表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
78/89

第78話 望む未来

「シュミット! 大変なことに気づいた!」

 ミナへの返信を書き終え、完璧な「最終作戦計画」を練り上げたはずのカイが、シュミットの部屋に突撃する。

 その顔は、帝国の数個師団を相手にしていた時よりも青ざめている。


「どうした、カイ。敵の潜水艦でも探知したか?」

 シュミットが落ち着いた動作でコーヒーを啜りながら問い返す。


「いや、もっと深刻な問題だ。ビザだ! ビザがない! 俺は大東亜の人間で、ネーベルハイトはエウロだろう? このままじゃ、薪を割る前に俺だけ入国審査で『回れ右(即時撤退)』を食らうことになる!」


 あまりに真剣なカイの剣幕に、シュミットはカップを口に運ぶ手を止めた。


「……カイ。君は、自分の胸元についているその『勲章』の意味を、本当に理解しているのか?」


「ああ、知ってるさ。戦果を挙げた時にもらえる、重くて綺麗な金属片だろう? ミナが喜んでくれるから大事にしまってあるが……それがビザの代わりになるとでも言うのか?」


 シュミットは深く、深く溜息をついた。

 ゲルマー人特有の忍耐強さを総動員して、この「無知な英雄」を諭すように語りかける。


「いいか、少将。君が持っているのは、ただの金属片ではない。大東亜連邦、そして我がエウロ欧州連合が共同で授与した『ヤマト大綬章』と『スナノオ中徽章』『騎士剣盾付き鉄十字章』だ。それらは、両勢力の存立を救った者へ贈られる『全領土通行許可証』に等しい。」


「通行許可証……?」


「そうだ。君ほどの受勲者になれば、同盟国内であればどこでも、望むままに永住権……いや、国籍すら手に入る。君が『ネーベルハイトで薪を割りたい』と一言書面にサインすれば、エウロの役人は泣いて喜び、ダンスしながらレッドカーペットを敷いて君を迎え入れるだろう。……もちろん、大東亜の政府は、最高の英雄を失うまいと必死で引き止めるだろうがな。」


 カイは呆然と、自分の胸元……かつて授与されたまま、あまり意識していなかった勲章の略綬を見つめた。


「……つまり、俺は不法入国者にならなくて済むのか?」


「ああ。君の功績の前には、国境というものなど関係ないよ。……ただし、薪割りの腕前だけは勲章では保証されん。そこはネーベルハイトの厳しい審査が待っていると思え。」


「なんだ……そうか。なら、作戦に支障はないな」

 カイは心底安心したように、再び新居ノートにペンを走らせた。

 今度は薪棚の図の横に、「パスポートの申請は勲章の提示」と、力強い字で書き込まれた。


 整備の合間の、ふとした休息。

 シュミットは隣に座るアンジャリに、淹れたてのコーヒーを差し出した。

 湯気の向こうで、彼はまるで現在地の気象条件でも語るような淡々とした口調で切り出した。


「アンジャリ、式の事だが……あまり派手にする必要はないだろう。だが、親族と中隊の面々を呼ぶくらいの準備は進めておくべきだ」


 アンジャリはマグカップを口元へ運ぼうとした動きを止めた。

「……えっ? 式って……誰の?」


「我々の、に決まっているだろう。それと、その後の住居についても既に策定済みだ。カイ少将には伝えたが、私は退役後、ゲルマーの故郷、ネーベルハイトで店をやろうと考えている。アンジャリ、君にも一緒に来て、いや、ちゃんとお願いすべきだな。俺と一緒に店を切り盛りしてほしい。あそこの海沿いの気候は、君の気性にも合うはずだ」

「もちろん、強制するつもりは無い。『君が良ければ』だが」

 シュミットは真剣な眼差しをアンジャリに向け、さも当然の帰結であるかのように頷いた。


「暖炉の設計はカイと一緒にやる。店の経営は君に任せたい。……嫌か?」


 アンジャリの脳内では、今聞いた言葉が猛スピードで逆流していた。

「式」「新居」「一緒の店」「切り盛り」。

 それらを繋ぎ合わせると、一つの結論に辿り着く。


「……あれ? ちょっと待って。ハイン、それって……プロポーズ? 結婚、ってこと……よね?」


 アンジャリの顔が、みるみるうちに耳の付け根まで真っ赤に染まっていく。

 普段、最前線でシュテルツァーを駆る彼女の勇敢さはどこへやら、手元にあるコーヒーがカタカタと音を立て、零れそうになるほど動揺していた。


「何を今更。我々の作戦の最終目標は、常にそこにあったはずだ」

(あれ?私、ホテルでしたのは婚約だったの?うそ!嬉しすぎて覚えてなかった)

 シュミットは表情一つ変えず、しかし少しだけ照れくさそうに視線を逸らした。

 彼にとって、未来を語ることは戦場で生き残るための最も強固な「規律」なのだ。


「……もう! この頑固軍人! 雰囲気とかあるでしょ!」

 アンジャリは顔を覆いながらも、その指の間からこぼれる笑顔を隠しきれなかった。


 アンジャリが真っ赤になって叫んだ直後、休憩室の扉が勢いよく開き、マリスとエルザが飛び込んできました。


「シュミット中佐! 何ですの今のぶっきらぼうな言い方は!」

「そうです、シュミット! お姉さまが可哀想じゃない!」


 二人は脱兎のごとくシュミットに詰め寄ると、その頑丈な胸板や腕を「ポコポコ」と叩き始めました。


「女性が一生懸命待っている言葉を、作戦計画書のように読み上げるなんて……シュミット中佐、あまりにも情緒が欠けておりますわ!」

 マリスが怒涛の勢いでシュミットの腕を叩きます。


「そうよ、シュミット! 順番が全然違うよ! そもそも、形にするべきものがあるでしょ!」

 末っ子のエルザも、姉のために顔を真っ赤にしてシュミットの背中を叩き、最も重要な一点を突きつけました。


「「指輪ーーーーー!!!」」


 二人の叫びが、鉄の休憩室に反響します。


「指輪はどうしたんですの!? ネーベルハイトの薪を贈ってプロポーズしたつもりですの!?」 「今すぐよ! 今すぐお姉さまに、愛の証を見せなさい!」


 普段は冷静沈着、鋼の意志を持つシュミット中佐も、マリスとエルザによる容赦ない猛攻には、さすがにたじろぎました。

 彼は大きな身体を小さくするようにして叩かれるままになり、珍しく狼狽したように視線を泳がせます。


「ゆ、指輪か……。それは、その、しかるべき補給経路を確保した後に……」

「そんなの言い訳ですわ!」

「早く約束して、シュミット!」


 アンジャリは、ポコポコとシュミットを叩き続けるマリスとエルザの姿を見て、可笑しさと恥ずかしさと愛おしさが混ざり合い、ついに吹き出しました。

「ふふっ……あはは! もういいわよ二人とも。ハインにそれを求めるのは、シュテルツァーに花を飾れって言うくらい難しいことなんだから」


 そう言いながらも、アンジャリは赤くなった顔を綻ばせ、妹たちに叩かれて困り果てているシュミットの腕を、そっと強く掴むのでした。

 シュミットは深く、重いため息をついた。

 その溜息は、絶望的な包囲網を突破する時のそれよりも遥かに重苦しいものだった。


「……やれやれ。奇襲は失敗だな」


 彼はそう呟くと、ポコポコと自分を叩いていたマリスとエルザの猛攻を、静かな、しかし確固たる動きで制した。

 二人が不審そうに手を止めたその瞬間、鋼鉄のような体がゆっくりと沈み込む。


 シュミットは、アンジャリの前でその場に膝を突いた。


「ハ、ハイン……?」


 アンジャリの戸惑いを余所に、彼は軍服の内ポケットへと手を伸ばした。

 取り出されたのは、戦場の埃すら寄せ付けない、深い紺色のベルベットの箱。

 そこには、エウロの誰もが知る、最高級ブランド店の黄金の刻印が、鈍い光を放ちながら刻まれていた。


 その箱がシュミットの大きな手によって開かれると、中から現れたのは、質実剛健な彼らしくもあり、それでいてアンジャリの瞳と同じ輝きを湛えた、大粒のダイヤモンドを冠した指輪だった。


「……もう少し雰囲気に気を使うつもりだったが、(マリスとエルザ)の包囲網が予想以上に厚いようだ。これを受け取ってほしい、アンジャリ」


 シュミットの言葉は、相変わらず無骨で、作戦指示のような響きを残していた。

 しかし、顔をほのかに赤らめ、指輪を差し出すその大きな手は、わずかに震えていた。


「「指輪ーーーーー!!!」」


 今度は、先ほどまでの抗議とは違う、マリスとエルザの歓喜の悲鳴が休憩室を突き抜けた。


「シュミット中佐……! 用意していらしたんですの!」

「すごい、シュミット! いつから持ってたの!?」


 マリスとエルザは、もうポコポコ叩くことなど忘れ、目を輝かせてその指輪を見つめている。

 アンジャリはといえば、あまりの衝撃に言葉を失い、真っ赤な顔のまま、涙をいっぱいに溜めた瞳でシュミットを見下ろしていた。


 シュミットは跪いたまま、再び真剣な眼差しをアンジャリに向けた。

 シュミットは跪いたまま、アンジャリの瞳を真っ直ぐに見上げました。

 その眼差しには、硝煙の匂いも軍務の冷徹さもなく、ただ一人の女性を慈しむ熱い光だけが宿っていました。


「……アンジャリ。私はこれまで、国を守る盾として、あるいは軍を支える剣として生きてきた。だが、これからの人生、私のすべての力は君一人のために捧げたい。君が泣かないように、君が凍えないように、私は君という唯一の拠点を守る不滅の盾になろう。……世界がどう変わろうと、私の帰る場所は君の隣だけだ。どうか、この指輪を、私の魂として受け取ってほしい」


 静かな、けれど地響きのように深く響く声。

 それは、鋼の男がその生涯で一度だけ口にした、命懸けの愛の告白でした。


 その場にいた全員の吐息が漏れ、空気がとろけるように甘く震えました。

 あまりにも純粋で、あまりにもロマンチックな誓いに、アンジャリはただ熱い涙を流して立ち尽くしています。

「……シュミット……!」


 沈黙を破ったのは、感極まったエルザの叫びでした。


「お姉さま、ずるい! シュミットちょうだい! 私、こんなこと言われたらもう、立っていられないよ!」


 エルザは潤んだ瞳でシュミットを凝視し、アンジャリに縋り付いて泣き言を漏らします。

 すると、隣で胸に手を当てて深くため息をついていたマリスも、頬を真っ赤に染めて詰め寄りました。


「……わたくしもですわ! シュミット中佐、あまりにも卑怯ですわ……そんな、魂を捧げるなんて……わたくしもシュミットが欲しいですわ! お姉さまばかり、ずるすぎます!」


 二人の妹たちは、もはや羨望と熱狂の渦に飲み込まれていました。

 シュミットを「ポコポコ」叩いていた手はどこへやら、今や彼という「理想の美形」に手を伸ばさんばかりです。


「落ち着け、二人とも。私はアンジャリと誓いを立てているのだ」

 困り果てたシュミットが、跪いたまま二人を制そうとしますが、妹たちの「シュミット熱」はもはや制圧不能なレベルまで上昇していました。


「嫌ですわ! シュミット中佐のような方を、どこで探せばいいとおっしゃるの!?」

「そうだよ、シュミット! 今すぐ分裂して!」


 アンジャリは、そんな妹たちの騒ぎをぼんやりと聞きながら、目の前の男が差し出した「誓い」の輝きを見つめていました。

 アンジャリは溢れ出す涙を拭おうともせず、震える手でシュミットの差し出した指輪をしっかりと受け取りました。

 そして、跪く彼の首に力一杯抱きつくと、その胸に顔を埋めて何度も何度も頷きました。


「……はい! ハイン、喜んで……! 私、一生あなたを愛し抜くわ!」


 鋼の男と、彼を包み込む情熱的な婚約者。

 最高のロマンスが完成した瞬間――でしたが、背後から迫る妹たちの熱烈な「シュミットおねだり攻撃」がそれを許しません。


「お姉さま! そのシュミット様を、ほんの少しでいいですからわたしにも分けてくださいまし!」

「そうよ! シュミットを独り占めするなんて強欲すぎるよ、お姉さま!」


 マリスとエルザが今にもシュミットに縋り付こうと手を伸ばしたその時、アンジャリの「長女」としての本能が覚醒しました。

 彼女はシュミットを抱きしめたまま、パッと振り返り、子どもを守る雌ライオンのような鋭い視線で妹たちを牽制しました。

「ダメよ! 二人とも、離れなさい!」


 アンジャリはシュミットの広い背中を隠すように両腕を広げ、鉄壁のガードを固めます。


「ハインは私の婚約者なの! 私の魂なんだから、誰にも貸さないわ! 二人も、そんなに素敵な言葉が欲しいなら、自分で……自分だけの『魂』を必死で探しなさい!」


 その断固とした拒絶に、マリスとエルザは「ひどいですわ!」「ケチ!」と頬を膨らませました。


「お姉さまのケチ! シュミット中佐のような理想的な方が、そう簡単に戦場に落ちているとお思いですの!?」

「そうよ! 自分で探せなんて、無茶な作戦指示はやめてよ、お姉さま!」


 アンジャリにピシャリと言い渡され、二人は口を尖らせながらも、幸せそうにシュミットを独占する姉の姿に、どこか誇らしげで、そして深い羨望の溜息を漏らすのでした。


 一方、当のシュミットは、アンジャリに背後からギュッと守られながら、ようやく立ち上がりました。

「……奇襲の後の撤退戦より、こちらの方がよほど骨が折れるな」  

 そう苦笑いする彼の耳たぶは、まだ少しだけ赤く染まったままでした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ