悪寒
場所は変わって協会本部、支援部。クランやコントラクターを支援するための様々な業務を執り行う部署で、比較的にのんびりとしている。
そんな中、部署の一角である会話がされていた。
「これ、マジですか?」
青年が書類の一枚を穴が開くほど見つめながら目の前の人物に問いかける。
その人物はヘイム。彼は部下である青年に尋ねた。茶髪でどこにでもいそうな平凡な青年はヘイムの部下の中でも優秀な人材である。
「引き受けてくれるかい?」
「とーぜん!! いやぁ、最初は興味なかったんですけど、これ見たらちょっとやる気あがっちゃいまして」
書類にはミラの弟子の簡易情報と写真が載っている。
(好みの女の子でもいたのか?)
青年は日頃から真面目で部下からの人望も厚い。準幹部の中でも良識的な人物だ。
「ま、やる気の源はどうでもいいんだけど」
「楽しみだなぁ。あ、これいつですか?」
「11月22日だけど」
ヘイムが日付を告げるとぴたりと青年が固まる。
「あれ、その日って先輩、出張中じゃ」
近くで作業をしていたサングラスをかけた下っ端の一人が青年に向かって言う。日程表を確認しているので間違いないようだ。
「明日からの出張でしたよね、たしか」
「……ヘイムさーん、出張サボったら……」
「駄目に決まってるだろう」
「ヴェスト! お前代わりに――」
「これたしか相手側が先輩指名した取引の出張じゃなかったっすか。俺じゃ無理ですよ」
サングラスの下っ端が呆れたように返すと青年は頭を抱えて思案する。
「つーか、俺だって用事あるし」
「お前はどうせ彼女の見舞いだろ! クソッ!」
「彼女とかじゃないですって……」
困ったように下っ端が言うと青年は更に苛立ったように頭を掻き毟る。
「明日から22日までの4日間出張……どうにか即終わらせたらギリギリ……」
「無理はしなくていいよ。さすがに仕事もあることだし他のやつらにでも――」
「いや! 大丈夫です! 俺がやります! 出張終わったら即戻ってきます!!」
「そ、そうかい……? ならいいんだけど……」
若干執念すら感じるその様子にヘイムもたじろぐ。何が彼をここまで突き動かすのか。
「ああ、そうだついでにヴェスト。この書類諜報部に持って行ってくれないかい?」
ヘイムがサングラスの下っ端に数枚の書類を渡すと、彼は時計を見ながらヘイムに尋ねた。
「そういえばそろそろ休憩なんで、これ届けたらそのまま休憩でもいいですかね?」
「ああ、構わないよ。むしろ休憩ギリギリまでお使いさせてすまないね」
「大丈夫ですよ。んじゃ行ってきます」
軽快な動きで下っ端は部署から出て行く。
「あ、そうだ。協会長にかけあって、試合開始まで俺の名前伏せておいてもらえます?」
「は? まあ、掛け合ってみるけど……なんで?」
「それはー……まあ、相手を驚かしたいってことで」
ヘイムは青年の方を見て何とも言えない嫌な予感を抱く。
(……大丈夫、だよな? 真面目なやつだからやらかしはしないと思うが……)
そして、悲しいことにこの嫌な予感は的中してしまうということにヘイムはまだ気づかない。
「ああ、早く会いたいな! 何年ぶりだろうか!! ああ、ああ、楽しみだなぁ」
青年の上ずった声が、聞こえなかったふりをして。
ぞわり――とアベルの肌が粟立つ。
訓練所を後にしたミラとユリア、そしてアベルは部屋に戻る途中だった。
すると、アベルの顔色がなぜか悪くなったことに気づき、ミラが声をかける。
「どうかした?」
「いや……なんでも、ない……」
とは言うがどこか暗い。声にも覇気がない。
「……副作用?」
ミラの問いにアベルは無言。それをミラは肯定と受け取った。
「……最悪、セレスに看てもらいましょう。少しは緩和できるかもしれない」
医療に長けたセレスならすぐ治すことはできなくても、副作用による弱体化や体調不良を緩和できるかもしれないとミラは考える。
しかし、アベルの表情は暗い。
「最初から強かったやつはいいよな……」
突然、ぽつりと呟いた言葉にミラは目を丸くする。
「俺みたいにドブの中で生きながらえたやつの気持ち、あんたらにはわからないだろ」
「……アベル」
「生きて、その日の食事すらままならないけど生きて、そのために強くならなきゃいけなかった俺の気持ちなんか――」
どくん、と鼓動の音がやけに強く響く。
「――っ」
アベルが声を上げる間もなく床に崩れ落ち、慌ててミラが抱える。意識が朦朧としているのか目の焦点があっていない。
「あんた、どれだけ薬飲んだらこんなに――」
「アベル君!? しっかりしてください、大丈夫ですか!?」
ユリアが崩れ落ちたアベルに呼びかけるが、息が荒く、喋る余裕もなさそうだ。
「とりあえず、一度部屋に戻ってセレスを――」
「アレ? ミラちゃんこんなトコにいたのカー」
呑気で胡散臭い声にミラは反応して振り向く。
そこにはヘラヘラと笑みを浮かべたカースと、アベルを見てどこか面白そうに微笑むヴィオがいた。
「やっほー、紅雷」
今のアベルを見て、平然としている異様さ。まるでわかっていたとでも言いたげに。
「て、めぇ……この……っ、クソガキ……!!」
そしてアベルは、ヴィオの様子を見て忌々しげに吐き捨てた。
協会員がいつからまともだと錯覚していた。