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BLACK×HEAVEN  作者: 結子
6/8

正義VS憎悪

「あ、ルイ〜」




甲高い声であたしを呼んだんは、幽霊友達のカズサ。




街をプラプラ歩いてたら、あ、間違えた。




街をパトロールしてたら、突然声を掛けてきたんがこのカズサやった。




初めは、霊感のある人間が声を掛けてきたんかと思ったけど、話を聞いているとどうやらコイツにも体がないという事がわかった。




カズサはあたしよりもずいぶんと幽霊歴が長い。




かれこれ20年はこの世を彷徨ってるらしい。




でも、あたしみたいな『仕事人』ではなく、ただ成仏出来ひんだけの幽霊。



カズサは20年前、心臓の病気で死んだ。




小さい頃からずっと病気で、死んだ時の年齢は18歳。




それから20年経ってるわけやから本来ならあたしよりかなり年上やけど、死ぬとそれ以上年を取らんらしいから見た目は18歳のまんま。




でも、20年間ずっとおんなし服を来てるから今のファッションセンスからはかなりずれている。




でもレトロでちょっとかわいい。



カズサには当時、恋人がいた。




お互いがお互いをすごく大切に思っていて、みんながうらやむカップルやったらしい。




でも、カズサは突然の発作で死んだ。




恋人に何の言葉も言えずに死んでしまったから、それが申し訳なくて、今も成仏出来ないでいるらしい。




恋人に取り憑いているわけでも、他の女を寄せ付けへんためでもなく、恋人の幸せを見届けるためにまだこの世にいるんやって。




中途半端な存在のまま20年。




成仏してしまえば楽になれるってわかってるはずやのに、それでも彷徨ってる…




あたしは自分が楽になるためにこの世から消えようとした。




カズサは苦しむってわかっててこの世に残った。




そんな正反対のあたしたちが友達になれるなんてな…




やっぱり幽霊って不思議。



「仕事は順調ですか?」




ちなみに、カズサは空を自由に飛べる。




「うん、まぁ。っていうか今も仕事中やし」




あたしは、コンビニで万引きをしようとしている小学生の男の子を見張っていた。




「あの子を見張ってるの?」




そう言った声がなんとなくおかしかったから、カズサの顔を見た。




不安そうな、心配そうな、それでいてとても大事なものを見ている時のような目をしている。




「知ってる子?」



「うん…ちょっと…」




誰なんかは言いたくないみたいやから、聞かへんかった。



男の子が自動ドアから外に出ようとした。




出てしまうと万引きを阻止した事にはならんから、男の子が出られへんようにドアを開かんようにした。




男の子は開かへんドアを目の前にあたふたとし始めている。




ドアの前に敷いてあるマットの上でピョンピョンと飛び跳ね出した。




焦っているせいか、リズムはバラバラ。




その様子に気付いた店員が、男の子に声をかけた。




「開かないの?おかしいなぁ」



店員も男の子と同じようにマットの上で何回か跳ねた。




店員が隣に来たことによって、男の子の緊張はピークに達したのか顔面蒼白になっている。




「一緒にジャンプしてみてくれないかな」




男の子は店員にそう言われ、ある重大な事に気がついたようである。




自分が飛び跳ねると、万引きした商品がポケットから飛び出すんやないかという事。




かと言って、ここでじっとしてたら返って怪しまれるんやないかという事。




そこで男の子が出した結論は、ポケットを押さえながら飛び跳ねるというものやった。




ぎこちない動きやけど、店員にバレんように一生懸命がんばってる。




あたしから見れば、男の子の行動はかなり怪しいけど。



あたしは、そんな男の子のポケットから、万引きした商品を外に飛び出させた。




その商品を店員にわからんように元の位置に戻す事も出来たけど、あえて店員の目の前に落とした。




今ここで男の子を甘やかして助ける事よりも、ちゃんと叱ってもらおうと思ったから。




店員は落ちている100円ライターを拾い上げた。




この子、なんでこんなもんパクろうと思ったんやろう…




「どういう事かな。これ、ここの商品だよね。悪いけど、ちょっと事務所まで来てくれるかな」




男の子はすでに反省した様子を見せ、しっかりとうなずいた。



つれていかれたのは、レジの奥の狭い空間やった。




事務所と呼べるかどうかは微妙。




物置にしか見えへん。




防犯カメラの映像が映っているモニターが2つと、事務机、社員やバイトのためのロッカーが置いてある。




店員は、事務机の前に向かい合わせに置かれたパイプ椅子に男の子を促した。




あたしは2人の横に仁王立ち。




隣にはなぜかカズサもいる。




男の子はうつむいたまま、きっちりと足を揃え、膝の上にはキツく握った拳を置いて座っている。




よく見ると、その拳は震えていた。




そんな男の子の様子を見た店員は、それまで厳しかった表情を突然緩めた。




パンダに似てる。



「そんなに緊張しなくていいよ」




頭ごなしに叱られると思っていたらしい男の子は、パンダの優しい声にキョトンとしている。




「大丈夫。叱ったりしないから」




あ?




叱らへんの?




ふぅん。




「どうして持って帰ろうとしたの?」




『盗む』『盗る』という表現を使わんかったパンダをリスペクト。




男の子はまだうつむいたまま何にも言わへん。




「言ってごらん」




男の子はパンダの顔をチラッと見た。




コイツはホンマに叱らへんかどうかを見定めてるみたい。




パンダはニッコリ笑ってうなずいた。




益々パンダに似た。



「お父さんが…」



「うん」




パンダは優しく続きを促した。




「お父さんが…目を覚ました時に、すぐにタバコを吸えるように隣に置いておいてあげたかったんだ。でも、僕全然お金持ってなくて…ごめんなさい」



「お父さん、病気なの?」




男の子はブンブンと首を横に振った。




「事故にあって…ずっと目を覚まさないんだ」




男の子のこの話が嘘やとは思えへんかった。




パンダもそう思ったみたい。




哀れむような目で男の子を見ている。




パンダは突然立ち上がり、事務所から出ていってしまった。




男の子は、店員のその行動の意味がわからんかったみたいで、首をかしげた。




でも、あたしにもカズサにもこのパンダが何をしようとしているのかがわかった。




あたしでもおんなじことするかもしれへん。



数十秒後、事務所に戻ってきたパンダの手には白い箱が握られていた。




「これでもいいかな。何がいいかわからなかったから、とりあえずコレ持ってきたんだけど」




パンダは、セブンスターにさっきの100円ライターを添えて男の子に渡した。




「ライターだけじゃタバコは吸えないよ。これ持って、お父さんの所に言ってあげなさい」




男の子はパンダの顔を凝視した。




怒鳴られへんかっただけじゃなく、タバコまでもらえた事に心底驚いている。




「さぁ」




パンダは男の子を立たせ、背中をポンと押した。




「ありがとう」




男の子はパンダを振り返り、満面の笑顔で言った。




初めて見た男の子の笑顔は、日光を浴びた水面のように輝いていた。




このコンビニが繁盛することを願いましょう。



男の子に続いて、清々しい気持ちでコンビニから出た。




カズサもついてくる。




「あんな店員もいるんだな。ほぼパンダだったけど」




エンマが感心した様子で言った。




あたしとおんなじ事思っとるわ。




「なかなかおらんやろけどな」



「あんなヤツばっかりなら、世界は平和なのにな」



「世界が平和やったら、あんたの仕事減るで」



「最高だな」



「働け、アホ」




閻魔大王に向かってアホとか言ってよかったんかな。




言うてもうた後に気になった。




「うるせぇ、バーカ」




オーケー、ノープロブレム。



「ルイ」




今度はカズサがあたしを呼んだ。




忙しい。




「ん?」



「ありがとう」




カズサに礼を言われるような事をした覚えはない。




意味わからん。




「は?何が?」



「あの子を万引き犯にしないでくれて」



「それがあたしの仕事やから」




やっぱりカズサはあの子を知ってるんやな。




「あの子ね、リョウジの子なんだ」




リョウジというのは、カズサが20年間想い続けてる人の名前。




リョウジが幸せになるのを見届けるために、カズサはずっとこの世に残ってる。




「そうやったんや。でも、子供がいるなら結婚してるんじゃないの?」




それでもまだカズサがこの世にいるという事は、リョウジは幸せな結婚生活に恵まれへんかったって事なんかなぁ。



「うん、結婚はしてる。



でもあの子は奥さんの連れ子で、リョウジの本当の子供じゃないんだ。



それに、あの子がさっき言ってたように、リョウジは結婚してすぐに事故にあって、今もずっと意識不明のままなの…」




カズサはたぶん、リョウジが結婚した時に上に行こうとしたんやと思う。




でもカズサが上に行く前に、リョウジは事故にあった。




カズサが望んでるリョウジの幸せは、リョウジ自身だけじゃなくて、奥さんも子供も、リョウジに関わるすべての人の幸せなんやと思う。




だから、リョウジの意識が戻って、家族みんなで普通に生活出来るようになって初めて、カズサは上に行けるんや。




「ねぇ、ルイ。病院に行かない?」




断る理由なんかなかった。



初心者のスカイダイビングのように、あたしはインストラクター的なカズサに後ろから抱き抱えられて、宙に浮いている。




5階にあるリョウジの病院の窓から侵入するため。




いちいちエレベーターに乗って行くよりは断然早い。




リョウジは、キレイな個室のキレイなベッドでキレイな顔をして眠っていた。




カズサの話では何回も聞いたけど、実際にリョウジを見るんは今日が初めてやった。




でも、どっかで見たことがあるような気がする。




どこで見たんやろ…




まぁいっか。




この人とあたしはあんまり関係ないんやし。



「顔にはあまり傷はつかなかったみたい」




そう言ったカズサの顔を見ると、カズサはリョウジの顔を愛おしそうに見つめていた。




カズサの顔から視線をずらしていくと、ベッドに頭を乗せてすやすやと眠っているさっきの男の子の姿が目に入った。




この子は、リョウジが自分のホンマの父親じゃないって知っていながらもこんなにリョウジを慕っている。




たぶん、リョウジもこの子を大事に思ってるに違いない。




親子っていうのは、血のつながりはなくても気持ちがつながってれば、それで充分なんやな…



「お父さん…」




男の子が寝言を言った。




あたしは…




リョウジが一刻も早く目を覚ます事を強く願った。




神様は随分とめんどくさがりらしいけど、切実な願いなら叶えてくれるんちゃうかな。




エンマも力貸してな。




「頼んどいてやるよ」




声に出して言ったわけではないのに、エンマはあたしの気持ちをわかってくれた。




ありがとう。



「リュウ、いるの?」




女の声でその名が呼ばれた。




あたしの心臓は一度大きく弾んだ。




リュウ……?




「ん?お母さん?」




ムクッと起き上がった男の子は、まだ眠たそうな目をこすりながら声がした方に顔を向けた。




「あ、リョウジの奥さんが来たみたい」




という事は…




リュウというのはこの子の名前か…




違う人間やとわかっていても、その名前を聞くと胸がしめつけられる。




息が苦しくなる。




心臓が騒ぐ。




あたしは…




まだこんなにあの人の事…



「ルイ、行こう」




カズサはそう言って、あたしを再び抱きかかえた。




窓をすり抜けて、飛び降りる。




やっぱり、奥さんの顔を見るんは辛いんかなぁ。




それとも、家族3人の時間を邪魔したらアカンと思ったんかなぁ。




地上に到着すると、カズサは「じゃあ、またね」と言ってどこかに行ってしまった。




幽霊同士のバイバイはいつもこんなに軽い。




だって、いつでもどこでもまたすぐ会えるんやから。



あたしが村瀬菊乃さんと何度目かの再会を果たしたんは、偶然やった。




エンマからばあさんを助けに行けと指示があったわけではなく、ホンマにたまたま出会った。




ばあちゃんの家に強盗が入ったあとにも、あたしは自分の予想通りに何回かこの人を助けていた。




赤信号を無視してばあちゃんに突っ込んできそうやった車のタイヤを寸前でパンクさせたり、ばあちゃんの頭の上に落ちてきそうやった鉄工をちょっと位置をずらして落としたり。




このばあちゃん、不運極まりない。




信号無視の車とか鉄工とかって、不運の代表やん。



この日、公園をパトロールしていたら、ばあちゃんがコジロウを連れてやってきた。




「おう、ばあちゃん」



「あぁ、ルイちゃん」




幽霊と人間でもこんな普通の会話が出来るんやで。




「今日も仕事かい?」



「っていうか、仕事探してるとこ。ばあちゃんは、あれから危ない目に合ってへん?」




エンマからの情報がなかったから、たぶん大丈夫やろうとは思ってた。




「人や物に襲われるという事はなかったけど、ちょっと階段から落ちちまってね」




ばあちゃんは照れ笑いを浮かべながら、包帯を巻いた左腕をあたしに見せた。




階段か。




これも代表やな。



「大丈夫?骨、折れたん?」



「折れてはいないんだけど、ひびが入ってるらしくて。その方が返って治りにくいみたいでねぇ」



「そっかぁ。でも、ばあちゃん一人暮らしなんから気ィつけなアカンよ」



「いつもいつもありがとね。今度またうちに遊びにおいで」



「うん、ありがとう。じゃあ」




あたしはばあちゃんに手を振って公園から出た。




まぁは言ったけど、たぶんもうあの家に行くことはないやろな。




さすがにもう襲われへんやろ。



「いや、お前は近いうちにまたあの家に行く事になる」




エンマはいつも急に話しかけてくる。




しかも、あたしの心を読んで。




なんか悔しい。




全部顔に出てるんかなぁ。




「どういう事?また誰かに襲われるって事?あのばあちゃんばっかりおかしいやん」




これはもう不運という言葉で片付けられへんくらいの不運か、もしくは誰かの陰謀やん。




誰の?




「あのばあさんの家に強盗が入るってわかった時にはすでに何かおかしいと思ってたんだが、今回でハッキリわかった」




嫌な予感がガンガンした。




具体的な事は何一つわからんけど、とにかく悪い予感がした。




神様、どうか気のせいでありますように。



「あのばあさんは、恨みを買ってる」




神様のアホ。




「誰から…?」



「ばあさんが銀行強盗に殺られそうになった時に、銀行の外に女の生き霊がいただろ。アイツだ」




カッと見開かれたあの女の目を思い出してゾッとした。




あの女…




あの日、銀行内にいたばあちゃんを見てたんや…




でもあのばあちゃんが人に恨まれるような事をするやろうか…



あの人に一体何をしたんやろう…



「あの人は何で…生き霊になるほどの恨みをばあちゃんに持ってるん…?」



「それは…」




あたしはエンマの声に、いつも以上に神経を集中させた。













「わかんねぇ」













………………………はい?














「わからんって何よ!」



「俺にだってわかんねぇことはあんだよ。



あの女がばあさんに強い恨みを持ってる事はわかるが、その理由は本人にしかわかんねぇだろうが。



みんなお前みたいに単純に作られてねぇんだよ」




最後の言葉は無視する事にした。




いちいちつっかかってたら話が進まん。




確かに、言われてみればそうや。




人の気持ちを100%わかるなんてあり得へんもんな。




ただ、あたしにはエンマの心の中がちょっとだけわかる。




まだ他に何かある。



「なぁ、エンマ。まだ他に何かあるんちゃう?ばあちゃんが恨みを買ってるって事だけちゃうんやろ?」



「あぁ…」




あんまりいい話ではなさそうやな。




エンマが言いにくそうにするんは、珍しい事やった。




「ばあさんが何回も危険な目にあってるのは…



偶然じゃないんだ。



全部あの女の仕業だ。



たぶん、階段から落ちたっていうのもな」




偶然じゃない?




全部あの女の仕業?



「あの女の生き霊が、生きた人間を操ってたんだ。



その人間に取り憑いてな。



これはあくまで推測だが、銀行強盗の時はあのリーダーに取り憑いて、リーダー自身と仲間たちを操っていた。



この間の強盗はガラガラ声の方に取り憑いて、営業マンの方も操っていた。



階段から落ちた時はどうやったのかわからないが、とにかくあの女の仕業に違いない。



ただ、階段の時は、未来でばあさんが死ぬ予定はなかったから俺も察知出来なかった。



すまない」




それがホンマやったら…




偶然じゃなくて計画。




でも…




それなら、ばあちゃんはあの女に命を狙われてるって事になる。



「今エンマが言った事がホンマやっていう確率は?」



「残念だが、ほぼ100%」




それなら問題ない。




ここまでハッキリわかってるなら、あたしがばあちゃんを全力で守ればいいってだけの話なんやから。




むしろ、敵がわかってやりやすくなったくらいや。




「たぶん、お前は近いうちにあの女と直接会う事になると思う。いくら仕事と行っても、相手は生き霊だ。行かなくてもいいんだぞ」



「アホか。逃げるわけないやろ」



「そうか…」



「もう一つ、今までお前に言わなかった事がある」




緊張した。




エンマの声が、暗く、低くなったから。




「お前は死んでる。肉体がないわけだから、もう命に関わるような危険はないと思ってるだろ?」



「うん…」



「でもな…それは違うんだ。



人間は、肉体が死ぬと魂だけの存在になる。



今のお前の状態がそれだ。



しかし、魂だけの存在でも全く危険がないわけじゃない。



つまり、人間は二度死ぬ事だってある」




一度死んだ人間がもう一度死ぬ…?




「じゃあ例えば…あたしが今の状態で死んだら…どうなるん…?」




聞くのは怖かった。




でも、聞かへんわけにはいかんし、どっちにしてもエンマはきっと続きを話すやろう。



「天国にも地獄にも行けない。



生まれ変わる事も出来ない。



自分以外誰もいない、正真正銘の真っ暗闇の中で、正体のわからない不安と恐怖に永遠に付きまとわれる」




そんなところに行ったら…




あたしはどうなってしまうんやろう…




きっと誰にも想像出来ひん事なんやろうけど…




「その中では、強制的にずっと正気のままでいさせられる。



気が狂う事も許されない。



地獄の方がまだマシだと思えるような場所だ。



地獄でなら発狂してもかまわないからな。



俺たちはそこをグレイブと呼んでいるが、そんなのん気な場所では絶対にない」




グレイブ…




墓場…




墓場をのん気な場所と表現できるほどの場所…




グレイブに匹敵するほどの恐怖を体験した人間はいるんやろうか…



「お前が今もう一度死ねば、間違いなくグレイブに送られる」




あたしはうつむいた。




怖いからじゃない。




もう一つ、気になる事があったから。




「じゃあ生き霊が…



あの人が生き霊の状態のまんまで死んだらどうなんの…?



グレイブに行くの…?」



「いや、あの女の肉体は生きてるから大丈夫だ。



ただ、魂が先に死ねば肉体の方も二度と目を覚まさない。



ただし、肉体の基本的な機能は変わらない。



心臓も動くし、呼吸もちゃんとするはずだ。



見た目は眠っているように見えるが、目を覚ます可能性はゼロ。



本当の抜け殻になっちまう」




あたしは、ばあちゃんを守るために、自分も死なずにあの人も抜け殻にさせずにする方法を考えた。




いくら考えても、あたしのからっぽの頭では答えはみつからへんってわかってたのに。



エンマの話を聞いてから、あたしの気持ちは常に張り詰めていた。




いつあの人が来るんか、気が気でなかったから。




「ルイ、どうしたの?最近ずっと眉間にシワ寄ってる。それに、全然笑わないし」




カズサが不服そうな、でも心配そうな表情であたしを見つめている。




「ゴメン…笑ってる場合じゃないねん」



「理由はあたしにも話せない?」



「ゴメン…」




もし話せば、カズサを巻き込む事になるかもしれんから。




「ふぅん。だったら、あたしずっとルイについてまわるから。四六時中離れないから」




予想外の反応やった。




物分かりのいいカズサならわかってくれると思ったのに。




そんな事されたら、確実にカズサを危険な目に合わせる事になる…




やめさせな。



「それは絶対にアカン」



「危ない仕事なんでしょ?



だったらあたしにも手伝わせてよ。



ルイはさ、あたしに何も話してくれないよね。



どうして仕事人なんてやってるのかも教えてくれないし。



あたしたち友達じゃないの?



少なくともあたしはそう思ってるよ。



だからさ、もっといろいろ話してほしい。



もっと頼ってほしい。



もっとあたしを信頼してほしいんだよ。



全部1人で抱え込まないで、あたしにも分けてよ。



ね?」




カズサはそう言ってあたしを抱きしめた。




幽霊にも体温はあるんや…




固まっていたはずの気持ちは、カズサの体温によって簡単に溶かされた。



あたしはリュウの事、エンマの事、自分の葬式の事、自分がなんで仕事人をやっているかという事、村瀬のばあちゃんの事、あの女の事、グレイブの事、抜け殻の事、そしてこれからやらなアカン仕事の事、すべてをカズサに話して聞かせた。




あたしが話してる間、カズサはたまに相づちを打ってくれるくらいで、余計な事は一切言わへんかった。




これだけ長い話をしたんは初めてやったし、これだけ長い話を飽きずに聞いている人も初めてやった。




「ルイ、がんばろうね。これから、どんな時でもあたしが隣にいてあげるから。一緒に戦おう」




嬉しかった…




カズサはばあちゃんに何の思い入れもないはずやのに、あたしの為に命を懸けると言ってくれてる…



「エンマ…あたし、カズサと一緒にがんばってもいいかなぁ…」




エンマに話しかけると、自分の周りの空気がふっと温かくなった。




これはきっと、エンマの心の温かさなんや…




「お前1人で全部やれなんて言った覚えはねぇぞ。ただ、俺は手伝ってやれねぇけどな」




そんな事ない。




あたしはエンマの優しさと温かさにいっつも助けてもらってるよ。




でも、調子に乗ったらウザいから絶対そんな事は本人に言わへんけど。




「ルイ、俺の素晴らしい言葉に酔いしれてるところに申し訳ないんだが、今あまりよくない情報が入った」




もれなく調子には乗るらしい。



カズサがあたしの顔を見た。




今まで聞こえへんかったエンマの声が急に聞こえるようになったから、ビックリしてるんやと思う。




「どんな?」



「あの女、お前の存在に気づき始めてるようだ」




さっきまで温かかった周りの空気は一気に凍りついた。




あまりの温度差に蜃気楼が見えそうや。




あの人が…




あたしの存在に気づいた…?




「あのばあさんを何度殺そうとしてもなかなか死なない。



初めは向こうもただの偶然だと思ったんだろうけど、これだけ偶然が続く事はまぁない。



そうなれば、何か他の存在を疑うようになるのが当然だ。



誰かがばあさんを守ってるんじゃないか、誰かが自分の邪魔をしているんじゃないかってな。



でもたぶん、その誰かが天城ルイという幽霊だという事にはまだ気づいてない」




向こうも、自分に敵がいるって認識し始めてるって事やん。




でも、いつかは絶対にバレるし、あの人には遅かれ早かれ会わなアカン。




それやったらいっその事…



「あの女にとって邪魔な存在がお前だとバレる前に、お前の方から近づくか?それとも、知らないふりをして出来るだけ時間を稼ぐか?」




1+1の答えを聞かれるよりも簡単な質問。




「エンマ。あんた、今まであたしの何を見てきたん?そんな質問、する意味がない」



「お前、俺より男前なんじゃねぇか?」



「当たり前や。だってあんたに育てられた仕事人やもん」




あたしは大空に向かってピースサインを出した。




「そうだったな。悪かった。でも、気をつけろよ」



「わかってる。グレイブには死んでも行きたくないから」



「よし。じゃあカズサ、ルイを手伝ってやってくれな」




エンマに初めて話しかけられたカズサは物怖じする事もなく、あたしと同じポーズをとった。




大空に向かって思いっきりピースサイン。




「了解」




心強い相棒が出来た。



エンマから連絡が入ったんは、それから3日後。




いくら閻魔やからって、あの人の居場所を常に把握しているわけではなく、ばあちゃんが危険な目に合う直前でないとわからへんらしい。




上のテクノロジー…




もうちょっと進化してほしいもんや。




ギリギリじゃないとわからんとか、厄介この上ないやないか。




「来るぞ。ばあさんの家にあの女が直接乗り込んでくる」



「いつ?」



「今から20分後だ」




あたしとカズサは、ばあちゃんの家から5分くらいの場所にいた。




カズサに運んでもらってもいいんやけど、出来るだけ早く行きたい。




「エンマ、悪いけど…」



「言われなくても連れてってやるよ」




そう聞こえた瞬間に、全身が熱くなった。




カズサの体も淡い光に包まれている。




2人で同時に目を閉じた。



次に目を開けた時、あたしたちはばあちゃんの家の門の前に立っていた。




門を入った所には、相変わらずコジロウが仏頂面で寝そべっている。




コジロウは、片目だけであたしとカズサの姿を確認すると、すぐに興味を無くしたように目を閉じた。




何だ、またあんたか―




ご無沙汰してます―




まぁ、入んなよ―




コジロウとの心のキャッチボール。




幽霊は、動物とも植物とも話せるんかもしれんな。




様々な壁を超えた存在。




それが魂。



あたしとカズサはちっさい声でお邪魔します、と言って玄関の戸を通り抜けた。




ばあちゃんは、前と同じように居間にいた。




テレビを点けて、それをコタツに入って観ている。




テレビ番組を観ているという雰囲気ではなく、ただそこにある四角い箱を眺めているだけという感じ。




なんか…




ばあちゃんがちっちゃく見えるんはなんでやろう…




あと15分。



あたしたちはばあちゃんのいる居間には入らずに、ばあちゃんからは見えへん廊下の端っこに座った。




出来れば、あたしがここにいる事に気付かれたくなかったから。




あたしが近くにいる=悪い事が起こるという事に気づかへんほどアホではないやろうし、ギリギリまで余計な不安は感じさせたくなかった。




あと10分。



「ねぇ、ルイ。あのおばあちゃん、何かいいね。懐かしい感じがする」




カズサが穏やかな声で言った。




今から何が起きるかわからんのに、落ち着き払ってる。




あたしなんかよりも仕事人に向いてるんかもしれへんな。




強い心。




折れへん気持ち。




それは覚悟を決めた時にあわられるもんなんやと思う。




死ぬ覚悟ではなく、何があっても死なへんという覚悟。




生きる覚悟。




幽霊のあたしに生きる覚悟っていうのはちょっとおかしいかもしれへんけど、生きてる時よりも死んでからの方がしっかり『生きて』るような気がする。



「うん。だから、どうしても死なせたくない。何があっても守ってみせるから」



「そうだね」




カズサはそう言ってあたしの手を握った。




幽霊になってから、生身の人間に触れる事が出来ひんようになった。




だから、人の温もりを感じる事が出来るんはカズサと一緒にいる時だけ。




カズサは、今のあたしにとってのビタミン。




なくてはならないもの。




特にあたしは…




人の何倍も温もりが恋しくて、人の何倍も温もりを欲してしまう。




カズサは、そんなあたしの気持ちをわかってくれてるんやと思う。




あたしたちはそれから数分間、何の言葉を発する事もなかったけど、相手の気持ちが自分の気持ちよりもわかった。




いつも以上に穏やかで、心が凪いでいる。




あと3分。



そんなあたしたちの中に荒波が押し寄せたんは、エンマが予告した時間ピッタリやった。




とてつもない空気が家の中に充満する。




悪意の塊。




姿はまだ見えへんけど、深く黒いベトベトした何かがあたしたちにまとわりついてきた。




胸が押しつぶされそうな強い感情。




体が痛い…




胸が苦しい…




カズサを見ると、カズサも苦悶の表情を浮かべている。




「カズサ…大丈夫…?」



「うん…。でも…こんなに強い感情…初めて…」




それはあたしもおんなじやった。




ここまでの恨みを持つあの人が、ばあちゃんに何をされたんかがまだわからへん。




「あたしの邪魔をしていたのは…あんたたち?」



あの女が、突然あたしたちの前に現れた。




「この子は関係ない」




あたしは、張り付いた声帯を無理矢理こじ開け、なんとか声を出した。




カズサを自分のうしろに隠すようにする。




女の姿を見たカズサは、目を大きく開き、唇を震わせている。




恐怖ではなく、驚愕の表情。




カズサは一体何に驚いてる?




女の感情の強さに?――…



「まぁ、別にどっちでもいいわ。でも、まだ邪魔するなら、あんたたちには消えてもらう」



「そういうわけにいかんねん。どうしても、あのばあちゃんを死なせたくないから」




女にそう言った後、女には聞こえへんくらいの声でうしろのカズサに言った。




「カズサ、ばあちゃんのとこ行って」




すぐに反応してくれへん。




あの表情を浮かべたまま固まっている。




カズサの顔に浮かんでる表情が、どういう種類のものなんかわからへん。




それはこの女の顔を見た瞬間に表れた。




一体なんなんや…




「早く!」




その疑問を解明すんのは後でいい。




今は行動する事が先や。




「う、うん」



やっと反応してくれたカズサは、さっと居間に入った。




きっとばあちゃんは、いきなり知らん幽霊が入ってきてビックリしてるやろうけど、今回カズサがいてくれてホンマによかった。




1人じゃなくてホンマによかった。




タイマンなんて言葉は、必要ない時だってある。




卑怯とか言ってる場合じゃない。




「へぇ、あの人あの部屋にいるんだ。わざわざ教えてくれてありがとね」




惑わされるな。




あたしを動揺させるために言った言葉に決まってる。




「知ってるくせに」




女はあたしを鼻で笑った。




「とにかく、どいてくれない?あんたがそこにいたら殺りに行けないじゃない」



「行かんでいい。帰れ」



「無理。お前が帰れ」




あたしは爆風を食らった。




その風で体が中に浮き、吹き飛ばされた。




壁に頭を思い切りぶつけて、一瞬意識が飛びそうになる。




というか、飛んだ。




こういう場合は壁を通り抜けられへんらしい。




もう。



あたしが起き上がれずにもがいている間に、女はどんどんと居間の方へと歩いていく。




あたしへの当てつけか、女はあたしを見ながら歩を進めた。




コイツ…




性格悪っ!




なんとか起き上がり、できる限り急いで居間に行くと、カズサが女に捕まっていた。




首を鷲掴みにされている。




苦しそうなカズサ。




そんなカズサの横でブルブル震えているばあちゃん。




ばあちゃんにはカズサが女に首を絞められている情景が見えてるはずやけど、見えたからと言って生身のばあちゃんには何をすることも出来ひん。



「カズサ!」




あたしは、コタツの上に置いてある湯呑みを女の頭に向かって飛ばした。




湯呑みは女の頭をフワリと通り抜け、無残に床に破片を飛び散らせただけやった。




あたしの能力は、自分とおなじ存在には何の効力も発揮しぃひんらしい。




ならどうする…?




あたしにこの人を止める事が出来る…?



「ルイ!あんたも幽霊でしょ!」




カズサが苦しそうな声で叫んだ。




あぁ、そうか。




あたしも幽霊。




能力は役に立たへんくても、あたし自身は使えるんや。




カズサ、ありがとう。




「うらぁぁぁぁ!!」




あたしは女の頭に後ろから思いっきりヘッドバッドを食らわせた。




この人は幽霊じゃない。




でも今、肉体はない。




だからこそあたしの能力は効かへん。




でも、体のないもの同士なら、わざわざ能力を使う必要がない。




直接触れる事が出来るんやから。




肉弾戦なら任せぇ。



女は後頭部を押さえ、床にひざをついた。




カズサの首から女の手は離れている。




カズサはひどく咳き込んだ。




よっぽど強く掴まれていたんやろう。




カズサの首には女の手の後がくっきりと浮かび上がっている。




カズサ…




ごめんな…




「ルイちゃん…」




ばあちゃんがあたしを見て言った。




この人も、恐怖とは違う表情を浮かべている。




ただ、カズサに浮かんでいたものともまた違う。




今この部屋にいる4人の中で、何も知らんのはあたしだけやと確信した。




何や…




さっきのばあちゃんの震え、ばあちゃんとカズサのあの表情。




どういう事なんや…



何かが浮かび上がってくる事を期待して、あたしはぎゅっと目をつむった。




すると、期待通りに何かひっかかった。




これは…




目を開き、周りを見渡した。




この部屋に何か重要なものがある。




何を探しているのか自分でもはっきりわかってへんかったけど、とにかく探した。




この部屋にある何かを。



ある物の所で自然に目が止まった。




あぁ、これか…。




それを見た瞬間にカズサの表情の意味も、ばあちゃんの表情の意味も、この女がばあちゃんを恨んでる理由もわかった。




それは、初めてこの家に来た時にはっきりと見たものやった。




2つの写真立て。




白黒のものとカラーのもの。




そのうちのカラーの方に写っている男の人。




あれは…




間違いなく、リョウジ。




カズサの永遠の想い人で、ばあちゃんの息子で、この女の旦那で、リュウの父親。



カズサはあの女がリョウジの嫁やと知っていた。




だから必要以上に驚いてたんや。




あたしが戦おうとしてるんが、自分の想い人の嫁やとは思ってなかったやろうから。




そう言えば…




リョウジの病院に行った時、どっかで見た事があると思った。



あの写真やったんや。




あの女がばあちゃんを恨んでる理由。




それはたぶん、ばあちゃんがリョウジの事故になんらかの形で関係してるんやろう。




ばあちゃんのあの表情は…




たぶん全部知ってたから。




女が自分を恨んでるということも、今までの事が全部女の仕業やということも。




そしてたぶん…




ばあちゃんはそれを受け入れようとしていた。




でも、そのたびにあたしが助けてしまった。




あたしが必死で助けるもんやから、自分が殺されてもいいと思っているということを言えへんかったんやろう…



それがわかると、女に対しての恐怖心が一気に弱まった。




女はあたしのヘッドバッドの余韻を残しながらも、すでに立ち上がっている。




「邪魔すんなって言ったでしょう!」




女はあたしをまた吹き飛ばした。




この女は気功のようなものを扱えるんやろうか。




あたしみたいに風を動かしているという感じではない。




あたしはまた壁に体をぶつけた。




その瞬間、女に首を掴まれた。




体は言う事を聞いてくれず、文字通り手も足も出せへん。




キリキリと女の細長い指があたしの首に食い込んでくる。




女の目は…




真夜中のトンネルよりも、海の一番底よりもずっとずっと暗かった。




「リョウジ…さんは…まだ…死んでへん…やん…」




吐き気をもようしながらも、なんとか声だけは出せた。



「ちゃんと…



生きてんのに…



がんばって生きようと…



してんのに…



ばあちゃんを恨んで…



復讐なんて…



おかしいと思わへんの…?」




女は指にさらに力を加えた。




目に光が戻ることもない。




このまま絞められ続ければ、あたしは死ぬ。




「ばあちゃんが…



どういう風に…



事故に…



関係してるんかは…



わからへん…。



でも…



リュウはばあちゃんの事…



恨んでへんのと…



違う?



人を…



恨む事よりも…



お父さんが目を覚ます事だけを…



願ってるんやで…。



そやのに…



母親のあんたは…



人を恨むことだけ考えてて…



それで楽になろうとしてるんと…



違う…?



リュウが…



お父さんのために万引き…



しようとしたことも…



知らんやろ…?



よう考えて…みて…。



リョウジの事故は…



ホンマに…



ばあちゃんのせい…?



死ぬほど考えて…



それでもやっぱり…



ばあちゃんのせいやって…



いうんやったら…



殺したらいいやん…。



あたしは…もう邪魔…しぃひんから…。



あんたは知らんかもしれんけど…



ばあちゃんは…



あんたになら…



殺されてもいいって…思ってるん…やで…」



最後の一言は賭けやった。




『なら殺す』




女がそう返してもおかしくはない発言やって、自分でもわかってる。




でもあたしは、女の最後の良心に賭けた。




「なら」




女の指にはさらに力が入った。




ばあちゃん、ごめんな。




あたし、ばあちゃん守り切れへんかった。




あたしの意識はもうほとんどなく、声もでぇへん。




「殺す」




女はそう言った。



言ったはずやのに、あたしのほっぺたに生温い何かがかかり、首の圧迫感がなくなった。




あたしは激しく咳き込んだ。




胃が押し返され、猛烈な吐き気も襲ってきた。




あたしがへたり込んでる真ん前に、女もへたり込んだ。




泣いてる。




あたしのほっぺたにかかったものはこの女の涙。




声を押し殺し、肩を震わせて泣いている。




気がつくと、今まで部屋中に充満していた邪気がなくなっていた。



「ごめんなさい」




女は嗚咽を漏らしながら、細い声で言った。




誰に対しての謝罪なんかはわからん。




あたしかもしれんし、ばあちゃんかもしれんし、カズサかもしれんし、ここにはおらんリョウジかもしれんし、リュウかもしれん。




「本当はわかってました。



リョウジの事故がお義母さんのせいじゃないって。



というよりむしろ、リョウジのせいでお義母さんを危険な目に合わせてしまった…」



リョウジと女の結婚式の日、もちろんばあちゃんも招待された。




披露宴も同じ日に行われたので、帰りが遅くなり、電車もなくなってしまった。




仕方なくばあちゃんは息子のリョウジに家まで送り届けてくれと頼んだ。




リョウジはそれを快諾し、笑顔で女に手を振った。




すぐに帰るから、リュウを連れて先に帰ってくれと。




この時、リョウジが女とリュウを連れていかなかったのは、リョウジの家は式場からも比較的近くタクシーで帰れる距離やったからというのと、リュウが眠いと言い出したためである。




そして―




事故は起こった。



後ろから煽ってきた車を振り払おうと、前方の信号が黄色から赤に変わったにも関わらずに、リョウジは止まらずに進んでしまった。




すると、リョウジの車と直角の位置にいたせっかちな車が、目の前の信号が赤から青に変わる前に発進した。




交差点のど真ん中で、2つの車はぶつかった。




相手の車は大破。




運転していた男性は首の骨を折って即死。




リョウジの車を煽っていたスポーツカーは知らん顔で逃亡。




もちろん、行方はわからん。




そうなると、女の怒りの矛先は『送って』と言い出したばあちゃんに向けられた。




リョウジがばあちゃんを送ってなかったら、そもそも事故は怒ってなかったんやないかって。




でも、あたしは思う。




リョウジは…




ばあちゃんが頼まんでも、自らすすんで送ったんやないか。




たぶん、この女もそれに気付いてる。



「どうしようもなかったんです…。



お義母さんのせいじゃないってわかっていても、それでも感情をコントロール出来なかった…。



お義母さんを…誰かを恨まずにはいられなかった…。



そうしないと…自分が壊れてしまいそうだったから…。



お義母さんを恨む事でやっと…自分自身を保っていたんです…。



本当にごめんなさい…ごめんなさい…」




かわいそうな人。




辛かったんやな。




気持ち、ようわかるよ。




でも、やっぱりこの人は忘れてる。




リョウジは死んでない。




リョウジが生きてる間には、復讐心なんて持ったらアカン。




生きてる事を否定してるのとおんなじやんか。



「今を悔やむより、これからどうしていくかを考える方が先なんと違う?



あんたの大切な人は生きてるんやろ?



命がある限り、何でも出来るんやで。



リョウジさんが早く目覚ますように、リュウと一緒に祈ってあげて」




あたしは女の肩に手を置いた。




「あたしはもう死んでるから、あんたみたいにやり直しはきかへん。



だから、出来ればあんたにはこれから後悔しんように生きてほしい。



あたしみたいにならんように…



これからもしあんたに何かあったら、あたしが助けに行くから。



だから、もう自分の体に戻ろ。



な?」




女は泣き顔のままあたしの顔を見た。




その目に、もう闇はなかった。



「あなたは…天使のような子ね。名前は?」




天使?




いや…




ちょっとお姉さん…




照れるやん。




「天城ルイ。あたしは天使なんかじゃない。堕天使や」




あたしはそう言ってニッと笑った。




女も笑った。




こんなにキレイに笑う人を、あたしは初めてみた。




「ルイちゃん…ありがとう」




女はキレイな笑顔の陰影を残して、ふっと消えた。




自分が本来いるべき肉体に戻ったんやろう。



「堕天使〜?」




カズサがニヤニヤしている。




「いや!ちゃうねん!あれはさぁ、勢いで言うてもうてん!」




うぅ。




恥ずかしい。




我ながら驚くほど寒いセリフを吐いたもんや。




「堕天使〜?」




今度はエンマがカズサと同じ言い方でからかってきた。




「お前はうるさい」




『あんた』から『お前』に格下げ。




エンマは黙った。




ヘコんどるわ。




憎たらしいけど、かわいい閻魔様。



「ルイちゃん、本当にありがとう」




ばあちゃんが言った。




「自分は死んでもいいなんて、もう考えたらアカンで」




自分は自殺しといて、ようそんな事が言えたもんや。




「あたしがそう思ってるって、どうしてわかったんだい?」



「それは…あたしが堕天使やから」




こうなったら開き直ってやる。




エンマのクスクス笑いが聞こえてきた。




よ〜し、待っとけ。




しばきたおしに行ったるから。




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