【拾参ノ花】 束の間の平穏
翌朝は、昨日の雨が嘘のように上がっていた。雨だけでなく、灰色の雨雲もいなくなり、久しぶりに太陽が顔を覗かせている。
「ふぁ……。よく寝た……」
穏やかな朝の日に照らされて、雨音は大きく両腕を伸ばして起き上がった。昨晩の雨は随分と激しかったようだが、今はすっかり晴れている。ここ最近、なんだか気持ちの晴れないことが多かったため、こういった朝は雨音にとっても貴重だ。
とりあえず、まずは部屋の空気でも入れ替えるか。そう思い、窓を大きく開けたところで、雨音はしばし硬直した。
「ちょっ……なによ、これ!?」
そこにあったのは、何の変哲もないてるてる坊主。それだけならば、何の問題もない。多少、いびつな作りだが、梅雨の季節の光景としてはむしろ普通だ。
問題なのは、むしろ数の方だった。軒先に吊るされたそれの数は、ざっと数えても二十個近くある。一つくらいなら可愛いものだが、こうまでして集団で吊られると、なんだか妙な気分になってくる。
首に糸を巻き付けられて、軒先に吊るされた無数のてるてる坊主。遠目で見たら、集団の首つり自殺に見えなくもない。なんというか、とにかく見栄えが悪いのだ。少なくとも、高校生の女の子からしてみれば、あまり好ましいものではない。
「もう……。いつの間に、こんなにてるてる坊主を吊ったのよ……」
愚痴をこぼしながら、雨音は先ほど開けたばかりの窓を少し乱暴に閉めた。久しぶりの朝の新鮮な空気を味わおうと思ったのに、これでは全部台無しだ。
こうなったら、とりあえずは着替えよう。軒先にてるてる坊主を飾った人間にも、既に目星はついている。まずは学校へ行く仕度をした上で、改めて文句を言ってやる。
寝巻を脱ぎ捨て、慣れた手つきで制服に着替えると、雨音は鞄を片手に自分の部屋の襖を開けた。今時、扉ではなく襖というのが、いかにも築数十年のボロ屋らしい。
「わっ!!」
ところが、いざ襖を開けて部屋を出ようとすると、今度は入口に置いてあった粉のような塊に躓きそうになった。なんとか蹴飛ばさずに済んだものの、危うく踏みつける一歩手前だった。
いったい、この塊はなんだろう。よくよく見て見ると、それは和紙の上に盛られた塩だった。その上、ふと気になって後ろを振り返ると、今度は襖の部分に妙な紙が貼り付けてある。どうやら護符のようだったが、それにしては安っぽい。神社で買ってくる魔除けの札とは違い、誰かの手作りであることは明白だ。
もう、これ以上は我慢できない。雨音は憤慨した様子で茶の間へ飛び込むと、開口一番に祖母の節子に向かって文句を言った。
「ちょっと、おばあちゃん! 私の部屋のあれ、いったいなんなのよ!!」
「おや、雨音かい? 昨日は、よく眠れたかえ?」
「ごまかさないで! 軒先にてるてる坊主を吊るしたり、部屋の前に盛り塩したりしたの、おばあちゃんでしょ!? おまけに、襖にお札みたいなものまで貼って……あれ、なんのつもりなのよ!!」
「まあまあ、そう怒らんでもええじゃろ。昨日、お前を見たときに、妙な匂いがしておったもんでのう……。悪い虫がつかんよう、ちょっとしたおまじないを仕掛けておいたつもりだったんじゃが……」
「悪い虫って……別に、私は変な男とつき合ったりしてないわよ! それに、妙な匂いって……ちゃんと、お風呂だって入ってるのに……」
「そういう意味で言ったんじゃないよ。私はお前に物の怪の類が近づかんよう、部屋に守りの仕掛けをしただけさね」
「はぁ……物の怪って……。おばあちゃん、私、もう高校生よ。今時そんなもん信じてる人なんて、小学生にだっていやしないってのに……」
やはり、一連の仕掛けは節子の仕業だったか。初めから予想していたとはいえ、どうにも気持ちが収まらない。ここまで開き直られると、怒るのを通り越して、むしろ呆れてくる。こちらのことを心配してくれるのはいいのだが、あまり妙な迷信を持ち出され、それを押し付けられても困るというものだ。
そう言えば、昨日学校から帰ったときも、やれ心霊スポットがどうしたというような話をしていたような気がする。あの時は、一瞬だけ例のビデオに映った黒衣の女のことが頭をよぎったが、雨音にはどうしても、そういった類の存在を信じきることができなかった。
もしかしたら、本当に死後の世界というものが存在するのかもしれない。しかし、いくら不気味な事件が立て続いているとはいえ、それを全て呪いだの祟りだのといったもののせいにしてしまうのも、なんだか納得のいかない部分がある。少なくとも、節子の言っているような物の怪の類が、普段からその辺をうろついているとは思えない。
どちらにせよ、今朝はこれ以上怒っても無駄だろう。節子にしてみても、悪気があってやったわけではない。全ては雨音を心配して、あれこれと考えてくれた結果なのだから。
程なくして、母親が今日の朝食を運んで来た。雨音はそれを手早く口の中へかき込むと、足元に置いた携帯電話を広げて見る。
メール、着信、ともになし。ただし、時刻は既に家を出なければならない時間。自分では意識していなかったが、どうやら少しばかりのんびりとし過ぎたらしい。
「それじゃ、私は学校に行ってくるから。後、私の部屋のあれ、ちゃんと片付けておいてよね」
言うだけ無駄だ。そう頭ではわかっていても、つい口に出てしまう。
「なに言ってるんだい。こちとら、お前のことを心配して、わざわざ夜中まで起きて仕掛けてやったというのにさ」
「まあ、その気持ちだけは嬉しいけど……それにしても、ちょっと目立ち過ぎよ、あれ。特に、あの軒先のてるてる坊主。あんなにたくさん吊るしたら、まるで集団首吊り自殺みたいじゃない」
「おや、そうかのう? 私はあれでも、見栄えには工夫をしたつもりだよ。本当なら、ニンニクを丸ごと吊るしたかったんじゃが……さすがにそれでは、少々無粋じゃろうて」
「なっ……ニンニクって……!!勘弁してよね、もう……」
いっそのこと、何も言わずに学校へ行けばよかったと思ったが、既に遅かった。軒先にずらりと吊るされた、あのてるてる坊主。どうやらあれの頭には、特大のニンニクが詰められていたらしい。まあ、剥き出しのまま軒先に吊るされたら、それはそれで勘弁なのだが……正直、どちらにせよ止めて欲しい。
ニンニクと、盛り塩と、それに魔除けの護符。これでもかというくらい、二重三重に張り巡らされた厳重な結界。いくら節子が迷信好きだとはいえ、これは少々やり過ぎだ。それだけ雨音のことを心配しているのかもしれないが、あまり調子に乗られても困る。
「ねえ、おばあちゃん。私だって、おばあちゃんの話をまったく信じていないわけじゃないわよ。けど……さすがに今回のは、ちょっとやり過ぎじゃない?」
「そうかのう? 私はあれでも、少々足りないくらいに思っておるぞ」
「いや、もう十分だから……。とりあえず、今回のやつはそのままにしておいていいけど、あれ以上は変な物を私の部屋の周りに置かないでよね」
「むう……。それならば、せめてこれを持って行け。私の手作りで悪いが、お守りの代わりくらいにはなるじゃろうて」
そう言いながら、節子はどこからか小さな人形を取り出した。大きさは、ちょうど雨音が失くしたウサギのマスコットと同じくらい。ただ、違っているのは、その人形が和服に身を包んだ典型的な日本人形の姿をしていたことだが。
「今時の女学生は、こういった人形を鞄から下げるのが流行りなんじゃろ? これだったら、女の子が鞄につけていても、別におかしくは思われんよ」
さすが、節子は戦前の生まれだ。未だに女子高生という言葉になれず、女学生という言葉を使う。その上、どうも今時の流行というものを、変に勘違いしている節もあるらしい。
いくら鞄にマスコットをぶら下げるのが流行りだからといって、こんな日本人形を下げている者など見たことがない。どうやら布で作られた手作りの物のようだが、なかなかどうして、顔の作りは手が込んでいる。
まあ、見る人が見れば可愛いと思えるのだろうが、ブレザータイプの制服を着た女子高生が鞄につけるには、少々不釣り合いな印象だった。それでも雨音はしぶしぶ人形を受け取ると、仕方なくそれを鞄に取り付けた。
どうせ、こちらが嫌がっても、つけるまで節子は譲らないだろう。それならば、ここはさっさと従って、学校に着いたら外してしまえばよい。
(まったく……。こっちのことを考えてくれるのはいいんだけど、どうにも感覚がずれているのよね、おばあちゃんは……)
玄関先で靴を履きながら、雨音はふと、そんなことを思いながら人形を見た。たぶん、この人形にも、何か節子の祈りのようなものが込められているに違いない。そう思うと、なんだか妙に人形のことを意識してしまい、雨音は逃げるようにして家の外に飛び出した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
窓辺から差し込む朝の日差しに、慶一は眠たい目を擦りながら起き上がった。傍らに転がっている目覚まし時計に目をやると、時刻は既に午前の八時。このまま寝ていたら、間違いなく学校に遅刻する。
「やべぇ、寝過ごした……」
そう言うが早いか、慶一はベッドから飛び起きて、自分でも驚くくらいの速さでクローゼットから制服を引っ張り出した。
身だしなみを整えている時間などない。必要最低限の仕度を整え、慶一は鞄を片手に階段を駆け降りる。後ろから、母親が何やら叫んでいたが、そんなことは知ったことか。
「行ってきます!!」
形だけの挨拶と同時に扉を開け放って外に飛び出す。朝の爽やかな空気など堪能している暇はない。ここでのんびりしていたら、それこそ一限目に遅刻してしまう。
朝食さえ摂らず、慶一は朝の街中へと駆け出した。ズボンの脇からシャツがはみ出し、鞄の口も開いたまま。おまけに頭にも寝癖が残り、情けないことこの上ない。
見慣れた街の風景を横目に、慶一はなんとか学校に滑り込んだ。幸い、始業のベルはまだ鳴っていない。時計を見ると、後少しで朝のホームルームが始まる時間だ。どうやら遅刻せずに済んだようだが、それにしても、朝から随分と体力を消費してしまった。
腹の部分に手をやると、まな板のように平べったくなったその部分から、何やら情けない音が響いて来る。朝食を抜いてしまったことが、ここにきて大きく悔やまれた。いくら急いでいるからといって、せめて食パンくらい咥えて家を出るべきだったと思う。
「やれやれ……。こりゃ、今日は四限が終わるまで、辛い時間を過ごすことになりそうだぜ……」
誰に言うともなく呟いて、慶一はとぼとぼと校内に入って行った。階段を登り、教室に入ろうとしたところで、人の波の中に見慣れた姿を見かけて顔を上げる。後ろで結んだポニーテールと、女子にしては高めの身長。他でもない、雨音の後ろ姿だった。
「あら、慶一じゃない。その格好……あんた、さては寝坊したんでしょ」
こちらが声をかけるよりも先に、雨音の方から振り向いて話しかけてきた。いきなり図星を突かれたが、今は空腹が先立って怒る気力もない。
「ああ、そうだよ……。おかげで朝飯食いそびれて、もうマジで死にそうだぜ……」
「まったく、情けないわねえ。いくら寝坊したからって、ちゃんと朝ご飯食べなかったら、今に貧血で倒れちゃうわよ」
「まったくだぜ。っていうか、腹減って、今すぐにでも倒れそうだ。雨音……お前、何かちょっと、食えるようなもんとか持ってないか?」
「そんなもの、そう都合よく私が持ってるわけないじゃない。どこぞのネコ型ロボットじゃあるまいし、なんでもホイホイ出せたら苦労しないわよ」
「そうだよなぁ……。まったく、なんで昨日に限って、あんな変な夢なんか見ちまったんだ……」
慶一の腹が、その声に賛同するようにして鳴った。さすがは自分の身体の一部。思わず感心しそうになったが、それでも空腹はどうにもならない。
だが、それ以上に慶一にとって気になったのは、昨日の夜に見た夢だった。思えば、あの変な夢がなければ、自分は遅刻せずに済んだのではないか。そう思うと、途端に昨晩の夢に対し、怒りにも似た感情が込み上げて来た。
昨日の夜、自分が布団の中で見た奇妙な夢。大雨の降りしきる中、レインコートを纏って夜の街を延々と歩き回るという、実に下らない夢だ。
最後の方は覚えていなかったが、なんだか妙に胸苦しく、夢の中でも吐き気を催していたように思われる。そのせいで、眠りが全体的に浅くなり、今日の失態に繋がったに違いない。
そう言えば、ここ最近、自分は似たような夢を立て続けに見ていたような気がする。同じ夢を繰り返し見るということは別におかしくないのだが、よりにもよって、どうしてあんな変な夢ばかり見るのだろう。
いったい、自分はどうしてしまったのか。先輩二人が亡くなって、柄にもなくナーバスになっているのだろうか。そんなことを考えていると、再び雨音が慶一に話しかけてきた。
「ちょっと、どうしたのよ。柄にもなく真剣な顔になって……」
「えっ!? いや、なんでもねえよ。ただ、ちょっと、最近は変な夢見ることが多くてさ。そのことについて、考えてたんだ」
「ふうん、夢ねぇ……。もしかして、今日の寝坊も、それが原因なの?」
「まあ、そんなところだな。お陰で腹が減ってるだけじゃなくて、なんか眠くてたまらないぜ。やっぱ、睡眠時間の確保ってやつは、意外と馬鹿にできないんだな」
腹の鳴る音に加え、今度は大きな欠伸まで飛び出した。
腹が減っているのか、それとも眠いのか。さすがに自分でも、どっちかにしろと言いたくなる。こんな調子では、一限目からまともに授業を受けられるのか、慶一自身疑問だった。
今日の授業の分は、最悪の場合、雨音にノートを写させてもらおう。下手をすれば授業中に爆睡することは間違いなしのため、以前のように、雨音を頼るしかなさそうだ。
そんなことを考えながら雨音の方に目を向けると、彼女の鞄に見慣れないものがぶら下がっているのに気がついた。黒髪を伸ばし、和服に身を包んだ一体の人形。決して大きくはないものの、クラスの女子が鞄につけているようなマスコットとは、微妙に違っているものだった。
「なあ、雨音。お前、昨日はウサギの人形失くしたなんて言ってたけど……新しく、別の人形を買ったのか?」
「えっ? ああ、これね。これ、おばあちゃんから貰ったのよ。なんだか知らないけど、お守りみたいな物なんだって」
「へえ、お守りねぇ……。でも、こんな日本人形みたいなのがお守りなんて、ちょっと変わってるよな」
「私だって、つけたくてつけてるわけじゃないわよ。けど、おばあちゃん、一度言い出したら融通が利かないところがあるから。仕方なく、今日は鞄につけて来たのよ」
「なんだよ、それ。まあ、それでも、要はお前のこと心配してくれてるってことだろ? いいばあちゃんじゃん」
「うん。ただ、ちょっと迷信に煩いところが、玉に傷でもあるんだけどね……」
珍しく、二人の意見が合致した。いつもはぶつかり合うことの多い慶一と雨音だったが、今日に限って妙に気が合う。今までは雨音のことを天敵のように見ていた慶一だったが、以外にも自分と雨音の根っこの部分は似ているのかもしれないと思えてきた。
始業のベルが廊下に鳴り響き、生徒たちが慌てて教室にかけ込んで行く。慶一と雨音もそれに続き、やがて廊下には誰もいなくなった。
梅雨時にしては珍しい晴れやかな空。今日、雨音と珍しく意見があったのも、もしかすると、この天気が関係しているのかもしれない。
そんな他愛もないことを考えながら、慶一はそっと自分の席に座り込んだ。窓の外を見ると、雨上がりの街の向こうに、青い空がどこまでも広がっている。
(あぁ……。やっぱ、朝飯食ってくればよかったよなぁ……)
最近のゴタゴタなど忘れ、自分の腹を押さえながら、慶一は心の中で呟いた。なんだか今日は久しぶりに、平和な一日を遅れそうだ。東の空を昇っている太陽を眺めながら、そのときまでは、慶一は束の間の平穏を謳歌していた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
慶一と雨音が映研の顧問である明恵に呼び出されたのは、その日の昼休みのことだった。
二人が映研の会室に到着したとき、そこには既に亮と秀彰、それに瑞希の姿があった。どうやら彼らも明恵から呼び出されたようで、既にパイプ椅子を広げて座っていた。
「おい、遅いぞ二人とも。まさか、また夫婦漫才やってて遅れたんじゃないだろうな?」
開口一番、亮が冗談交じりな口調で雨音に言った。
「なっ……! ちょっと、亮! あんた、それどういう意味よ!!」
「まあまあ、そう怒るなって。まったく、相変わらず冗談の通じない奴だよな、お前は」
本気で怒る雨音に対し、亮はあくまで冷静に切り返す。これ以上は下手に相手をしても無駄なので、雨音も自分の感情を押し殺して口を噤んだ。
「で……こんなときに、俺たちを集めて何の用ですか、先生? 昨日の先輩の話だと、映研は活動停止ってことらしいのに……」
雨音に代わり、今度は慶一が明恵に尋ねた。いつもであれば、ここで明恵の口から軽いノリの言葉が飛び出すのだが、今日に限ってそれはなかった。なんというか、明恵にしては珍しく沈んでいる。それは一年生の二人も同様で、先ほどから秀彰も瑞希も何も言わずに押し黙ったままだった。
「ねえ、高須君。それに、皆口さんも、落ち着いて聞いてちょうだい。昨日、瀧川君が……あなた達の先輩が、行方不明になったの」
「えぇっ!? で、でも……先輩は、昨日の夕方までは、ちゃんと学校にいたじゃないですか!!」
「それが、昨日の晩、家に帰らなかったみたいでね。麻生さんや久瀬君のこともあったから、家の人が心配して、警察に捜索願を出したみたいなのよ。でも、結局、朝になっても何の連絡もなくて……皆なら、何か知っているんじゃないかって思ったんだけど……」
「そ、そんな……。先輩、昨日は俺達と一緒に、普通に話していたのに……」
それ以上は、慶一も何も言えなかった。亮や秀彰たちは、既に明恵からこの話を聞かされているのだろう。先ほどの表情はそのままに、慶一や雨音ほど動揺している様子は見せていない。もっとも、それはあくまで見た目だけで、本当は心の奥で気持ちが揺れているのかもしれないが。
昨日、校門前で出会った牧原という刑事の話では、美幸も正仁も何者かに殺害された可能性が高いとのことだった。それだけに、敢が行方不明であると聞いた瞬間、どうしても最悪のシナリオが頭をよぎってしまう。
「あの、先生……。それで……瀧川先輩のご両親とか、警察から連絡は?」
雨音が震える声で明恵に訊いた。自分が知りたくない答えが明恵の口から出ることを、どこかで恐れている様子だった。
「今のところ、何の連絡も入ってないわ。だからこそ、私も映研の顧問として、まずは皆に瀧川君のことを知らないかどうか訊いてみようと思ったんだけど……その様子じゃ、二人とも、何も知らないみたいね」
そう言い終わると、明恵は肩をがっくりと落とし、深い溜息を吐いて近くの椅子に座った。口元を両手で隠すようにして長机に肘をつくと、未だ入口の近くで立ち尽くしたままの慶一たちにも、とりあえず椅子に座るように促した。
「ねえ、君たち。ところで、話は変わるんだけど……」
「なんですか、先生? まだ、先輩のことで何か?」
「ええ、ちょっとね。君たち、昨日、映研のミーティングが終わった後、この部屋の鍵をどこにやったか知らない? あの、倉庫の鍵が一緒にくっついた、いつも使ってる鍵の束なんだけど」
「鍵、ですか……。最後まで部屋にいたのは、瀧川先輩だったからなぁ……。ちょっと、よくわかりません」
昨日、ミーティングが終わった後のことを思い出し、慶一は申し訳なさそうに首を振った。
あのミーティングの後、敢は慶一を呼び出して、彼の考えをあれこれと訊いた。ビデオに映った黒衣の女と、映研内部で立て続けに起こった不審な死。それらの原因が、もしかすると霊的な何かではないかということを、馬鹿にもせず最後まで聞いてくれた。
思えば、あの一件のおかげで、自分は少しだけ冷静さを取り戻せたのではないか。そう、慶一は考えていた。あそこで敢が話を聞いてくれなければ、自分はもっと疑心暗鬼になり、いるのかいないのかわからない幽霊の影に怯えていたかもしれない。
「先生。先輩の居場所を探す手掛かりになるかどうか、ちょっとわかりませんけど……これから、皆で鍵を探しませんか?」
「鍵を……? でも、いったい、どこを探すつもり?」
「それは……俺にも、ちょっと見当がつきません。でも、鍵は先輩が持っていたはずですし、学校の外に持ち出すって可能性も低いと思いますから……。もし、学校で鍵が見つかれば、何かの手掛かりになるかもしれません」
「なるほど……。それだったら、まずは時間の許す限り、鍵の束を探してみましょうか」
慶一の言葉に、明恵がゆっくりと立ち上がる。鍵を探したところで、そんなものは気休めに過ぎない。仮に鍵が見つかったところで、それが果たして敢の居場所を突き止めるための手掛かりになるかどうか。それは、誰にもわからない。
だが、映研の顧問として、それに何よりも一人の教師として、教え子が行方不明になっているのに何もしないで座っているというのも気が引けた。普段は不良教師のように言われている明恵だったが、それでもやはり、基本は生徒想いの先生なのだ。
明恵の言葉に、慶一や雨音、それに亮と二人の一年生も立ち上がった。昼休みは、まだ始まったばかりで時間もある。
「それじゃ、とりあえず、どの辺から探す? この部屋が昨日から開けっぱなしだったってことを考えると、ここに鍵がある可能性は少ないよな」
亮が横目で慶一を見る。言い出しっぺのお前は、どう考えているんだ。そう言わんばかりの視線を送ってきた。
「えっと……。まずは、倉庫の辺りを探してみないか? あの鍵の束、この部屋の鍵だけじゃなくて、倉庫の鍵もついてただろ?」
「なるほど。まあ、いくら先輩でも、あんな≪魔窟≫にそう何度も、足を踏み入れたいとは思わないだろうけど……一応、念には念を入れておくか」
自分だったら、もっと他の場所を探すことを考える。亮の言葉は、そんな意味合いにも受け取れた。なんだか小馬鹿にされているようで腹が立った慶一だったが、それでも亮は別に反対もしない。
結局、まずは慶一の提案通り、倉庫の辺りから探してみようということになった。鍵を探すことで敢の行方がわかるとは思えなかったが、その場にいた全員が、何かをしていなければ不安に感じていたのは確かだった。