最終指令
「リョウジ、目覚ました?」
カズサは首を横に振る。
いつもこの繰り返し。
最近、不安になる事がある。
リョウジは…
ホンマに生きてるん?
もしかして…
魂だけが先に逝ってしまってるんやないやろか…
もしそうなら、リョウジは2度と目を覚まさへん。
もしそうなら、カズサは永遠にこの世を彷徨うことになってしまう。
でも、その不安をカズサに伝える勇気はなかった。
「早く目覚ませばいいな…」
こう言うのがあたしの精一杯。
カズサは寂しそうな笑顔を向けた。
「そうだね…」
《助けて…》
カズサの声と別の誰かの声が重なって聞こえてきた。
カズサの声は普通に耳から聞こたけど、もう一つの声は頭に直接響いた。
頭、痛い…
《助けて》
もう一回、さっきの声がさっきと同じように聞こえてきた。
「カズサ、今の声聞こえた?」
「う、うん。助けてって…」
「誰の声に聞こえた?」
「ヒメコさん…?」
やっぱり…
ヒメコというのは、リョウジの嫁の名前。
村瀬のばあちゃんを恨んでたあの女。
「あたしもそう思った。でも、助けてって…なんかあったんかなぁ…」
気になって仕方ない。
あの人に何かあったら助けると約束したから。
「お前ら、今の声聞こえたか?」
今度はエンマの声。
いつの間にかカズサも仕事人にされるんちゃうやろか。
そう思うほど自然に、エンマの言葉の中にカズサも含まれていた。
「ヒメコ?」
聞きはしたけど、ほぼ確信している。
あの声を間違うはずがない。
「そうだ。こうやって今話してる時間もない。何があったか説明してる時間もない。飛ばすぞ」
あたしとカズサは返事すらも省いた。
すぐに目をつむる。
いつものように、温かいものが全身を包み込んだ。
熱気がふっとなくなると、目を開けた。
目の前には驚くべきものが広がっていた。
大きな一軒家が、手のつけようのないくらいに広がった真っ赤な炎に包まれて、ゴオゴオと痛烈な悲鳴をあげている。
「何これ…」
状況がわからん。
ここはどこ?
あたしは一体どうしたらいいの?
「ここ…」
カズサは、炎の色をそのまま顔に写して言った。
「ここ、知ってるん?」
「リョウジの家…」
ということは、ヒメコとリュウの家でもある。
もしかして…
ヒメコはこの中に…?
「ヒメコ!どこ?!」
声帯がぶち切れるかと思うほどの大声で叫んだ。
「ヒメコ!!」
何回呼んでも返事はない。
ホンマに…
こん中にいるん…?
「ルイ!とにかく火を消せ!お前なら出来るはずだ!!」
あたしになら出来る…
あたしにしか出来ひん…
「来い…」
あたしは必死であるモノを動かした。
風。
火自体を動かす事も出来る。
でも、他の場所に移動するだけで消える事はない。
水を動かす事も出来る。
でも、水は重すぎて、火が消える前にあたしが倒れてしまう可能性があった。
だから、風しかなかった。
体が…
千切れそう…
痛い…
火はなかなか消えてくれへん。
頭が痛い…
お願い…
早く…
まだ消えへん。
《熱い…苦しい…助けて…》
これは…
リュウ?!
そうや。
この声はリョウジの息子のリュウや。
《リュウ!聞こえる?!》
あたしは風を火にぶつけながら、リュウの声に応答した。
《お姉ちゃん…誰…?》
リュウからも応答があった。
でも、このまま会話を続けるんはキツい…
いや、そんな事言ってられへん。
大丈夫…
あたしになら出来る。
《あたしが誰かなんて今説明してるヒマはないねん。あんたは、今どこにいる?》
《家の中》
《わかった。すぐ助けに行くから》
「エンマ!家の中に子供がおる!火が消えるん待ってたら間に合わん!先に助けに行く」
リュウとの会話を中断し、今度はエンマに叫んだ。
大声を出さんでも聞こえるってわかってたけど、そうしぃひんかったら体中の痛みや息苦しさに負けてしまいそうやった。
「待て!今この中に入ったら…お前死ぬかもしれねぇぞ」
「わかってる。でも、あたしはやっぱりリュウを助けに行く」
死ぬかもしれんのは中にいるリュウも一緒。
今行かんかったら絶対後悔する。
あたしは…
もう二度と後悔したくないから。
「カズサ!何とかヒメコを探して!ひょっとしたら、その辺にいるかもしれんから」
離れたところで呆然としているカズサに叫んだ。
カズサに何かを頼めば、あたしと一緒にきぃひんと思ったから。
あたしが中に入ると言えば、きっとカズサもついてくる。
そんな事は絶対にさせたくなかった。
危険な目に合うんは、あたしだけでいい。
「わかった」
カズサは我に返り、返事をしてくれた。
そして、フラフラと歩き出した。
カズサのその様子も心配ではあったけど、とりあえず命の危険はないと判断した。
「ルイ!入るな!」
エンマがしつこく引き止めた。
あたしは、空に向かってニッと笑った。
ピースサインも忘れずに。
「いってきます」
あたしは、燃え盛る炎の中に何の躊躇もなく入った。
家の中は思っていた以上にヒドいものやった。
もくもつと真っ黒の煙が立ち込め、1メートル先も見えへんくらいの状態。
踊り狂う炎に包まれた棚が倒れていたり、元はなんやったんかわからんくらい真っ黒になってる物体が落ちていたりする。
何度かつまづいて、危うくそいつらに突っ込みそうになりながらもゆっくり進む。
《リュウ、どこにいる?》
《動き回ったらわかんなくなっちゃった…》
いくら自分の家とは言っても、この煙では無理もないかもしれへん。
《絶対そこから動いたらアカンで》
リュウがいる場所の状態はわからんかったけど、リュウの様子からして、悲惨な状態ではないやろうと思った。
《わかった》
さっきから、気になっている事がある。
ここに来る前に聞こえてきたヒメコの声が、あれから一回も聞こえてこーへん。
どういう事や。
カズサにヒメコを探してくれと頼んだけど、彼女はたぶん、この中にいる。
ヒメコ…
あんた…
もしかしてもう…
いや、そんな事考えたらアカン。
《ヒメコ…聞こえるなら返事して》
しばらく待っても返事はなかった。
「ヒメコー!!」
頭の中に応答がないなら、直接叫んだ方がいいんかもしれん。
「ヒメコ!!」
とにかく叫び続けた。
「無駄だ。お前の声は聞こえない」
代わりに返事をしたんはエンマやった。
この家に入ってくる時に、死に別れ覚悟でいってきますって言ったけど…
よく考えれば、コイツには常にあたしが見えてるんやった。
なんとなく損した気持ち。
さっきの笑顔とピースを返せ。
「でも、ばあちゃんの家で会った時はちゃんと話出来たやん!」
煙を大量に吸い込んでいるためか、さらに息苦しさが増した。
吐き気も頭痛もある。
のども痛い。
「あの時はヒメコもお前と同じ霊体だったからだ。今は生身の人間だから無理なんだよ。元々アイツに霊感はない」
あたしの体を、頭から足にかけて柱が通り抜けた。
その瞬間、あたしの体にとんでもない熱が走った。
熱い…
「でもさっき…確かにヒメコの声が聞こえた」
「普通の人間でも、生死の境にいればどんな力でも芽生えるのかもしれないな」
生死の境…
「ヒメコが生きてるかわからんの?!閻魔ならわかるはずやろ!」
「生きてる。ただ、このままだと死ぬ。だからお前を連れてきたんだ」
そういう事か。
ヒメコはこの火事で命を落とす予定になっている。
ヒメコを死なせへんようにするんがあたしの仕事やったんや。
でも、それならなんで、エンマはあたしに火を消せって言ったんやろう…
そんなに時間のかかる事をするよりも、直接入った方が短時間で助けられるはずやのに。
あたしの命を心配して…?
ホンマにそれだけの理由…?
《お姉ちゃん…早く僕を見つけて。苦しいよ…》
リュウの声が聞こえた。
心なしかさっきよりも力がない。
でも、きっと近くにいる。
《リュウ、大声出せる?》
《のどが痛くて、声出せない》
《じゃあ、おっきな声じゃなくてもいいから。なんとか出せへん?》
「…ちゃ…ん…」
聞こえた。
間違いない。
近くにいる。
《ようがんばったな。リュウの声、聞こえたから。すぐ行く》
これだけ頭の中で会話をしたんやから、きっとリュウの体力もだいぶ消耗してるはずや。
早く行かな。
早く…
早く…
着ている服はどこも焦げてないし、体中のどこにも煤はついてない。
でも、火の熱はそのまま感じるし、息も苦しいし、のどの痛い。
リュウと会話をしすぎたせいで、頭もいっそ割れた方が楽になるんちゃうかと思うくらい痛かった。
正直言って、もう倒れてしまいたかった。
でも、死なせるわけにはいかへん。
リュウも、ヒメコも…
フラフラのまま進んで行くと、周りよりも火の量が多い場所についた。
ここにいる。
確実に。
そこにあったはずのドアは、焼け落ちてすでになかった。
今もまだそこにある蝶番は、金属で出来ているせいか真っ赤に染まっている。
サーカスでライオンが通り抜ける火の輪のようになっている入り口を入り、必死で目をこらした。
入り口の火の量のわりには中に赤い色はなかった。
その代わり、煙で真っ黒になっていて、やっぱり前は全く見えへん。
「どうしよう…どこにいるかわからへん…」
手探りで探してみたけど、あたしの手は空をかくしかなかった。
「落ち着け」
エンマの声。
その声を聞いただけで、あたしは一瞬にして落ち着きを取り戻した。
「目でみようとすれば余計に見えなくなる。見るんじゃない、体で感じろ」
体で感じろ…
あたしは目を閉じた。
目の裏側まで真っ赤。
リュウ…
ヒメコ…
2人の顔を頭に思い描いた瞬間。
見えた。
いや、感じた。
あたしはその場所へと急いだ。
そこには息を荒くしたリュウと、ほぼ無呼吸状態のヒメコが倒れていた。
それともう一人。
火から二人を守るように覆い被さってる人物。
「ルイちゃん」
「ばあちゃん…なんで?」
村瀬のばあちゃんやった。
この人が何でここにいるんかとかは後でいい。
とにかく三人を運び出さな。
意識のあるリュウとばあちゃんよりも、ヒメコが心配やった。
あたしは、瀕死のヒメコを抱き上げようとして初めて気づいた。
エンマがとにかく火を消せって言ってた理由に。
あたしが中に入ったところで誰一人助けられへんと思ったからやろう。
だってあたしは誰にも触れへんねんから。
ちっちゃい体のリュウすらも抱き上げる事は出来ひん。
あたしに出来るのは火を消す事だけ。
エンマはそう思ってるんや。
「エンマ!天城ルイをナメんな!!」
あたしは閻魔様に向かって中指を突き立てた。
あ〜ぁ。
地獄に墜とされるかもな。
3人の人間を宙に浮かせ、あたしはさっき来た所を戻り始めた。
リュウとばあちゃんは驚いている。
《お姉ちゃん、コンビニにいた人だよね?魔法が使えるの?》
リュウにはあたしが見えてたんか。
確認のため、ばあちゃんの方を見てみた。
「この子にもあたしと同じ力があるんだよ。
ただ、まだ幽霊と生きてる人間の区別がつかないみたいなんだ。
でも、この火事を知らせてくれたのはこの子だ。
だからすぐに助けにきたのはよかったんじゃが、火のまわりが早くて出れなくなっちまって…」
なるほど。
あたしは深く頷いた。
《あたしは幽霊やねん。だからこんな事出来るねんで》
《へぇ、すごいね》
《まぁな》
リュウはやっぱり声がでーへんみたいで、こんなに近くにいるのに頭の中で会話をせんとアカンかった。
外に出るのはすぐやった。
入った時とは違って、感じながら前に進んだから。
前が見えへんくても、見る必要なんかない。
外に出てみると、消防車と救急車と野次馬がいた。
野次馬たちは、消防士がいくら防水しても消えへん業火の中からフワフワと浮いて出てきた3人を不思議そうに見ていた。
「ごめん、落とすで」
一応断った上で、3人を地面に落とした。
ばあちゃんは背中を軽く打ったみたいで、ちっさいうめき声をあげた。
ごめん、大目に見て。
「ルイ!!」
すぐにカズサが駆け寄ってきた。
「何で1人で入るの?!死んだらどうすんのよ!!」
カズサがこんなに怒ってんのを初めてみた。
「あたしは、絶対死なへん」
焼けるように痛いのどのせいで、自分の声が若干変わっていた。
「無事でよかった…」
カズサがあたしに抱きついた。
人に触れる事がこんなに幸せなんやって改めて感動した。
「カズサ、ごめん。まだやる事があんねん」
ホンマはもうちょっとカズサに抱きつかれていたかったけど、その気持ちを押し殺し、カズサの体を自分の体から離した。
「やる事って…?」
「まぁ、いいから見てて」
カズサは半泣きで訴えてきた。
やらなくていい―
「お前、火消すつもりじゃねぇだろうな!
さっきのリュウとの会話だけでも相当な体力使ってるはずだ!
それに、3人の人間を一遍に動かしてるんだぞ!
その上この化け物みたいな火を消すなんて、お前死ぬ気か!
中にはもう誰もいねぇんだから消す意味なんてないんだぞ!」
エンマが怒鳴った。
声が割れてる。
「意味はある。あんたがやれってゆうた事やろ。最後までちゃんとやるから」
今までにやったことのないことをやってみるつもりやった。
自分の力を信じる。
あたしになら出来る。
あたしにしか出来ひん。
「来い…来い…」
風を動かせるなら出来るはず。
「動け…動け…」
神様。
めんどくさがらずにあたしに力をください。
早く…
早く…
もう…
意識がもたへん…
倒れそう…
そう思った瞬間、あたしの願いは叶った。
神様、ありがとう。
飛べへんかった事は忘れるわ。
あたしは…
雲と大気を動かして雨を降らせた。
化け物みたいな火に負けんくらいの化け物みたいな雨を。
これで火は消える。
「ルイー!!」
カズサの叫び声が聞こえた。
近くにいるみたいやけど、遠いとこから聞こえる。
あたしの名前をよく叫ぶやつやなぁ。
地面がほっぺたにくっついてる。
あたしは、倒れたんか…
なんか…
眠い…
電車に飛び込んだ時の事を思い出す。
あの時もこんな風に眠たくなったなぁ…
あれ?
幽霊は眠たくならへんはずやのに。
おかしいなぁ。
急に、あたしの体がフワリと浮いた。
「お疲れさん」
耳元でエンマの声が聞こえた。
あたしはエンマに抱きかかえられてるみたい。
お姫様抱っこ。
「なんで…あんたが…」
エンマは優しく微笑んだ。
「お前を迎えにきた」
「迎え…?」
エンマはうなずき、なぜか号泣しているカズサを見た。
「カズサ、コイツを手伝ってくれてありがとな」
カズサは首をブンブンと横に振った。
首、取れるて。
「じゃあ、コイツ連れてくから」
エンマはあたしを抱きかかえまま、その場を立ち去ろうとくるりと方向を変えた。
「待って」
カズサがそう言ってエンマの前に回り込んだ。
「ルイ、ありがとう。あたし、ルイの事大好きだから…」
礼を言いたいのはあたしの方やのに、のどが張り付いていて声を出せへん。
仕方なくうなずいた。
ちょっとでも動くと体中に激痛が走る。
カズサの涙目の笑顔を見た瞬間、あたしは気を失った。