ep.5
投入口へと吸い込まれる切符が一瞬にして姿を消す。
まるで、初めから存在しなかったかのように。
平日なのに岡山駅には観光客らしき団体、親子、カップルなどが賑わう音を出していた。
まるで忍び足で歩いているように自分だけが無音に感じた。
スマホを取り出し、画面に触れようとした瞬間だった。
「これ、めっちゃ映えるじゃん」
突如甲高い声が耳を抜けると体を強く弾かれた。思わず足を取られその場に尻もちを着くと、同時にリュックが地面へと叩きつけられた。カラカラと滑る音の先でスマホが壁にぶつかった。
目線を上へと向ける。服の上からでも分かる程に筋肉のせり出る男が、見下すように細目を送る。その眼光が俺を鋭く捉え飲み込んだ。
「なに〜? どしたの〜?」
女は悪びる様子も無く嘲笑っていた。
以前の俺ならこのままやり過ごすだろう。なのに、震え出す唇と閉じることのない目が男を一気に喰らおうとする。何も持っていない俺には、何も失う権利すら無いんだ。
「何だこいつ。気持ちわりぃ〜」
異物を見るような目で2人は去っていった。尻を数回叩くと、スマホを取りに向かう。淀んだ視界に1つのポスターが飛び込んだ。
『全てが絵になる。美観地区で優雅なひと時を』
昼と夜の対比で写されたそのポスターは、謳い文句を裏切らない圧巻の美しさだった。
『妹といつか乗りたいもの』
『なぞなぞ旅の目的地』
何かに導かれるようにスマホで検索を始めた。
ここから倉敷駅まではJR山陽本線で約17分。足は意思を持たぬまま、ただ前へと進む。ポケットに残っている小銭を手探りで掴み取り切符を買うと、駅のホームへと急いだ。
エスカレーターを降りると列の最後尾へと並ぶ。
目の前には親子が居た。
幼稚園児ほどの幼子の手が母親にしっかりと繋がれている。
突然走り出してもおかしくない年頃だ。守るためなのだろう。
一瞬心臓に痛みが走る。
握られているような恐怖と共に。
「守るためだったの」
祐希の葬儀であの母親が言った言葉。
流れる涙などただの水分にしか見えなかった。
だが、守れなかった事実が突き付けられた瞬間でもあった。
あの日、俺は俺自身を恨み、蔑み、憎しみ、そしてーー殺したんだ。
「お母さん、電車来たよー」
嬉しそうな子供の声が響く。
電車の扉が開くと、挑むように乗り込んだ。
目の前の2人席が空いている。窓際の席へと腰を下ろした。
スマホを取り出すと、もう1度ブログを開く。やがて辿り着くその地の記事に、コメントを打ち込み始めた。
途中で意思と反して指が固まる。
乾き切った口内には唾さえ浮かばない。
どうする……。
電車のモーター音が体をなぞる。
窓の外に広がる地方都市の風景が皺だらけの写真のように見えた。
窓から差し込む日光が手元を眩く照らす。ブラインドを下げる手が汗ばんでいた。
一度、両手のひらを擦り合わせ、大きく吸い込んだ息を吐く事だけに集中した。
よし。
迷いを辞めた指が速度を上げてキーを叩き始めた。
『美観地区ですか? 子供の頃に行きたかった場所なんです。偶然、今向かっているところです。』
乾いていたはずの口に僅かに潤いが戻っていた。心拍が秒数と重なる。身体中が理解していた。
通知音が鳴る。
早い。
彼女は絶えず画面を見ている。
そうとしか、思えなかった。
「そうなんですね。とても羨ましいです。この地から始めて色々巡りたいんです。船には乗られるんですか?」
初めての質問だった。
一方通行だった道が枝を付けた。
真の答えに辿り着けるかも知れない。
汗ばんだ指先が画面を滑った。
『今回は乗る予定は無いですが、景観や食事を楽しみたいと思っています。お勧めはありますか?』
少しずつでいい。
彼女がブログを書く真意へと繋がるヒント。
それだけを求めていた。
今度は通知音とほぼ同時に開く。
「ブログで知っているかと思いますが、郷土料理のばら寿司がお勧めです。美味しくて彩りも良いので映えますよ。」
呼吸が止まった。
勘づいてはいたが、確信なんて無かった。彼女に認識されている事実が脳を揺らす。
だが、何故今なんだ?
返信する意味……。
頭の中が音を立てて混ぜられていく。
ぐちゃり……
雨を含んだ封筒を踏まれたあの時の音のようだった。
動揺してる暇などない。
彼女は俺との対話を選んでくれた。
必ず探し出す。
光なのか、影なのかどうでもいい。
違和感の殻を剥ぎ取る。
「まもなく倉敷、倉敷です」
ここには、何かある。
なぜか無意識にネクタイを緩める動きをしていた。
案内音と被さるように通知音が1つ流れた。
ポケットに突っ込んだそれに気づいたのは少しだけ後だった。
駅から美観地区へは徒歩で約15分。
足が疼き出す。
電車の扉が明け放たれた。
とうに準備は、出来ている。




