憎しみの浮かぶ瞳
グラスを一振し、眼鏡をかけなおすとクァイは魔力を迸らせた。そして、アグニはなぜか楽しそうに肩を回している。
「おらぁ!」
いつの間にか装備されたナックルは鈍い光を放ち振り下ろされる。とっさにアベルはその場から離れる。振り下ろされた拳が地面を叩き割り破片が周囲に飛び散った。
「ちっ……こんな狭いところじゃ思うように動けない――」
「大人数がアダになったね」
舌打ちするミラさんと冷静なカースさん。二人が思うように動けないのは移動する際にルカが説明してくれたのだが『強すぎるから』だそうだ。
二人の魔力は常人じゃまずありあえないほどの質と量を兼ね備えており戦おうと魔力を解放すると周囲に影響を与えかねないそうだ。特に洞窟などの狭い空間は下手をすれば崩れるような被害もあると。
二人だけなら崩れてもなんとかできるそうだがこれだけの人数が揃っているのだ。全て庇いきれるわけがない。だから二人にはあまり頼らないほうがいいと言われていた。
「『水よ、刃となれ』アクア・エッジ!」
グラスから溢れ出た水が刃物のように鋭くなって飛んでくる。剣で斬ろうにも水を斬るだなんて無茶だ。
ユリアはクァイと相性が悪いのか水の刃に苦戦しているように見える。シルヴィアも同様だ。
「面倒ですね――動きを封じておきましょう。『来れ、水の精霊よ。我が御名の元、仇なす者たちに戒めを――』アクア・ガッビア!」
水流が全員に押し寄せたかと思うと水の塊が絡みつき、まるで檻のように俺たちを捕らえた。
水の中に閉じ込められ、息ができない。
「……ほかはともかくフィアンマにしては弱いですね。まあ、フィアンマに違いないのは確実ですし……それにあの顔、どこかで……まさか――」
「あの程度で勝ち誇って……お前ら雑魚?」
「雑魚ダネー。正直、拍子抜けしちゃッタ」
まるで、自然と言わんばかりにずぶ濡れのミラさんが剣をひと振りすると、水が弾け、俺は檻から解放された。
「げほっ……、あ、ありがとうございます」
「……どういたしまして」
ユリアたちもカースさんが助けたのか、みな一様にむせ返っている。というか、ミラさんとカースさんはいったいどうやってあんな一瞬のうちに檻を破ったのか。
そんな様子を見たクァイは驚愕しながら後ずさる。一方でアグニは口笛を吹いて上機嫌だった。
「な、何故です……!? 私の水魔法は完璧なはず――」
「だから魔法とかでごちゃごちゃするよりぶっ飛ばしたほうがはやいってーの」
拳と拳を打ち付け合うと実に楽しそうにアグニは笑う。
「ていうか、あの仮面とキレーなネーチャン、例の呪術師カースと大剣使いのミラじゃね?」
「…………あ」
しばらく硬直してクァイは頭を抱えると何やらブツブツと言い始める。それを見てミラさんとカースさんは再び呆れたようにため息をついた。
「さ、さすがに私がいくら才能あふれる人間だとしてもあの化け物の英雄にかなうわけないじゃないですか……! 嗚呼、エヴェン様……私、貴方の元に無事帰れる気がしません」
「意外とネガティブだな、お前」
また漫才が始まった。緊張感が一気に消え去り、反応に困る。ミラさんが後ろで「あの二人とりあえず殴って気絶させていい?」とカースさんに話しかけている。ちなみにカースさんは「モウちょっと様子見レバ?」と適当に返している。
あれ、これ俺、命狙われてるんだよな……?
「こうなったのも全てアグニ、お前のせいです。ええ、全てお前のせいです。私の華々しい活躍もお前とコンビを組んでから毎回毎回台無しになりますしもう私どうすればいいんですかー!」
「とりあえず空でも見てぼーっとしてりゃいいんじゃねェ?」
「空……空ですか……青はいいですよね、心落ち着きます。青は水の青です」
どうしようこれ。完全にシリアスからグダグダな空気に変わってる。
「……さて、おとなしくなったとこだしふん縛って『色々』聞かせてもらおうかしら。アニムスとか、エヴェンとか」
「エヴェン、ね。昔、みじん切りになってたハズなのにドーシテその名前がデテくるんだろーネ」
どうやら二人には聞き覚えのある名前だったようだ。アニムス――俺にも覚えがある単語だ。
過去の悪夢の権化。謎の組織アニムスは大陸を恐怖と混沌に陥れ多くの犠牲者を出した。英雄たちの活躍によって大陸に平和が戻り、事なきを得たはずだ。
「アニムス復活ってだけで頭が痛いってのに死んだはずの人間が動いてるのか……」
「エヴェンが生きテル……ってコトはアイツらも生きてるッポイねェ……」
二人が自分の武器をアグニとクァイの首筋に向けて構える。恐らく、そのまま動けば二人の首は飛ぶだろう。
「さあ、大人しくしなさい。抵抗しなければ痛くはしないから」
「ソウソウ、ミラちゃんがマジになるとケッコー痛いヨ」
ミラさんの低い声とカースさんの楽しそうな声が対称的で逆に恐ろしい。
「せめてフィアンマだけでも――」
≪全く……お前たちはどうしようもないな≫
突如響いた声とともにズン、と体の奥に衝撃を感じた。まるで大きな力がその場を支配するような感覚。
そして、その声とともにカースさんがその場に倒れ伏した。
「カース!?」
「この声は……エヴェン様――!? わかりましたなんとしても始末して――」
グラスを完全にひっくり返しグラスから突然水が湧き出たかと思うとまたしても水の刃が現れカースさんを襲った。
「駄目だ、カース! 避け――」
当然避けると思っていたがなぜかカースさんは避けない。いや、避けられなかったのだ。
カースさんの仮面が割れる音とともにカースさんが吹き飛ばされる。ヴィオがまるで信じられないものを見たように目を見開いてカースさんのもとへ駆け寄った。
「師匠!? 師匠どうし――」
駆け寄ったヴィオはなぜか言葉を失いカースさんの顔を見て立ち尽くしている。それと同時にミラさんもそれを見て凍りついていた。
「エヴェン様! もしや今のはエヴェン様のお助けですか!?」
≪そうだが誰が真っ向から挑めと言った……。お前ら二人が本気を出してもその二人、いや……ミラ嬢がいる限り勝ち目はない。鉱石はもう手に入れてるんだから早く帰還しなさい≫
「そ、そんな……!」
≪口答えは聞かない。次が最後のチャンスだ。戻れ≫
「へいへーい……おら、もやし。水晶出せ」
「くっ……! しかし――」
「お前はエヴェン様に逆らえんのかよ」
どうやら反論はできないようでクァイは唇を噛み締める。臨戦態勢である俺らとミラさんを見て悔しそうにしたかと思うジュエルを取り出した。
「我々アニムス幹部に喧嘩を売ったこと、精々後悔するがいいですね。目的も果たしたことですし今回は引かせてもらいます。あとケイト君! 貴方は絶対私が殺しますからね!」
まるで親の敵でも見るような憎しみのこもった目を向けられて俺は戸惑う。そしてなぜか奴に憎まれることが仕方ないように思えてしまった。その理由はわからないが今は危険が去ったことに安心するばかりだ。
そして、もう一つ気になることがある。
「……俺、名乗ってないよな?」
その場にいた全員が黙って頷く。それなのにクァイという男は自分の名前を知っていた。
そんな疑問をかき消すようにカースさんのうめき声が漏れる。
「師匠! しっかりしてください師匠!」
ヴィオがカースさんを揺さぶるがカースさんは苦しそうに息を吐くだけだ。
そして、仮面が先ほど割れたこともあって素顔が明らかになりルカ達を絶句させていた。ミラさんすらも驚き目を見開いている。
「何よ……その顔」
仮面の下にあった顔は禍々しい気を漂わせる紋様に取り憑かれているように半分ほどが黒ずんでいた。悪魔に呪われたかのようなそれは今なお脈打つようにして微かにだが蠢いている。
明らかに異常なその状態に全員が言葉を失う。
「っ……そろそろ限界、か。悪いけどミラちゃん、ちょっと頼むよ」
「カース……するべきことは?」
「雪華の……結晶……できるだけ大きいので……それを」
途切れ途切れになりながらも言葉を発するとカースさんはむせ返った。
口からあふれるのは紛れもなく血。口を押さえた手からもこぼれ落ちて服の胸元を汚す。
「あーもうっ! あんたたちの中で炎・水・氷の潜在属性いる? 私どれも違うから無理なのよ!」
「は、はい! 私、水です!」
ヴィオは飛び上がるように反応し鉱石を探し回った。それに反応するようにルカとサラが立ち上がる。
「一応僕らも水と氷が入ってるから大丈夫……かな。とりあえず探してみます! あとケイト! 君も探しなよ!」
「あ、ああ」
鉱石に触れられる四人で手分けして探し始める。そう簡単には見つからないだろうが見つけなければカースさんの命が危険だ。
カースさんはかろうじて意識を保っている状態で今にも意識を失いそうなまでに消耗していた。
雪華の結晶を採るために採掘用のピッケルを手にする。その際に目にした写真の見本を頼りに奥へと進んでいく。しかしカースさんのために見つけなければいけないのに頭の中には別のことがぐるぐるとうずまいていた。
魔六家のこと。
クァイと名乗った青年の憎しみ。
そしてミラさんに対する不信感。
こんなこと今考えるべきではないのはわかっているがどうしても頭から消えてくれない。
すると、なにかに呼ばれたかのような感じがし、それを頼りに壁に近づくと強い魔力が感じられた。
「ここか……!」
雪華の結晶は強い魔力を有しているという。それならば――
「あった!!」
しばらく採掘していると不自然なほど早く結晶が姿を現す。どうやら一番最初に見つけたらしくカースさんたちの元へ急いで戻る。
「カース、あとは――」
「術式は……もうできてる……」
「師匠! これを使えばいいんですね!?」
カースさんが息絶え絶えながらも取り出した紙片をヴィオが受け取り術式とやらを展開させていく。雪華の結晶もそれに呼応するように輝きながらカースさんに溶けていく。
黒い紋様も徐々に消えていきこれで大丈夫だと全員が胸を撫で下ろした瞬間、洞窟内が崩れだした。
「な、なんで崩れてるの!?」
シルヴィアは天井を見上げながら音を立てて崩れていく様子に焦りを隠せないようでアベルがカースを支えながら叫んだ。
「崩れる前に逃げるぞ!」
不安定な足場が落盤で更に不安定になる中出口へと向かう。アベルとミラさんがカースさんを支えながら進んでいき、もうすぐ出口が見えるというところで一際大きい岩が崩れてくる。
「ケイト!!」
岩が降る中、ミラさんが駆け寄ってくるのが視界に映りそこで俺の意識は暗闇へと落ちた。