予想外の始まり
もう、無理や…
バイバイ…
「まもなく、電車が到着致します。白線の内側までお下がりください」
機械的な女の声が聞こえる。
あまりにも機械的すぎて、それが逆に心地よかった。
電車がだんだん近づいてくる。
周りにはスーツ着たおっさんやら、スーパーのビニール袋を腕にぶら下げたおばはんやら、ヘッドホンからシャカシャカ音まき散らしてる兄ちゃんやら、うるさい子供をほったらかしにしてる親がいっぱいおる。
おっさん、ネクタイ曲がってるし、汗臭い。
おばはん、エコバッグを持ち歩け。
兄ちゃん、ロリアイドルの曲聴いてんのバレてるで。
子供、じっとせぇ。
親、注意せぇ。
いつもは気にならん事が今日はやたら気になる。
何でかなぁ…
どうせもうすぐ死ぬのに…
電車がどんどん近付いてくる。
もうちょっと…
もうちょっと…
……………………来た
あたしは、ホームに滑り込んできた電車の顔面に体当たりした。
あー。
今何か変な男したかも。
バキッとか、ゴリッとか。
どっかの骨がイッてもうたんかな。
あんま痛ないけど。
でも、手とかあり得へん方向むいてるわ。
こらやっぱり折れてるな。
あーぁ。
まぁ、別にいいけど。
キレイに死ねへんってわかっててこのやり方選んだわけやし。
何か…
ちょっと眠たなってきた。
あたし、もう寝るわ。
オヤスミ…。
目が覚めた時、あたしは真っ暗な所にいた。
ん?
目ぇ覚めた?
おかしい。
あたしはホームに飛び込んで、電車にはねられて死んだはず。
ってゆうか、ここどこや?
暗いし、なんも見えへん。
でも、自分の姿はハッキリ見えてる。
周りが全部真っ黒のなんかで出来てるだけなんかな。
「おーい」
知らん男の声が、遠いような近いようなようわからん所から聞こえてきた。
あたしが呼ばれてるんかな。
他に誰もおらんみたいやし、やっぱりあたしやんな。
「おいっ。聞こえてんだろ?お前だよ、そこのバカそうな女」
おっとぉ?
今のは聞き捨てならんな。
確かに頭は良うないけど、人に言われたらムカつくねん。
誰やねん!
ほんでどこにおんねん!
「うるさいっ!聞こえてるわ!ってゆうか、あんた誰なんよ!」
「へ?俺?」
「あんたしかおらんやろ」
「そうだな。俺はここの住人。…えーっと、大家?」
「いや、聞かれても知らんし」
「まぁ、どうでもいいじゃん」
「どうでもよくはないけどな」
あたしは、このアホみたいな男にバカ呼ばわりされたんか。
アカンわ、ホンマにムカつく。
しかも、姿は見せへんし、名前も言わへん。
どういう事やねん。
「あんた、名前は?顔も見せへんって、どうゆう事よ」
「もうすぐわかるよ。お前はルイだよな?天城ルイ」
「はぁ?何で知ってるん?気持ち悪っ」
「おい、気持ち悪いとは何だ。とにかく、いろいろ教えてやるから、そこからひたすら真っ直ぐ前に歩け」
なんやねん、コイツ。
自分は名乗らへんくせにあたしの名前は知ってるし、ここの住人とかゆう意味も全くわからへん。
いや、意味はわかるで?
でもなんていうか、自分が今置かれてる状況が理解出来ひん。
あたし、はねられたショックで頭おかしなったんかな。
でも、じっとしててもしょうがないし、とりあえずコイツに従ってみよかな。
真っ直ぐ歩けとかゆわれても、方向とかなんもわからんし。
足が地についてる感覚もあんまりないし、イライラしてきた。
「お前、方向音痴か?真っ直ぐ前だって言ってんだろ。もうちょっと右」
あたしのイライラを逆なでた。
「全部真っ黒なんやから方向なんかわかるわけないやろ!」
「あぁ、そうか」
男がそう言った直後に、目の前に真っ直ぐ前方に伸びた幅2メートルくらいの道が現れた。
うっすらと輝いているように見える。
光の道。
「そこ、歩いてきて。別に走ってもいいけど」
「最初っから出してほしかったけどな」
あたしはひたすらその道を歩いた。
絶対走らへんからな。
あえてゆっくりいったんねん。
全面的にコイツに従う気はまだなかった。
10分くらい歩いたら、前方に明かりが見えてきた。
10分て…
遠いわ!!
その明かりを目指して歩いて行ったら、そこにあるもんがだんだん見えてきた。
黒の革張りのでっかいソファに人が座ってる。
その前にはガラステーブル。
ガラステーブルの上にはパソコンと電話がのってる。
あのソファに座ってるヤツが…
さっきからあたしをバカにしてる男か…?
「おぉ、やっと来たか。おせぇよ」
やっぱりそうや。
あの声、間違いない。
男は白のシャツに黒のスーツ、ネクタイはしてない。
髪の毛は真っ赤で、暴風に吹かれてるみたいに逆立ってる。
首にはゴッツいネックレス、耳にはピアス、指には太い指輪。
装飾品と呼ばれる全てのものを身につけている。
年は…
20代前半くらいか?
でこのちょっと上くらいに、ちっちゃい角みたいなんが見えてる。
これもアクセサリーなんかな。
流行るようには見えへんけど。
「俺が誰だかわかるか?」
男は前のめりになって聞いた。
微笑んだ口元からは八重歯がのぞいてる。
八重歯とゆうより、牙に近い。
「だから、ここの住人なんやろ?」
「それはそうだが、もっとなんかあるだろ」
「どう答えてほしいねんな」
あたしがそう言うと、男は豪快に笑った。
何がおもろいねん。
「まぁいいや。どうせ言っても最初は信じねぇ」
もう、何なん?
コイツも頭おかしいんちゃうやろか。
「じゃあ、ここがどこかってのはわかるか?」
「わからん。さっきからずっと聞いてるやん。そろそろ教えてくれてもいいんちゃう?」
男はまた微笑んだ。
今度はバカにしたような笑いではない。
「ここは、天国と地獄の間だ。特に名前はついてねぇ」
天国?
地獄?
そうゆうもんがあるって聞いた事は何回もあるけど、実際にあるかないかは死んだ人間にしかわからへんもんなぁ…
でも…
ホンマにあるってこと?
という事は、じゃあ、あたしはやっぱり死んだって事なんやな。
「で、あんたは誰?」
「俺は、エンマ」
「エンマ?変わった名前」
「名前っつうか、ポジション名的な感じ」
「ふぅん」
エンマねぇー。
エンマ…
エンマ?
「あの、ちょっとすいません」
「何だ?」
「あんた、もしかして…あの…閻魔大王?」
男はニッコリ笑った。
やっぱり八重歯がのぞく。
「正解」
あの角みたいなアクセサリーじゃなくて本物の角?!
牙のような八重歯は本物の牙?!
…はっ、アホらし。
こんな話があるか。
天国と地獄の間?
閻魔大王?
ありえへん。
夢や夢。
もしくはコイツの脳みそが緩んでるだけや。
「残念だけど、これは夢じゃねぇぞ」
あたしはエンマと名乗った男の顔を見た。
冗談を言っている顔ではない。大真面目。
「お前はさっき電車に衝突した」
さっきよりも声が低くなった。
ちょっと怖い。
閻魔大王の成せる技。
「で、死んだ」
こんなチャラチャラした外見の閻魔大王にお前は死んだとかゆわれても、イマイチ信じられんわ。
でも…
あたしが死んだ事は間違いないないんかもしれへん。
「でも、正直お前微妙なんだわ」
「何が?」
「天国行きか、地獄行きか」
「あたし、地獄に墜とされるほど悪い事してへんと思うんやけど」
「すんなり天国に行けるほど善人でもなかった。
ウリもやったし、万引きも、薬遊びもやったもんな。
そもそも自殺したヤツを簡単に天国に行かせるほど俺は甘くねぇよ」
確かに、あたしは誰がみても善人ではなかった。
飛び抜けた非行少女。
まぁさすがに、人は殺してないけども。
「それやったら…
あんた、あたしが自殺した理由知ってんの?
自殺でもしな…
しょうがなかった…
死にたいくらい辛かった…
何がアカンのよ!!」
エンマは、急に泣き出しそうになったあたしの顔を冷めた目でみつめてる。
「お前わかってねぇみてぇだけど、自殺はな、殺人と変わんねえんだよ。
人を殺した事になるんだよ。
それにな、お前が自殺した理由くらいだいたいわかる。
俺を誰だと思ってるんだ」
1年前、あたしは両親に殺されかけた。
首をしめられて、あたしが意識を失ってる間に家に火をつけられた。
無理心中しようとしたみたい。
でもあたしは、途中で誰が通報したんか、駆けつけた消防隊員に助けられた。
だから、両親だけが死んだ。
両親が、いろんなもんに苦しんでる事は知ってた。
親父の博打好きで膨れ上がった借金、殺人的な取り立て、それによって出来た人間関係の分厚い壁、おまけにあたしの悪行三昧。
でもたぶん、両親が一番苦しんでたんはあたしが親父の借金をちょっとでも減らすためにウリをやってた事やと思う。
あたしが取り立て屋と寝た事を知ってたんやと思う。
でもこれは強制じゃない。
自主的にやってた事。
だから、親父は責任を感じる事はなかったのに。
それでも、やっぱりそういうわけにもいかず、結局選んだ道はみんなで死ぬ事。
最良の選択でもあるし、最悪の選択でもある。
その時にしっかり死んどけばよかったのに、悪運が強かったんか生き残ってしまった。
兄弟もおらんかったあたしは、これで完全に一人きり。
それまでは1人でも大丈夫、1人が好き、って思ってたけど、それは1人じゃない時の話。
みんなおらんくなったら、寂しかった。
泣きたくなった。
でも、まだ自殺する勇気なんてなかった。
いくら死にたくても…
いくら消えたいって思ってても……
死ねへんのやったら、何とかして生きるしかない。
そうなると、やっぱり使えるものは1つだけ。
自分の体。
今までも使ってきたし、それをするのに苦痛を感じる事はなかった。
むしろ、誰かが近くにいてくれる事を嬉しく思った事もある。
あの時は、ただ人の温もりを求める事だけを考えて生きてきた。
他には何にも考えられへんかった。
仲間もいっぱいいたけど、それでは満たされへん。
仲間とは違う、家族の温もりがほしかった。
誰か…
あたしを温めてください…
そんな時出会ったんが、リュウやった。
リュウと目が合った瞬間にわかった。
この人は、あたしが求めてたものをくれる人やって。
きっとあたしを助けてくれるって。
フラフラっと近付いていったあたしを、リュウは何の迷いもなく受け入れた。
そうなるのが当たり前なんやって顔をして。
名字も年も住んでる場所も、あたしはリュウのほとんどを知らんかった。
それでも、必死で好きになった。
必死で愛した。
リュウもそれに応えてくれてた。
リュウは、どれだけ一緒にいてもあたしに触れようとしーひんかった。
だからこそ、リュウには家族の温もりがあったんやと思う。
あたしにとっては生きがいやった。
リュウがいてくれたからあたしは生きていられた。
それくらい、好きやった。
でも、裏切られた。
他に女がいたとかそういう事じゃなくて、そんな浅い裏切りじゃなくて…
リュウは…
あたしを置いて消えた。
あたしになんにも言わんと消えた。
もしかしたら、何か事情があったんかもしれへん。
もしかしたら、死んだんかもしれへん。
でも、もし死んだんやとしたらなおさら…
あたしも連れていってほしかった…
「あんた…ホンマに閻魔大王なんやったら…リュウの居場所教えてよ…何でも知ってるんやろ…?」
「もちろん知ってる」
「じゃあ、教えて…お願い…」
エンマは眉間にしわを寄せて、あたしをじっと見つめた。
睨んでるわけじゃなくて、哀れんでるような目…
そんな目で見んといて…
余計惨めになるから…
「それは出来ない」
「なんで…?」
「個人の情報は、何があっても漏らしちゃいけねぇんだ」
エンマがものすごい真面目な顔でふざけた事を言ったもんやから、あたしは思わず笑ってしまった。
不覚。
「個人情報保護法?現実の世界と変わらんやん。夢のない夢」
「だから、ここも現実なんだって」
エンマの表情はさっきよりもだいぶ柔らかくなってる。
あたしも、もうそろそろ気付いてるよ。
これが夢じゃないって。
現実なんやって。
「わかってる」
エンマは意外そうな顔をした。
「意外に早かったな」
表情に出たまんまの事を言った。
他の人間は、ここが現実の世界やってわかるまでもっと時間がかかるんやろう。
「あんたの顔見てたら、ホンマなんやろなぁって思えてきてさ」
エンマは笑った。
口元からはあの牙が思いっ切り顔を出してる。
「それでだ」
エンマはまた真面目な表情に戻して話し出した。
「俺はここの住人であると同時に、ここにやってきたヤツをどうするか決める番人なんだ。まぁ、裁判官みたいなもんだな」
エンマが自分の説明を終えると、ガラステーブルの上のパソコンがポロンと音をたてた。
メールがきたみたい。
エンマはマウスを軽く操作している。
閻魔大王様がパソコン?
地味やし。
「お前、どっちに行きたい?」
「は?」
「だから、上に行きたいか下に行きたいかどっち?」
天国に行きたいか地獄に行きたいかってことを聞いてるんやろな。
「そら、上に決まってる」
「だよな」
わかってんのやったらいちいち聞くなや。
「でもなぁ…。他のエンマに聞いても、そんなもん自分で決めろって言うんだよ」
他のエンマ?
コイツみたいなんがまだおるって事なんか?
「エンマってあんただけじゃないの?」
「当たり前だろ。お前と同時に死んだ人間が他に何人いると思ってんだ。俺1人じゃ無理だっつーの」
死後の世界ってこんなに事務的なもんなん?
夢壊れるわー。
「で、あたしはどうなんの?」
エンマは腕と足を組んだ。
そして、うんうんと唸りだした。
しばらくあたしをほったらかしにして考え込んでたエンマが、いきなりガラステーブルを両手で思いっ切り叩いた。
いや、割れるて。
「決ぃめたぁ〜」
さんざん考えた割には、えらい軽い発言。
あたしは一気に不安になった。
「しばらくは天国にも地獄にも行かせない」
またわけわからん事言い出しよったわ。
「ほんなら、どうしたらいいんよ」
「俺の下で働いてもらう」
「どういう事?」
「そのまんまの意味だよ。しばらく働くの」
「はぁ」
もうなんか、疲れるわ。
コイツ、詳しい事全然説明しよらんし。
よう裁判官なんて言えたもんやわ。
「下界におりて働いてもらう」
「下界?じゃあ、あたしは生き返るって事?」
「そんなわけねぇだろ。幽霊として下界におりるんだよ」
頭痛くなってきた。
死んでも頭痛は起こるらしい。
厄介な話。
「一応聞くけども、幽霊って…学校のトイレにいたり、病院にいたりするあの幽霊やんな?」
「そうだな。あの幽霊だな」
まさか自分が幽霊になるなんて考えた事もなかった。
でもまぁ、さっき死んだわけやし、そうなるんか。
「働くって、何をするん?」
「世の中の為になることをしてもらう。って言っても、下におりてから説明した方がわかりやすいだろうから」
エンマはあたしの顔の真ん前に手をかざした。
その手を一振りすると、あたしの体はオレンジ色の光に包まれた。
熱い…