揺らぐ心に揺るがぬ事実
「ええ、『私』はミラ・エルヴィス。正真正銘、英雄と呼ばれた大剣使いで――剣士よ」
どこか悲しそうに認めたエレナさん――いや、ミラさんはカースさんを睨みつけた。
「……僕とサラは何となくですが気づいていました。ただ、隠してるのはわかっていたので何も言いませんでしたけど」
「まあ、シルヴィアとユリアはさて置き……伝説に関する知識が多少なりともあればシルヴィアの村の時点で気がつきますよ」
ルカとサラの言葉にアベルは何も言わずに、目だけで同意した。
「え……いや、さすがに冗談ですよね? だってミラ・エルヴィスって千年くらい前の英雄――」
「馬鹿だろお前。『ルーチェ』にそんな常識通用するか」
ルーチェ。異常なまでの戦闘能力の高さ、魔力、知能、そして膨大な寿命を有する特殊な存在。全てのルーチェが同じとは限らず、魔力の低いルーチェや戦闘能力が皆無のルーチェも存在する。しかし、寿命は『殺される』か『自殺』するくらいでしか死なないのだ。そもそも重度の病気にかかる確率も低く、再生力も普通の人間より高いとされているため、それくらいのことでは死ねない、とも言える。
長寿であり不死ではない。しかし、寿命が尽きて死んだとされるルーチェは未だかつて存在しないと言われている。
ルーチェ――不老長寿。その存在は異質で、異常。
底意地の悪そうな笑みを浮かべるカースさんは今にも笑い声を出しそうなほどに愉快そうだった。
ミラさんは睨むことすらせず無表情で、どこか遠くを見るような目をしていた。深い悲しみを感じる、寂しい目。
「ま、ソッチの事情は知らないケド、そんなミラちゃんにオネガイがあるンだよネー」
ピリピリとしたこの空気をぶち壊すようなその声にエレナさん――ミラさんは怒りの瞳を向ける。
それを受けてもカースさんはにやにやと笑みを浮かべている。
「モウ、察しはツイテると思うケド、小生、あのエロ狼から『命令』がきたンダ」
「……何て?」
「『ミラを見つけたらとっ捕まえて協会に引き渡せ』ってネ……」
「あいつ……!」
ますます険しい顔つきになるミラさんは俺たちに視線を向けたかと思うと深いため息をついてカースさんに言った。
「……この子達には聞かせたくないんだけど……別の部屋ない?」
「今さら何猫被っテルノ? ま、別に小生はソレでもイイケド」
何やらカースさんはヴィオに耳打ちするとそれを聞いて頷いた。するとミラさんとカースさんが部屋から出ていこうとするので声をかけようとするとヴィオに止められた。
「二人は別室で話するからその間、私と少し話しててって。ていうかすごいね。あの人、まさか伝説のミラ・エルヴィスだったなんて」
「あ、ああ……」
未だに驚きから抜け出せないでいるとアベルが舌打ちし俺を睨んできた。
「一番長く関わってたくせに気づかないなんてな。わざわざ俺が律儀についてってるあたりで察しろよ」
よくよく考えればそうだった。アベルはなぜ、無理やり弟子にされたにも関わらずついてきたのか。アベルはエレナさんが相手だとしても嫌なことは言うはずなのに。――その理由はエレナさんがミラ・エルヴィスと気づいたからだった。
「誰もが知ってる昔話。伝説の剣士、ミラ・エルヴィス。美しい栗色の髪に琥珀色の瞳、誰よりも美しいその美貌は男を惑わす魔性の乙女……何一つ伝承に偽りはないってことか」
「アタシたちも半信半疑だったけどね。何となく、言動とかで感じてたんだよね。ケイトたちはどう思ってるかわからなかったし何も言わなかったけど――」
ルカとサラの言葉は容赦なく俺を打ちのめす。この場にいる誰よりも一番長い時間、近くにいたつもりだった。
『ケイトはさ、優しいからアタシが嘘ついても理由がある、とか思っちゃいそうよね。それでいいの。できる限り、素直で綺麗な心のままでいて』
旅立つ前に聞いたあの言葉が、俺の心に重くのしかかってきた。
「全く……大シタことでモないノニ」
「こっちにとっては大切なことよ。私、ケイトには悪いことしたと思ってるし今でもなんて言ってやればいいのかわからないのよ」
「相変わらズ卑屈だネー。そんなトコが好き」
冗談めいた言葉は半ば本気だということはミラはよく知っていた。何も言わないのが正解なのでしばらく沈黙し、先程の話題に戻ろうとした。
「それで、ウェルスはどうしたいのかしら。聞いてない?」
「アイツ、そろそろ例ノ『アレ』が近いカラ、早めにミラちゃんを囲ってオキたいみたい。ま、小生も無視したカッタんだけどネェ」
取り出したのは一枚の契約書。カースが『協会会長、ウェルス・ビレイサーの最重要命令に従う』という強固な魔の契約。
過去に、今でも赦されるはずない罪を犯したカースがのうのうとこうして普通に生活しているのはこの契約書のおかげ。そして、ミラは『カースが何か問題行動を起こした時、全ての責任をとる』という契約をしている。この二つの契約があるため、犯罪者だった過去があるにも関わらず、こうして監獄にも入らず生きている。
時々、ミラはこの契約を後悔しそうになるが、後悔したら契約に問題が出るため耐えるしかない。
「ちなみに、マダ今は最重要命令は出てなイから無理ヤリでもミラちゃんを押さえるッテことはしないヨ。でも、このママ、ミラちゃんがここから去るってイウなら、あいつに報告シナイといけなイネ。そしたラ即最重要命令でミラちゃん捕まえないトいけなくナッチャウ」
「……何が言いたいの」
「協会に拘束サレたくないヨネ? ジャア、手伝って」
有無を言わせない、強い声であることを彼は頼んだ。
「ちょっと面倒なコト。もちろん、ミラちゃんの弟子も使ってネ」
カースの無邪気な声はそれこそ呪詛のようにミラの体を凍りつかせた。