第77話 プロパガンダ
一九八四年三月二十三日
リヴァイアサン中隊を国威発揚に使うプロパガンダは、もはや止めようのない熱を孕んで世界を駆け巡っていた。
大東亜連合・皇国特別報道番組
「ライオン・ポート解放。帝国・AAUによる組織的虐殺の爪痕」
(カメラは、大和から上陸し、泣き崩れる市民たちを保護する大東亜兵の姿を捉える)
……国民の皆様、我々の同胞が帰ってきました。
昨日、リヴァイアサン中隊をはじめとする、大東亜エウロ欧州連合軍によって解放された我が領土ライオン・ポート。
しかし、そこに広がっていたのは、侵略者どもが遺した筆舌に尽くしがたい惨状でした。
帝国とAAUの混成軍は、侵攻に際し、逃げ惑う民間人に対し戦艦の巨砲を至近距離から叩き込み、地上軍は市街地を文字通り『踏み潰して』いきました。
確認された我が同胞の犠牲者は五十六万四千名。
行方不明者は百万名を超えています。
(親を探す子供や、四肢の欠損がある救護所の画像が映る)
彼らは武装した軍隊ではなく、ただそこに暮らしていた平和な市民を、見せしめとして、あるいは娯楽として虐殺したのです。
帝国・AAUはこの暴挙を『自衛』と呼びましたが、奪われた五十万の命の重さを、我らは決して忘れません。
一体、どこが自衛なのでしょうか?
これより、我ら大東亜経済広域圏は、盟友エウロ・ゲルマ・リキ欧州連合経済共同体と手を携え、奪われたすべてを取り戻すための、報復の進軍を開始します――
皆様。
希望を捨ててはなりません!
この街を奪還したのは、我らが第507特務中隊『リヴァイアサン』です!
そこには艦隊3、シュテルツァー7個師団を含む、計20個師団という絶望的な戦力が展開していました。
しかし、彼らは『一個中隊』でこれを鎧袖一触!
味方損害ゼロという奇跡の戦果で、暗黒に沈む港を奪還したのです!
さあ、恐怖しろ帝国よ! 震え上がるがいいAAUよ!
正義の牙が、次はお前たちの喉元に届くであろう!
(テロップ:【英雄を支えるのは、あなたの志。戦時国債・絶賛受付中】)
皆様。
我らが英雄たちが、さらなる勝利を重ねるためには、莫大なる戦費が必要です。
英雄たちの弾丸のために、今なお占領地で虐げられている同胞を救い出すために、国債をお買い求めください。
あなたの手の一枚が、帝国を焼き、同胞の涙を拭う力となります。伏してお願い申し上げます。
エウロ欧州連合(EEU)特別公営番組
「友邦の悲劇、人類の恥辱。帝国・AAUの蛮行を糾弾する」
(総統は、怒りに震える拳を机に叩きつけた。あまりの衝撃に、置かれた硝子のコップが鳴った。彼は言葉を失ったように俯き、涙を流しながら、何度も、何度も弱々しく首を振った)
……諸君、ライオン・ポートで何が起きたかを知るがいい。
我々の同盟国である大東亜の平和な都市を、帝国とAAUは艦砲射撃で地図から消し去ろうとした。
彼らが標榜する『秩序』とは、五十万の無辜の民を焼き尽くすための免罪符なのか。
死者50万。
行方不明者百万。
この数字は、侵略者たちの野蛮さを証明する動かぬ証拠だ。
彼らは卑劣にも、無防備な市民の頭上に戦艦の主砲弾を撃ち落としたのだ。
エウロは、大東亜と共に、この血の代償を彼ら自身へ突きつける。
我が軍の精鋭が目にしたのは、敵と戦う戦場ではない。虐殺者が去った後の、終わりのない悲しみの街であった――。
しかし、第507特務中隊 リヴァイアサンを主軸とする英雄たちが、敵の大軍を打ち破ったのだ!
カイに続き、ベルナール中将、ハインツ副長、シュミット中佐の顔写真が、総統の後ろにあるスクリーンに映し出される。
帝国よ!AAUよ!恐怖するがよい。
貴様らには、我らが英雄の歩みは止められぬのだ!
(勇壮なエウロ軍曲が流れ、ライオン・ポートでのシュテルツァー、軍用車両などが映された後、曲が変わり、救護所や、被災児童等が映される)
帝都の巨大モニターを見上げる群衆の動きが、一瞬で止まった。
映し出されたのは、四肢を失った救護所の子供たちと、その瓦礫の向こうにそびえ立つ漆黒の魔神――『アスラ』の雄姿だ。
「……見たか。一個中隊だ。俺たちの『リヴァイアサン』が、帝国の20個師団をたった十機でひねり潰したんだぞ!」
一人の男が叫んだ。
その手には、発行されたばかりの『ライオン・ポート復興国債』の束が握りしめられている。 「56万……。俺たちの同胞が、あんなゴミのように殺されたんだ。この金は、全部あいつらを焼き殺す弾丸に変えてくれ!」
銀行の窓口には、老若男女が長蛇の列を作っていた。
「私の貯金、全部国債に変えてちょうだい! 英雄たちが、あの野蛮な帝国を一人残らず駆逐してくれるなら、貯金なんていらないわ!」
着物姿の婦人が、震える手で通帳を差し出す。
かつて平和を愛した民衆は、熱病のように、今や一つの巨大な「復讐の大炎」と化していた。
リヴァイアサンという圧倒的な勝利の象徴が、国民の恐怖を「灼熱の殺意」へと変貌させたのだ。
エウロの街角、大聖堂の広場では、総統の慟哭する映像が繰り返し流されていた。
机を叩き、俯き、子供のように涙を流すゲルマ・リキ総統。
その姿は、高潔な欧州市民の心に火をつけた。
「総統閣下が、あんなに泣いておられる……」
カフェの椅子から立ち上がった青年が、モニターを凝視したまま呟いた。
「あの冷徹な総統閣下が涙を流すほどの地獄を、大東亜の友人たちは受けたんだ。子供を艦砲射撃で虐殺だと!?俺たちには何ができる? 議論か? 抗議声明か?」
「いいや、違う」
隣の老人が、重々しく首を振った。
「第507特務中隊 リヴァイアサンは大東亜の『牙』では無い。『我らエウロ・ゲルマ・リキ欧州連合経済共同体』と大東亜、両方の混成部隊だ」
別の老人が続ける。
「国債を買うのだ。我らが英雄の動きが弾切れで止まらないようにな。一個中隊で20個師団を殺せるなら、俺たちの税金で、奴らを絶滅させることだってできるはずだ」
熱狂は、銃後の民衆だけにとどまらなかった。
むしろ、最前線で泥を舐め、友を失ってきた青年将校や兵士たちにとって、リヴァイアサン中隊の勝利は、彼らの魂を救済する「奇跡」そのものとなっていた。
ライオン・ポート臨時拠点の兵舎。
そこでは、大東亜の若き士官たちと、エウロから派遣された増援部隊の将兵たちが、国籍の垣根を超えて一つのモニターを囲んでいた。
映し出されたのは、リヴァイアサン中隊の戦闘場面を切り貼りして作られたプロパガンダニュースだ。
「見たか! あのパイルバンカーの一撃を!」
大東亜軍の青年少尉が、戦勝祝いで配給されたばかりのビール瓶を高く掲げて叫んだ。
「俺たちは今まで、帝国の重装甲に絶望してきた。だが、アスラはそれを紙細工のようにぶち抜いたんだ! 奴らは無敵じゃない。リヴァイアサンが、そのことを証明してくれたんだ!」
「その通りだ、友よ!」
隣に座る少し酔ったエウロ軍の曹長が、少尉の肩を叩いて応じる。
「我らエウロの騎士たちが、カイ少将に続いて戦場を駆ける姿を見たか。シュミット中佐のあの『一対三ですら切り抜ける、剣捌き』、そしてハインツ副長の魔王の如き機動……。我ら連合軍こそが、真の文明の守護者だ!」
かつては言葉の壁や文化の相違に戸惑っていた兵士たちが、今や『リヴァイアサン』という共通の言語で語り合っていた。
兵舎の壁には、新聞から切り抜かれた漆黒の『アスラ』と、三姉妹が駆る水中の怪物たちの写真が、まるであつらえた宗教画のようにピンで留められている。
「なあ……俺たちも、次の上陸戦ではあの中隊の背中を追うんだろ?」
まだ幼さの残る一人の兵士が、憧憬の眼差しで写真をなぞった。
「ああ。俺たちが弾薬を運び、拠点を守る。その一分一秒が、英雄たちの勝利に繋がるんだ。彼らのために死ねるなら、それは兵士として最高の栄誉だ」
「ああ!死ねるぞ!リヴァイアサン三姉妹のためならいつ死んだって本望だ!」
離れたテーブルからも叫び声が聞こえる。
その熱狂は、一種の狂気に近かった。
「英雄に続け」という言葉は、恐怖を麻痺させる麻薬となり、青年たちの死生観を塗り替えていく。
大東亜の各拠点では、リヴァイアサン中隊への配属を希望する志願兵が後を絶たず、彼らのサインした血判状が司令部のデスクに山をなした。
エウロの士官学校でも、卒業を間近に控えた候補生たちが、総統の涙に呼応するように「東方派遣軍」への配属を求めて叫んだ。
「議論の時代は終わった! 剣を取り、リヴァイアサンと共に地獄を焼き払うのだ!」
教室で、食堂で、練兵場で、若者たちは互いの胸を叩き、まだ見ぬ戦場での勝利を誓い合った。
復讐を正義と呼び、破壊を救済と信じる。
一個中隊がもたらした「あまりに鮮やかすぎる勝利」は、世界中の軍靴の音を、一つの巨大な、そして止めようのない破滅への行進曲へと変えていったのである。
教会の鐘が鳴り響く。
それは死者への弔いではなく、侵略者への宣戦布告の音に聞こえた。
「総統の涙を、勝利の叫びに変えろ!」
若者たちが叫びながら、国債の受付所へと駆け出していく。
かつての騎士道精神は、いまや「報復という名の義務」へと昇華されていた。
リヴァイアサン中隊は、補給とシュテルツァーの整備、そして占領部隊の到着を待つために、ライオン・ポートでの十二日間の停泊を余儀なくされた。
かつての「東洋の十字路」は、今や見渡す限りの焦土と化している。
焼け出された人々の慟哭が潮風に混じり、家族の遺体に縋り付く者たちの姿が、瓦礫の隙間に無数に散らばっていた。
カイは戦艦『大和』の甲板の縁に腰を下ろし、膝の上に一冊のノートを広げていた。
ミナとの「新居ノート」だ。
だが、その白紙のページには、一文字も書き込むことができない。
昼間目にした惨状が網膜に焼き付き、未来を彩るべき鉛筆の先は、石のように動かなかった。
「……家か?」
背後から、鉄の響きを帯びた、しかし穏やかな声が届いた。
ハインリヒ・シュミット中佐だ。
彼はカイの隣に歩み寄ると、遠い水平線を見つめて語り始めた。
「もし良ければ、戦争が終わったら、エウロに来ないか、カイ」
カイが顔を上げると、シュミットはいつもの堅苦しいゲルマー人の目ではなく、友としての眼差しを向けていた。
「俺の故郷はゲルマーの田舎だ。……退役したら、そこで何か店をやりたいと思っている。アンジャリと二人で、のんびりと切り盛りをするのだ。そこへ君たちも来ないか。いつになるかは分からんが、世界で最高の、センター・暖炉のある家を一緒に作ろうじゃないか」
シュミットは、自らの血に刻まれたゲルマーの情景を、慈しむように語り始めた。
「ゲルマーの田舎は、沈黙が美しいのだ。深い森が吐き出す朝霧は銀色に輝き、冬になれば世界は厳格な静寂に支配される。だがな、カイ。その寒さこそが、暖炉の火を真に価値あるものにする。石造りの壁が蓄えた熱が、家族の体温を優しく包み込む。外が吹雪であればあるほど、家の中は勝利したかのような安らぎに満たされるのだ。石畳の道を歩けば焼きたてのパンの香りがし、古びた広場では、誰もが明日を疑わずに笑い合っている……」
その言葉は、破壊の音しか聞こえなかったカイの耳に、心地よい音楽のように染み渡っていった。
灰色の街を見ていた瞳に、温かな琥珀色の灯火が映る。
「……シュミット。すまないが、ミナは海が好きなんだ。俺はあの髪が、海風に踊るのを見るのが好きなんだよ」
カイが力なく笑うと、シュミットは鼻で短く、しかし誇らしげに笑った。
「案ずるな、カイ。ゲルマーは確かに森の国だが、幸いなことに俺の故郷は北の海沿い…… ネーベルハイトなのだ。あそこの海は、この南国のような情熱的な青ではない。だが、鋼鉄のように力強く、気高い白銀の波が打ち寄せる。ミナ少尉も、あの厳しいまでに美しい水平線を見れば、きっと気に入るはずだ」
シュミットはカイの肩を、大きな手で力強く叩いた。
「そこならば、結露という名の奇襲に怯えることもない。俺が設計し、君が薪を割り、彼女たちが笑う。……我らの『最終作戦計画』は、そこから始まるのだ」
「スキレットやダッチオーブンはどうするんだ、シュミット。あんな重い鉄の塊、ネーベルハイトのキッチンではどう扱う?」
カイの問いに、シュミットは鼻で短く笑い、グローブを脱いだ手で空中に四角い形を描いた。
「いいか、カイ。ゲルマーにおいて鉄器は『道具』ではない、共に時を刻む『戦友』なのだ。ネーベルハイトの家では、暖炉の脇に専用の鉄製フックを設ける。使い込まれ、黒光りするまで油を馴染ませたスキレットをそこに吊るしておくのだ。熱を帯びたレンガのそばで、常に乾燥した状態を保つ……。それが、結露という名の腐食から鉄を守る唯一の防衛線なのだ。ダッチオーブンは、暖炉の熾火に直接放り込む。分厚い鋳鉄が熱を等方的に分散し、中の肉を最高の結果へと導くのだ」
シュミットの言葉は、まるでシュテルツァーの装甲特性を解説するかのように淀みがない。
「それから、薪棚だ」
シュミットは、甲板から見える瓦礫の山を指差した。
「ゲルマーの男にとって、薪の積み方はその者の『規律』そのものを表す。我々の故郷では、薪はただ積むのではない。家の壁に沿って、あるいは独立した『薪の塔』として、緻密な計算に基づいた円錐状に積み上げるのだ。外側は樹皮を上にして雨を弾き、内側には空気の通り道を確保する。通気性の確保は、エンジンの冷却レイアウトと同じだ。これが不十分だと、薪は芯から腐り、暖炉は黒煙という名の『敗北』を吐き出すことになる」
シュミットは目を細め、霧の向こうにあるはずの故郷の風景を幻視するように続けた。
「ネーベルハイトでは、初夏のうちに二年分を割り終え、乾燥させる。厳しい冬が来る前に、軒下に整然と並んだ薪の壁……。それこそが、家族を寒波という名の強襲から守る『防波堤』となるのだ。カイ、君にはその最前線を任せることになる。斧の振り下ろし一つにも、ゲルマーの魂を込めてもらうぞ」
「……ああ。掌握したよ、シュミット。俺がその壁を築こう」
カイのノートに、ようやく一本の線が引かれた。
それは家の外壁ではなく、厳しい冬に備えて整然と積まれた「薪棚」の図だった。
ミナ、元気だろうか。
ライオン・ポートの惨状はテレビとかで知っているかもしれないな。
正直に言えば俺は未来を描く力を失いかけていた。
瓦礫と涙が続くこの場所で、新居ノートを広げることさえ、どこか後ろめたく感じていたんだ。
けれど今、俺の隣にはハインリヒ・シュミット中佐がいる。
彼と語り合ううちに、俺たちが帰るべき場所は戦場の延長線上ではなく、もっと別の場所にあるべきだと確信したんだ。
シュミットの故郷、ネーベルハイトという街の話をしただろうか。
彼は退役後、そこでアンジャリと店を出すつもりらしい。
そして、俺にこう言ってくれたんだ。「カイ、君たちも一緒に来ないか」と。
俺は、その言葉に救われた。
だから、ミナ、君に伝えたくてペンを執った。戦争が終わったら、俺と一緒に、エウロのネーベルハイトに来てほしい。
あそこの海は、白銀の波が打ち寄せる、とても気高い場所だそうだ。
俺たちはそこに家を建てるのはどうかな。
シュミットに言わせれば、これまでの俺たちの新居案は結露という名の側背からの強襲に対して無防備な、敗北主義的な設計だったらしい。
暖炉は家の中心、センター・レイアウトでなければならない。
それは家の心臓であり、360度全方位へ君を温める熱量を展開するための戦略的拠点なんだ。薪の備蓄一つとっても、シュミットの教えは厳しい。
ホルツハウゼンという、まるで精密な迎撃塔のような積み方で薪を乾燥させ、冬の寒波という名の攻勢を完全に封じ込める。
俺は毎日、斧を振るって薪を割るつもりだ。
重力加速度を一点に集中させ、薪の繊維を分かつその瞬間、俺は君を守るための防壁を築いていると実感するだろう。
キッチンには、油膜でコーティングされた鉄壁のスキレットを配備する。
直接火にかけるような愚行はせず、じっくりと蓄熱帯でチーズが悲鳴を上げるのを待つんだ。
そこには、君が最も美しく見える位置に椅子を置き、将来の家族が増えることも想定した非戦闘区域を確保してある。
ミナ、何を言っているんだと思うかもしれないが、これは俺の独りよがりの計画じゃない。
君に、俺の隣で一緒に歩んでほしいという、俺の人生のすべてを賭けた応援要請なんだ。
白銀の波が打ち寄せるあの街で、君の髪が海風に踊り、暖炉の火が君の頬を赤く染める。
その景色を君と共に掌握するために、俺は必ずこの戦いから帰る。
ミナ、俺と一緒に、ネーベルハイトへ行こう。
君の受領報告を、誰よりも切実に待っている。――カイ・イサギ。
病院のベッドでこの果てしなく長い手紙を読み終えたミナは、ずいぶん書くのに手間取った事が分かるシワだらけの手紙を胸に抱いたまま、しばらくの間動けなかった。
軍事用語が隙間なく並び、シュミットの「指導」の跡が露骨に見える、あまりにも不器用で、それでいて「一緒に来てほしい」という祈りのような言葉が痛いほど伝わってくる手紙。
「……ふふっ、あははははっ!」
ついにこらえきれず、ミナは声を上げて笑った。
クスクスという笑いは止まらず、目尻に涙を浮かべながら、何度もその長い文面を読み返した。 「バカね……本当にバカなんだから、カイ。この手紙、まるで作戦計画書みたい。こんなの世界中にあなただけよ……」
だが、その笑い声の裏で、ミナの心はかつてないほどの温かさに満たされていた。
そこには、はっきりと自分が必要とされている。
ミナは、病院のベッドで、ゆっくりと手紙を書き始めた。
カイは、待機期間中に手紙を受け取った。
解放直後に輸送路が確立され、『将官であり英雄であるカイの郵便物』は、特別優先される。
そんな事には、気がつくはずもないカイは静かに封を切り、中に納められた数枚の便箋を取り出した。
そこにはミナの少し右上がりの、しかし芯の強い筆致で、偽らざる想いが綴られていた。
カイへ。
あなたの送ってくれた計画書、すべて読みました。
読み終えたときには、不思議とネーベルハイトの冷たい潮風と、暖かい暖炉の匂いがしたような気がしたわ。
あなたの隣で、シュミット中佐が一生懸命に薪割りの理論を語っている姿も。
カイ、私は嬉しい。
ライオン・ポートであなたが戦っているのを知って、私は何もできない自分を呪っていた。
けれど、あなたがそんなにも未来を、私との生活を信じてくれていることが、今の私にとってどれほどの救いになったか分からないわ。
あなたの言う通り、私は海が好き。
白銀の波が見える場所で、あなたの薪を割る音を聞きながら、温かいスープを作って待っている……そんな毎日が、今の私にとっての「希望」になりました。
カイ、私をネーベルハイトへ連れて行って。
私と一緒に、その家を建てましょう。
シュミット中佐に伝えておいて。
ちゃんとアンジャリさんの許可は取っているのかしら?
あと、スキレットの油膜を「鉄壁」にする修行は、私もしっかりやるつもりだって。
料理は、私がやるのよ?
暖炉の横に置いてくれるという私の椅子には、あなたが座るための場所も空けておいてね。
私たちは二人で一つ、そうでしょう?
あなたの描いた未来を、私はとても楽しみにしています。
だからカイ、必ず帰ってきて。
ネーベルハイトに行ける日を、一緒に迎えるために。
愛しています。――ミナ。
カイはその紙を、慈しむように何度も読み返した。
行間から溢れるミナの決意が、ライオン・ポートの絶望で冷え切っていた彼の心を、暖炉の火のように激しく、温かく焼き尽くしていく。
「……シュミット。作戦は、承認された」
カイは手紙を胸のポケットに丁寧に収め、隣に立つ友を振り返った。
シュミット中佐は、相変わらず厳格な表情を崩さなかったが、その眼差しは、戦友の「勝利」を確信した指揮官のそれだった。
「当然だ、少将。ネーベルハイトの設計思想に、付け入る隙など微塵もないのだからな」




