変化していく心
病院食をとってしばらくは安静と言われ、さすがに暇だなぁと思っていたらセレスさんが本を持ってきてくれた。最近でたばかりの小説を2冊。他に希望があれば用意するとも言われたがわがままばかりも申し訳ないので受け取った本をゆっくりと読むことにする。
浮遊大陸の住人である主人公がヒロインや親友とともに外の世界に飛び出す冒険ものらしい。
昔から心躍る冒険がしたいと思っていた。
最近はなぜだろう。心がまるで自分のものじゃないみたいに奇妙だ。
あの時、自分の知らない力を使って監獄官を眠らせたことや自分の意識が飛んで気づいたら地下入口の前にいたことが不気味な体験で自分自身を疑った。
――ここにいてはいけない。
『おいで』
ざわっと鳥肌が立ち、ひどい吐き気と目眩に襲われる。
あの時も声がした。
俺はその声を知らないけれど知っている。
それは、いつ聞いた?
『――――――』
『――』
『――――――』
違う。
思い出したらダメなんだ。
忘れないといけない。
『あの人』のことは忘れないと。
「ケイト君?」
気が付くと視界の端に、自分と似たような病人服を着たユリアがいた。
「ユリ、ア……」
「顔色がすごく悪いですよ? セレス先生呼びましょうか?」
呼び出しボタンを押そうとするユリアを無意識のうちに手で制する。
頭がうまく回らない。これ以上、この街にいてはいけない気がするが、きっとそれは気のせいなんだ。疲れているんだ。
俺は、思い出したらいけない。
少し落ち着いたところでユリアが椅子に座り、俺はベッドに腰掛けて話をする。
「ユリアはもう歩き回っていいのか?」
「はい。セレス先生はリハビリがてらケイト君たちの様子を見るくらいならいいって言ってくださったので」
確かにユリアにあまり疲労や体を労わるような様子は見られない。怪我はしたもののさしたる問題はなかったのだろう。
「ルカ君は怪我がひどくてまだもう少しかかるらしいです。サラちゃんとアベル君は一応怪我は大丈夫らしいんですが、技の後遺症でちょっと個別の治療を受けるそうです。でもきちんと治るそうなので心配はないって言ってました。シルヴィアちゃんは明日には動いてもいいらしいですよ」
「俺に比べてみんな随分と重症だな……ユリアとシルヴィアはそうでもないか」
シルヴィア以外は明日も会えないだろう。俺も明日には動いていいらしいし、様子を見に行こうか。
「ミラさん、大丈夫でしょうか」
「どうだろう……会うのが禁止ではないっぽいけど、こっちが希望しない限り検討しないらしいし」
今ミラさんは協会本部の協会長室で協会長ウェルス・ビレイサーと一緒にいるらしい。
元々知り合いだろうし危ないことはないだろうけど……。
「ユリアちゃーん。いるー?」
部屋にひょっこりと現れたのはセレスさん。後ろに医療部の人を連れているらしく、廊下で待っててと指示を飛ばしている。
「前に言ってた件、ちょっと急な仕事でしばらく無理そうなの。だからもう少し我慢してね」
「はい。私のことはお気になさらず」
「ごめんね。あ、ケイ君は今日はまだ動いちゃダメよ。お話するくらいは構わないけどね。それじゃあ」
手を振って部屋から出ていくセレスさん。廊下で大柄な部下の人と何やら会話をしているが扉がしまり、何を言っていたかまでは確認できなかった。
「例の件って?」
「あ……えっと、私の記憶について、なんですけど」
「記憶喪失のこと?」
「はい。どうやらそういった症状の人を治療する研究があるらしいんですが、私に受けてみないかって……」
記憶喪失を治す研究がされていることにも驚きだがそんな提案をされていたとは。
「大丈夫なのか?」
「セレスさんから聞いた限りだと危険なことはないらしいです。ただ、危険だったらすぐに中止するらしいです」
「そうか……」
素直に喜んでやるべきなのだが、なぜかよかったな、という言葉が発せられない。
ユリアは記憶が戻ったらもう――。
「でも成功率はまだよくないって言ってましたし、期待はあまりしない方がいいみたいです」
「ふぅん……」
なぜかちょっとほっとした自分がいる。なんでだ。
ユリアの記憶が戻ることはいいことのはずなのに、なぜ失敗するかもしれないと聞いて俺は安心しているんだろう。
ふと、近くにいるユリアをじっと見つめてみる。
――ドキドキしないな。
「け、ケイト君?」
「ユリア、ちょっといいか?」
立ち上がって、椅子に座っているユリアを抱きしめてみる。
「へ? あ、あの、ケイト君!?」
「……」
やばい、なにも感じない。
「けけけけけけケイト君!? ど、どうしました!?」
俺が少し体を傾けているとはいえユリアは座っているので顔が見えづらい。しかたなく、ユリアを立たせてみると、ちょうど顔が見える位置にくる。ユリア、俺より少し背が高いんだよな……。牛乳飲まないと。
改めて顔が近づいたが本格的に自分がおかしいことに気づく。
ユリアの顔は真っ赤になっているが、瞳に映る俺はまったくの無表情。
というかユリアってこんなことで照れたりしなかったよな? むしろ同居中に俺がユリアにくっつかれて照れてたくらいだし。
「あわわわわわわわわわわわ!? は、放してくださいー!!」
叫ばれたのでぱっと手を放してやるとユリアが顔を背けて早口でまくしたてる。
「き、気分がすぐれないのでお部屋に戻ります!!」
慌てて出ていくユリアに声をかける暇もなく、駆け足のユリアを見送った。大丈夫か、走って。
「……俺、なんかおかしいな」
ユリアに初めて会ったとき、俺は柄にもなく一目惚れだと感じた。
ユリアのことは大事だし、いなくなると思うと寂しくもある。
だけど、以前とは違い、ユリアへの対応が冷静になっている。不気味なほどに。
少し前までならユリアに抱きつかれて俺が照れていたくらいだったのに、抱きしめてもなんとも思わないし、むしろユリアに嫌がられた。
俺は、もしかして恋なんてしていなかったのだろうか。
勘違いとか、別の感情を恋だと錯覚していただけなのか。
じゃあなんだ。
保護欲……親心……?
それならユリアが離れるのが寂しいと思うのはなんとなくわかるし好意的感情には間違いない。
変わっていく、何もかもが。
錯覚とかそんな風に考えてしまうけどお年頃ってやつなんです。人間は一度の恋で終わる方が稀だってばっちゃが言ってた。




