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【拾弐ノ花】  阻むもの

 皆口雨音が家の扉を開けたとき、普段とは違う靴が揃えて置いてあるのが目にとまった。


(あれ、誰だろう?)


 雨音の家は、両親共に働いている。今、母親だけは帰ってきている時間だが、それでも夕食の準備などで忙しいはずだ。それなのに、こんな時間に客人とは珍しい。


「ただいま……」


 自分の帰りを告げたが、返事はない。台所からは何やら物音がするので、どうやら母は夕食作りの真っ最中。雨音が帰って来たのは知っているが、返事をする余裕もないと言ったところだろうか。


 仕方なく、雨音は靴を脱いで揃えると、そのまま茶の間へと直行した。古い造りの家だが、外装だけでなく内装もきちんと張り替えている。学校の友人にはボロ屋だと言っていたが、こうして見ただけでは、そんな感じは微塵もない。


もっとも、家の壁が未だに昔ながらの土壁であり、そこに壁紙を貼っただけなので、見る者が見れば化けの皮が剥がれるのだろうが。


 雨音の家の茶の間は、昔ながらの昭和の空気を残している。壁こそ見た目だけ綺麗に直しているが、それでも所詮は畳の上にちゃぶ台がある昔の家。もう少し、お洒落なフローリングにでも改装すればいいのにと思ったが、残念ながらそんな金の余裕もない。


「おや、雨音じゃないか。今日は、随分と帰りが遅かったんだねぇ」


「えっ……! おばあちゃん!?」


 自分の他に先客がいたことに、雨音はしばし驚いた顔をしてその場に立ち尽くした。


 彼女の目の前にいるのは、他でもない彼女自身の祖母だ。皆口節子みなくちせつこ。普段は隣街で書道教室を開いて暮らしているのだが、こうしてたまに、雨音の家に遊びに来る。基本的には孫に甘い典型的なおばあちゃんなのだが、同時に雨音は、自分と祖母の考え方が微妙にずれていることも知っていた。


「ところで雨音……。お前、最近なにか、妙な場所に行ったりはせんかったかい?」


 早速来たな、と雨音は思った。


 雨音の小さいことから、節子は何かと迷信のような物を気にしては、それを雨音や雨音の母に押し付けてきた。なんでも、実家は代々拝み屋だったとかで、昔ながらの迷信を本気で信じている。特に、神仏に関することには煩く、些細なことで「仏様の罰が当たる」などと口にしていた。


(これがなければ、本当にいいおばあちゃんなんだけどなぁ……)


 心の中で呟きながら、雨音は半ば仕方なく鞄を降ろし、節子の座っているちゃぶ台の前に腰かけた。こんな時の対処法としては、とにかく相手の話を聞くのに徹して流すに限る。長年の付き合いから、雨音は自然とそんなことを学んでいた。


「もう一度聞くよ、雨音。ここ最近で、どこか妙な場所に出掛けたりしたんじゃないだろうね?」


 節子の目が、獲物を狙う鷹のように鋭く光った。いつもの柔和な顔が、こういった話のときだけは真剣そのものになる。どうやら今日は、久々に本気で何かを心配しているらしい。


「別に、そんな変な場所なんて行ってないわよ。友達と遊び歩いているわけでもないし、今日だって、ちょっと探し物をしていて帰るのが遅れただけだから」


「おや、そうかい? まあ、それなら構わんが……。私はてっきり、お前が興味本位で物の怪の巣にでも入ったのかと思ったよ」


「物家の巣? それって、もしかして……心霊スポットみたいな場所のこと?」


「最近の子は、物の怪の巣のことをそんな風に言うのかい? 前々から言っておるが、そういう場所には、遊び気分で近づいたらいかん。人の息が消えた場所というものは、不浄の場所になっていることが多いからのう」


「不浄の場所ね……。でも、そんなところには近づいてないから、本当に大丈夫よ。私が遊びでそういう場所に行かないってことくらい、おばあちゃんだって知っているでしょ?」


「ふむ……。それにしては、どうにも妙な匂いがするんじゃがのう……」


 どこか煮え切らない様子のまま、節子は一度話を区切った。難しい表情はそのままに、何やらあれこれと考え込んでいるようだ。


 神仏の関わる話になると、昔から節子はこうして人一倍真剣になる。典型的な田舎の人と言ってしまえばそれまでなのかもしれないが、普段は隣街で暮らしている彼女に、その言葉は必ずしも当てはまらない。


 恐らくは、これは節子の実家が拝み屋であったことに影響しているのだろう。今ではスピリチュアルカウンセラーなどという名前でメディアに登場している者もいるが、要するに霊能力者とか占い師などの類である。そんな人間を親に持ったものだから、節子は今でも本気で死後の世界の存在とやらを信じている。


 だが、それにしても、どうして節子は今日に限って、急に妙なことを言いだしたのだろう。家に来ていたのは偶然だったとしても、どうにも話の展開が急過ぎる。別に、彼女の気に障るようなことをしたわけでもないというのに、いきなり「心霊スポットにでも行ったんじゃないのかい?」などというようなことを訊かれては、雨音とてあまり良い気持ちのするものではない。


「ねえ、おばあちゃん。ところで……さっきはどうして、急にあんな話をしだしたの?」


 今度は逆に、雨音の方から尋ねてみた。このまま変な誤解をされるのは、雨音にとっても望むところではなかった。


「なんだい、雨音? もしかして、さっきの話が気になるのかえ?」


「うん、ちょっとね。おばあちゃん、いつもだったら、私にもっと色々と話してくれるじゃない。それなのに、今日は急に話の途中で黙り込んじゃうんだもの。あんな顔されたまま話を切られたんじゃ、こっちだって眠れなくなっちゃうわよ」


「おや、それはすまんことをしたのう。じゃが、お前は別に、物の怪の巣などに近づいてはおらんと言うのじゃろう?」


「うん、まあね。先週の土曜日から一泊二日で同好会の合宿に行ってたけど……そこだって、別に心霊スポットでもなんでもなかったわよ。ただの、ちょっとした田舎の温泉宿……って感じだったし」


 最後の方は、少しだけ言葉を濁らせた。


 確かに、あそこはただの温泉宿。それ以上でも、それ以下でもなく、節子が気にするような≪不浄の場所≫であるとは言い難い。しかし、本当にそう言い切ってしまっていいのだろうか。今までは適当にしか話を聞いていなかった雨音の頭に、少しばかりの疑問がわいてきた。


 あの、撮影された映像に映り込んだ黒衣の女。雨音からしても、あれは随分と不気味なものだった。そして、あの映像を皆で見た後に、美幸と正仁が立て続けに不幸な死を遂げた。


 果たしてこれは、本当に奇妙な偶然として片付けてしまっていいものなのだろうか。今までは、証拠も何もないことから、これらのことをあまり結びつけて考えることはしなかった。いや、もしかすると、単に自分が意図的に考えないようにしていただけなのかもしれない。


 節子の実家は拝み屋だ。彼女自身は単なる書道教室の先生なのかもしれないが、その両親――――今は亡き雨音の曽祖父や曽祖母――――の代までは、普通に拝み屋稼業を続けていたらしい。


 そんな家の血筋を引く者から、こうも露骨に怪談めいた話をされる。しかも、あんな映像を見てしまい、更には先輩二人の不可解な死亡事件が起きた後にだ。


 このタイミングで、正直でき過ぎていると雨音は思った。もっとも、これはでき過ぎているのではなく、もしかすると必然だったのかもしれない。今までは幽霊の話など半信半疑だった部分もあるが、雨音自身が知らないだけで、節子の言うような死後の世界というものは、本当にあるのかもしれない。


 夕食を前にして、なんだかとても後味の悪い感じになってしまった。節子は先ほどから再び黙り込み、ずっと何かを考えているような様子だ。とてもではないが、これでは話を聞くことさえできそうにない。


 外では雨が、ますます激しさを増してきていた。梅雨時とはいえ、ここ最近の雨の激しさは少し異常だ。それこそ、夜になると台風と勘違いするほどの激しい雨が降り、街中をびっしょりと濡らしてしまう。


 どれほどの時間が経ったのだろう。やがて、台所で仕事をしていた母親が、今日の夕食を持ってきた。その声を聞いた途端、雨音は金縛りから解放されたようにして、慌ててその場から立ち上がった。


 時間にして数分の出来事だったようだが、どうやら節子の沈黙に合わせ、自分もかなり緊張してしまっていたようだ。別に、何か怒られたというわけでもないのに、なんだか物凄く疲れたような気がする。


「お母さん。食事を運ぶの、私も手伝うから!!」


 わざとらしく大声をあげ、雨音はそう言って台所に向かった。別に、そんなことを言わなくても黙って手伝えば良いのだろうが、なぜか今は、何か声に出して身体を動かしていないと不安だった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 夜の帳が降りた後の街を、それは確かな足取りで歩いていた。生垣に囲まれた家々を横目に、迷路のように入り組んだ路地を抜けて行く。土地勘のない者であれば確実に迷いそうな場所だったが、それはまるで、何かに導かれるようにして、迷うことなく進んで行った。


 暗緑色のレインコートに身を包み、それはゆっくりと夜の街を進んで行く。行く手を阻むようにして降り注ぐ雨も、それにとっては心地よいそよ風のような物に過ぎない。傘も差さず、その両手には何も持たず、ただポケットに獲物であるひと振りの鋏を忍ばせて……。


 どこからか、ゴウゴウと言う水の流れる音がした。天より堕ちた数多の滴が一つの流れとなり、大地を走る音だろうか。それとも、近くを流れる川を、濁流と化した水が駆け抜ける音だろうか。


 その、どちらでも、それにとっては関係なかった。どれほど雨が激しく振ろうとも、どれほど身体が濡れようとも、まるで意に介さずに目的の場所へと歩を進めるだけだ。


 この時間、夜の街には殆ど人が通らない。増してや、こうも激しい雨ともなれば、わざわざ外を出歩くのは余程の物好きだ。草木も眠る丑三つ時に大雨の中を歩き回るなど、常識的な人間のとる行動ではない。


 もっとも、それにとっては、この状況は極めて都合のよいものだった。誰にも見られないということは、即ち誰にも邪魔されずに事を成せるということ。次なる獲物を狩るときのことを思い浮かべるだけで、それの口元が細い三日月のように歪む。


 やがて、迷路のような路地を抜けると、それはいよいよ目的の場所に辿りついた。昔ながらの日本家屋が立ち並ぶ中、比較的新しい造りを思わせる一件の家。それこそが、今宵の獲物の眠る場所に他ならない。


 家の前にある門を抜け、それは玄関に通じる扉の前に立つ。このまま鍵を開けて中に入ってもよかったが、さすがそれでは目立ち過ぎる。獲物の眠る場所に入り込むまで、無用な騒ぎはできれば避けたい。


 やはりここは、獲物の眠る部屋に直接侵入すべきだろう。幸い、自分の力を持ってすれば、簡単な鍵くらいは開けることなど造作もない。扉や窓を破らずとも、部屋に入る方法などいくらでもある。


 ポケットの中に忍ばせた鋏を握り締め、それはこっそりと庭の方へ回り込んだ。獲物の匂いは階下の部屋から漂ってくる。恐らく、寝室は二階でなく一階。相手に気づかれずに忍び込むことを考えると、むしろ都合がいい。


 庭に生えた雑草を踏みつけながら、それは獲物の眠る部屋の入口へと足を急がせた。いつもなら、ここで窓を開け放ち、獲物の部屋に侵入する。己の眷属となりし蝸牛を用いて獲物を恐怖のどん底へと叩き込んだ上で、絶望の色に染まった瞳をした相手に止めを刺す。


 ところが、その日の晩に限っては、それは己の思うように事を運ぶことができなかった。


 獲物の部屋の目の前、ちょうど軒下に連なるような形で、白地の布で作られた人形たちがぶら下がっていたのだ。一見して、ただの雨除けの人形にしか見えないが、その中に不快な匂いを発する物が込められていることは、手に触れずとも十分にわかった。


 これが一つや二つなら、大した力も持たなかっただろう。しかし、今、それの目の前にある人形は、少なく見積もってもざっと二十。さすがにこれだけの数を揃えられたら、こちらも多少の影響を受ける。


「なるほど、やってくれる……」


 思わず、口から言葉がこぼれていた。いったい何者かはしらないが、どうやらこの家には、自分のような存在と戦うための術を知っている者がいるようだ。この人形にしても、その者が自分の気配を感じ取って仕掛けた物に違いない。


「小賢しい。こんなもので、こちらの侵入を阻めるとでも思っているの……?」


 その瞳の奥に微かな怒りの色を見せながら、それは人形を排除しようと窓辺に近寄った。余計な作業に手間と時間を取られることは不本意だったが、今はこの人形を退かさないと、どうにも部屋に入ることができない。


 念のため、自分の力を部屋の窓目掛け、いつものようにぶつけてみる。しかし、やはり人形の中に込められたものが邪魔をするのだろうか。中和とまではいかないものの、力は急激に弱まって勢いを失った。やはり、このまま人形を放っておいて、窓の鍵を開けることはできそうにない。


 仕方なく、それは改めて息を吸い込むと、そっと窓辺に近寄った。こちらの力を弱める効果があるとはいえ、所詮は人形風情。その中から発せられる匂いが気になったが、それでも我慢できないというほどではない。


 ところが、そう考えて窓辺に近づいたとき、それの全身を猛烈な不快感が駆け抜けた。


 重く、濃厚で、それでいて全身を溶かされるような気持ちの悪い空気。今までは何も感じなかったというのに、窓辺に近づいた途端、急に身体が震えだした。


「うっ……おのれぇ……」


 額に脂汗を浮かばせながら、それは悔しそうに奥歯を噛みしめた。が、それでも膝の震えが止まらずに、ついにはがっくりと膝をつき、その場に力なく腕を着いた。


 まずい。思った以上に、この窓辺に張られた障害物の力が強過ぎる。目の前の人形だけでなく、不快な匂いは軒下の地面や部屋そのものからも漂ってくるようだった。


 ふと、それが軒下へと目をやると、そこには何やら灰のような物が撒き散らされていた。この雨でかなり流されてはいたが、それでも完全に流れ去ってしまったわけではない。先ほどの不快な匂いの正体は、この灰からも漂っていた。


 どことなく甘い、それでいて香ばしいような匂いが、窓辺で膝をついているそれの鼻先に漂った。その匂いから、ばら撒かれた灰が線香を燃やした後のものだということに気がついた。


 それが普通の人間であれば、線香の香りなど気にも留めなかっただろう。しかし、香の煙はそれにとっての毒そのもの。例え灰になったとて、その匂いは決して心地よいものではない。


 このままでは、いいかげんに限界だ。そう思った矢先、それの背中が小刻みに震えた。額の脂汗は滴となって流れ落ち、同時に袖口から数匹の蝸牛がボタボタとこぼれて落ちる。最後には口を大きく開き、その中から唾液とも粘液とも取れる何かを本能のままに吐き出した。


「はぁ……はぁ……」


 肩で激しく息をしながら、それはなんとか窓の側から身を離した。雨除けの人形と、香の灰。一つ一つは大した力を持っていなくとも、ここまで一カ所に苦手な物を集められれば話は別だ。ちょうど、蜂の群れが大熊を倒すように、蟻の大群が巨像に打ち勝つように、様々な小粒の仕掛けが大挙してこちらの力を奪ってくる。


 全身の気力を振り絞れば抗うことは可能かもしれないが、それでは目的を果たすための力を残すことはできないだろう。それに、先ほど窓辺で膝をついたとき、不快な匂いは人形や灰だけから感じられたわけではなかった。


 恐らく、あの部屋の中や周りには、他にもたくさんの障害を置かれていることだろう。その全てに抗い、もしくは破壊して、それから今宵の獲物を狩る。さすがにそこまでのことは、今の自分の体力を考えてもできそうにない。


 残念だが、今夜は諦めて出直す他にないだろう。ここまで来て悔しくも思えるが、今回は相手の方が一枚上手だった。こちらの存在を敏感に感じ取り、先に結界のような形で獲物の周りを囲われてしまった。


 こうなったら、少々面倒な手を使っても、自分の土俵に相手を誘い込む他にないだろう。最悪の場合、次なる獲物を変更する必要があるかもしれない。


 今までの計画が狂わされたことに、それは少しばかりの怒りを露わにして軒先に並ぶ人形たちを睨みつけた。もっとも、焦りのような物はない。


 こちらには、まだいくつもの切り札がある。獲物を狩る順番が狂うかもしれないが、最終的に全ての獲物を狩ることができれば、順番など些細な問題である。


 降り続く激しい雨に打たれることで、それはいつしか先の調子を取り戻していた。口元を三日月の形に歪ませて、片手に鋏を持ちにやりと笑う。


「そんなに死にたくないんなら、あなたは最後にしてあげる……。その間、せいぜい束の間の生を謳歌すればいい……」


 その言葉を最後に、それはゆっくりと闇の中へ姿を消した。庭はやがて静寂を取り戻し、軒先では綺麗に整列したてるてる坊主が何も言わずに揺れていた。

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