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第88話 運命の転換点

 一九八四年五月二十七日、午後一時三十九分。  海域は、北北西の微風が吹く曇天の海であった。


 大東亜・エウロ混成艦隊の旗艦の艦橋に、張り詰めた沈黙が満ちる。  

 光学測距儀を覗き込む観測員の指先が、わずかに震えていた。

 レンズの向こう側、鈍色の水平線がわずかに盛り上がり、そこから無数の「鋼鉄の塊」が溢れ出してきたのだ。


「敵艦隊……視認。距離八千!」


 その報告とともに、周囲の空気が一気に凍りついた。  

 現れたのは、一つの群れではない。

 海を埋め尽くす鋼鉄の島々――AAUが誇る「十一」の艦隊。

 その威容は、巨大国家の総力そのものだった。


「アペプ級……含む六隻を確認。主力戦艦群、さらに後方に展開中。……なんて数だ。まるで海が動いているみたいですわ」

 エウロ艦隊のオペレーターが洩らす。

 一方、カイ少将は、微動だにせず敵影を見つめていた。

 彼の目は、敵の数ではなく、その「陣形」を見ていた。  

「……完璧な輪形陣だな。それも重層だ」


 隣に立つカミラが、顔を歪めて答えます。

「ええ。外郭を駆逐艦が固め、その内側に長距離砲戦艦を配しています。近づこうとすれば目視外からの面制圧を受け、運よく潜り抜けても駆逐艦の爆雷と潜水艦の誘導魚雷という火線が待っている。……地獄の入り口ですよ、これは」


 大東亜エウロ混成連合艦隊旗艦が、マストに『Z旗』を掲揚する。  

 この旗が持つ意味は、至極単純だった。

「負ければ滅亡だ。逃げることは許されない。我々には『もう後は無い』」


「敵、第一斉射……来ますッ!!」


 空の彼方、視界の外から「シュルシュル」という悪魔の口笛のような音が降り注いできた。

 AAUの主力、長距離投射式面制圧砲撃だ。    ドォォォォォォォン……ッ!!


 連合艦隊の右翼、先頭を行く巡洋艦『高千穂』の周囲に、高さ百メートルを超える水柱が林立した。

 一発の着弾ではない。

 一瞬にして海面が爆発し、逃げ場を失った巡洋艦の船体が一気に跳ね上がった。


「一撃で……味方の戦列が崩されていく……」  発射筒の愛機の中で、アンジャリは歯を食いしばり、味方の光点が瞬く間に消えていくコンソールを握りしめた。


「お姉さま! 敵の弾幕、射程が計算を越えていますわ! このままでは近づく前に、私たちが乗っているこの艦ごと沈められてしまいます!」


 エルザの悲鳴に近い声が無線に響く。  

 海面は、AAUが放つ無慈悲な砲火によって、沸騰する地獄へと塗り替えられようとしていた。

 粉塵渦巻く世界に、精密なレーダーなどは無い。

 敵は「数」で確率を塗り潰し、海そのものを殺しに来ているのだ。


「……アンジャリ。マリス、エルザ」

 地鳴りのような砲声の中、カイの静かな、だが確固たる声が三姉妹の耳に届いた。


「カイ少将!? 今こそ私たちが出撃して、敵の懐を――」

「いや。君たちはまだ出るな。出るのは……俺一人でいい」


「な……!? 何を言っていますの! カイ様!」  マリスが叫ぶ。だが、カイの決意はすでに鋼のように固まっていた。

「合図するまで、死んでもそこを動くな。…俺が合図したら……あとは頼むぞ」


 スター・アイルズ沖の海は、重油の混じった不気味な凪を湛えていた。  

 水平線の彼方。

 AAUの巨砲が放つ、目視外からの「面制圧」が始まった。


 ドォォォォォォォォン……ッ!!


 空を裂く咆哮とともに、数キロ先で巨大な水柱が林立する。

 それは一発の着弾ではない。

 数百、数千の砲弾が海面を文字通り「削り取って」いく絶滅の雨だった。  

 大東亜・エウロ混成連合艦隊の右翼で、駆逐艦一隻が直撃を受け、瞬時に中央から折れた。

 ただ、鋼鉄の厚みと、兵士の肉眼だけが頼りの野蛮な虐殺が始まった。


 AAUの放つ絶望的な斉射が、連合艦隊の陣列を無慈悲に抉った直後。

 轟音と振動が鋼鉄の床を揺らす中、カイ少将は艦橋でただ独り、狂気と慈愛が混ざり合ったような、奇妙な表情を浮かべていた。  

 それは、笑っているようにも、今にも嗚咽を漏らしそうにも見える、あまりに痛ましいかおだった。


「……ミナ、すまない。」

 誰にも聞こえないほど掠れた声で呟くと、カイは翻した背中で、背後に立つ将官たちを拒絶した。


「待て!少将!」

 その背中を見た瞬間、艦橋にいた者たちの間に、氷のような戦慄が走った。  

 シリチャイ大将は、驚きでコーヒーが入ったままのカップを取り落とした。

 ベルナール中将は、軍人としての冷徹な仮面の下で、奥歯が砕けるほど噛み締めた。

(……カイは、死ぬ気だ)  

 言葉にせずとも、その確信が艦橋を支配した。 

 彼は「勝つ」ためではなく、愛する人に、仲間に、同胞たちに『生』を残すための礎として、自らの命を燃やし尽くそうとしている。

 マリア少尉は震える手でコンソールを掴み、カミラ准尉は、溢れ出そうになる涙を堪えて、カチカチと震える唇を必死に結んでいた。

 しかし、彼らは心の奥底で思ってしまうのだ。

(アスラならば、カイ少将ならば何とかしてくれるのではないか)

 カイはそのまま、一度も振り返ることなく艦橋を飛び出した。

「アスラ、発艦位置。全固定解除……。カタパルト、最終接続確認」

「アスラからリヴァイアサン。発艦だ」


 戦闘中の喧騒の中、アスラのコックピットに滑り込んだカイの指先は、驚くほど冷静に物理スイッチを弾いていく。  

 通信機から、オペレーター席に座るカミラ准尉の声が流れてきた。

 だが、その声は今にも壊れそうなほど震えていた。


「アスラ……最終、拘束……解除。気圧調整、完了……。カイ、少将……」

 カミラは、マイクを握る手に力が入りすぎ、白く血の気が引いていた。

 出ればカイが死ぬのが分かっている。

 彼女の脳裏には、先ほどのカイの、あの「笑いながら泣いているような顔」が焼き付いて離れない。  

 行かせれば、もう二度と戻ってこない。

 その予感は、彼女にとっては、もはや避けられない「予言」であると確信していた。

「……許可を……発艦、きょか……を……っ」


 カミラが膝から崩れ落ちそうになったその時、背後から力強い手が彼女の肩を支えた。

 ベルナール中将だった。

 彼は絶望を押し殺した鋼の瞳で、カミラの手の上から静かに、だが抗いようのない重みでマイクを握らせた。


「……カミラ准尉。しっかりしろ!君が、ちゃんと送り出すんだ」

 ベルナールの低い声に、カミラは嗚咽を飲み込んだ。  

 彼女は顔を上げ、涙で滲むモニターを見つめながら、裂帛の気合を込めて叫んだ。


「――アスラ! カタパルト射出、単機出撃許可! 行ってください、カイ少将!!」


 キィィィィィィィン……ッ!!


 ハイブリッドファンが絶叫を上げ、マンガニスエンジンの唸りが艦全体を震わせる。  

 漆黒の破壊神は、一筋の閃光となって、死の雨が降り注ぐ海へと解き放たれる。


「……アスラ、カイ・イサギ。出るッ!!」

 それが、最強の男がこの世に残した、最後の咆哮のように聞こえた。


 海面に降り立ったアスラは、着水の衝撃をプラズマの噴圧でねじ伏せ、十一の艦隊という「物理的絶望」へと向かって、狂気じみた加速を開始した。

「……さあ、始めよう。『アスラ』というものを貴様らは、もう忘れたのか?思い出させてやろう」

 カイの視界には、海面下で蠢く無数の潜水艦の航跡と、水平線を埋め尽くす巨砲の砲列。  

 人類最高峰の技術と、一人の男の執念が、今、神話の領域へと踏み出した。


「……蹂躙、ですわね」  

 次々に艦内に報告される戦況報告。

 それは全てが絶望であった。

 マリスが、愛機クラーケンの中で震える声で呟く。  

 味方の旗艦が火を吹き、数千の命が冷たい海へと投げ出される音が、船体を伝う振動となって彼女たちに届いていた。


「全機待機。増強第三小隊、動くな」

 通信機から響いたのは、裂帛の気合を孕んだカイ少将の声だった。

「カイ少将!? 何を言って……今出なければ味方が全滅しますわ!」

「黙って見ていろ。――アスラが単機で出る!」

 

 制止を振り切り、漆黒の破壊神がカタパルトから弾け飛んだ。

 海面は、AAUの放つ絶え間ない長距離砲撃によって、沸騰した大釜のように泡立っていた。


 漆黒のシュテルツァー『アスラ』がカタパルトから躍り出た刹那、カイ・イサギの全身を突き抜けたのは、敵艦隊の威容以上に禍々しい「予感」だった。

「……いるな。この下に」


 アスラの足底部、超高速回転を始めたローラーが海面の表面張力を掴み、プラズマの噴圧が海水を一気に蒸発させる。

 その微細な振動の跳ね返りを、カイの直感は鋭敏に感じ取っていた。


 アスラ出発の報を聞いて、増強第三小隊が、慌てて艦橋に集まる。

「少将は?」

 ベルナール副司令が首を振りながら、艦橋の外を示す。

 そこにはあり得ない機動で疾走する黒い神の姿が、三人の目にも映っていた。


 キィィィィィン――。

 マンガニス・リアクターの咆哮に混じり、気泡が海面に浮かび上がるのが分かる。

 それは、数千、数万もの気泡が耐圧殻を擦る、死神の囁き。

 敵潜水艦群だ。


「敵潜水艦隊……! この数! 円形陣の真下だけじゃない、海域全体に敷き詰められてる!」


 モニターを注視していた友軍の駆逐艦が、悲鳴に近い声を上げた。  

 光学測距儀が捉えた海面には、微かな「歪み」が無数に走っている。

 一見すれば波間に紛れるそれは、急速潜航を開始したAAU潜水艦隊が残した航跡――「死の道標」だった。

 即座にアスラを含む第41大東亜エウロ特務艦隊にも情報が共有される。


「十一の個艦隊ほとんどに、直掩の潜水艦が随伴しているのか。……徹底しているな。水上の面制圧で足を止め、水面下の飽和攻撃で仕留める気だ」

 シリチャイ大将が苦い声を絞り出す。  

 この世界の潜水艦は、半導体による自動追尾魚雷なぞ持たない。

 半導体が生産できる大気では無いからだ。

 だが、数に物を言わせた「有線誘導魚雷の網」は、一度捕まれば逃れる術はない物理の檻である。

 アスラは高速で海面を疾走した。

 艦隊近距離戦の射程内に入る刹那、144mmライフルが規則的な音を立てて咆哮する。

 ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!

 144mmライフルが咆哮するたび、AAU駆逐艦の艦橋がザクロのように弾けた。  

 指揮と索敵の要である艦橋を潰され、さらにアスラが海面を疾走する時に撒き散らす超高周波の音響ノイズに、近くの敵のソナーは完全に沈黙した。  

 突如、海面が盛り上がる。

 アスラの急速接近に慌てて、潜航しようとしていたAAU潜水艦。  

 カイは跳躍した。

 高度200メートルから、垂直にライフルを連射。

 海中の耐圧殻を物理的に叩き割り、泡を吹いて沈みゆく鋼鉄の棺桶を見向きもせずに、次の獲物へと肉薄する。


「増強第三小隊……聞こえるか」

 カイの声が、アスラの激しい風切り音と共に通信機へ流れ込む。  

 彼はすでに、次の敵外郭の駆逐艦隊へ向けて、海面を滑走し始めていた。


「敵は必ず混乱させる。それまでは……たとえ目の前で、俺が、アスラの手足が多少取れても、決して出るな!」


「カイ少将! 無茶ですわ、これだけの駆逐艦や潜水艦隊が相手では、爆雷と魚雷の一斉射でアスラごと……!」

 マリスの叫びを遮るように、カイはスロットルを最大まで押し込んだ。  

 アスラの後方で、水蒸気爆発による巨大な白煙の壁が立ち上がる。


「くるぞ……主砲斉射だ!」

 空が再び、AAUの主力戦艦が放つ巨弾によって黒く塗りつぶされた。

 大東亜エウロ混成連合艦隊の主砲よりも遥かに絶望的で、暴力的な火の雨。


 ドォォォォォォォォンッ!!


 連合艦隊の左翼を行く駆逐艦が、至近弾による巨大な衝撃波で文字通り「転覆」し、その隣の巡洋艦は、海中から突き上げられた魚雷の直撃によって、一瞬で弾薬庫が誘爆。

 火柱が雲を突き抜けた。


「……ぁ」


 エルザが息を呑む。  

 自分たちの盾となっている仲間たちが、ゴミのように使い捨てられていく。

 その光景に耐えかね、アンジャリが艦橋から走り出そうとする。


 「カイ様! 私たちも行きます! これ以上、味方が殺されるのを黙って見ていられ――」とマリス。


「出るなと言ったはずだ、マリス!!」

 アンジャリの足も止まる。

 通信機を割らんばかりのカイの怒号。  

 その直後、アスラは敵第八艦隊の外郭、駆逐艦『コブラ』の目鼻の先へと踊り出た。


「破壊神というものを……、見せてやる」


 カイはフットペダルをミリ単位で弾き、アスラの重心を虚空へと投げ出した。  

 たった一機の漆黒のシュテルツァーが、十一の艦隊という「絶望」を相手に、不可能を可能にする神の舞を開始した。


 カイはフットペダルを蹴り、目前の艦隊の外郭を担う重巡洋艦の巨大な船体の影に滑り込んだ。

 背後からは、アスラを追尾する無数の有線誘導魚雷と、上空から降り注ぐ二〇ミリ砲弾の嵐。


 だが、アスラが重巡洋艦の喫水線ギリギリを、摩擦火花を散らしながら疾走した刹那――。

 アスラを狙って放たれた後方の戦艦からの主砲弾が、目標を見失い、そのまま重巡洋艦の機銃砲座へと吸い込まれた。


「直撃!艦橋下部!重巡レオナルド、味方の斉射により大破!」

 混信した無線から上がる、AAU兵士の絶叫。


 カイの狙いは、そこにあった。

 彼は常に、敵の砲門の「射線」を重ね合わせていた。

 一隻の駆逐艦の懐に飛び込めば、その背後にいる巡洋艦は射線を遮られ、焦燥から放たれた砲撃は、アスラを通り抜けて前方の味方の艦尾を叩き潰す。

 敵が「数」を頼りに弾幕を厚くすればするほど、その弾丸はカイを捕らえる前に、互いの鋼鉄を削り合う『物理的な共食い』へと誘われていくのだ。


「次は、貴様らだ」


 カイの視界には、海面下で蠢く無数の潜水艦の航跡と、水平線を埋め尽くす巨砲の砲列。  

 人類最高峰の技術と、一人の男の執念が、今、神話の領域へと踏み出した。


 海面を滑走する『アスラ』の背後には、数千度の高圧プラズマと海水が激突して生じる「死の白煙」が、巨大な壁となってそびえ立っていた。


 カイ・イサギの脳細胞は、すでに人間としてのリミッターを焼き切っていた。  

 目視とソナーのみが支配する戦場。

 だが、カイの網膜に映るのは物理的な光景ではない。

 弾道の「糸」、海中の「鼓動」、そして敵の「恐怖」という名の情報の潮流だ。


 カイはフットペダルをミリ単位で弾き、アスラを急旋回させた。  

 第五十一艦隊外郭、駆逐艦『パイソン』。

 その側舷、わずか数十センチをアスラのローラーが駆け抜ける。    

 ガシュゥゥゥンッ!!  

 パイルバンカーが走り抜けながら撃ち込まれる。

 カキーン

 リロードが終わる時には『パイソン』は、艦を傾斜させながら勝手に転回して、AAU駆逐艦『ロッキー』の右舷に突き刺さっていた。

 それを目撃していた僚艦『ニューランド』の右舷後方から零距離で放たれた144mmライフルの連射。

 ドン!ドン!ドン!

 弾丸は正確に敵駆逐艦の喫水線を貫通し、カイがやや下に向けた射撃は、そのまま海面下で蠢く三隻のAAU潜水艦のセイルを、連続で叩き潰していった。  

 耐圧殻を貫かれた潜水艦が、悲鳴のような泡を吹いて深海へと没していく。    

 アスラは止まらない。

 カイは海面と自機のプラズマガスの「歪み」を、0.01ミリ秒単位の重心制御でねじ伏せ、敵の放つ20mm機関砲の火網を「縫う」ようにして、第二艦隊の心臓部へと肉薄した。


 空中で機体をひねり、脚部スラスターの指向性を一点に集中。

 急降下の重力加速を乗せたパイルバンカーが、重巡洋艦の主砲直上を物理的に粉砕し、内部主砲弾薬庫が誘爆する。

 カキーーン

 熱く焼けたパイルバンカーの空薬莢が、ついでに艦橋を瞬時に灼熱地獄に変貌させる。

 AAU側の円形陣が、物理的に「悲鳴」を上げた。  

 たった一機の、それも目視すら困難な高速移動体に翻弄され、巨大な戦艦たちは互いを誤射することを恐れて砲塔を迷走させる。  

 カイはその「迷い」を、文字通り踏み台にした。


「あと、半分!」


 海面を再跳躍したアスラが、空中で身を翻す。  眼下には、急速潜航を開始し、着地点を狙って魚雷を放とうとしていた第三艦隊随伴の潜水艦群。  

 カイは直下に向けたライフルのトリガーを引く指を止めない。  

 ドン!ドン!ドン!ドン!

 海面に半ば没したセイルを次々と撃ち抜き、即座に浮上不能の鉄の棺桶へと変えていく。

 隣を通りすがり際に、四連装魚雷発射管を向けていた駆逐艦の脇腹にパイルバンカーが刺さる。

 ボォォォォォォォォン……ッ!!

 魚雷発射管が根元から外れ、駆逐艦上に転がった魚雷が即座に誘爆する。

 そのパイルバンカーの逆スイングに合わせてマンガニス推進器を全開。

 その反動エネルギーをすべて加速に変換し、カイはさらに奥、第三艦隊の旗艦へと突っ込んだ。   敵主力戦艦の巨砲が、至近距離で火を噴く。  だが、カイはその爆風すらも「帆」として利用した。

 やや体を傾けた機体を爆風に預け、物理的にあり得ない角度で海面をスライドしながら、144mmライフルの残弾を敵の魚雷発射管へと叩き込む。

 ドォォォォォォォォォォンッ!!!  

 誘爆。

 魚雷の爆発が火薬庫へと連鎖し、数万トンの鋼鉄が、巨大な獣の断末魔のような音を立てて真っ二つに裂けた。    

 気づけば、アスラの周囲には自らの流した重油の虹色と、原型を留めぬ鉄屑の海に沈んでいたAAU艦しか見えなかった。

 だが、その代償は、徐々にカイの身体に、アスラの機体に刻まれていく。

 バシュゥゥゥンッ!!    

 不意に、アスラの左肩部がAAU駆逐艦の接射を受け、装甲が肉を削ぐように剥がれ落ちた。

 コクピット内には、過熱した冷却系の悲鳴と、火花散る電気系統の焦げた匂いが充満している。

 何処からか弾け飛んだボルトは、弾丸の如くカイの左眼に突き刺さる。

 カイの右眼も、額から流れる血でどす黒く染まっていた。

 アスラは、誰から見ても限界が近いのが分かるほどの、黒煙を吐いていた。 


「カイ少将! もう……もう限界ですわ! 出させてくださいませ!」  

 マリスの、涙に濡れた叫びが無線を叩く。


「……まだだ。まだ、足りない」


 カイは吐血を飲み込み、残る艦隊の円形陣のド真ん中へと、さらに深く、深く踏み込んでいった。  

「出るな……。まだ……まだ早い……」


 狂ったように砲撃する敵艦隊。

 巨大な水柱が舞う中、カイは操縦桿の親指スイッチを叩き込んだ。

「ミサイル、射出!」  

 肩部ミサイルパッドから4発の有線誘導ミサイルが、海面数センチを這うように射出される。

 そして基部パッドは、即パージされ身軽になる。

 カイは指先でワイヤーを操り、左右に展開する二隻の駆逐艦の喫水線へと同時に突き刺した。  

 ドォォォォォォォッ!!  

 両舷で上がる絶望の火柱。

 喫水線に着弾した駆逐艦は二隻とも支え合うような形に傾斜し、お互いの艦橋を破壊し合いながら姿勢を崩していく。

(何処かで見た光景だ)

 カイは極限の戦闘の中、一人、クスリと笑う。

 敵の動きが全てスローモーションのように見えていた。

 弾丸さえ知覚出来そうな、神の機動。 

 死の淵に得た、神の領域であろうか?

 アスラはその崩れゆく二艦の間を疾走する。

 海面下に影、帝国潜水艦だ。

「逃がすか!」  

 カイは144mmライフルを走行しながら一発。

 ドン!

 深度40mにつけていた潜水艦の艦橋セイルを、正確に撃ち抜く。

 耐圧殻が弾け飛び、潜水艦は泡を吹いて沈降して深海へと消えていった。

 さらに海上で身を翻したカイの視界に、魚雷装填中の駆逐艦数隻が映る。  

 カイは急降下のベクトルを調整し、脚部スラスターの指向性を一点に集中。

 並走しながら、順番に駆逐艦の魚雷発射管をライフルで狙い撃った。  

 ドン!ドン!ドン!

 チュドォォォォンッ!!  

 魚雷発射管の誘爆。

 続いてさらに大きな爆発音が続く。

 ドゴオォォォォォォォォォォォォン!!!

 ほか二隻の魚雷の爆発が弾薬庫へと連鎖し、駆逐艦の船体が真っ二つに折れ、爆煙の中に消える。

 ドンッ!  

 アスラの胸部が被弾し、装甲が肉を削ぐように剥がれ落ちた。

 続いて右脚のスラスターが爆ぜ、姿勢制御が悲鳴を上げる。  

 冷却ファンから吹き出す黒煙。ひび割れた装甲窓。

 カイの視界は、額から流れるどす黒い血で塗りつぶされようとしていた。


「わたしも出ます!カイ少将、もう機体が……! 冷却系が限界です!」

「……待て。……まだだ……っ!」


 何度目かの出撃要請を怒号で却下し、カイは最後の一発となったパイルバンカーを、目前の戦艦の主砲塔基部へと叩き込んだ。  

 しかしながら、吹き飛んだ主砲がアスラの左脚をもぎ取りながら吹き飛んで行く。

 そして、その瞬間、アスラの機体各所から火の手が上がる。

 十一の艦隊すべての砲門が、この「漆黒の悪魔」一点に集中していた。

 全ての艦の艦橋がカイから見える。


 残存する艦隊、残る敵全艦艇の砲塔、そして全乗員たちの眼差しが、磁石に吸い寄せられる鉄粉のごとく、ただ一点――満身創痍の黒き機体『アスラ』へと釘付けになった。

 その瞬間を、カイの脳細胞は見逃さなかった。


「……ここだ」


 カイは、ひび割れたフットペダルを全力で踏み抜いた。

 キィィィィィィィィン!!  

 左脚を失い、冷却系が剥き出しになったアスラが、断末魔の咆哮を上げて海面を蹴る。

 それは飛翔と呼ぶにはあまりに無骨で、しかし執念に満ちた「瀕死の跳躍」だった。


 高度三十五メートル。  

 空中へ投げ出された機体各所から、過負荷に耐えかねた回路が火花を撒き散らし、黒煙の尾を引く。

 重力に逆らうその一瞬、カイの視界の中で、世界が静止した。


「全弾、くれてやる……!」


 カイは操縦桿を叩き、全方位への無差別精密射撃を開始した。  

 ドン! ドン! ドン! ドン!  

 一四四ミリライフルの重い咆哮が、狂気的なリズムで戦場に響き渡る。

 放たれた弾丸は、重力も風も、マンガニス粒子の干渉すらも超越していた。

 それらは吸い込まれるように、残存する艦艇の「艦橋」を、一隻また一隻と正確に、無慈悲に粉砕していく。


「馬鹿な、あんな姿勢から……!」

「 撃て、撃ち落とせッ!!」


 AAUの指揮官たちが絶叫する。

 だが、その叫びは次の瞬間、艦橋を貫く鉄塊によって肉片へと変えられた。  

 脳を失った巨艦たちは、パニックに陥り、盲目的に面舵や取舵を切り始めた。

 ある艦は全速力で回頭し、隣の随伴艦の船腹に牙を剥く。

「退け! ぶつかるぞッ!」

「撃つな、味方だ!!」  

 無線機越しに飛び交う罵声。

 衝突し、鋼鉄同士が削れる凄まじい轟音。

 無敵を誇ったAAU艦隊の誇りは、たった一機の跳躍によって、醜い「自壊」へと追い込まれた。


「……あとは、頼む……」


 空中ですべてを撃ち尽くしたアスラは、糸の切れた人形のように、落下に近い速度で海面へと叩きつけられた。  

 着水の衝撃。

 もはや機体を支える推力は残っていない。

 アスラは慣性のまま、味方駆逐艦『水風』の左舷へと激突するように接舷した。

 救助活動が始まる。

 しかしながら、すでに、半分以上露出していたコクピットからは「人ではない、赤くて黒いボロ雑巾のような何か」が引き摺り出されたようにしか見えない。


 キィィィィィ……。  

 過熱したハイブリッドファンが、消え入りそうな弔鐘を鳴らす。

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 カミラの絶叫が、モニターで戦況を見ていた第41大東亜エウロ特務艦隊の全クルーの涙の堤防を破壊した。

 カミラが瞬時に立ち直る。

 涙は止まるはずがない。

「リヴァイアサンコントロール了解、了解です!少将……増強第三小隊、出撃してください!!少将の作ったチャンスを……お願い!」


 三姉妹はすでに愛機にスタンバイしていた。

「――お姉さま……カイは」

「このチャンス、決して無駄にはしない!いくわよ!クラーケオス、アンジャリ・サマセット出る!」

「マリス・アイスグリム大尉クラーケン、出撃ですわ」

「エルザ・アイスグリム大尉、ケートス。皆殺しよ。出る!」


 救助活動は続いている。

 カイの身体は衝撃で四肢が歪み、握りしめた操縦桿には、彼の剥がれた皮膚が、焼き付いた手袋ごと張り付いていた。  

 だが、その男が作った「数分間の奇跡」によって、敵の喉元は完全に剥き出しになっていたのだ。


 三姉妹の叫びが、海面を裂いて響き渡る。

 クラーケオスを筆頭とした三機が、涙を、怒りを、そして圧倒的な殺意を乗せて、静まり返った海面を蹴った。


 カイが命を賭して作った「空白地帯」。  

 そこへ滑り込んだ増強第三小隊は、混乱の極致にある敵艦隊を、今度は自分たちが蹂躙する番だった。  

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