつけよ。俺だって、まだ全部が全部、本当のことだと思っちゃいないさ。ただ、ノートに書かれた話が悪戯だとしても、あまりにもでき過ぎてるとは思わないか? 偶然で片付けるにしては、あまりに理不尽なことが、ここ最近で立て続けに起きているだろ? お前は、それをどう説明するつもりなんだ?」


「そ、それは……」


 亮にたしなめられ、慶一は再び自分の席に腰を降ろした。先ほどは柄にもなく昂奮してしまったが、確かに亮の言う通りだ。


 幽霊なんて存在しない。呪いや祟りなど、馬鹿馬鹿しい妄想の産物に過ぎない。今までは、心のどこかでそう思っていた。いや、そう思うことで、あの黒衣の女の存在を、心の奥底に仕舞いこもうとしていただけなのかもしれない。


 現実的に考えれば、確かに馬鹿馬鹿しい話だ。人の怨念が人を殺すなど、そんな話を簡単に信じろという方が無理だろう。だが、これだけ奇妙な偶然の一致があれば、もう信じる以外に道はないのかもしれない。


「ねえ、亮。それで……先輩を殺したのが本当に幽霊だったとして、これからどうするつもり?」


 慶一に代わり、雨音が亮に尋ねた。彼女もまた、幽霊や呪いといった話には、どこか懐疑的な考えを持っていた者の一人だ。それだけに、仲間を集めてわざわざあんな話をした、亮の真意が気になった。いくら普段は人を食ったような冗談を言う亮とはいえ、まさか何も考えずにあんな話をするはずがない。


 ところが、そんな雨音の予想に反し、亮の口から出たのは意外な言葉だった。


「今後のことは、俺にもわからない」


 それだけ言って、亮も顔を下に向けて言葉を切った。


「ただ、なんとかしなきゃいけないのは事実だろうな。相手が本当に幽霊なら、警察なんてアテにならない。俺たちだけで、なんとかビデオに映った女の……堀井有紗の怨念を、封じ込めなきゃいけないってことだ」


「で、でも、宮川先輩。封じるったって……僕たちは、霊能力者でもなんでもないっすよ!!」


「まあ、慌てるな、秀。俺たちに力がなくたって、誰か他に力のある人間に頼むってことぐらいはできるだろ? 例えば……神社に例の脚本とビデオ映像の入ったディスクを持って行って、お祓いしてもらうとかさ」


「お祓いかぁ……。そんなんで、本当に大丈夫っすかね……」


「残念だけど、それ以外に方法はないぜ。このノートを書いたやつは堀井有紗の映っていたフィルムを焼いたようだけど、脚本には手をつけてない。祟りが怖くて手が出せなかったらしいけど……もし、それが本当なら、俺たちが迂闊に手を出していいもんじゃないだろうな」


「はぁ……。宮川先輩、強いっすね。次は自分が殺されるかもしれないってのに……なんで、そんなに落ち着いていられるんっすか?」


 秀が、力なくうなだれたまま亮に尋ねた。横で聞いていた慶一も、これはもっともなことだと思った。


 以前から、亮はどこかつかみどころのない性格をしていたが、まさかこれほどまでに真の強い人間だったとは思わなかった。普段から本気なのか冗談なのかわからないことを言っているだけに、先ほどから意外な一面を見せられ続けている気がしてならない。


 だが、それ以上に気になったのは、やはり例のノートに書いてあった呪いの脚本のことだった。


 確かに、亮の言う通り、今の自分たちには堀井有紗の怨念に立ち向かうだけの力がない。ならば、いったいどうすれば、この死の連鎖を断ち切れるのか。


 答えなど、誰にもわかるはずがなかった。今、自分たちが僅かな知恵を絞ったところで、亮と同じくお祓いでもするくらいしか思いつかないだろう。


 結局、その日は亮の意見を受けて、堀井有紗の怨念が残っていそうな物を全てお祓いに出すということで話がまとまった。目下、手に入れなければならないのは、例の映像が収まったディスクと敢が持っていると思しき脚本の原本だ。


 現在、この二つは、どちらも慶一たちの手元にない。これらの物を集めるには、一度、それぞれが亡くなった先輩の家を訪れ、なんとかして回収する他にないだろう。


 今、この時も、どこかで堀井有紗の怨念が自分たちを狙っているかもしれない。そう思うと気が気でなかったが、今の慶一たちにはこれ以上のことはできそうにもなかった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 慶一たちが店を出たとき、外は先ほどよりも更に薄暗くなっていた。これは、ぐずぐずしていると、家に帰る途中に雨に降られるかもしれない。それに、学校からの帰宅支持が出されている以上、あまり制服姿で街中をうろつくのも気が引ける。


「それじゃあ、今日はこの辺で解散だな。俺は瑞希と秀を送って行くから、お前は雨音を送って行ってやれよ、慶一」


「なっ……! なんでお前が後輩と一緒に帰って、俺は雨音と一緒なんだよ!!」


「つべこべ言うな。先輩が三人も殺されてるってのに、女の子独りで帰すなんて不用心だろ? 秀は、あの通りのビビりだし……俺とお前で、雨音と瑞希をそれぞれ送って行くしかないじゃないか」


「まあ、確かにそりゃそうなんだけどさぁ……」


 よりにもよって、なぜ自分が雨音と一緒に帰らねばならないのだろう。そう、心の中で思ったが、慶一はあえて口に出すことはしなかった。


 別に、雨音と一緒に帰るのが嫌なわけじゃない。ただ、先ほど喫茶店で話していたことが本当なら、何人で一緒に帰ったところで、死ぬ時は死ぬのではないか。実態のない怨念相手に集団下校など、どこまで効果があるのか疑問だった。


「先輩、元気出して下さいよぉ。ボクも怖くないってわけじゃないですけど……宮川先輩の言っていたように、お祓いすればきっと平気ですって」


「ああ、ありがとな、瑞希。でも、お前も無理すんなよ。今日は、先輩のあんな姿も見ちまったわけだし……最後まで、ちゃんと亮のやつに送ってもらえよ」


「はい。先輩も、気をつけて……」


 立ち去りながら手を振る瑞希に、慶一も何も言わず手を振って答える。やがて、亮に先導されるような形で、その姿は角を曲がって見えなくなった。


「やれやれ。なんか、妙なことになっちまったけど……とりあえず、俺達も帰るか?」


 大袈裟に腕を頭の後ろで組むと、慶一はわざとらしく伸びをして雨音を見た。普段であれば、この辺で厳しい突っ込みの一つでも入れられるところだが、今日に限ってそれはない。雨音は雨音で、無言のまま頷いて道を歩き出した。


 いつもとは違う雨音の様子に、慶一は訝しげな表情のまま彼女の後を追った。亮たちの去った方角とは反対の角を曲がり、そのまま丘陵地帯に近い住宅街の方へと抜けて行く。


 石壁によって左右を囲われた路地を抜け、やがて緑色の生垣に包まれた日本家屋が姿を現す。道を間違えていないのであれば、雨音の家はこの先だ。


「ねえ、慶一……」


 しばらく進んだところで、雨音が唐突に口を開いた。視線は地面の方に落としたまま、声だけを慶一の方へと向けてくる。


「今日の、学校でのことだけどさ……」


「学校って……瀧川先輩が、倉庫の中で殺されてたってことか?」


「うん。それもあるんだけど……その後、私、あんたに突っかかったじゃない。それで、小鳥遊さんと喧嘩みたいになっちゃって……。」


「なんだ、そんなことか。別に、俺は気にしちゃいないさ。誰だって、死体を見た後じゃ、冷静な判断なんてできないだろ?」


「でも、あそこで慶一が止めてくれなかったら、私、小鳥遊さんにも酷いこと言っちゃったかもしれないんだよね。だから、今日の慶一には感謝してるよ。本当に……本当にちょっとだけどね」


 いつもの棘のある口調とは違い、どこか弱々しい感じの言い方だった。普段は慶一の行動に対して鋭い突っ込みを入れるばかりの雨音だったが、今はそんな様子は微塵もない。ともすれば、自分から慶一に弱みを晒しているようにも思われるほど、雨音の言い方からは普段の色が消えていた。


「私さ……本当は、とっても怖かったんだよね。死体なんか見たの、テレビのドラマの中でしかなかったから……本物なんて見るの初めてだったし……。だから、本当は、私も小鳥遊さんみたいに逃げ出したかったんだ……」


「雨音……」


「後輩の皆もいたし、私があそこで逃げ出すわけにもいかなくってさ。そしたら、なんだか頭の中が一杯になっちゃって……。わけわかんなくなって、変に苛々しちゃったんだよね。あんたに当たったのも、それが原因よ」


 少しずつ、自分の歩く歩調に合わせるようにして、雨音は慶一に向かって話し続けた。慶一は、それを何も言わずに聞いていた。いや、聞かざるを得なかった。


 雨音だって、自分と同じ歳の高校生。しかも、一応は女の子だ。憎まれ口を叩いていても、本心では怖がっていた。それも、何ら不思議なことではない。


 程なくして、生垣に囲まれた旧家の間を抜けたところで、慶一は雨音の家に辿りついた。自分の家が見えて安心したのだろうか。扉の前に立った雨音は、既にいつもの雨音に戻っていた。


「今日は、送ってくれてありがとね。なんか、途中で変なこと言っちゃったけど……最後まで聞いてくれたし、まあいいかな」


「珍しいな。お前から、俺に礼を言うなんて。こりゃ、明日は雨が降る……って、ここ最近、毎日雨か」


「ちょっと、なによそれ! 言っておくけど、本当に……本当にちょっと感謝してるってだけだからね! あんまり調子に乗ってると、今に酷い目に遭うわよ」


「へいへい。それじゃあ、酷い目に遭わない内に退散しますか。お前も、今日は色々あったと思うけど、あんま思いつめんなよな」


 それだけ言って、慶一は雨音の家を後にした。帰り道、意外なほどにしおらしい雨音の姿を見せられたときには驚いたが、やはり雨音は雨音のままだ。家に着くなりあれだけ強気に戻れるなら、まあ問題はないだろう。


 気がつくと、空の色が今までになく濃い灰色に染まっていた。このままでは、本当に家に帰り着く前に、雨に降られてびしょ濡れになりかねない。


「やべぇ……。早く帰んないと、マジで本降りになって来るかもしんねえな……」


 早朝とはうってかわった曇天の空を睨みつけながら、慶一は駆け足で生垣の間を抜けた。

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