第82話 AAUの威光
一九八四年四月二十日。
マンガニスの赤錆びた粉塵が重く垂れ込める北サルガナス大海で、AAU帝国臨時混成第十一艦隊司令、アンソニー・ウィズロー少将は、旗艦の艦橋でひとり、黒く濁った海を見つめていた。
ウィズローは、手元の時計を確認した。
我らは歴史を動かした。
大東亜の薄っぺらな警戒網を、亡霊のごとくすり抜け、連中の心臓部である首都八州の目鼻の先へと滑り込んだのだ。
「……あんな劣等種どもが、世界の覇権を口にするなど笑わせる」
ウィズローは低く吐き捨てた。
部下たちの多くは、軍事基地を叩く任務だと思い込んでいる。
だが、そんな甘いものではない。
五日前の深夜、漆黒の空を切り裂いたのは、八州の都市そのものを、そこに住む数百万の命ごと焼き尽くすための無差別ロケット砲火だ。
距離3800。
三十分の投射、三十分の冷却と再装填。
それを三時間繰り返す予定だった。
あの夜、水平線の向こうで夜空が真っ赤に染まったのを、ウィズローはこの目で見た。
――「敵艦影! 探照灯!」
不意に現れた巡洋艦隊の影。
第一射の終わり際、発射炎を嗅ぎつけられたときは、流石に心臓が跳ねたが、それも今は昔だ。
第一射しか出来なかったが、敵には大きな打撃を与えたはずなのだ。
即座に、ロケット砲弾補充懸架を海中に投棄して、反転帰投する。
「首都の民間人を無差別に焼き払ってやった」のだから大東亜の防衛網も下がるはずだ。
「……急速反転から五日。ようやく、メドムの『壁』が見えてきたか」
艦橋の窓の向こう、霧の奥に、AAUの難攻不落の要塞島、メドムの輪郭がうっすらと浮かび上がる。
振り切った。
大東亜の奴らは今頃、燃え盛る都を前に泣き叫んでいるだろう。
気分が良い。
これを繰り返せば物資も油も尽き、あがき疲れた果てに我がAAUの足元に跪くのだ。
同盟相手のエウロとて、火だるまの東洋人などすぐに見捨てる。
帝国にゲヘナ大陸の主権を返してやれば、エウロ欧州連合は蛇に睨まれた蛙も同然、身動き一つできまい。
「司令、間もなく入港します」
通信士の声に、ウィズローの口角が歪んだ。
「ああ。入港したらすぐに、本国からの新聞を取り寄せろ。東洋人がどれほど無様に焼けたか、一字一句噛み締めてやりたい。……それと、最高級のステーキと、凍るほど冷えたビールも用意させろ。ビーチバーベキューガーデンを貸し切るんだぞ」
「「ハッ!」」
五日前の戦果を祝うには、肉を喰らい、酒を煽るのが一番だ。
まさか、自分たちの背後から、怒りに燃える『大和』が、そして故郷を焼かれた怒りで怒り狂っている「破壊の神」たちが迫っているなど、ウィズローは露ほども疑っていなかった。
幕僚の一人が「提督、おめでとうございます。メドムにつけば英雄の凱旋ですな。パーティーに、受勲。忙しくなりますね」と、さっそくおべっかを使いすり寄る。
「当然だ……栄光は、常に我らAAUにある」
遥か遠く、メドムの要塞が見える。
そこは安息の地で、歓呼の声に包まれる英雄が降り立つはずの場所だ。
一九八四年四月二十日、午前七時十分。
メドム沖。
メドムまでの残り三日の海域は、重苦しく粘りつくような粉塵の霧に支配されていた。
視界はわずか二キロメートル。海と空の境界は消え、ただ灰色の沈黙が揚陸戦艦『大和』を包み込んでいる。
「大和より各艦、減速、第一船速。……機関出力を絞れ。余計な音を出すな。海面下の『耳』を研ぎ澄ませろ」
カイ・イサギ少将の目には、敵影が見えた気がした。
冷徹な号令が艦橋に響くと同時に、艦隊はエンジン音を最小限にまで抑制し、霧の中の幽霊へと姿を変えた。
その直後、随伴する駆逐艦から有線暗号による緊急報告が、カイの手元の受話器に飛び込んできた。
「入電! 駆逐艦のパッシブ・ソナー、方位〇九〇に重厚なスクリュー音を捕捉。……この巨大な固有振動、解析完了。AAU帝国混成第十一艦隊旗艦、超戦艦『アムムト』です!」
カミラ准尉が、音響モニターの波形を凝視しながら、弾むような声で補足する。
「超戦艦一、戦艦二、巡洋艦一、駆逐艦五! 敵は我々に気づいていません。必死にメドムを目指していますが……アムムトの推進軸に異常音。足が極端に遅い! 完全に、無防備な背中を晒しています!」
「……逃げ帰る途中で、足をもたつかせたか。神が与えてくれた絶好のチャンスだな」
カイは傍らのマイクを掴み、艦底部で待機する『海の女神』たちへ呼びかけた。
「増強第三小隊、聞こえるか。……獲物は目の前、完全に盲目だ。白真珠湾の門を潜らせるな。……三姉妹の力、見せてやれ」
大和の底深く、海水と重油の匂いが立ち込める発射筒内。
アンジャリ、マリス、エルザの三人は、それぞれの「海の怪物」のコックピットの中で、加圧座席に体を深く沈めていた。
「了解、カイさん。……ようやく、あの死神の首を掴む時が来たわ」
アンジャリは、オーシャン・ブルーの『クラーケオス』の計器類が静かに脈動するのを確認し、深く息を吐いた。
『お姉さま。わたくしのクラーケン、調子が最高に良いわ。……あの方々には、冷たい海の底でお休みいただきましょう』
マリスの、軍人としての冷徹さを宿した穏やかな声。
『エルザのケートスも準備万端! 全弾装填も完了! 逃がさないよ、あんなバケモノ!』
「エルザ、味方艦隊の近くではトールハンマー使わないでね。1000m以上よ」
「もっちろん!」
「増強第三小隊、注水開始!」
アンジャリの鋭い号令と共に、発射筒内に外海の水が轟音を立てて流れ込む。
ゴォォォォ……ッ!
機体を支えていたクランプが外れ、巨大な浮力がクラーケオスの装甲を揺さぶった。
「懸架索解除、……発艦せよ!!」
ドォォン!
瞬間的な高圧水流に押し出され、三機は大和の巨体の下から深淵へと躍り出た。
泡の中に消えていく母艦の影。
ここからは、ソナーの音だけが頼りだ。
海は黒く、視界は狭かった。
「水深三十。全機、音響吸収泡展開。……音を殺して、アムムトの真下へ潜り込むわよ」
アンジャリのモニターに、敵駆逐艦が放つソナー探信音のノイズが走る。
「……ネズミ(駆逐艦)たちが必死に周囲を探っているわね。マリス、随伴の巡洋艦を牽制。駆逐艦にソナーを使わせないで」
『承知いたしましたわ。……クラーケン、先行します。……』
続いて、アンジャリは目標の巨体――『アムムト』の艦底へと肉薄した。
メイン・モニター一杯に、鋼鉄の山のような底板が迫る。
「捕まえたわ……! アビス・ホールド、起動!!」
ガギィィィンッ!!!
クラーケオスの八本の脚が蜘蛛のように広がり、アムムトの艦底を深く穿つ。
凄まじい衝撃音。天地が反転し、アンジャリの体に猛烈なGが襲いかかる。
「くっ……、あぁぁぁ!! 折れろ……、死神……ッ!!」
アンジャリがクランクレバーを引き絞る。
海上の霧の向こう、無防備にメドム港を目指していたアムムトの巨体が、艦底から突き上げられた衝撃で激しく震え始めた。
クラーケオスのメイン・モニターに、アムムトの広大な艦底の亀裂が映し出された。
数万トンの自重を支えるその鋼鉄の腹は、本来ならば難攻不落の城壁であるはずだった。
だが、アンジャリが「アビス・ホールド」を突き立てた瞬間、手応えは予想を裏切った。
「……? 手応えが、軽すぎる……!」
ガリ、と嫌な音がコクピットに響く。
重厚な装甲が、まるで薄いブリキ細工のように、アンジャリの八本の脚の下で無残にひしゃげ、めくれ上がったのだ。
あの凄まじい数のロケット弾と、その発射機構という過剰なまでの「武装」を詰め込むため、ギリギリまで減らした船体の艦厚。
アムムトの船体構造は、自重を支えるだけで限界点に達していたのだ。
「自重に耐えるのが精一杯だったというわけね……! ならば、引導を渡してあげるわ! スキュラバイト、臨界駆動!!」
アンジャリがレバーを引き絞ると、クラーケオスの脚が艦底を内側へと握り潰した。
メキ、メキメキバキィィィィィンッ!!!
数万トンの鋼鉄が、自身の重みに耐えかねて「自壊」を開始する。
折れた底板から、濁流のような海水がアムムトの深部へと流れ込んだ。
五日前の深夜。
八州へのロケット投射は、敵巡洋艦隊に察知されたため第一射で切り上げざるを得なかった。
離脱時の強引な「緊急最大戦速」は駆動系に深刻な過負荷を与えたが、三十分の投射でも戦果は十分と言えた。
数百万の劣等種が蠢く王都を火の海へ変え、連中の戦意を根底から叩き潰してやったのだ。
何より『首都直撃』という心理的打撃は、いかなる物理破壊をも凌駕する。
ウィズローがその栄光の未来に陶酔していた、まさにその時。
海面下、水深三十メートルから、アンジャリ、マリス、エルザの三姉妹を乗せた「海の怪物」たちが、音もなくアムムトの真下へと滑り込んでいた。
――ガギィィィンッ!!!
「ぬおっ!? なんだ、今の音は!」
艦橋が激しく揺れ、ウィズローがよろめく。 雷撃の爆発ではない。
巨大な「何か」が艦底を力任せに掴み、鋼鉄を引き裂くような、聞いたこともない不気味な衝撃音。
『司令! 艦底に複数の金属反応! 磁気吸着……いえ、何かが艦を「抱え込んで」います!』
「何だと!? 潜水艦の体当たりか! 報告しろ!」
ウィズローが絶叫するが、答えは言葉ではなく、アムムト自身の「断末魔」として返ってきた。
メキ、メキメキ……バキィィィィィィンッ!!!
「ひっ……!? 床が、盛り上がって……!」
ウィズローの足元で、厚い圧延鋼板の床が歪な音を立てて「く」の字に折れ曲がっていく。
超弩級ロケット砲戦艦アムムト。
三千八百発ものロケット弾を積載するための広大な空洞、その自重を支えるだけで限界だった脆弱な背骨を、アンジャリの駆るクラーケオスが「スキュラバイト」で内側から握り潰したのだ。
AAUの士官たちにとって、旧帝国の遺産である対艦シュテルツァーなど、存在すら知る由もない空想の産物であった。
「馬鹿な……、折れるだと!? 我がアムムトがッ!」
メドムの英雄としての凱旋、ステーキ、そして冷えたビール。
それらは、二つに裂けた船体から噴き出した重油と火炎の渦に消えた。
ウィズロー少将は、衝撃で艦橋の壁に叩きつけられながら、窓の外に一瞬だけ躍り出た「青い八本の鋼脚」に言葉を失った。
「潜水艦でも、機雷でもない……。なんだ、あの怪物は……!」
彼は歪んだ艦橋から滑落し、絶望的な浸水と爆発を繰り返すマンガニスエンジンの深淵へと、その野望ごと吸い込まれていった。
『お姉さま、あの方はもう、浮いていることすらお辛そうですわね……』
マリスのクラーケンが、逃走を図る巡洋艦の喫水線下を、対艦刺突槍で易々と貫通させた。 ――ドシュゥゥゥッ!!
超空洞現象を伴う槍が、巡洋艦の横腹に巨大な風穴を開ける。
一度突き刺されば、あとは海圧が勝手に鉄の巨獣を深海へと引きずり込んでいく。
「逃がさないよ!」
エルザのケートスが海面へと躍り出た。
粉塵の霧を突き破り、五十メートルの跳躍。
逆光の中に浮かぶその姿は、まさに死を告げる天使だった。
「シュートッ!!」
――ズドォォォォン!!!
百八十ミリのフレシェット超空洞弾が、アムムトを護衛しようと必死に回頭していた駆逐艦の艦橋を至近距離から次々に粉砕する。
制御を失った駆逐艦が、隣を進む戦艦の横腹へと激突し、火柱を上げた。
「逃がさないよ! 」
エルザの『ケートス』が、海中を時速八十ノット以上の猛スピードで滑走する。
頭部を海面から露出させ、波を切り裂くその姿は、粉塵の霧の中から突如現れる死神の鎌だった。
ターゲットは、必死に爆雷を投下して抵抗を試みる帝国駆逐艦。
だが、尋常では無い高速度のケートスの跳躍には、照準すら合わせられない。
「『八岐大蛇』、連射!吹っ飛んじゃえ!!」
――ズドォォォォン!! ズドォォォォン!!
百八十ミリのフレシェット超空洞弾が、至近距離から駆逐艦の舷側を連続して叩き切る。
一発ごとに鋼鉄の肉片が飛び散り、三発目の着弾が弾薬庫を誘爆させた。
駆逐艦は海面から浮き上がるほどの衝撃を受け、真っ二つに裂けて霧の底へ消えた。
一つの跳弾はアムムトの注排水指揮所のあった場所を、何も無い無の空間へと変貌させる。
『あら、そんなに慌てて……。足元がお留守ですわよ?』
マリスの『クラーケン』は、深海で冷徹に「獲物」の旋回を先読みしていた。
急転舵で逃れようとする巡洋艦の真下、マリスはマンガニスクリンチャーを限界まで回し、機体を艦底に密着させる。
「臨界駆動……ガジャ・クンバラナ、刺し貫きなさい」
ドォォッ! 超空洞現象を伴い、音速に近い速度で放たれた刺突槍が、巡洋艦のキールを正確に刺し貫いた。
槍先が貫いた高圧ケーブルの電撃が艦内へ逆流し、すべての電気機器を焼き切る。
「おやすみなさいませ……」
マリスが槍を引き抜くと同時に、巨大な真空の穴から海水が爆発的に流入した。
数千トンの鉄塊が、悲鳴を上げる暇もなく垂直に海中へと引きずり込まれていった。
そして、艦隊の中央。
アンジャリの『クラーケオス』は、傾斜角8を超え未だもがき続ける超戦艦『アムムト』の艦底を、八本の脚で抱きしめるように固定していた。
「もう少しね……スキュラバイト、最大出力!!」
アンジャリが操縦桿を力いっぱい左右に開き、トリガーを引き絞る。
ギィィィィィィンッ!
高周波の駆動音が、海水を介して大和の艦橋まで届くほどの音圧で響いた。
クラーケオスの脚が、アムムトの艦底を紙屑のように「外側」へと引き剥がす。
――バキィィィィィィィィンッ!!!
ついに、アムムトの船体が限界を超えた。
艦橋付近から艦尾にかけて、巨大な亀裂が走り、そこから真っ赤な火炎と重油が噴き出す。
自重でひしゃげた超戦艦は、自身の重みによって自分を真っ二つに叩き割り、壮絶な爆発と共に二つの山となって海に突き立った。
「アルファより各機。……全目標、撃沈を確認。これより、大和へ帰投するわよ」
「リヴァイアサンコントロール、司令シリチャイだ。素晴らしい活躍だ!増強第三小隊」
アンジャリは、紅く染まった海面下で、静かに機体を反転させた。
食堂の喧騒から離れた格納庫脇の通路。
マリスは、持参した小さなティーセットを折り畳み式のテーブルに広げていた。
「あら、カイ様。こんなところで、何をしておいでですの?」
マリスがふと顔を上げると、そこには手すりに寄りかかり、灰色の海を眺めていたカイがいた。
「少し、風に当たりたくてね。……いい香りだ。アールグレイかい?」
「ええ。エルザが『お腹が空いた』と騒ぐので、おやつにスコーンを焼きましたの。よろしければ、カイさんもいかが? 焼きたてですわ」
マリスが指し示した先では、エルザが大きな口を開けてスコーンを頬張っていた。
その隣で、アンジャリが呆れたように紅茶を啜っている。
「エルザ、そんなに急いで食べたら喉に詰まらせるわよ」
「だっふぇ、おねえふぁま……まひふおねえふぁまのふこーん、おいひいんだもん……」
「飲み込んでから喋りなさい。……ほら、お茶」
アンジャリがエルザのカップに紅茶を注ぐ。
その動作は、戦場での鋭い少佐の顔ではなく、年下の妹を世話する長女そのものだった。
「……平和だな、今は」
カイがマリスから差し出された温かいカップを受け取り、一口含む。
「一昨日までは、こうして落ち着いてお茶を飲む余裕もありませんでしたものね。……」
マリスが少しだけ遠くを見るような瞳で尋ねた。




