知らない名前と可能性
「――なんだよ、あれ」
炎の獣を見てルカは愕然とする。高度なその魔法は本来炎でしかないはずなのに、生きているよう錯覚させる。それだけの魔力がないと維持できないはずなのに――。
「ケイト、なの……?」
サラの言葉にルカははっとする。炎の獣にやられたジェシカをあざ笑うように出てきたのはケイト本人。
ルーストはそのケイトよりも、焼かれたジェシカに視線を向ける。
「まったく、手のかかる……」
ルカとサラの目の前から音もなく消え、ジェシカの傍に転移すると、火傷の痛みで苦しむジェシカに応急処置として医療魔法を施す。
しかし、火傷が完全に消えることはない。焼け焦げた服とその下の体に見えるのと顔にまで及ぶ火傷。医療魔法で治らない火傷で思いつくものが、ルーストの知識にはあった。
「……はー、これはもう一度帰らないと火傷残るね。帰ろうか」
「ひっ、う……いたいよぉ……ルーヴィ……たすけてよぉ……あついの……」
「君って本当に泣き虫だね。あと俺は君のルーヴィじゃないよ。あとで恥かくの君なんだからしっかりして」
「やだぁ……かえ、ったら……エヴェン、さまに……」
「あいつはその程度で怒らないから。それに――」
ルーストは結界で自分とジェシカを包む。その結界に阻まれた炎の獣は数度結界に体当たりを繰り返す。
「あいつ相手とミラ・エルヴィス相手に君、勝てるわけ?」
「うぅ……ひっく……ふぇぇ……」
「ああ、もう今泣かないでよ。ちょっと我慢して」
今にも結界が壊れそうだというのにルーストは平然としながらジェシカを抱える。
「収穫なし。むしろ洗脳した協会幹部の損失ね。報告するの面倒だ」
炎の獣が結界を破ると同時に二人は転移水晶による転移でその場から消えた。ジュエルと違う高級品を惜しげもなく使うことから意外とギリギリだったのかもしれない。
炎の獣は行き場をなくした戦いの本能を持て余しており、低く唸って周囲を観察している。
そんな様子を見てケイトは面白そうに嗤う。
「ベスティア。気持ちはわかるが少し落ち着け。あいつらは逃げたか。まあ逃げたならどうでもいい」
ケイトの様子はいつもと違い殺気と嗜虐で満ち溢れている。目つきが、表情が、全てがケイトとはかけ離れた何かを感じさせる。
(違う……ケイトだけどケイトじゃない)
セイヤは嬉しそうにケイトを見る。その視線に気付いたケイトは鼻で笑った。
「なんだ? 相手して欲しいのか? お前は覚えがないな……敵か?」
見下した発言にカルラは気を悪くするでもなく、状況を一切考慮しないようなことをのたまった。
「俺は強い奴と戦うことに悦びを感じるんだ。敵だろうと味方だろうと関係ない。お前、絶対強いな?」
「見抜くだけの力があることは褒めてやる。が、後ろのそれを庇いながら戦うつもりか?」
後ろにはモニカの一撃で倒れたセイヤを介抱するシルヴィアと、ケイトが原因で重傷にも関わらず、動いて息絶え絶えなモニカ。カリマが仕方なくそのモニカを支え、アベルは異常すぎるセイヤとケイトの様子に顔を歪めていた。
「おい! 敵は逃げたんだからいい加減――」
「俺様、俺以外は例外を除いて敵だと思っているんでね」
笑顔で、ケイトは言い放ち、ちらりとミラとモリアを見る。結界が破れ、ようやくこちらにきた二人にケイトは嗤う。
「さて、大英雄サマと占い師サマも俺様とやり合うか?」
「……ケイト、じゃないわね? 『お前は一体なんなの』?」
「さあ? 『俺様は“可能性”であって俺自身だ』」
もう敵はいないはずなのにケイトがこの状態では転移して逃げられない。恐らくこのケイトはこちらを信用していない。
「さあ、来いよ! 全員まとめて――」
とんっ……と、ケイトの体が揺れる。
ケイトは目を見開いて後ろを振り向く。
身長の変わらないユリアが抱きついて、涙を浮かべている。
「ケイト、くんっ……お願い、そんなケイト君、見たくない……!」
「――……セーズ」
二人の心臓が大きく跳ねた。
ケイトがユリアに気を取られているうちに、モリアが動く。モリアが簡易だが魔法陣を展開させ、ケイトの腹部に手のひらを押し付けた。
「“可能性”――眠っていないさい!!」
モリアの手のひらからケイト全体を包む、魔力によって作られた紫色の細い鎖が伸びていく。
ケイトはユリアを見て、悲しそうに微笑みながら目を閉じた。
「お前は、俺のセーズじゃなかったな」
それだけ言い残して、ケイトはその場に倒れた。
セーズ、ってなんだろう。
名前? いや、それだけだろうか。
私の名前? 私、本当はセーズっていうの?
そうだとしたら、その名前、嫌い。
嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
……私はユリア。そんな名前、知らない。
…………あれ、今、ケイト君。最後に何言ってたっけ。
聞こえなかった、のかな……思い出せない……忘れちゃった。
ユリアはまだそんな病んでません。