第84話 自由が死んだ日
「軍の無線を、市民が……?」
大和の艦橋に、マリア少尉の困惑した声が響き渡った。
カイ・イサギ少将は、双眼鏡を置き、鋭い視線を通信席へと向けた。
横に立つシリチャイ大将の表情も、一瞬で険しいものに変わる。
「……マリア少尉、スピーカーに繋げ。内容を確認する」
シリチャイの静かな、だが重い命とともに、ノイズ混じりの音声が艦橋に流れた。
『……けて……誰か、助けて! 撃たないで、私たちは武器なんて持ってない!』
ガァァァァァン!
『……リチャードソン知事が殺された! 軍が、軍が私たちを撃っている! 広場が血の海だ!』
タタタタタタタタ!
『パパ! パパ起きて! ……ああ、神様、妹まで……!』
トトトトトトトト!
ガン!ガン!
それは軍事的な暗号でも、宣戦布告でもなかった。
絶叫、嗚咽、そして断続的に響く銃声と、背景に流れる民衆の怒号。
メドム駐留軍の回線を使用しているにもかかわらず、聞こえてくるのは阿鼻叫喚の地獄絵図そのものだった。
「……リチャードソン知事が、殺されただと?」 カイが呟く。
メドム島知事が市民への降伏を説こうとしていたという情報は、潜入していた工作員からもたらされていた。
だが、軍が自国民に対してここまでの暴挙に出るとは、百戦錬磨のカイにとっても、シリチャイにとっても、想定外の事態だった。
「リヴァイアサンコントロールより各機、増強第三小隊。……聞こえるか」
シリチャイがマイクを掴む。
その声には、怒りを押し殺した冷徹な響きがあった。
「メドムで内乱、あるいは軍による大規模な虐殺が発生した。……AAUの連中は、自らの手で『白真珠湾の門』を血で塗り潰したようだ。先行して揚陸地点を確保。暴動や虐殺なら手を出すな。憲兵隊を派遣する。油断するな」
「アルファ(アンジャリ)了解」
水中を進行中だったアンジャリ、マリス、エルザの三人は、シリチャイの指示に緊張する。
「……味方を、それも市民を撃っているっていうの!? 冗談じゃないわよ、そんなの……!」 アンジャリの声が震える。
五日前に自分たちが守れなかった八州の人々の姿が、今、メドムで起きている惨劇と重なる。
『お姉さま……。わたくし、胸騒ぎがいたしますわ。……これはもう、戦争ではありませんわね。ただの狂気です』
マリスの、いつものおっとりした響きが消えた、冷たい声。
『……許せない。人殺しは、あいつらの方じゃないか! 市民を撃つなんて、絶対に許さないんだから!!』
エルザの叫びが、通信回線を通じて悲痛に響いた。
「二人とも落ち着いて。状況が不安定な以上、私が先行して偵察する。あなた達二人は何かあったら援護して頂戴」
「「了解」」
一九八四年五月二十三日、午前十一時。
ホルノルの海岸線。
揚陸戦艦『大和』から発進した増強第三小隊の三機は、海岸から50m地点で停止する。
そして、クラーケオスが砂飛沫を上げながら波打ち際へと這い上がった。
「……抵抗がない? どういうことですの?……お姉さま、気をつけて!」
マリスは、クラーケンの潜鏡越しに映る、不気味なほど静かな砂浜に戦慄した。
本来なら、コンクリート造りのトーチカから機関銃の猛射が浴びせられるはずの場所だ。
だが、銃座には人影もなく、ただ波の音だけが虚しく響いている。
「アルファより各機。……揚陸地点、クリア。迎撃部隊は確認できないわ。マリス、エルザ、油断しないで。私と援護距離を維持しながら前進」
『承知いたしましたわ、お姉さま。……ですが、この空気。潮の香りに混じって、嫌な匂いがいたしますわね』
マリスのクラーケンが、重厚な金属音を立てて砂浜を踏みしめる。
『わたしも、誰も見つけられないよ! ……ねえ、みんな、どこに行っちゃったの?』
三機が市街地へと足を踏み入れた瞬間、その「嫌な匂い」の正体が明らかになった。
惨劇の痕跡。
広場には血溜まりが乾き、軍服を着た者も、民間人も、魂を抜かれた抜け殻のように座り込んでいた。
ある者は力なくライフルを放り出し、ある者は家族の遺体を抱いて、ただ虚空を見つめている。
「アルファ(アンジャリ)から、リヴァイアサンコントロール!虐殺よ!AAUの、自国民に対する虐殺です!」
「大和コントロールより各艦! 大東亜第三十八歩兵師団、エウロ第八四一装甲擲弾兵師団、大東亜第五憲兵大隊直ちに上陸を開始せよ!内乱、若しくは軍による自国民の民衆虐殺の可能性。暴徒鎮圧装備で揚陸せよ」
「全艦、第一種戦闘配備。……カイ少将、ここは歩兵部隊に任せたまえ。シュテルツァーの出番では無い」
シリチャイの言葉と共に、揚陸戦艦『大和』のエンジンが唸りを上げた。
シリチャイ大将の号令が、無線越しにアンジャリの耳に届く。
揚陸巡洋艦、輸送艦のそれぞれのランプドアから、大東亜連邦の揚陸トラックと、ボルトアクション式のライフルを構えた兵士たちが雪崩れ込んだ。
だが、彼らが目撃したのは激しい市街戦ではなく、崩壊した軍隊の末路だった。
「……武器を捨てろ! 両手を挙げろ!」
憲兵隊の叫びに対し、AAUの兵士たちは抵抗する気力さえ見せなかった。
彼らの多くは、昨日の暴挙によって自らの「軍人としての誇り」を既に失っていた。
手垢に汚れたライフルを放り出し、力なく膝をつく者。
自ら手首を差し出して拘束を待つ者。
マクスウェル大佐率いる駐留軍は、外部からの攻撃を受ける前に、自国民を手にかけた罪悪感という毒によって、内部から完全に瓦解していたのだ。
「憲兵隊よりシリチャイ司令へ。……ホルノル市内、ほぼ全域の鎮圧を完了しました。軍関係者は即座に身柄を拘束、隔離します。……報告します。組織的な抵抗は、一切ありません」
アンジャリは、コックピットの中で震える手で操縦レバーを放した。
メドムは落ちた。
だが、そこにあるのは栄光の奪還ではなく、狂気の後片付けという、あまりにも悲劇的な幕切れだった。
広報官ユイ軍曹は、まだ焦げ臭い硝煙の漂うホルノルの街に降り立った。
隣では、カメラ担当のユキ軍曹が、重量のある16ミリカメラを担ぎ、冷徹なレンズを街の惨状に向けている。
「……ユキ、回して。まずはあの広場からよ」 「了解。……録画開始」
ファインダー越しに映し出されたのは、昨日まで「楽園」と呼ばれた場所の成れの果てだった。
大東亜連邦のプロパガンダ映像。
通常であれば、それは「英雄の帰還」や「解放の歓喜」を映し出すべきものだ。
しかし、ユイが作り上げようとしているのは、AAUという国家の精神的自殺を記録した、凄惨なまでの「告発状」だった。
「……現在、私たちはホルノル市中央広場に立っています」
ユイは、カメラの前で静かにマイクを握った。
背景には、大東亜の憲兵隊によって武装解除され、泥水のように地面に座り込むAAU兵士たちの列。
そして、その向こう側で、絶望に暮れる遺族たちの嗚咽が響いている。
「聞こえるのは、勝利の凱歌ではありません。自らの市民に銃口を向け、引き金を引いた兵士たちの、魂の抜けた状況です。見てください、この壁を。ここには自由を叫んだ知事の血が、そして彼を信じた市民たちの命が刻まれています」
弾痕と飛び散る血痕、ごく少量の何かしらの人間の破片。
ユキのカメラは生々しい痕跡残る演壇の壁をなめるように映し出し、そのまま、力なく転がっている幼く、母親について回るであろう年頃の少年の赤くなったスポーツシューズをアップで捉えた。
「ユイ軍曹、リヴァイアサンが来ます!」
ユキの鋭い声。
画面の端から、砂塵を巻き上げて巨大な「影」が近づいてくる。
アンジャリのクラーケオスだ。
その巨大な金属の脚が、虐殺の跡地である石畳を、祈るような静けさで踏みしめる。
アンジャリは、機体からハッチを開け、その身を半分ほど乗り出して敬礼をすると、通り過ぎる。
「……私たちは、戦いに来ました。しかし、救うべき命が自らの守護者によって失われるのを止めることはできませんでした」
ユイの声が、カメラの録音テープに刻まれていく。
「AAU軍部は、非情にも自国の民衆を虐殺したのです。その数、市民の死者四千三百名、AAU軍・軍属の死者二百四十八名。負傷者は現在まで二万人を超えます」
ユキがカメラを止め、静かにレンズを拭った。その手は、隠しようもなく震えていた。
「……ユイ。これ、本国で流したら、みんな泣きますよ。検閲通るかな」
「それでいいのよ、ユキ。……私たちの仕事は戦意の高揚の為の、捏造した演劇を取ることじゃ無いもん。真実の追求よ」
大東亜広報部により、より悲しみが増す様に編集され、後に世界へ放流されるその映像のタイトルは、皮肉を込めてこう名付けられた。
――『メドム:自由が死んだ日』。
それは、AAUという大国の背骨を、アムムトの背骨以上に激しく軋ませるのであった。
大東亜・エウロ連合広報部が世界へ放流した『メドム:自由が死んだ日』は、単なる悲劇の記録ではなかった。
それは、AAUと帝国連合の「偽りの絆」を内側から腐らせる、高度に計算された精神的腐食弾だった。
八州のテレビ塔、そしてゲルマーの議事堂。 映像を見た国民たちは、悲しみに暮れる以上に、「自分たちが支援している軍隊の、絶対的な優位」を確信した。
「AAUは終わった。自国民を撃つ軍隊に、我々と戦う資格はない」
エウロ欧州連合の首脳陣は、大東亜の統合参謀本部に極秘電文を送った。
内容は人道支援ではなく、「AAUの兵站を、この混乱に乗じて完全に断ち切るための経済的封鎖の最終合意」。
ここ、メドムを落とせば世界の三割とも言われるサルガナス大海は、連鎖的に大東亜エウロ連合軍の手中に落ちる。
AAUは、補給を維持する兵站線、防衛線は、ここメドムが無くしては維持しようが無いのだ。
アンジャリがクラーケオスのハッチから敬礼をしたあの「一秒」が、エウロの投資家と政治家たちに「大東亜との同盟と、友情的派兵は正解だった」と決断させる、決定的な投資材料となったのだ。
両ブロックの株価が、飛躍的な上昇を見せる。
彼らにとって人道とは、勝利を確定させるための「最高級の潤滑油」だった。
一方、AAU参謀本部の空気は、もはや墓場そのものだった。
モニターの中で、幼い少年の赤い靴が映し出される。
それを直視できない幕僚たちに対し、総参謀長は狂ったように笑い声を上げた。
「……マクスウェルの馬鹿めが。殺すなら全員殺して、映像など残さぬよう街ごと焼けばよかったのだ。中途半端に『鎮圧』などという言葉を使うから、劣等種の東洋の工作員なぞに隙を与えた!」
彼は怒鳴り散らしながら、同盟相手である「帝国」の連絡官に詰め寄った。
「貴公らが供与したシュテルツァーの技術はどうした! 名だたるエースたちはどこに行ったのだ!東大東亜なぞで遊んでる暇があったら、全部まとめてぶつけたらどうなのだ!リヴァイアサンなど上陸前に沈められただろうが!帝国は我々との友情を切られたいのか?!」
AAUの怒声を受け流す帝国の連絡官の目は、氷のように冷たかった。
彼らにとってAAUは、帝国の再興を果たすための「金庫と工場」に過ぎない。
その金庫が暴走して主人の言う事を聞かないなら、もはや使い続ける必要は無い。
「……総参謀長。技術を使いこなせなかった無能を、道具のせいにするのは見苦しい。それに、我らの指示を聞かずにロケット戦艦を敵首都直撃など、愚かさの極みです。我が帝国は、これ以上の技術供与を停止させてもらう」
「何だと!? 今これを見捨てれば、メドムは!サルガナス大海は!完全に大東亜の手に落ちるぞ!」
「構わん。メドムなど、もはやマンガニスの粉塵に汚れたただの岩塊だ。我々はAAUのオシメをこれ以上拭う義理は無い。我々の高度な技術を、全く使いこなせない無能な貴様らとの同盟は最早、無意味だ」
帝国の連絡官は「本国の指示の元」、使い物にならないAAUを「使えないゴミ」として切り捨てる。
AAUは、大国の威信をかけて、大東亜エウロ欧州連合同盟に苛烈な攻撃をするはずだ。
何故ならば、そうしないと「AAUの政治が最早持たない」からだ。
今の帝国のアエテルナ大陸中央部には、AAU資本であった、マンガニス鉱山と、シュテルツァー工場が順調に稼働を続けている。
AAUが盛大に壊れていく間に、帝国は再び世界の覇者たる力を取り戻せるはずであった。
帝国は、AAUという国そのものを「囮」として使い捨て、自らの誇りと復讐を果たすためだけの独自行動にシフトしたのだ。
AAUの参謀本部に詰めていたAAU軍部の最高頭脳たちは、自分たちが信じていた同盟相手が、実は自分たちの破滅を冷淡に計算していたことを、この時初めて悟ったのである。
映像のタイトル『自由が死んだ日』が指していたのは、メドムの市民だけではない。
それは、AAUという国家の「自立」が死に、帝国という名の寄生虫に食い荒らされた末の、無惨な死を意味していた。




