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第81話 明暗

 艦橋を支配したのは、怒号ではなく、血の気が引くような静寂だった。  

 カミラが読み上げた「八州炎上。海軍総合病院、着弾確実」の報告。

 カイはその場に立ち尽くし、ただ地図の一点を凝視していた。


「……ミナは、まだ手術が二回、残っているんだ」


 カイの呟きに、隣にいたアンジャリが息を呑んだ。  

 数ヶ月前、あんなに賑やかにお見舞いをしたあの日。

 彼女は最初の大手術を終えたばかりで、ようやく少しだけ笑えるようになったところだった。 『あと二回、頑張らなきゃね』

 そう言って、カイの手を握り返したミナの指先は、まだ震えていた。

 これから続く過酷な子宮再建手術を乗り越え、本当の意味で日常を取り戻すための、今はまだ「途上」に過ぎなかった。


「動けないんだよ。……術後の経過を待って、次の手術に備えて、ずっとベッドの上にいたんだ。一人で逃げられるはずがないだろう……」


 カイの声は、細い糸が切れる寸前のような、危うい響きを帯びていた。  

 ベルナール中将が、震える手で被害地図をさらに詳しく解析する。


「……三十分の連続投射だ。病院は中央棟から崩落。周囲では火災旋風が発生し、周辺の救助活動も……現在、停止している。……あの病棟は、その火源の、真ん中だ」


 カイは、ゆっくりと胸のポケットに手をやった。

 そこには、彼女が書いた温もりが残っているような手紙がある。  

 まだ終わっていない手術。

 まだ叶っていない、新しい家への願い。  

 それらすべてが、精密誘導さえされない、ただ「街を焼くためだけ」の鉄の塊によって、文字通り無に帰そうとしている。


「嘘だろ、ミナ……。そんなことが、あっていいのか」


 カイの膝が、がくりと折れた。  

 床に手をつき、項垂れる彼の背中が、絶望の重みに耐えかねて小さく震える。  

 守りたかった。  

 リヴァイアサンとして、大東亜の少将として、数千万の民を守る誇りを持っていた。

 だが、その根底にあったのは、ただ一人の女性が、いつか手術を終えて自分の隣で笑ってくれるという、ささやかな希望だったはずだ。


「……帝国は、あんなに必死に生きようとしていた女を……まだ手術の途中にいた人を、焼き殺したのか」

 カイが顔を上げた。  

 その瞳から、光が消えていた。  

 涙さえも、心の中に芽生えたドス黒い憎悪によって蒸発してしまったかのように。


「……大将閣下。命令を。……いや、命令ではありません。許可を」

 カイは、力なく、死体が会話をしているような無機質な声をシリチャイ大将へ向けた。


「大和を、ギルバス沖方面へ。……三番艦『アムムト』。私の未来を焼いたあいつを、見つけ出さなければならない。……このままでは、私は…………」


 大和の艦橋に、重苦しいエンジン音が響き始めた。  

 それは八州を焼く火柱への、そして、奪われた「未完の未来」への、報復の序曲の様だった。


 艦橋に、紙が擦れる乾いた音と、電信機の規則正しい打鍵音だけが響いていた。  

 カイは、司令席の端を白くなるほど握りしめ、ただ一点を見つめている。

 その掌からは、鮮血がゆっくりと滴り落ちている。

 絶望が、彼を「沈黙の幽鬼」に変えていた。

 シリチャイは、何も言えない。

 彼女は考えていた。

 カイを目覚めされる言葉、正気に戻すための言葉を。

 しかし、彼女には「そんな都合の良い言葉」は思い浮かべることが出来なかった。

 その時、暗号通信士が震える手で一通の通常電を持ち込んできた。


「参謀本部……ガバルディ少将より、カイ少将へ直通電、私信との事です!」


 カイは、力無くその紙を掴んだ。

 大東亜エウロ統合参謀本部の、兵站担当将軍が私信?

 印字された文字は、事務的な軍用電文の体裁を無視し、送り主の不敵な笑い声さえ聞こえてきそうなほどに奔放だった。


『――私電:カイ、泣き喚くのはそこまでだ。今、みっともなく部下の前で泣き喚く貴官の姿を想像するのは難くない。君の妻、ミナ少尉は無事だ。 ロケット砲戦艦の情報が軍内部に流れた瞬間、私の独断で彼女を「長河州」長河高度防衛病院へ転院させておいた。八州が焼かれる前に、彼女の病室にあった『変なモノ』と一緒に転院手続きを終わらせた。感謝しろ、この借りは高いぞ。ビールを奢れ、高いやつだ。いや、最高級のワインもだ!  追伸:私、ガバルディ大閣下より。……俺のおかげだ、忘れるな』


「…………ッ!」


 カイの喉の奥から、嗚咽とも、笑いともつかない震えが漏れた。  

 長河州、あの険しい山々に囲まれたスキーが有名な高原地帯。

 そこなら、帝国のロケット弾も、あの地獄のような火災旋風も届かない。


「生きてる……。ミナは、無事だ……!」


 カイは崩れ落ちるように椅子に深く沈み込み、顔を覆った。

 指の隙間から、熱い涙が海図の上に滴り落ちる。  

 あの数ヶ月前、ガバルディが「政治的案件だ!」と騒ぎながらも、二人の結婚式を三月にねじ込もうと奔走していた駐屯地あげての騒動の光景が蘇る。

 あの強面で皮肉屋で、日に焼けた女好きの少将は、誰よりも先に「リヴァイアサンの心臓」であるミナを、戦火の届かない安全な場所へと隠してくれていたのだ。


「ガバルディ少将……。ワインでも、蔵ごとでも、いくらでも奢ってやるしかあるまい……!」


 ソルガが、アンジャリが、そしてマリスとエルザが、顔を見合わせ、堰を切ったように安堵の声を上げた。

「さすが、ガバルディ閣下ですわ! すぐにだらしなくナンパするのに!これほど確かな仕事をしてくださるとは!」

「よかった……本当によかった…ね…!」


 マリスがハンカチを握りしめ、エルザはアンジャリに抱きついて泣きじゃくった。  

 あの時、般若の面やパイルバンカー熊に囲まれて誓った未来。

 あと二回の手術を終え、二人で家を建てるという「未完の約束」は、まだ灰にはなっていなかった。


 カイは、ゆっくりと立ち上がった。  

 その瞳には、先ほどまでの濁った殺意ではない、研ぎ澄まされた「軍人」の、そして「守るべき家族を持つ男」の光が宿っていた。


「……シリチャイ大将。ベルナール閣下」


 カイは、乱れた制服を整え、両上官に力強い敬礼を捧げた。


「お騒がせいたしました。……ミナは無事です。ですが、八州の同胞が焼かれた事実に変わりはありません。ガバルディ閣下への祝杯は、三番艦『アムムト』を沈めた後の、スター・アイルズ解放の後の、最高の美酒にするつもりです」


「……それでこそだ、カイ少将」

 シリチャイ大将が、静かに頷いた。


 大和の艦橋。

 カイは、ガバルディから送られた太平洋の補給拠点図に、太い赤線を引いた。


「南部の警戒が厳重だったにもかかわらず、八州が焼かれた。……となれば、敵は南方から回り込んだのではない。メドムから北ルートを使い、攻撃を終えて再びメドムへ戻ったんだ」


 カイの推論に、ハインリヒ・シュミットが深く頷く。

「同感です、カイ少将。アエテルナ艦隊が動けば、南方の監視網が何らかの『異音』を捉えていたはず。……八州を強襲したのはメドムに潜むあの死神だ」


 ガリアスがスキットルを煽り、鼻で笑った。 「ケッ、面白くなってきやがった。最強の戦艦を、追っかけるんだろう?カイ。ルートが分かれば船足はこちらが早いんだろう?……ガバルディの旦那が聞いたら、ビールどころか蒸留所ごと要求してきそうな作戦だな」


「シュミット、アラン。……準備はいいか」  

 カイが振り返ると、二人のトップエースは、すでに新調された漆黒の制服の襟を正していた。


「いつでも。ケーニヒスパンター、いつでも行ける」

「帝国の戦艦、喜んで焼いてやるよ。……」


「……私も、手伝います。殺してやる……」とマリア。


 5時間待ち、エウロ極東派遣艦隊の合流を受け、カイは海図を広げ、鉛筆でいくつもの航跡を書き込んだ。


「大将。今回の攻撃は、南側の防衛網が最も密だったにもかかわらず、その内側から八州を焼かれました。これは、敵が南方――ポートアススクやクドムルーから北上したのではなく、メドムから北ルートで侵攻してきたことを意味します」


 ベルナールの冷静な指摘に、シリチャイ大将が目を細める。

「……なるほど。メドムであれば、八州との距離は往復でロケット弾の消費に見合う。だが中将、奴は一度の攻撃で数千発を撃ち尽くしたはずだ。その巨艦を再び動かすには、膨大な装填作業が必要になる」


「その通りです。そして、数千発のロケット弾を一度に補給・換装できる設備は、現在このサルガナス大海上でそう多くはないでしょう。封鎖中のクメルクスも、警戒が厚いポートアススクも、今の彼らには選択肢に入らないはずです」


 ベルナールは一点を指し示した。

「敵のアムムトは今、空になったマガジンを抱えて、必死にメドムへ逃げ帰っている最中です。そして、その背後を守るために、アエテルナ艦隊が北上してくる。……だからこそ、エウロ艦隊の使い道は一つです」


 ベルナールは振り返り、シリチャイ大将に具申した。

「増援のエウロ艦隊には、全力で南の『廊下』を封鎖してもらいます。彼らが盾となり、アエテルナ艦隊の北上を阻んでいる間に……我々リヴァイアサンが、メドムへ帰還するアムムトを側面から奇襲。補給が完了する前に、港ごと仕留めます。発見できなければメドムを落としましょう」


 シリチャイ大将は納得したように重く頷き、通信士を振り返った。

「……完璧な推理だ。参謀本部に打電せよ。――『ロケット砲戦艦は補給のためメドムへ帰還中と断定。本艦隊はこれより、エウロ艦隊を南部防衛の要に配置し、メドム強襲、および敵旗艦の撃沈任務に移行する。作戦の即時承認を乞う』」


 打鍵音が響き、数分後、参謀本部から短い一文が返ってきた。

『――承認。貴艦隊の慧眼を讃える。サルガナス大海南部及びマリエール諸島は気にするな』

 

「よし、進路を東へ。針路をメドムへ!」  

 シリチャイの号令に、艦隊が東へ舵を切る。


「第三増強小隊。……奴は今、弾切れで震えているはずだ。メドムの門を潜る前に、その喉元に食らいついてもらう」

「了解。……クラーケオスいつでも」

「クラーケンも出れますわ……カイ様、借りは、メドムで返しましょう」

「ああ……私、すっごい頭に来てるんだよね!本当に、この国大丈夫?まあ、私は捨てちゃった国だけどさぁ」


 大和のボイラーが咆哮を上げる。  

 夜間。

 粉塵濃く、視界3.4キロ。

 だがカイの脳裏には、逃げ帰る死神の航跡が、はっきりと描かれていた。

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