ゆびきりげんまん
目が覚めると、体中の痛みは全くなくなっていた。
頭ものども痛くない。
疲労感もない。
辺りを見回してみた。
どう見てもここはグレイブではない。
だって、すぐ近くにエンマがいるから。
ここは、エンマと初めて会った場所や。
「目、覚めたのか」
エンマの声を聞くと安心する。
あたしはしっかりとうなずいた。
「よかった。5日も眠ってたから、ちょっと心配になってきてたところだ」
「5日…」
「その5日の間に何があったか教えてやる」
あたしは、特に返事をすることもなく続きを待った。
「まず、あの後火は消えた。お前のおかげで全焼は免れたみたいだ」
そっか…
よかった…
「ただ」
ただ…
いい話の時よりも悪い話の時に使われる方が圧倒的に多い言葉。
「ヒメコがここに来た」
「どういう事…?」
「言わなくてもわかるよな」
ヒメコが死んだ…
あたしがみつけた時にはもうほとんど息をしてなかったヒメコ。
あたしが…
もうちょっと早く見つけてあげられてれば…
「お前のせいじゃない」
そう言われても…
やっぱりそう思ってしまう…
「お前に感謝してたぞ。
助けにきてくれてありがとうって。
本当は直接言いたかったみたいだが、まだお前が寝てたから、俺が伝えておくって言っておいた」
ありがとう…?
助けてあげられへんかったのに……
あたしが死なせたようなもんやのに…
「お前が自分を責めると、ヒメコは浮かばれないんじゃないか?」
自分を責める事が許されへんのやったらせめて…
「リョウジの目を覚まさせてあげる事は出来ひんの?このままやったらリュウがかわいそうや」
エンマは尖った牙を剥き出しにして笑った。
「それならもうヒメコがやっていった。
リョウジが目を覚まさなかったのは、事故った時にその衝撃で魂が体から離れちまってたからだったんだ。
帰り方がわからなくてずっとさまよってたんだと。
で、ヒメコがここに来る前にリョウジの魂を探し出して、体にぶち込んできたらしい」
さすが。
「じゃあ、カズサは?」
「成仏したよ」
「でも…リョウジとリョウジの家族が幸せになるまでは下にいるって…」
「ヒメコは死んだが、お前に感謝しながら清い心で上に行った。
もう悪いものは何も持ってない。
残されたリュウにはリョウジがいる。
リョウジにもリュウがいる。
それに、あのばあさんもな。
一体誰が不幸だっていうんだ?」
そっか…
そんな幸せもあるんかな。
カズサ、あんたも負けんと幸せになるんやで。
「お前の下界での仕事はこれで終わりだ」
「え…?」
「死を覚悟で人を助けようとする事が、仕事人卒業の条件だったんだ」
じゃあ…
あたしは天国に行けるん…?
―ずっとみんなを見てるから―
これでシュウイチとの約束を守れる。
「じゃあ、グレイブっていうのはホンマはないの?ただの脅し文句やったって事?」
「いや、ある。
でもグレイブに送られるのは、仕事人になっても全く心を入れ替えないやつが二度目の死を迎えた時だけだ。
命懸けの仕事をして死んでも、グレイブには送られない。
グレイブの存在を知っていながらも命を張れる仕事人だけが、天国に行ける」
そうやったんや。
そういう事は最初に言っておいてほしかったけど、それを言ったら意味ないんやんな。
「じゃぁ…、あたしは…もう天国に行けるんやね…」
「いや」
「は?」
せっかく満ち足りた気持ちになってたのに、台無しや。
まだなんかあんのか。
次はなんや。
「下界での仕事を終えた仕事人には、これから10年間閻魔業をやってもらわないといけない」
「あんたみたいになれと?」
「正解」
最悪や。
こんな陰気な場所で10年も。
発狂したらどうしよう。
…ん?
って事はコイツも?
「あんたも前は仕事人やったって事?」
「大正解」
へぇ。
コイツも人の為に命張ったって事か…
見えねぇ〜!!
そんな素晴らしいヤツには間違っても見えへんわ。
見た目100%チャラいし。
あぁ。
あたしも人の事言えんか。
あたしが半笑いでエンマの仕事人時代を想像していると、エンマの表情が激変した。
こっちまで胸が締め付けられるような悲しい表情…
これは…
何…?
「ルイ…本当に俺が誰かわかんねぇか…?」
この人は…
何を言ってるん?
だってあんたは…
「エンマ…」
あたしがそう言うと、エンマはそれまで座っていたソファから立ち上がり、あたしの目の前に立った。
そして、思い切りあたしを抱き締めた。
意味が…
わからへん…
「思い出せ…頼むから…」
エンマはあたしを抱き締めている腕に力を入れた。
なぁ、エンマ。
あたし、わかったかもしれん。
あんたが誰か。
この温もりは、あたしが一度も触れた事のないもの。
でも、何度も感じていたもの。
「リュウ…」
エンマはあたしの体を離し、あたしの目をその真っ赤な瞳で見つめた。
その瞳を見て確信した。
この人はリュウ。
あたしを置いていったリュウ。
「リュウ…なんで…あたしを置いていったん…?なんで…連れていってくれへんかったん…?」
ホンマはわかってた。
リュウが閻魔なら…
リュウがあたしを置いていった理由も。
あたしに触れへんかった理由も。
あたしがリュウのほとんどを知らんかった理由も。
「お前と出逢った時、俺はもう死んでいた。
今のお前と同じ仕事人だったんだ。
勝手に消えたのは申し訳なかったと思ってる。
でも俺はお前を置いていったんじゃない。
連れていけなかったんだ…」
リュウが突然消えたんは、仕事人を終えて閻魔になったから。
リュウがあたしに触れへんかったんは、触れたくても触れられへんかったから。
あたしがリュウのほとんどを知らんかったんは、自分でいつか消えてしまう存在やって事をわかってて、その時になってあたしの中に自分を残さへん為。
「あたしには霊感なんてなかったのに…。なんでリュウの事はちゃんと見えてたんやろう…」
「自覚していないだけで、お前にはものすごい霊感があるんだよ。
それがあまりにも強すぎてコントロールしきれてないんだ。
だから、生きてる人間と幽霊の区別がつかない。
はっきり見えすぎるから。
お前のポルターガイスト能力は、生前の霊感が変化したものなんじゃねぇかと思う。
まぁ、本当に神様がテキトーに与えただけなのかもしれねぇけどな」
そう言えば、銀行の前にヒメコが立っていた時もカズサを最初に見た時も普通の人間やと思ってた…
あれも、自分の霊感をコントロール出来てへんかったからなんか…
「でも…なんでそんな…」
「見た目が違うのか、だろ?」
あたしはうなずいた。
角と牙が生えたからとか、髪や瞳が赤いからとかそういう次元の話ではない。
顔も声も、全てがあたしの記憶してるリュウとは違う。
全くの別人。
「仕事人から閻魔になるときに、容姿を変えられる」
「何の為に…?」
「ここに来た奴に、俺が俺だと悟られない為に。
生前や仕事人時代に関わった人間が死ねば、必ず俺の元にくる。
だからお前もここに来たんだ。
でも、閻魔は誰が来ても公平に裁かないといけない。
少しでも甘い審判を下せば、閻魔ではなく審判にかけられた方がグレイブに送られるんだ…
どんなに親しかった奴が来ても、そいつを地獄行きや仕事人にしないといけない時もある。
どんなにヒドい審判でも、それを下したやつが俺だとわかるよりも、全くの他人の方が死者にとってはまだ救いになる。
死者への配慮の為に容姿を変えられるという訳だ。
残酷なほど公平な審判を下すことが、天国に行くための第2の試練なんだ」
リュウはそこで話を中断した。
たぶん、あたしに考える時間を与えてくれている。
リュウの話はあたしにはちょっと難しいけど、なんとか理解する事が出来た。
たっぷりと時間を置いてから、リュウはまた話し始めた。
「でも、容姿を変えられるのは死者への配慮という理由からだけじゃない」
これから聞く話の方が重要らしい。
リュウの表情でわかった。
「どれだけ親しかった奴が来ても、どれだけ愛した人が来ても、閻魔は自分の正体をバラしてはいけないんだ。
自分から名乗ってはいけない。
でも、相手も気付かない。
それが、過去に罪を犯した閻魔への罰だ」
名乗りたくても名乗れへん…
気づいてほしくても気づいてもらえへん…
それがどれだけ辛い事か、今のリュウの表情と声で痛いほどわかった。
「もし…その決まりを破ったら…?」
リュウは…
これからどうなんの…?
あたしの為に、上での掟を破ったリュウはどうなんの…?
リュウはあたしの目をしっかり見て笑った。
「閻魔を降ろされる。もう一度仕事人からやり直しだ」
グレイブに送られるわけではないんや。
でも…
リュウの笑顔が気になる。
「ホンマにそれだけ…?」
リュウはあたしをもう一度強く抱き締めた。
そして、耳元でこう言った。
声が…
震えてる…
「そこでもう一度死ねば、もう閻魔にはなれない。もちろん、天国にも行けない」
ハッキリとは言わんかったけど、あたしにはわかった。
もう一度死ねば、グレイブに送られるという事を。
「仕事人からやり直しって事は…また命張らなアカンのちゃうの?!」
グレイブへ送られるとわかっていながら、命を張らなアカン…
そんなん、ヒドすぎる…
「ニ度目の仕事人は、一度目の時の記憶と閻魔の時の記憶を消される。
だから、グレイブへの恐怖なしでまた人助けが出来るんだ」
あたしの記憶も消される…?
でも…
「じゃあ…なんであたしに正体バラしたりしたんよ!そんなことしぃひんかったら何年後かには天国に行けたのに!」
「お前に気づいてもらえない事が何よりも辛かった…
グレイブよりも、お前が俺を忘れることの方が怖かった…
それに、お前に謝りたかったんだ。
勝手に消えたこと…
そのせいでお前を死なせちまったから…」
涙が出た。
本当の死を知ってたのにあたしのために掟を破ったリュウの気持ちが、あたしの全部を支配した。
あたしは、この人が好き。
全身が破裂してしまいそうなくらいに、この人が好き。
「アホやなぁ…」
あたしはリュウの赤い髪を撫でた。
「そうだな…」
「もし死んだら、次は絶対許さへんから」
「俺は死なねぇよ。
それに、お前を絶対に忘れない。
お前は俺に気付いてくれたから…。
だから俺も絶対に忘れない。
上で待っててくれよな。
今度は俺がお前を追いかけるから」
「約束」
そう言ってあたしは、右手の小指を突き出した。
リュウも自分の小指を絡めてくれた。
ゆびきりげんまん
うそついたら
はりせんぼんのます
そこまで歌ったところで、リュウは消えた。
せめて指切りくらい最後までさせてよ。
やっぱり神様はめんどくさがりやで、いじわるなんや。
完結
「アホやなぁ…」
あたしはリュウの赤い髪を撫でた。
「そうだな…」
「もし死んだら、次は絶対許さへんから」
「俺は死なねぇよ。
それに、お前を絶対に忘れない。
お前は俺に気付いてくれたから…。
だから俺も絶対に忘れない。
上で待っててくれよな。
今度は俺がお前を追いかけるから」
「約束」
そう言ってあたしは、右手の小指を突き出した。
リュウも自分の小指を絡めてくれた。
ゆびきりげんまん
うそついたら
はりせんぼんのます
そこまで歌ったところで、リュウは消えた。
せめて指切りくらい最後までさせてよ。
やっぱり神様はめんどくさがりやで、いじわるなんや。