第1話 魔王様と99人の四天王
世界征服は、終わった。
玉座には、黒い甲冑をまとった男が腰を下ろしていた。
金の装飾が施された胸甲に、大きく張り出した肩当て。頭には鋭い突起の並ぶ黒鉄の王冠を戴き、背には深紅の裏地を持つ長大なマントを垂らしている。
その重々しい装いに反して、顔立ちは若い。黒髪の下には鋭い赤の瞳が覗き、顎には短く整えられたヒゲを蓄えていた。
男は玉座から立ち上がり、広間を埋める配下たちを見渡した。
「ク……クク……ククク……クワーッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハ!」
高らかな笑い声が、大広間に響き渡った。
「よくぞ集まった、我が四天王たちよ!」
呼びかけに応じ、四天王たちが顔を上げた。
角を持つ者、翼を背に畳んだ者、長い尾を椅子の脚に巻きつけている者。小さな妖精から天井に頭が届きそうな巨人まで、姿も大きさも実に様々だ。
彼らの頭上には、いくつもの映像が浮かんでいた。遠方の任地を離れられない者や、そもそも城内に身体が収まらない者は、映像を通じて参加している。
魔王の秘書も含めて、四天王は総勢九十九人。
もともと四人だった四天王も、魔王が優秀な人材を見つけるたびに登用していった結果、今では大広間を使わなければ会議も開けなくなっていた。
「先の戦いをもって、最後まで我らに抗っていた国も降った。もはや余の旗の下にない国はない。長きにわたる我らの戦いは、ついに実を結んだのである!」
盛大な拍手と歓声が巻き起こった。
手甲を打ち合わせる音、甲高い指笛、床を踏み鳴らす重い足音。種族も大きさも異なる魔物たちが、それぞれのやり方で勝利を祝っている。
玉座の傍らでは、秘書のベルも顔を輝かせて手を叩いていた。
淡い金髪を黒いリボンでまとめた、小柄な少女だ。濃紺のベストに白いブラウスを合わせ、胸元には赤い小さなリボンを結んでいる。
「まおー様、ついにやりましたね!」
「うむ! おぬしらも、よく尽くしてくれた!」
魔王は大きく腕を広げ、歓声に応えた。
そのとき、頭上から静かな声が降ってきた。
「……こちらからも……最後の城に……旗が立ったのが……見えました……」
柱と柱の間に、青黒い巨鯨の映像が漂っていた。
映像の主、アストラヴェルは天外の見張りを任されている。本来の身体は、この城どころか周囲の山々を並べても収まらない。縮められた映像の中で、小さな目が穏やかに細められていた。
「そうであろう! しかと見ておけ。すべて我らが勝ち取ったものだ!」
魔王は鯨に向かって力強く頷いた。
拍手が落ち着くと、魔王は再び口を開いた。
「さて、諸君。本日は、この喜ばしき報告に加え、もう一つ伝えたいことがある」
大広間が静まった。
「我らはついに世界を統一した。だが、これをもって魔王軍の歩みが終わるわけではない!」
「……待てよ、坊主」
前列で、犬に似た顔の小男が片耳を立てた。
コボルトの土木親方、ガルムット。太い腕には土の染みついた革手袋をはめている。
「世界征服は済んだんだろ?」
「うむ。この世界ではな」
「……ん?」
魔王はマントを翻し、玉座の前へ進み出た。
「次なるは、異世界である!」
一瞬の静寂。
「余はこの世界の外へ出る! 未だ見ぬ異世界へ進出し、新たなる大地を我が手に収めるのだ!」
大広間がざわめいた。
「おお、いよいよじゃな!」
ひときわ高い声とともに、小さな拳が突き上げられた。
魔王軍の発明家、パチル博士が椅子の上で膝立ちになっている。ぶかぶかの白衣に、ぼさぼさの髪と大きな丸眼鏡。興奮して振り回す腕の先で、長すぎる袖がひらひらと踊っていた。
「よいぞ、よいぞ! ワシも早う試したくてのう!」
「まあっ、異世界ですの!? なんて素敵なんでしょう♡」
赤地に白い斑点のある大きな茸の傘が、嬉しそうに揺れた。
桃色の巻き髪に華やかなドレスをまとった、マタンゴ族のエリーン。魔王軍では慰問団を率い、長年にわたって兵士や民衆を励ましてきた。
「まだ見ぬ世界には、まだ見ぬ笑顔がいっぱいですわね! うふふ、わたくし、今からワクワクしてきましたわ♡」
「うむ! その意気である!」
「いや、ちょっと待てって!」
ガルムットが太い腕を振った。
「お前らだけで盛り上がるな! こっちは、ようやく軍道を街道に直せるってんで仕事を組んだところだぞ。また兵を通すから空けろなんて言われたら、かなわん!」
「こっちも、まだ仕事が山積みなんですよ!」
隣に座っていた妖精が、緑の帽子を脱いで両手で揉み始めた。魔王軍の税を取り仕切るノッカルは、玉座を見上げて訴えた。
「新しく領地になった国の税の仕組みがバラバラで、今はまとめ直すだけでも手一杯なんです! 異世界まで増えたら、おいら、帰れませんよ!」
「ピピちゃんとこだって、まだ伝令が足りないんだからね!」
今度は椅子の背に足を掛けたインプの少女が、ふわりと浮き上がった。
魔王軍の通信網を預かる伝令隊長、ピピリア。背中の翼を羽ばたかせる彼女は、魔王軍がまだ小さかった頃から仕える古参でもある。
「新しい任地が増えるたびに、ピピちゃんたちが飛び回ってるんだよ! あっちに連絡、こっちに連絡って、もう大変なんだから!」
これを皮切りに、あちこちから声が上がり始めた。
「こっちは戦後処理だけで手一杯だぞ!」
「新しい事業より、今ある仕事を片づけさせてください!」
「まさか俺たち全員連れていくつもりか!?」
「そもそも、まだ祝勝の宴も開いてないじゃないですか!」
頭上の映像からも、次々と不満の声が降ってくる。
魔王は片手を上げ、一同を制した。
「うむ! おぬしらの働きには感謝しておる! しかし案ずるな。此度の異世界進出でも、諸君の優れた手腕を存分に――」
「私たちだって暇じゃないんですよ!」
「そんなことよりさっさと身を固めてください! またお見合いをすっぽかしたって聞きましたよ!」
「待て、あれはやむを得ぬ事情が――」
「単に結婚したくないだけだろ!」
「童貞魔王!」
「童貞!」
「そのヒゲ似合ってねえんだよ!」
「童貞がヒゲを伸ばすな!」
「ええい! 静まれぃ!!」
魔王の怒声が、大広間を揺るがした。
ピピリアが椅子に降り、立ち上がっていた者たちも腰を戻した。
まだ笑いをこらえている者がちらほらいる。
魔王はその連中をひと睨みしてから、ずれかけた王冠を直した。
「余のヒゲは関係なかろうが! だいたい、誰が九十九人全員を連れていくと言った!」
何人かが顔を見合わせた。
「……違うのか?」
「違うわ! まずは余とベルの二人で赴く。おぬしらには、現地で必要に応じて力を貸してもらうつもりだ」
魔王はガルムットへ顔を向けた。
「街道の整備も、税の整理も、伝令網の拡充も、今までどおり進めよ。世界を手に入れたからには、治める仕事を疎かにするわけにはいかぬ」
「なんだ、そういう話かよ」
ガルムットは腕を組み直した。
「だったら最初からそう言え、坊主」
「言おうとしておったわ!」
「でも、呼ばれたら結局仕事が増えるんでしょ?」
ピピリアが頬を膨らませた。
「そこは協力してもらう!」
「ほらー!」
再び不満の声が上がりかけたところで、通路側から声がした。
「まあまあ。その話はひとまず置いておきな」
太い腕に金属の腕輪をはめた、筋骨隆々のドワーフの女。魔王軍の財務を預かるギルネッタが、魔王に向かって顎をしゃくった。
「そもそも、異世界なんてどうやって行こうってんだい?」
「おお、そうであった。博士、例の装置はどうなっておる?」
「最後の調整中じゃ! ただ行って帰るだけではつまらんからのう。いろいろ仕込んでおるぞ!」
「ほう、それは楽しみであるな! 異世界には、余の知らぬ魔力資源も眠っておるやもしれぬぞ」
「追加の予算は出さないよ」
ギルネッタが釘を刺した。
「予算の中でやっとるわ! 陛下、こやつ、ワシが口を開くとすぐ金の話をする!」
「お前が口を開くたびに何か増えるからだよ」
大広間のあちこちから笑いが漏れた。
「まあよい。完成したら知らせよ、博士」
「任せておけ! 陛下の度肝を抜いてみせるぞ!」
博士は得意げに胸を張った。
「ベル。出発の準備と、留守中の引き継ぎを頼むぞ」
「はい、まおー様!」
ベルは胸に抱えていた書記帳を開いた。
「皆さんへのご連絡はこちらで進めますね。博士、完成したら私にも教えてください!」
「もちろんじゃ!」
ガルムットは手袋をはめ直しながら、隣のノッカルにぼやいた。
「まったく。次から次へと、よく思いつくもんだ」
「おいら、今日はご褒美の話かと思って来たんですけどねえ」
「聞こえておるぞ!」
魔王が振り返った。
「望むものがあるなら言え。おぬしらの働きに報いることは忘れておらぬ!」
ノッカルがぱっと顔を上げた。
「休暇を!」
「ピピちゃんもー!」
すかさずピピリアが片手を突き上げる。
それを見た四天王たちからも、次々と手が上がった。
「わたしも休みたいです!」
「一週間ほどいただけませんか!」
「できれば二週間!」
「……順番に取れ! 一度に休むでない!」
「はーい! ピピちゃん一番!」
「早い者勝ちじゃねえぞ!」
ガルムットが叫ぶと、また笑い声が広がった。
魔王は額を押さえ、しばらく天井を仰いでから、大きく片手を振った。
「ええい! 以上である! 各々、持ち場へ戻れ!」
椅子を引く音が重なり、四天王たちが立ち上がった。
ガルムットはノッカルと何やら話しながら出口へ向かい、ピピリアはその頭上を飛び回っている。博士はさっそくギルネッタを捕まえ、両腕を広げて発明品の大きさを説明し始めていた。
頭上に浮かぶ映像も、一つ、また一つと消えていく。
最後に残ったのは、巨大な鯨の映像だった。
「……行ってらっしゃいませ……魔王様……」
「うむ。天外の守り、引き続き任せたぞ」
「……はい……お任せを……」
大きな尾がゆっくりと揺れ、映像が消えた。
大広間に残ったのは、魔王とベルの二人だけだった。
魔王は玉座へ腰を下ろすと、長く息を吐いた。
「まったく。話を一つ通すだけで、この騒ぎよ」
「ふふっ。でも、皆さん、ちゃんとお話を聞いてくださいましたね!」
「途中まではな。まったく、少しは魔王への敬意というものをだな……」
魔王はそこまで言って、諦めたように手を振った。
「まあよい。ともかく、これで準備を進められる」
「はい! お召し物と、お茶の葉と……。あっ、向こうには見たこともないお菓子があるかもしれませんね!」
「菓子があるとは限らぬぞ」
「あったら、一緒に食べましょうね!」
「うむ。楽しみにしておこう」
ベルは嬉しそうに書記帳へ書き込んだ。
魔王はふと窓の外へ目をやった。見慣れた城下の屋根が並んでいる。
「……どんな景色であろうな」
「異世界ですか?」
「うむ。どのような国があり、何が待ち受けておるのか。今度ばかりは、余にも見当がつかぬ」
「楽しみですね、まおー様!」
「うむ!」
魔王は肘掛けに手をつき、勢いよく立ち上がった。
「博士から報せが届き次第、出発である!」
「はい! ……あっ、まおー様。出発の日も、いつもの甲冑でよろしいですか?」
「無論だ! 王冠も忘れるでないぞ。異世界の者どもにも、一目で余が魔王と分からねばならぬからな!」
「はい! では、いつもどおりですね!」
ベルは笑顔で書記帳を閉じ、魔王の後を追った。




