【壱ノ花】 忘れられた話
ぼろぼろに朽ち果てた村の中を、一組の男女が走っていた。空は既に日が落ちて、辺りには灯り一つない。時折、街を吹き抜ける風が、ガタガタと壊れた窓ガラスを叩いている。
「大丈夫か?」
男の方が、自分よりも一回り小柄な少女を気遣うようにして言う。少女は何も言わずに頷くと、二人は村の外に向かって再び走り出した。
大地を足が蹴る音と、風が草を揺らす音。それ以外には、二人の吐き出す息の音しか聞こえない。
だが、二人は知っている。この闇の中に巣食う、恐るべき者たちの存在を。死してなお現世に留まり続け、生者の血肉を求めて彷徨う怪物のことを。
ズルッという何かを引きずるような音がして、二人は思わず後ろを振り返った。誰もいないはずの、既に廃墟と化した村。その村の中に通る大通りに現れた者を見て、男は少女を庇うようにして前に立つ。
「下がってろよ……」
そう言いながら、男はサングラスを取って少女に渡した。その向こう側から現れた顔は、思った以上に若い。体格こそ一回りも大きかったが、年齢は後ろにいる少女とさして変わりないようだった。
コートの内ポケットの中から徐に拳銃を取り出して、大柄な少年は目の前に現れた異形の者に狙いを定める。手にした銃が火を吹いて、怪物は急所を撃ち抜かれ一瞬にして倒れる。
だが、そんな予想に反して辺りに響いたのは、妙に作りものじみた銃声だった。おまけに銃口から煙も出なければ、銃の本体から薬莢も排出されない。それに、よくよく見ると銃そのものも、どうにも安っぽい作りをしている。
「グェェェェッ!!」
ゾンビとも妖怪ともつかない異様なマスクをした怪人が、これまたお約束の悲鳴を上げてその場に倒れた。銃で脳天を撃ち抜かれたようだが、それにしても血飛沫一つ出ていない。あれで死んだのであれば、随分と弱々しい怪物である。
止めを刺したことを確かめるようにして、少年が銃を構えたまま怪物に歩み寄った。が、そこまでいったとき、少年と少女の周囲が唐突に闇に包まれた。否、より正確に言うならば、二人のいた世界は、ふっつりと音を立てて完全に消え去ってしまったと言った方が正しい。
電源の落ちたテレビ画面。その前に置かれたパイプ椅子に、数人の少年少女が座っていた。制服姿であることと、その背恰好からして、恐らくは高校生くらいだろうか。
「はぁ……。やっぱ、何度見ても下らねぇよな。こんなのが去年までいた先輩の置き土産なんて、俺たち≪映研≫も堕ちたもんだぜ」
テレビのリモコンを構えたまま、先ほど銃を持っていたのとは別の少年が呟いた。その周りには数人の少年少女が集まっており、その誰もが大なり小なり不満そうな顔をしている。
「あの、宮川先輩。この先、見なくていいんすか?」
リモコンを持った少年の隣にいた、彼よりも一回り小柄な少年が言った。だが、宮川と呼ばれた少年は面倒臭そうな顔をして欠伸をすると、そのままリモコンを放り出して大きく伸びをした。
「相変わらず真面目だな、秀は。こんな駄作、最後まで見たってなんの参考にもならないぜ。一応、去年の俺たちが作った作品ってことで見せるだけ見せたけど、最後まで見てたら絶対に途中で眠っちまうぞ」
立て続けに出る欠伸を押し殺しながら、先ほどまでテレビのリモコンを持っていた少年、宮川亮が言った。
黎明印大学付属灘岡高等学校。彼らはそこの映画研究会に所属するメンバーである。今しがたまで廃墟の街で怪物と戦っていた少年は、昨年の三年生が文化祭で発表するために作った映画のワンシーンのもの。映画研究会の人間が毎年作成している、自主制作映画の一つだった。
高校生の、しかも同好会でありながら、映画研究会の歴史は古かった。かれこれ十年以上前から灘岡高校に存在し、最初に会を興した者たちは、とっくに卒業して社会人になっている。それこそ、順調に進んでいれば、今頃は子どもも生まれて幸せな家庭を築いている者がいてもおかしくない。
そんな映画研究会だったが、ここ最近は小ぶりで微妙な作品を発表するのが精一杯の状況が続いていた。昨年の映画も例に漏れず、典型的なパニックホラーを模倣した質の低いものである。
廃墟となった街を訪れた少年少女が、そこに巣食うゾンビとも死霊ともつかない怪物たちと死闘を繰り広げるという物語。ストーリー性などほとんどなく、演出にしろ展開にしろ、突っ込みどころはどこも満載。B級のホラー映画でさえ、あそこまで安っぽくはないだろう。
本当であれば、あんな映画は撮りたくない。だが、去年は亮も一年生。先輩の命令は絶対であり、渋々気の進まない映画の撮影に協力せざるを得なかった。今では卒業してしまった三年生の先輩に大のホラー好きがいたことも相俟って、その年の映画がゾンビ物になることは、既に決定していたことだった。
「とりあえず、去年の映画は脚本も演出もダメダメだったな。でも、今年は俺たちが映画を作る番だ。あんな作品に負けない、映研の歴史に残るような映画を作ってやろうぜ」
そう、亮が言ったのが全ての始まりだった。
もとより、ホラー好きの先輩たちがいなくなって好き勝手にやっていた者たちである。昨年の映画を散々にコケにしたあげく、自分たちでもっとよい作品を作ろうと考える。映研のメンバーの気持ちが一つになるのには、そう時間はかからなかった。
「それにしても、今日は会長たち遅いっすね。なんか、用事でもあったんすか?」
亮の隣で映画を見ていた少年、田村秀彰が尋ねた。一年生の秀彰は、まだどこか中学生らしさが抜けておらず、二年生の亮から見ても少し子どもっぽく思える。
「ああ、そういえば……今日は会長たち、なんか新作の脚本を作って持ってくるって言ってたぞ。今年の文化祭に間に合わせるために、四月から作ってたらしいぜ」
「へえ、そうなんすか。でも、それで遅れてるってことは、脚本は完全に仕上がってないってことっすかね?」
「さあな。ただ、久瀬先輩の話だと、最近になって何やら凄い脚本を見つけたらしんだよな。それで、急遽使う脚本を変更したとかで、少し揉めたんだと」
ビデオデッキからテープを取り出しながら、亮は秀人の質問を適当にかわした。学年が上がって少しは幅を利かせられるようになった亮だったが、三年生の先輩が何を考えているかまでは、さすがに全て知っているわけではない。
後は、先輩たちが来てから直々に話をしてもらえばよいだろう。そう考えていた亮だったが、そんな彼の心などまったくお構いなしに、今度は秀彰の隣にいた少女が亮に尋ねてきた。
「ねえねえ、宮川先輩。その、凄い脚本ってどんなお話なんですかぁ?」
小鳥遊瑞希。秀彰と同じ一年生で、彼女も亮の後輩に当たる。身長は低く見た目も小柄だが、今時の女子高生とは程遠い感性の持ち主である。自分のことを「ボク」と呼び、恋愛話に花を咲かせるよりもスポーツで汗を流していた方が似合うようなタイプだ。そんな彼女がどうして映画研究会などに所属しているのか、亮にはさっぱり理解できない。
「悪いけど、俺にもそれはわからないんだよね。どうも、かなり手の込んだラブストーリーだって話だけど……それ以上のことは、俺も知らされてないんだ」
「ここまで引っ張っておいて、オチはそれなんですかぁ? しっかりして下さいよ、宮川先輩!!」
「そう言われたって、知らないものは知らないから仕方ないだろ。秀にも言ったけど、詳しい話は先輩たちが来てからにしてくれ。どうせ、もうすぐ他の連中も来るだろうからさ」
そこまで亮が言ったとき、部屋の扉が唐突に開かれた。その向こうから姿を現した背の高い少年を見て、亮は軽く頭を下げながら挨拶する。
「あっ、瀧川先輩! それに、久瀬先輩も、お疲れ様です!!」
「相変わらず早いな、宮川。俺たちが来るまで時間もあっただろうに……大方、退屈していたんじゃないのか?」
「いや、それは大丈夫ですよ。一応、参考までにってことで、去年に作った映画のビデオなんかを後輩たちに見せてましたから」
「そうか。でも、あんな駄作を流してたら、返って眠くなると思うけどな。君たちも、そう思わなかったかい?」
亮との会話を軽く流し、その少年、瀧川敢は、半ば呆気にとられた表情の秀彰と瑞希に向かって言った。
現在の映画研究会の会長は、他でもないこの敢である。彼は昨年も映画研究会に所属しており、主に脚本の作成を手掛けていた。もっとも、実際には三年生の先輩の言うことを聞いて、彼らが望むような脚本を仕上げているに過ぎなかったのだが。
その外見からもわかる通り、敢は人の良い少年である。責任感が人一倍強く、上から頼まれれば嫌とは言えない。が、そんな敢であっても、やはり昨年の映画の出来には不満だったのだろうか。自分が三年になり、会長の座を引き継いでからは、残された会員たちの意見を取り入れながら、早くも新しい脚本の制作に取り掛かっていた。
「あの、瀧川先輩。ボクたち、宮川先輩から聞いたんですけど……新しい脚本ができたって、本当ですか?」
パイプ椅子に後ろ向きになって座ったまま、瑞希が目を丸くして尋ねた。椅子の背もたれに手をかけて、子猫のように丸くなっている。
「ああ、本当だよ。でも、実はそれ、僕が作った脚本じゃないんだ」
「えっ……。それ、どういう意味ですか?」
「詳しい話は、久瀬から聞いてくれよ。その脚本を見つけたのは、他でもない彼だからね」
そう言って、敢は自分の隣にいた、少々恰幅の良い友人に目をやった。秀彰や瑞希、それに亮の視線も、おのずとつられてそちらへ向く。彼らの視線の先にいる少年は、ややもするとオタク的な外見をしていたが、その目は至って真面目だった。
久瀬正仁。敢と同じく映画研究会に所属する三年生で、主に映像の編集を手掛けている。その技術はアマチュアにしてはかなり優れたものであり、正仁自身、その辺の三流編集者とは違うという自負があった。編集だけでなくカメラマンの役もこなす彼は、今の映画研究会にとってなくてはならない存在だ。
「なんだ、お前たち。俺が脚本なんて見つけたのが、そんなに不思議なのかよ」
その大柄な外見に反して、正仁は他人から好奇の視線に晒されることに慣れていない。普段からオタクっぽい男として差別的な視線を送られることに、正仁は特に敏感になっている。そのため、純粋に後輩たちから興味や関心を向けられても、つい愛想のない態度を取ってしまう。
「まあ、そうカリカリするなよ。こいつらだって、お前が脚本を見つけたのが変だなんて思ってないさ。ただ、脚本の中身に興味があるってだけだよ」
「そうか? でも、俺はそういうの話すのは苦手だからな。悪いけど、ここはお前にパスするぜ」
敢から諭されてもなお、正仁は不機嫌そうな態度を改めることなく言ってのけた。そのまま近くにあったパイプ椅子に坐ると、腕組みをしたまま背もたれによりかかる。こうなると、もう敢とて成す術はない。
ほんの些細なことであれ、気に食わないことがあればすぐに本気で腹を立てる。相変わらず気難しいやつだとは思ったが、これは今に始まったことではない。それに、激昂してどなり散らしたりしないだけ、まだ少しばかりの救いがある。そう割り切って、敢は仕方なく自分たちの持ち込んだ脚本について話し出した。
「それじゃあ、僕の方から簡単に説明しようか。さっきも言ったけど、今回の脚本は僕が一から作ったものじゃない。とある経緯で入手した脚本を、ちょっと僕風にアレンジしたものなんだ」
「へえ……。でも、そんなことして大丈夫なんすか? 著作権とか、最近はけっこううるさいみたいっすよ」
「ああ、そうだね。確かに秀の言う通りだ。でも、この作品は僕が久瀬と一緒に映研の倉庫で見つけたものだからね。たぶん、ここの卒業生が作ったオリジナルか何かで、実際に本として出版されているものじゃないはずだよ」
「映研の倉庫って……先輩、よくあの≪魔窟≫から、昔の卒業生が書いた脚本なんて見つけられましたね……」
敢の言葉に、秀彰が思わず感嘆の言葉を漏らす。だが、それも無理のないことだった。
映画研究会の倉庫は、関係者の間では≪魔窟≫と呼ばれて恐れられている。手前は普段から使用する様々な機材が置かれているだけだが、その奥は使用しなくなった機材や何が入っているのかわからないダンボールの山で覆われている。大掃除の際ですら全てを片付けることができず、最深部に至っては、ここ数年以上片付けられていないのではないかと思われた。
その上、天高く積まれた様々な機材や箱は、下手に触れば一度に崩れてくる可能性があった。それこそ、まるで雪崩のように、その場にいた人間を押しつぶさん勢いで倒れかかってくるだろう。故に、映画研究会の人間の間では、倉庫は≪魔窟≫と呼ばれていたのである。
そんな≪魔窟≫の中から脚本が発見されたのは、偶然以外の何物でもなかった。先週末の土日に思いつきで≪魔窟≫の整理をした敢と正仁が、その奥から古びた木箱を見つけたのである。
初め、その木箱が何であるかは、敢も正仁もわからなかった。木箱にはあちこちに釘が打ちつけてあり、どこが蓋なのかもわからない。まるで中に何かを閉じ込めるようにして、しっかりと封印が施されていたのだ。
「なあ、瀧川。これ……ちょっと開けてみようぜ」
そう、正仁が言ったのがきっかけだった。最初は他のガラクタと一緒に≪魔窟≫の奥へとしまい込むつもりだった敢も、正仁の言葉を聞いて気が変わった。
これだけ厳重に封印が施された箱だ。もしかすると、何か掘り出し物が入っているのかもしれない。そんな淡い期待を抱いて、敢と正仁は木箱の蓋を釘抜きで壊して開けた。
箱を作っている板の隙間に、半ば強引にねじ込むようにして、二人は釘抜きの先端を押し込んだ。そして、そのまま上豚を引き剥がすと、箱の中にあるものを躊躇うことなく引っ張り出した。
開け放たれた箱の中は、外側と比べると驚くほど綺麗だった。恐らく、何年も開けられなかったために、カビや埃による侵蝕が内部まで及ばなかったのだろう。
「なんだ、こりゃ? なんか、紙の束が出て来たぜ?」
箱の中から取り出した分厚い紙の束を見て、正仁が少しばかり残念そうな顔をして言った。だが、敢はその紙を正仁から取り上げると、いつも通りの冷静な口調でパラパラと紙をめくりながら呟いた。
「へえ……。なんだか知らないけど、これ、映画の脚本みたいだな。随分と古い物みたいだけど……それにしても、良くできてる」
「脚本!? でも、なんでそんなもんが、こんな木箱の中にぶち込んであったんだ?」
「さあね。ただ、僕もざっと目を通しただけだけど、これはかなりの傑作だよ。今、僕が書いている新作の脚本なんか、足元にも及ばないかもしれないな」
「なんだよ、珍しく弱気じゃねえか。その脚本、そんなによくできてるもんなのか?」
「ああ。折角だから、できることなら今年の作品は、この脚本を使ってみるのもいいかもしれないな。まだ、全部を読んだわけじゃないけど、少し僕なりのリライトを加えれば、すぐに使えるようになるだろうしね」
こうして、映研の≪魔窟≫から発掘された一冊の脚本は、長きに渡る封印を解かれて再び外の世界に出たのである。今ではそれに敢が多少の手直しを加えたものが、今年の作品の脚本として使われる予定なのだ。
「と、いうわけで……僕と久瀬が見つけた脚本を、僕なりに手直ししてみたのがこれさ。まだ、配役なんかは決まってないけど、それはこれから決めるってことでいいかな?」
白地の紙にコピーされた脚本を配りながら、敢が他のメンバーの様子を窺うようにして言った。もっとも、脚本を手渡された者たちは、敢の顔よりも脚本の内容に目を通すので精一杯の様子なのだが。
「あの……先輩」
敢が脚本を配り終えたところで、頃合を見て瑞希が軽く手を上げた。
「なんだい、瑞希。僕のリライトした脚本で、何か聞きたいことでもあるのかな?」
「いや、別にそういうわけじゃないんですけど……。高須先輩と皆口先輩、それに麻生先輩も来ていないのが気になって……」
「ああ、それか。麻生さんは、今日はバイトの都合で出られないって言っていたよ。高須と皆口に関しては、何も聞いていないけどね」
「まったく……高須先輩、また遅刻ですかぁ? ボクみたいな一年生が真面目に参加してるってのに、いっつもこれなんだからなぁ!!」
敢からもらった脚本を早くも丸めながら、瑞希は大袈裟に頬を膨らませて言った。彼女の横にある長机の上には、未だ姿を見せない映研のメンバーたち、高須慶一と皆口雨音、それに麻生美幸の分である脚本が、静かに横たわっていた。
本作品は一部に暴力的な表現を含みますが、これは作中の暴力行為その他を推奨するものではありません。
また、一部の人間が反社会的な行いを働いたり、超常的な存在によって登場人物の一部が理不尽な死を遂げる描写があります。
これらの描写に対して政治的道徳観、及び宗教的価値観から不快な思いをされる可能性がある方は、これより先の内容を読むことを控えるようお勧めいたします。