記憶の歪
時刻は夕方、沈んでいく太陽と共に彼らの気分も沈んでいた。
ケイトとシャオリーが夕食をつくると言って二人でキッチンに向かったのは三十分ほど前。結局、エレナもケイトに色々言ったが怯えるようなケイトをどうこうすることは叶わなかった。
「さーて……厄介なことになったわね」
「エレナさん……どうしますか?」
「どうもこうにも……ケイトをどうにかするまで粘りたいところだけど――最悪明日くらいにはここ離れないといけないかも」
「やけに早いですね。何か隠し事してませんか?」
ルカが探るようにエレナを睨む。エレナはそれを嘲笑うように鼻で笑った。
「別に。隠すことじゃないから教えてもいいけど――地獄を見るわよ?」
脅しに近い台詞はサラには効果があったようだがアベルやルカにはまったく意味がなかったようだ。アベルは呆れるようにエレナを睨みつけ、ルカは嘆息する。
「人を勝手に連れ回しといて今更地獄なんてな。あんたの弟子に無理やりされた時点で地獄見てる」
「むしろ隠されてる方が対策を立てられないのではっきりさせてください。面倒です」
「……ガキが」
そう呟いて苦笑するとエレナは頭を抱えながら語り始めた。
「まあ、察しは付いていると思うけどアタシは――エレナっていうのは偽名で本名は別にある。んで、その本名を出すと色々面倒だったんだけど……その本名知ってる奴にちょっと監視されてるっぽい」
「かっ…・・監視ぃ!?」
一番驚いたのはシルヴィアでアベル、ルカ、サラの三人はやっぱり、というような顔を浮かべた。ユリアは少しだけ眉をひそめたがまた落ち込んだ様子に戻った。
「で、振り切りたいから早めにって……とりあえず様子見も含めて少しは居座るけど」
「……じゃああんたの本名――正体とやらを教えろよ」
するとエレナはどこか悲しそうな笑みを浮かべた。
「……撒くことができたら、ね」
「ご飯できたヨー」
これからのことを話しているといつの間にか日が沈んでおり夕食の準備を終えたシャオリーとケイトがエレナたちを呼びに来た。
案内された部屋は広いテーブルがあり八人分の椅子が並べてある。
「倉庫から引っ張り出してきたんだヨー、机と椅子。料理はワタシとケイ……トが一緒に作ったノ」
「シャオリーさん、料理『だけ』はうまいのにそれすらしないんですよ」
「ちょっ、それはエレナちゃんに内緒って言ったでショ!」
「いーえ、この際だから言わせてもらいます。掃除洗濯もろくにできないし脱いだら脱ぎっぱなしだしゴミだってすぐに捨てないで溜め込むし食品だって腐らせてもちゃんと捨てたり買い足したりしないしおかげで近所の人からゴミ屋敷扱いされてたし大掃除したらしたでよくわかんないものが出てくるし……」
延々と続きそうなケイトの愚痴を聞いてエレナは蔑むような視線をシャオリーにやった。
「あんた……まーだそんな自堕落な生活してたの……こりゃあ本当にモリアに伝えとかないと」
「やだやだぁ! モリアにばれたら『まったくもう! 大丈夫だと思ったのに……やっぱり私がいないとシャオリーはダメな子ね一緒に住みましょ』って言うに違いないんだ~。モリアは好きだけど一人暮らしがいいノ!」
「え、あの俺は……」
「ケイトはいい子だし便利だし何より可愛いからいいノ~」
可愛い、と言われて複雑そうな表情を浮かべ頭を撫でようとするシャオリーの手を阻止する。その一部始終を見ていたユリアの目は寂しさを漂わせていた。
――私の、居場所なのに。
「あ、あの、ユリアさん……? 俺、何か変なこと言いました……?」
「えっ、いいえっ……すいません気になさらないでください」
その会話を聞いてエレナは眉をひそめた。空気の重さが痛々しすぎる。
しかし空気をわざと読んでいないのかシャオリーは無駄に明るい声音で続ける。
「客人のために腕をふるったんだから大目に見てヨー。ねーケイト」
「いやそれでも……ってだから頭撫でようとしないでください!」
少しずつ、食事中もユリアからはピリピリとした気は消えず主に弟子たちの緊張はほぐれなかった。エレナは気づかないふりをしているのかあくまでシャオリーと普通に会話をしている。
食事の味がろくにわからないほどにユリアはもう疲れていた。
夕食後からほとんど言葉を発さず皆が寝静まった頃を見計らいユリアは庭に出た。
気持ちの整理がしたくて外の空気を吸うために庭の一角で月を見つめた。
「私は悪い子です……」
わがままで欲張りなダメな子。
『まあ成り行きだし……。別に感謝されるほどのことはしてねぇよ』
それなのに彼はいつも優しかった。そんなわがままを受け入れてくれるほど。
『こら、ちゃんと髪結えって言ってるだろ』
けれど叱るところは叱る生真面目な部分もあり一緒にいるだけで幸せだった。
『そしたら……俺が一生面倒見てやるよ』
「ケイト君……忘れたままなんて、嫌だよぉ……」
思わず震えた声が漏れそれがきっかけとなって涙がぼろぼろと溢れた。
ケイト君のことが好きなのに、まるで知らない人みたいに接されることが辛くて悔しくて――自分勝手で。
自分だって記憶が戻らなくていいと思っている。今が幸せだからと。それなのに彼を責めるのは完全に矛盾していた。
「もう、独りは――」
独り? 私は、『いつ』独りだったの――?
「うっ……いたっ……」
突如、頭が割れるというくらいの痛みを感じその場に膝をつく。息が荒くなり視界もぼやける。
――忘れなきゃ、思い出しちゃ駄目。いいえ、思い出さなきゃいけない、忘れたままは――
その瞬間、取り憑かれたように震える肩に誰かが触れ、ユリアは現実に引き戻された。
「あの、大丈夫ですか?」
遠慮がちに声をかけたのは意外なことに彼だった。
「ケイト、君……」
「あ、いや、その……俺、寝付けないことが多いのでこうやってよく夜中に庭に出るんですよ」
手を差し伸べようとして彼は一瞬、怯えたように身を震わせた。
私はその手を取らず自力で立ち上がると彼に向かってぎこちない笑顔を向けた。
「ありがとうございます。やっぱり、優しいんですね」
「……そんなことはないですよ」
私から一歩離れ悲しいほどに震えた声を出す彼はいつになく弱々しかった。
「俺は女性が怖いんです。目が覚めた時から女性を見るたびに恐怖が沸き起こってしまって……。シャオリーさんに慣れるのだって一週間近くかかったんです。それでも、ほかの女性が近づくだけで逃げ出したくなる。俺は弱いんです」
想像以上にひどい容態に私は慄いた。記憶喪失になっただけで女性そのものに恐怖を感じることなんてあるのだろうか。
記憶喪失の原因がもし、そうであればありえるかもしれない。けれど崖から落ちてシャオリーさんに拾われるまでの短期間でどうやってそんな出来事が起こるのだろうか。
「聞いたんですけどあなたも記憶喪失、なんですよね?」
「……そうです。もう数ヶ月何も思い出せません」
「俺も、思い出せないのかなぁ。この生活には満足してるんですけどね、誰かを待たせてる気がして……」
「誰か……?」
「誰か……誰かを――」
それは誰?
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