監獄に集いて
時間の感覚がとうに薄れた中、監獄の結界が破壊されたその瞬間にクラウィスは楽しげな表情をしかめて舌打ちする。それをミラは見逃さない。
注意が逸れたその刹那、ミラの長剣の切っ先がクラウィスの左目を捉え、突き刺す。しかし、クラウィスも馬鹿ではない。寸前でそれを受け流してみせるが、左頬にわずかな傷を負う。
外れたことによりミラは距離を取ってクラウィスと対峙するが、当の監獄長は久しぶりについたであろう傷に思いのほか驚いているようで頬に手をやって手袋が汚れたのを確認し、愉快そうな笑顔を浮かべならが鼻で笑った。
「悪くはない、が……やっぱり解除なしだとその程度か」
ぐっ、と言葉を詰まらせるミラにクラウィスは鞭をひと振りして形状を変化させる。先程まで短めだった乗馬に使うような鞭から長く先が細くなっている鞭になっており、相変わらずの変態だとミラは内心悪態をついた。
「俺相手に封印解除なしでそれは無理なんじゃないか? どうやらここ数十年押さえたままらしいが、それはお前が解除するまでもない相手だったからだろう?」
「うるさい……」
ミラは魔力の大部分を封印している。これらは決して魔力が強いが故に周囲への影響を考えたものではなく、ミラ個人の肉体的な負荷を軽減するものだ。現在最強の呪術師カースですら解呪不可能の呪い。ある一定以上の魔力量の者のみに有効で、魔力が多ければ多いほど肉体への負担が強くなり、内蔵を引きずり出され四肢をもぎ取られたような痛みを永続的に与えるものだ。当然、ミラの全魔力では常人がこの呪いを受けるよりも数倍の痛みに苦しむ。そのため、魔力の大部分を封印して呪いの効果を押さえ込んでいるのだ。もちろん、その封印を一時解除して全力で戦うこともできるのだが、当然呪いの効果があるため、長時間は戦えない。解除も数段階あり、魔力の調節もできることはできるが、どうしたって呪いの効果があるためクラウィスのような下手したら自分よりも強い相手に下手に本気を出そうとすると自滅しかねないのだ。
クラウィスはもちろんミラが自滅することをわかった上で解除しないのかと聞いている。もちろん、クラウィスも本気を出せばミラを取り押さえることは可能かもしれないがクラウィスの性格はとんでもなく歪んでいる。
「どうせ私が本気を出してなお、ひれ伏すのを見たいんだろ、このクズ!」
「よくわかってるじゃないか」
何も知らない女性が見たら腰が砕けそうに魅力的な笑顔に鳥肌が立つミラ。下心しかないその笑顔に騙されて何人の女性が食われたんだろうと思うとミラはぞっとする。
「まあお前が本気を出さないっていうなら仕方がない。程々に遊んでやる。もちろん跪いて可愛らしく俺に屈服するなら許してやるぞ?」
――ああ、なんで、自分に寄ってくる男はこういうのしかいないんだろう……。
自分がなにか悪いことをしただろうか。そう思ってしまうほどミラは恐ろしい男にばかり愛される。
そして、本当の意味で誰も自分を愛していないことを知っている。
ミラの切っ先は相変わらずクラウィスに向けられている。しかし、両者動く気配を見せない。膠着状態のそれはミラの額から頬に汗が伝い、床に落ちるまで続いた。
静寂が切り裂かれ、両者が互いを制するように武器をぶつける。
クラウィスの鞭はミラの腹部。しかし、ミラは最初から鞭をたたっ斬るつもりだったのか長剣が鞭とぶつかる。
しかし、鞭は明らかに重力や物理を無視した動きで剣へと絡みつきあらぬ方向へと引きずられる。反射的にミラは剣を手放しクローク出現座標を計算する。
マジッククロークは細かい設定をしなければ手や標準的な装着位置に出現するようになっている。また、ある程度地面に出したいなど考えれば大雑把ではあるものの地面に出現はする。しかし、ミラのやっていることは出現位置を自分の近くではなくクラウィスの近くに出現させようとしているのだ。これは通常では不可能ではあるが、出現座標を計算して魔力を余分に支払えば可能である。しかし、この行為を戦闘中に行うということはかなりの集中力と判断力が必要となる。この戦い方を真似ようとした人間も多くいるがミラと一部の英雄たちしか成功せず、廃れゆく技術であるのは間違いない。最近はユリアがこの戦法に憧れてレイピアを増やしたりもしたが実践で運用するとなると出現位置を間違えて事故につながる可能性もある。これの恐ろしいところは相手の体内で出現させることもできなくはないということだ。しかし、それは更に魔力の消費と失敗した時の反動が大きいためミラでも絶対にやらない。
そんな戦闘技術をクラウィスの肩に向けて行使する。当然、クラウィスは剣が出現したことに気がつき鞭を振るって巻き取っていたミラの剣で弾く。それと同時にミラの二つの長剣は消えて、クロークへと収納された。
その瞬間にもミラの手には別の剣が現れ今度は長剣ではなくミラの背丈にも迫らんとする大剣。スピードを犠牲にして振るわれるはずの重量級武器は軽々と扱われ、クラウィス頭部に強打を打ち込もうとする。
そんな大剣を止めたのは鞭ではなくクラウィスもまたクロークから取り出した斧。力強いひと振りにミラも押され、後ずさる。
処刑人の首切り斧。クラウィスが滅多に使わないことで有名な曰くつきの武器。武器としては恐らく最高峰のランクである幻想級のそれは魔剣や聖剣と呼ばれる類の特殊な武器に該当する。当然、使い手が未熟なら扱うことは不可能であり、魔力の消費も激しいそれはあくまでもクラウィスの手の一つでしかない。
どうしたものか、と思考を巡らせたミラ。すると、先程までミラが破壊もできなかった部屋の扉があっさり開かれた。
「クラウィス様。大変お待たせしました」
「遅い。お前は十代のガキか。命令の一つくらいすぐに実行してみせろ」
「……申し訳ありません」
サヨが少し気だるげに入室する。先程までやりあっていた雰囲気を砕いてみせたサヨはよくみると髪がざっくりと切れている。クラウィスのそばまで近寄ったサヨをミラは止めることはせず、逃げようともしない。というかクラウィスがここで逃げられるような隙を与えていない。
「ん? お前なんか髪おかしいぞ」
「ああ……少々油断しまして」
「らしくもない。みっともないから早いところもう片方切るかしろ」
冷徹に言い放つクラウィスはミラにみせていたどこかねっとりした雰囲気を欠片も見せない。サヨはちらりとミラを見てどこか困ったように眉を寄せたかと思うとすぐにクラウィスへと視線を戻した。
「で?」
「はい、こちらになります」
サヨがパチンと指を鳴らすとサヨの後ろに大きめの檻がどすんと音を立てて出現する。それと同時にうめき声が複数と荒い息が部屋に増える。
ミラはそれがなにか即座に気づき、とっさに動こうとしてクラウィスに制された。
檻の中にはケイトたち6人がそれぞれボロボロになって詰め込まれている。
特に重症で動くこともままならないルカ、傷はあまり見当たらないが苦しそうに気絶しているアベルとサラ、意識のないシルヴィアとケイト、不服そうにしているユリアが狭い中でひしめき合っている。
「ミラ、さ……ん……」
ユリアがかすれた声で呟く。ユリアは比較的マシだが他が放っておけば危険な状態だ。
「さて、ミラ? これがどういうことかわかるな?」
「このクズ……!」
さすがに無事では済まないと思っていたがここまでひどい扱いを受けるとは思ってもみなかったようで、ミラは怒りを隠そうとしない。罪人以外には手を出さないはずの監獄官を動かしてまで弟子たちをどうこうするとは思わないだろう。本気を出せば1対1でどうにかなってしまうのだから。
「さて、ここで俺はいくつか提案しようじゃないか」
「提案……?」
「ミラが大人しく俺のものになるなら協会からも守ってやるし、こいつらもきっちり治して解放してやるよ」
爽やかな笑顔に騙されたら最後、地獄の底まで落ちていく。
「言うことを聞かないのであれば、こいつらをこのまま全員監獄特別牢にブチ込む」
「ばっ――!? そんな馬鹿なこと許されるはずが!!」
「許される。罪状をでっちあげることなんていくらでもできるからな。――まあ一部、そのままの罪状でもいいやつがいるけど」
意味ありげに檻の中を見つめるが、その人物は意識がなく気づくはずもない。
罪人には死よりも苦しい罰を。監獄特別牢はそれを最も表した残虐非道な檻だ。でっちあげることも本来は許されないし公にすれば監獄が批難を浴びるかもしれないがその間に弟子たちが死なないとも限らない。
決めるのは今しかない。
「……」
「ミラ。俺は優しい。でもな、返答が遅いのは嫌いだ」
「……あんたのいいなりだけは死んでも嫌」
「ほお? その答えはこいつらを好きにしてもいいってことか?」
「あんたのいいなりにはならないけどその子たちは絶対に渡さないわ」
クラウィスが何か言う前に、ミラはサヨの背後にまわり、サヨを捕らえる。サヨは少し驚いたように目を見開いたいがすぐに無表情になった。
「そっちが人質ならこっちもやってやるわ。この子あんたの腹心でしょ? しばらく人前に出れなくされたくなかったらその子たちを渡せ」
サヨの首にミラの新しく出した短剣が当てられる。ひやりとした感触にサヨも身動きがとれずミラにされるがままになっていた。
クラウィスは無言。むしろつまらなさそうに首に手を当ててため息をついた。
「あのな」
瞬間、クラウィスの手にあった斧が消え、長剣が姿を現し、『サヨごと』ミラを突き刺した。
「がっ……! あぁっ!」
「クラ、ウィス……! あんた!!」
腹部を貫通した剣が引き抜かれ床に血が飛び散る。サヨはそのまま倒れ、呼吸が乱れる。ミラはあまりダメージを負っていないのか少しよろめいて腹部を抑えるものの、立ってクラウィスを睨む。
「俺がそいつ程度でどうにかなるとでも思ってんの?」
長剣を振ってついた血を落とすとミラに近づく。倒れるサヨを意にも介さず、ミラの頬を撫でる。
「お前がバカなことをしなければサヨも苦しまなかったのにひどいやつだな」
「あんたにだけは……言われたくない……!」
刺されたせいか視界が揺らぐ。それでも、クラウィスの不愉快な視線だけははっきりとわかる。
「さあ、お前の口から俺のものになると聞かせろ。俺がここまでしてやったんだ。膝を折って俺だけを楽しませろ」
朦朧とする意識の中、どうにか腕を動かそうとして、剣が手から滑り落ちる。
「そこまでだ」
そして、現れた第三者によって、ミラの意識は覚醒する。
「ウェ、ルス……!?」
「お前……」
クラウィスの驚いた表情と、ミラを庇うようにして立つ男の背。
ウェルス・ビレイサー。大陸に影響力を及ぼす組織、協会の長。千年前の英雄の一人でもある彼は、クラウィスを睨むとともに、檻の中の弟子たちを見て眉をしかめた。
監獄編の終わりが見えてきた。クラウィスは根っからのクズだけどなぜか裁かれないという。